21 夢の中の少女
石畳の上を歩いていた。
空は青く澄み渡っている。雲一つない快晴。
涼やかな風が吹き抜けるたびに、木漏れ日が揺れる。
並木道の中の石畳を、一人で歩いていた。
木立の濃い緑が、さわさわとざわめく。
右手に、白いベンチが見えた。
女の子が一人で座っている。
おかっぱ頭の、白いサマードレスを着た華奢な女の子。
あの子を知っている、と思った。
近づいて行くと、女の子がこちらに気付いて顔を向ける。
目が合った。
ゆるりと、女の子が笑った。
妖精のような可憐な顔立ち。
なのに、自分よりもずっとずっと年上の人のようにも思える。
微笑みを返して、何の迷いもなく女の子の隣に座った。
そうするべきだと思ったから。
「初めまして。こんにちは」
「は、初めまして。こんにちは。・・・・・・えと、あの。あなたは、お嬢・・・・なんですよね?」
「そう。私はお嬢。あの子たち、ぬいぐるみたちには、そう呼ばれている。あなたのお名前は?」
「美咲です」
答えながら美咲は、これはもしかして夢なのかな? と思った。
夢の中で、お嬢に会っているのかな、と。
「美咲。ありがとう。私を呼んでくれて。あなたが、みんなが私を呼んでくれたから、私は戻ってこれた。ありがとう。あなたの、おかげ」
「あの、お嬢はどうして・・・・その・・・・」
ぬいぐるみたちを置いてどこかへ行ってしまったのかと問おうとして、言葉を濁した。
お嬢は、美咲から視線を外し、空を見合上げる。
「ちょっと、遠くに行きすぎてしまったの。あまり遠くに行きすぎると、繋がりが薄くなって、自分を保っていられなくなる。世界に同化してしまうっていうのかな。気を付けなければいけないって、分かっていたのに。少し、羽目を外してしまった。でも、みんなが呼んでくれたから、みんなの声が聞こえたから、私は私を思い出した」
お嬢の横顔を見つめながら、美咲は頷いた。
正直、難しいことはよく分からない。
外で遊ぶのが楽しくて、呼ばれるまで時間を忘れてしまっていたんだな、ぐらいに解釈していた。
ちょっと違うが、まあ大体合っている。
「もう、みんなには会ったの?」
「いいえ。これから。声を辿ってきたら、ここにたどり着いたの。私を呼んだのは、あなたの魔法だって分かったから、ちょっと夢の中にお邪魔させてもらった。お礼を言おうと思って」
お嬢の視線が、ゆっくりと美咲に戻ってくる。
「お、お礼なんていいよ。それよりも、早くみんなに会って喜ばせてあげてよ」
日が暮れるまで、ずっとお嬢の名前を叫び続けていたハナ子の姿を思い出す。
中学生である美咲たちは、あまり遅くなるわけにもいかないので、そこで解散となった。ぬいぐるみたちも、また明日があるからと各自のメイクルームに引き上げていく。
でも、ハナ子だけは、いつまでも河原でメガホンを握りしめて、お嬢を呼び続けていた。
美咲の変身が解ければ、メガホンは消えてしまう。
でも、それでも。
たとえメガホンがなくても、一人でずっとお嬢を待ち続けているのかもしれない。
早く、ハナ子に会ってあげて欲しかった。
「うん。分かってる。あなたのおかげで、何とか体にも戻れそう。だから、みんなに伝えて。あの洞窟で待っているって」
「! 分かった。絶対、伝えるから。今度は、ちゃんと待っててね? みんなに会うまで、どこにも行っちゃだめだよ?」
お嬢の両手を握りしめると、お嬢は驚いた顔をして、それから泣きそうな顔で笑った。
それがなぜなのか、この時の美咲には分からなかった。
「うん。もちろん」
お嬢も、きゅっと美咲の手を握り返す。
お嬢の手は、確かにそこに会ったけれど、冷たくも温かくもなかった。
「ねえ、お嬢。聞いてもいい?」
「どうぞ」
まだ夢は続くみたいだったので、美咲は気になっていたことを聞いてみることにした。お嬢は、それに快く応じてくれる。
二人は並んで空を見上げていた。
「どうして、お嬢は、その・・・・・生霊になっちゃったの?」
言葉を濁した割には、ストレートな質問だった。
けれど、お嬢は特に気を悪くした様子もなく、そうねえと首を傾げている。
「そうね。あの子たちと一緒に、魔法少女の起こす奇跡を追い続けたかったから、かな。それから、繭に対する責任、のようなもの。私が死んだら、繭のことを知っている人は、誰もいなくなってしまうかも知れない、と思って」
「責任って?」
「あの繭は、ずっとずっと昔に、私たちの一族が作り出したものなの」
「え?」
お嬢の衝撃の告白に、美咲はベンチに持たれていた背中を起こして、お嬢の方に体を向けた。
「あの繭の中身、穢れと呼ばれるよくないもの。あれは、昔は普通に地表に存在してたの。霧みたいな感じ、だったのかな? 私たちの一族は不思議な力を持っていて、穢れを浄化・・・綺麗にすることが出来た。でも、その反面、穢れの影響を受けやすかった。穢れにとらわれると、心を失って、食事も睡眠もとらなくなって、やがて死んでしまう」
お嬢は空を見上げたまま、話をつづけた。
「あの繭はね、いつどこで発生するか分からない穢れを閉じ込めておくために作られたの。そうすることで、力の弱いものでも安心して暮らせるようになった。最初は、人よりも少し大きいくらいの繭が、地上にいくつか出来るだけだった。繭が羽化したら、力のあるものが浄化する。ずっと、そうしてきた、はずだった」
「それが、どうして、あんなことに・・・・・?」
それが今や、怪獣サイズの繭が空から吊る下がっているのだ。
一体、いつからそうなったのか。
お嬢はフルフルと首を横に振った。
「そこまでは、分からなかった。一族の者が何か手を加えたせいかもしれないし、長い戦いの中で、一族から逃れるために自然と空へと向かったのかもしれない」
「えーと、一族の人に簡単にやっつけられないように繭の方も進化したってことかな」
美咲は授業やテレビで聞きかじった知識と、必死で結び付けた。
美咲にしては上出来だった。
「んー、よく分からない。でも、繭が出来た切っ掛けは、私たちの一族にあったの」
「でも、それはお嬢のせいじゃないのに」
確かに切っ掛けは、そうなのかもしれないけれど、話を聞く限りでは悪意があってやったことではなさそうし、お嬢自身がやったことでもない。
なのに、どうして。
お嬢が犠牲にならないといけないのか。
美咲には、よく分からない。
鉱物の不思議な灯りの満ちる洞窟で、水のベッド中で眠り続けるお嬢の姿が脳裏に浮かぶ。
「何とかして、お嬢を元に戻せないのかな?」
考え込む美咲を、お嬢は不思議そうに見つめた。
「どうして、元に戻らないといけないの?」
「え? 元に、戻りたくないの?」
美咲はポカンとした顔でお嬢と見つめあう。
お嬢には、驚かされてばかりいる気がする。
「戻りたいと思ったことはないの。自分でやったことだし。今の自分に満足している」
「そんな・・・・。生霊のままじゃ、プリンもおせんべいも食べられないのに・・・・」
それは、美咲にとって、大事なことだった。
お嬢は、ふふっと笑って、美咲の頬をするりと撫でた。
「美咲は、人としての生を大切に思っているのね。だったら、あなたはそれを大事にするべきだと思う」
それから、ベンチから立ち上がって数歩前へ進み出ると、スカートの裾を翻して軽やかにターンを決めた。
「私が、本当の意味で人として生きていたのは、10年と少しの短い間だった。生まれつき体が弱かったから、その間はずっと寝たきりだったの。だから、かな。人としての生にあまり未練はないの。こうなる前から、今の・・・・生霊みたいな状態になる前から、私はもう人ではなかった。食事も睡眠も必要のない生活を、ずっと長い間してきた。あの子たちと、ぬいぐるみたちと一緒に。・・・・・・・・・体を捨てて、私は自由になった。前よりも、世界を感じることが出来る」
お嬢は、美咲の前で両手を広げて見せた。
美咲は何と言っていいか分からず、座ったまま、曖昧な顔でお嬢を見つめ返す。
お嬢の言っていることは、やっぱり美咲にはよく分からない。
「んー。じゃあ、こういう風に考えたらどう? 人間だった私は死んでしまって、生霊として生まれ変わったの」
「生まれ変わったのに、生霊になっちゃうの!?」
腰に手を当てて自信満々の笑顔で言い放つお嬢。
さすがの美咲も、目を丸くした。
「それもそうね。んー、生まれ変わって、何かの精霊になった。これなら、どう?」
「それなら、分かる!」
美咲が、ぐっと拳を握りしめて立ち上がる。
分かるのか!?
「うん。じゃあ、そういうことにしておいて」
「・・・・・・・・うん」
「そろそろ、夢も終わるみたいね。また、会いましょう」
「うん。また」
お嬢が手を振るので、美咲も振り返す。
そして、気が付くと。
自分の部屋の天井を見上げていた。
そっか。夢か。
美咲は口の中でもごもごと呟いた。
並木道のベンチで、お嬢と話したことは、ちゃんと覚えている。
あれは、夢だけど、夢じゃなかった。
本物の、お嬢だった。
お嬢の話は、分かったけれど、分からなかった。
お嬢が、第二の人生? を満喫しているらしいことは、よかったなと思う。
でも。
お嬢が人としての生に、まるで未練を持っていないことが。
なんだか、とても悲しいと、美咲は思った。




