1 美少女になりたくはないか!?
「美少女になりたくはないか!?」
「なりたくない女子がこの世に存在するのか!?」
地味で冴えない女子中学生、天野美咲の人生を変えたのは、ネコのようなウサギのような全裸のぬいぐるみから発せられた、そんな一言だった。
不審に思うよりも先に思わず返事をしてしまったのは、帰り間際に憧れの新田君とクラス一の美少女である香山ひかるが楽しそうに話しているところを目撃してしまい、わたしもあれくらい可愛ければもっと気軽に新田君とお話しできるのかなーなどと考えていたせいかもしれない。
叫んでから、我に返った。
今、ぬいぐるみがしゃべったような?
目の前に立ちふさがる、ぬいぐるみをじっと見つめる。
四つん這いではなく二本の足で立っている、黒いもこもこのぬいぐるみ。服は着ていない。パンダ柄のバックを肩から斜め掛けにしている。
全体的にネコだけれど、耳だけがウサギだ。
耳まで入れれば、美咲の太ももの真ん中あたりまでの身長だ。
「何、コレ?」
こてんと首を傾げる。
「オレはウサギ耳のツリ目だ。気軽にミミーと呼んでくれ」
ぬいぐるみが名乗った。
声はおっさんだった。
それは種族名なのか個体名なのか。
結局、ウサギなのかネコなのか。
気になるところはあったが、ぬいぐるみはぬいぐるみだよねと思い直す。
美咲は少々アホの子だった。
「しゃべるぬいぐるみって初めて見た。どこから来たのー?」
興味津々でぬいぐるみの前にしゃがみ込み、視線を合わせる。
「まあ、長く生きていればこういうこともある。どこから来たのかは秘密だ。いや、魔法の国とでも言っておこうか。それよりも、質問に答えろ。黄緑中学1年2組、天野美咲。美少女に、なりたくはないか?」
なりたい。
もちろんなりたいが、名前を言い当てられて、ようやく美咲は警戒心をいだいた。
母の教えを思い出したのだ。
曰く。
『いい? あんたみたいに地味で冴えない平凡な子に声をかけてくるような大人は悪い奴しかいないんだからね。特に、あなたは選ばれましたとか言うのに騙されるんじゃないわよ。あんたが選ばれるなんて、詐欺のカモくらいしかありえないんだから。くれぐれも気を付けるのよ?』
「・・・・・って、お母さんが言っていた。これ、ぬいぐるみ詐欺とかじゃないんだよね?」
「なんだよ、ぬいぐるみ詐欺って・・・・。ってーか、本当に悪いヤツだったら、真正面からそんなこと聞かれて、はいそうですなんて答えるわけないだろ・・・・」
ぬいぐるみの瞳に憐みの光が浮かんだが、美咲は気が付かなかった。
「それで、どうなの? 美少女にはもちろんなりたいけど、わたしあんまりお金持ってないよ? あ、あと魂とかもあげられないから!」
「なんもとらねーよ。オレたちぬいぐるみは、女子供に夢と希望と安らぎを与えるために存在しているんだからな。ただでおまえを美少女にしてやる」
ぬいぐるみはバーンと胸をそらした。
美咲はそんなぬいぐるみを見つめ、容量の少ない脳みそでどうするべきか考える。
よし! 美少女にしてもらおう。ぬいぐるみが悪いことするはずないよね!
その結果導き出された答えは、考える必要があったのかどうか疑問が残るものだった。
繰り返すが、美咲は少々アホの子だった。
「お願いします。わたしを美少女にしてください」
魔法の国からやってきたしゃべるぬいぐるみなら、本当に美咲を美少女にしてくれるかもしれない。
美咲の胸に希望の光が灯った。
「よーし、よく言った! オレに任せておきな!」
ぬいぐるみはドーンと請け負った。
そして、連れてこられたのが美咲の家の庭先だった。
「ここ、うちの庭なんだけど」
昔は花壇があったのだが、世話をし切れず今はコンクリートで塗り固められている。西側に申し訳程度の並べられたプランターには、ネギやらシソやらが植えられていた。たまに美咲も水やりをしている。
両親は共働きだし、美咲は一人っ子なので、今家には誰もいない。
「うむ。この無駄に広いスペース。申し分ないな」
「あ。玄関側はお母さんの車停めるところだから。今は空いてるけど」
ちなみに、父親の車は庭とは別に設けられた駐車スペースに停めている。
「大丈夫だ。一メートル四方もあれば十分足りる」
てくてくと庭の西側へと進むとぬいぐるみはガサゴソと斜め掛けバックの中をあさり、折りたたまれた古臭い布を取り出した
開いて、コンクリートの上に置く。
元は白かったのかもしれないけれど、今はすっかり茶ばんだ一メートル四方の布には、黒い墨のようなもので何やら図形が描かれていた。
二重の円のなかに、六芒星。線で区切られたスペースの中には、文字のような図形のようなものが書き込まれている。
「あ。これ、知ってる。魔法陣ってヤツだよね? 魔法って、こういうオカルトちっくな感じのなんだ。もっと、ファンタジックなヤツかと思ってた」
美咲の声にちょっとがっかりした響きが混じる。
ぬいぐるみがかけてくれる魔法なんだから、もっとハートとか星とかがキラキラふわふわしたものをイメージしていたのに。魔法陣から感じられるのは、なんとなくダークでミステリアスな雰囲気だ。
ぬいぐるみだけど、おっさんだからしょうがないのかもしれない。
「いいから、黙って見てろ」
ぬいぐるみが魔法陣の前で両手を天に掲げる。
「地味で冴えない少女たちに夢と希望を与えるため、さあ、いでよ! 美の宮殿、にゃんたろーハウス!!」
「・・・・・・・・にゃんたろーハウス?」
いろいろと予想外の展開に首を傾げていると、魔法陣に異変が起きた。
ずもももも、と魔法陣から何かがせり出してくる。
「う、うひゃあ!?」
腰を抜かしかけた美咲の目の前に、それは出現した。
白と黒の格子柄のボックス。一メートル四方、高さは2メートルほど。
「にゃんたろーハウス?」
美咲が再び首を傾げる。
どのあたりに、ネコ成分があるのか?
「よーし。ついて来い、美咲」
特に出入り口のようなものが見当たらないそのボックスに向かって、ぬいぐるみがためらいなく進んでいく。
そして、スッとボックスの中へと吸い込まれていった。
「ふ、ふぉぉぉぉぉ。ホントに魔法だ」
それを見た美咲も、何のためらいもなく壁にぶつかっていく。
何度も繰り返すが、美咲は少々アホの子だった。
ぬいぐるみ同様、美咲の体も壁をスルリとすり抜ける。
ヒンヤリとしてモヤッとした感触。
ふわっと声を上げて瞬く。
そこは、ドーム状の小部屋になっていた。
広さは、六畳間の美咲の部屋と同じくらい。
薄いピンクの壁紙。フローリングの床。中央にはガラスのテーブルと濃いピンクのソファー。そして、部屋の奥には、白いアンティーク調のドレッサー。
「お、女の子の秘密基地だ・・・・」
感嘆のため息をもらす。
格子のボックスとは大きさも形状も異なっていることについての疑問は感じていない。魔法の秘密基地だから、これくらい当然! くらいの感覚だった。
ぬいぐるみが驚くべき身軽さでドレッサーの椅子に飛び乗り、そのまま台の上に飛び移る。
「さあ、座れ。美咲」
先ほど踏み台にした椅子を、ぬいぐるみの腕で指し示す。
「このオレ様の超絶メイクテクで、おまえを絶世の美少女に生まれ変わらせてやる! おっと、絶世は言いすぎたな。興奮のあまり、つい」
元が元なだけに、と言いたかったのだが、美咲の残念な脳には全く届いていなかった。
それよりも、確認しなければならない重要なことがある。
「えっと。それって、魔法のメイクなの?」
「いや。ただのメイクだ」
「な、な・・・、ただのメイクって何よー!? メイク落としたら元に戻っちゃうんだよね!? 魔法の力でわたしを本物の美少女に生まれ変わらせてくれるんじゃないの!? こんなのぬいぐるみ詐欺だー!!」
もっともな意見だった。
ただのメイクに魔法もぬいぐるみも関係ない。
ここに至るまでのアレコレは一体何だったのか?
「何、言ってんだ。地味で冴えない小娘がいきなり美少女になったら、周りはびっくりだろうが? それに、お前だって分かってもらえないかもしれないんだぞ?」
「そ、それを含めて何とかしてくれるのが魔法じゃないの!?」
「ぬいぐるみに多くを求めるなよ。オレたちは魔法の道具は仕えても、オレたち自身が魔法を使うことはできないんだ。魔法は、おまえたちの中にこそ眠っている。いいから、座れ。文句は仕上がりを見てから言え」
「むー」
納得いかないまま、それでも美咲は椅子へと向かう。
たとえ、ただのメイクであっても、美少女に仕立ててもらうこと自体に異論はない。
「よーし。そのまま、目を閉じて30分ほど大人しく座ってろ」
「長っ」
「何、言ってやがる。おまえの地味顔を美少女に生まれ変わらせるんだぞ。短いくらいだ」
ぬいぐるみに促されるまま、美咲は文句を言いつつも目を閉じた。
一連のやり取りに大分半減したとはいえ、それでも、やっぱり少しワクワクした。
「こ、これが、わたし!?」
30分後。
目を開けて鏡に見た美咲は、衝撃を受けた。
衝撃のあまり、これだけは絶対に口にすまいと硬く心に誓っていたセリフがつるりと唇から零れ落ちる。
ぱっちりと開いた瞳。くるんとカールしたまつ毛。ぷっくりツヤッとした唇。バラ色の頬。なんだか、光り輝いて見える。
鏡の中には見たことのない美少女がいた。
完全に別人だった。
お母さんにも分からないかもしれない。
「ただのメイクとは思えないよ。ホントに魔法みたい」
「何、言ってやがる。すべての女子にとって、メイクとは魔法だ。決して、手を抜くなよ!」
「うん、うん。すごいよ・・・・」
クラス一の美少女、香山ひかるなんて目じゃない。それどころか。
「これ。アイドルとか狙えちゃうんじゃない? すごいよ、えっと・・・」
「ミミーだ」
「ミミー!」
「我ながらいい出来だが、驚くのはこれからだぜ。さあ、これからが本当の魔法の時間の始まりだ」
鏡を見やすいように脇にどいていてくれたぬいぐるみ、ミミーが腕を組んでフッと笑う。
「メイクアップ完了! 魔法美少女に変身だぜ!」
「・・・・・・・・・・・メイクアップで変身って。どこの美少女戦士の話?」
暑苦しく叫ぶミミーとは対照的に、美咲は少し冷静になった。
美咲自身は世代ではないが、話くらいは聞いたことがある。主に母親から。
美咲も小さい頃はその手のアニメが好きだったが、今はそうでもない。結局、ヒロインになれるのは元から可愛い子だけなのだと気が付いてしまったからだ。
ミミーはそんな美咲の様子には全く気が付くことなく、さらに熱を加速させていた。
「戦士でも仮面でも魔法少女でもねえ。魔法美少女だ! これは譲れねえ! さあ、今すぐ変身の呪文と唱えろ! なんでもいい。アニメとか漫画とか適当に思い出して、パクッてよし! 行け! 魔法美少女☆美咲―!!」
ビシーッとぬいぐるみに腕を突き付けられる。
美咲は椅子から降りて、両手をワタワタと動かしながら必死で少ない脳みそをフル回転させた。
勢いに押されて、急いでやらなければいけないような気にさせられる。大抵の日本人同様、美咲は押しに弱かった。
「えーと、えーと? マ、マジカルメイクアップ! 変身! 魔法美少女☆美咲!!」
左手を胸の前で水平に折り曲げ、右手を前に突き出す。
とぅっ、という掛け声が聞こえてきそうだ。
魔法少女というよりは、一昔前の特撮ヒーローの変身シーンのようだった。
「なんかパッとしねぇな・・・・」
ミミーの失礼な呟きは幸いにも美咲の耳には届かなかった。
美咲の体から閃光が放たれる。
光は一瞬で消えた。
「ふぉっ!? 服が!? 髪が!?」
鏡の中には、魔法美少女が映っていた。
赤と白を基調としたアイドルっぽいコスチューム。もちろん、ミニスカートだ。裾に着いているレースが可愛い。
赤い服とミニスカートは、ずっと着てみたいと思っていた服だった。
着てみたいけれど、地味で平凡な美咲には恐れ多くて手が出せない憧れの服。
そして、髪型。
いつもおさげに結っていた艶のない黒髪は、豊かに波打つ栗毛色へと変わり、頭の高い位置でポニーテールに結われている。極めつけは、ふわふわした素材の白い大きなリボンと、鮮やかな赤の細いリボンがアクセントとして2本。
高い位置でのポニーテールと大きなリボンも美咲のあこがれだった。
それくらい、別にやってもよさそうなものだが、いい気になっていると思われるんじゃないかと心配して、なかなか勇気が出せなかったのだ。
感極まっている美咲に水を差すのは、やっぱりミミーの暑苦しい叫びだった。
「いよーし。変身シーンはパッとしなかったが、やはりお前を選んだオレの目に狂いはなかったぜ! この魔力! ビンビンに感じるぜ! 冴えないモブ顔少女がメイクによって美少女へと生まれ変わる、その奇跡の力が魔法を生み出すのだ! メイク前と後で落差が大きければ大きいほど強い魔法が生まれる。おまえのその冴えない地味顔とオレ様の超絶メイクテクのコラボレーションが生み出した奇跡の存在。それが、おまえ。魔法美少女☆美咲なのだ!! うははははははーーーー!!!」
ドレッサーの上で両手を振り回して熱弁をふるうミミー。
「奇跡って・・・・・・・」
残念な美咲の脳みそでも、失礼なことを言われていることは理解できた。
もう少しいい気分でいさせて欲しい。
でも。
そう思いつつも、鏡に映った美少女と目が合うと、にひゃりと顔が緩んだ。
美少女になりたくはないか!?
もし、なりたくない少女がいたとしたら。
そいつは、少女じゃない。
生まれついての美少女だ。