第拾話 ヴェロニカ嬢―人気嬢の場合
「支配人! 納得のいく説明をお願いいたしますわ!」
ノックもなしに俺の執務室の扉が開け放たれ、その場で胡蝶の夢の人気嬢トップテンに安定して名を連ねるヴェロニカ嬢が仁王立している。
おお、やっぱり俺の執務室の扉はこうじゃねえとな。
死亡フラグでも立ってんのかと思ったが、大丈夫そうか。
いやそうじゃない。
というか、どうやって扉あけたんだヴェロニカ嬢。
お前さんが魔法使えるとは聞いたことねえんだがな。
扉の陰に店員が潜んでるってんなら、後でちょっとお話しなきゃならん、そいつらとは。
「何を鳩が豆鉄砲くらったような顔をしていますの? 私が乗り込んでくることくらい、支配人なら当然予想できていましたでしょう?」
いやあのな?
乗り込んでくることを予想できている事と、ノックも無しに扉が開け放たれた時にする表情は関係ないと思うんだがな。
後今の俺の顔は多分、鳩が豆鉄砲くらったような顔じゃなく、教養も兼ね備えた高級娼婦にあるまじき行為にあきれ果てている顔ですらなく、ある種諦観を極めた無表情だと思うんだが、どうだろう。
ああ、ヴェロニカ嬢にはそれが鳩に見えるのか。
うん無表情だもんな、あいつら。
思えば鳩が豆鉄砲くらった時、どんな顔するのか実際知らねえな。
もしかしてヴェロニカ嬢は知ってんのか。
とはいえ、確かにヴェロニカ嬢が俺に直談判に来た理由はよくわかっている。
この時期には定番化しているといっていいからな。
ヴェロニカ嬢はここ二年間、胡蝶の夢の売り上げトップ10から落ちたことはない。
直近一年の累計売り上げで言うんなら、ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢に続いての四位につけている。
つまり胡蝶の夢の「四枚花弁」の中じゃあトップってことだ
「五枚花弁」のトップ3からは少々離れてはいるが、率で言えば同じくらい5位を引き離してもいる。
実際「五枚花弁」の値付けになれば、トップ3ともいい勝負をするようになるんじゃないかというほどの人気嬢だ。
値付けが上がったくらいで離れていく御贔屓は、ほとんどおられないだろうしな。
はまってるお客様にとって、ヴェロニカ嬢は唯一無二の存在だ。
そのドハマリっぷりだけで言うなら、トップ3のご贔屓筋にもひけを取ることはない。
実際の年齢は特に秘すが、ヴェロニカ嬢はどこからどう見ても子供にしか見えない。
つるんでぺたんだ。
胸がないとか、ケツがちいせえとかそういうことではなく、幼い躰そのまま。
ルナマリアあたりの小さいけれど女の躰っていうのではなく、のしかかりゃあ折れちまいそうな華奢な体躯は、その筋のお客様から絶大な支持を受けている。
胡蝶の夢で言うなら、お貴族様や大商人系がこのヴェロニカ嬢で、市井のお客様が、ちょいと背伸びして買われるのが「一枚花弁」のアスフィ嬢だ。
胡蝶の夢のロリ系二枚看板と言っていいだろう。
二人とも実際の年齢が娼婦をするのに問題ねえ事の裏はきっちり取っちゃいるが、知らなきゃ胡蝶の夢がお縄になっても不思議はねえ見た目をしている。
実際、賢者モードになったお客様が、何をトチ狂ったか苦情を入れてこられることも稀によくあるしな。
――その度に思うんだが、やることやっといて苦情入れる心理ってのはいったいどうなってやがんだかな。
街を走り回ってる子供見てえなアスフィ嬢と、どっからどう見ても貴族の子女にしか見えないヴェロニカ嬢。
娼館の支配人って立場で言うこっちゃねえが、この手の需要ってのは業が深いと言わざるを得ない。
正直俺から見ても大丈夫かと思いはするが、胡蝶の夢の嬢たちに関しちゃ合法であることは間違いない。
本人たちもそれを十分理解したうえで売りにしているわけだしな。
俺の「魔法」で体調管理のほうは万全なわけだし、お客様の趣味嗜好に文句をつけるなんてな、おこがましいことをするつもりはない。
売っておいてそんなことを口にした日にゃ、口が腫れる。
世の中にゃあ、本物の幼女に手を出す救えねえクズ野郎がいるのも事実だ。
それに比べりゃあ、真っ当に欲望を解消しておられるといって……いいのかな。
どうかな。
ヴェロニカ嬢の見た目は、お人形さんみたいな美少女そのものだ。
桃色がかったふわふわの金髪と、強い意志を宿した紫水晶の瞳。
透き通るような白い肌と、華奢で小さな体躯。
整ってはいるが、顔立ちは幼さを多く残している。
どっからどう見てもとびっきりの美少女であるにもかかわらず、女を感じさせるのはほんのすこしだけ膨らんだ胸と、わずかな腰から尻にかけてのまるみくらい。
実際男装をさせれば、とびっきりの美少年と言っても通るのは間違いないだろう。
アスフィ嬢の無邪気な感じ(もちろん演出されている)とは違い、ヴェロニカ嬢が身に纏う凜とした雰囲気は、貴族の子女にしか見えない。
ルクレツィア嬢ほど強烈ではないが基本上から目線の言動と、それが悔しそうに蕩けた表情を見せるのにはまっちまったお客様は、二度と抜け出せないと聞いている。
なんで俺と親しくなった貴顕の方々が、自分の性癖を俺に話したがるんだかはよくわからん。
「話していい相手」には、自分のどうしようもないところを言いたくなるもんなんだろうか。
まあその手の情報が胡蝶の夢から外に漏れることは絶対に無いようにはしちゃいるが。
「例によって「五枚花弁」推薦の話か?」
「当然ですわ。売り上げ的にも、ご贔屓にしてくださっているお客様的にも、勤務態度的にもなにも問題はないはずです。一年前のご指摘は全て修正した自信がありますもの。――支配人が私に「五枚花弁」への推薦書を書いてくださらない理由を、私が納得いくようにお聞かせ願いますわ!」
ない胸反らせてふん反り返るヴェロニカ嬢の言い分は、まあもっともだといっていいだろう。
――勢いよくふん反り返ったところで、無いもんは揺れようもねえが。
去年はまだやれ勤務態度だの、ご贔屓筋が少々弱いだの、適当な理由をつけて引き下がらせることができた。
適当とはいうものの、それはそれで真っ当な理由でもあったしな。
だからこそこの一年で俺が指摘した不足点を全て補い、結果を出したからには支配人である俺に説明責任があるのは確かだ。
実際、ヴェロニカ嬢以外がこの実績を叩き出していれば、俺は間違いなく「五枚花弁」への推薦状を書いている。
故に自分にする言い訳の余地もない。
――しょうがねえな。
「確かにヴェロニカ嬢の実績には何の問題もねえな。「五枚花弁」に推薦するのに不足しているところは何もない。――充分だ」
「で、ですわよね」
あっさり俺が認めたことが意外だったのか、前のめりになっていたヴェロニカ嬢が少したじろぐ。
俺は基本的に筋の通らない事は言わないようにしている。
少なくとも俺自身はそのつもりだし、だからこそ身を売って稼いでいる嬢たちから信頼に近い何かを寄せられるのに、辛うじて値しているのだろうと思っている。
仲が良かろうが、気が合おうが、それは仕事上の信頼とは関係ない。
去年渋々ながらもヴェロニカ嬢が納得してくれたのも、俺が提示した不足点を補うために努力してくれたのも、根っこにはそういった最低限の信頼関係があるからだろう。
どんな事情があっても、その大前提を崩すわけにもいかない。
「でしたら何が理由ですの? 噂通り支配人から「高級娼婦の心得」を伝授していただかなければならないというのであれば、私は今すぐこの場でも構いませんわ?」
お前さんもそのネタ引っ張るか。
ねえって言ってんだろうが、その手の話は。
大体俺にはそっち系の趣味はないから、ヴェロニカ嬢を抱くのは怖いわ。
そんなこたねえとわかっちゃいても、壊れちまいそうでその気になんかとてもなれん。
自身のセリフに鼻白んだ俺の表情を見て、ヴェロニカ嬢がくすくす笑う。
そうしてりゃほんと、世の中の汚いことなんざなんにも知らない、いいとこの御嬢さんにしか見えねえんだけどな。
――そんなことはありえない。
ヴェロニカ嬢は、人の悪意のおぞましさってやつをよく知ってる。
所有者をはじめ、多くの人の情に救われてきた俺なんかよりゃよっぽど、その華奢な身と心で思い知っている。
それは娼婦だからじゃない。
ヴェロニカ嬢が娼婦になった、理由こそがそれだ。
だからこそ、どうしてもヴェロニカ嬢は「五枚花弁」になりたいと願う。
俺が「五枚花弁」への推薦状を書かない理由もそれ故なのだが。
「――復讐」
俺の一言に、ヴェロニカ嬢の顔から一切の表情が抜け落ちる。
俺が支配人となってからこの話題を出したことはなかったから、あるいは知らないと思っていたのかもしれねえな。
「……やはり知っていらしたのね」
知らないふりをしていたつもりはねえんだけどな。
気持ちのいい話じゃない――いやはっきり言えば胸糞悪い話だから、必要がない限り話題にしたくなかったってだけだ。
俺は胡蝶の夢の支配人になった際に、全ての嬢の事情を所有者から引き継いでいる。
例外はルナマリア、ローラ嬢、リスティア嬢の三人だけだ。
あの三人ついてだけは、所有者預かりってことで、俺は詳しい話もなにも聞かされちゃいない。
――どうしても知りたくなったら聞いてきな。そん時のアンタ次第で教えてやらないでもないよ。
とは所有者の言葉だが、俺は今の関係が気に入ってるから特に聞こうとも思っていない。
どうしても知りたくなったら、そんときゃ俺が自分で三人に直接聞く。
なんにせよ俺は、ヴェロニカ嬢の事情ってやつを全て把握している。
だからってその想いまですべて把握できているわけじゃあねえんだが。
ヴェロニカ嬢が纏う、まるで貴族の子女のような雰囲気ってやつは本物だ。
娼婦になる前のヴェロニカ嬢は、グレン王国の隣国であるウィンダリアス王国のれっきとした貴族、システア侯爵家のご令嬢だった。
ウィンダリアス王国はそんなに大国というわけでもねえが歴史ある安定した国で、そこの侯爵家ともなれば十分立派なお貴族様だ。
それが他の貴族に陥れられ、主君もそれを良しとし、システア侯爵家は取り潰しとなった。
その際に両親および跡取りであった兄は斬首。
一族郎党も奴隷に落とされ、国外へ売り払われた。
その際、本家の中では唯一生き残ったヴェロニカ嬢は娼館へと売られた。
そこから娼婦として名をあげ、所有者が引き抜く形で胡蝶の夢の娼婦となったのだ。
その辺のこまけえ所は聞かされちゃいない。
所有者も不要と判断したことをくっちゃべるお人じゃねえしな。
胡蝶の夢で娼婦をする事と引き換えに、可能な限り奴隷として売り払われた一族を開放することを所有者に依頼し、契約を結んでいる。
実際生き残っていた一族は今現在すべて解放され、貴族には戻れないもののそれぞれ一庶民としての人生を送れている。
ヴェロニカ嬢はその際に所有者と契約した条件はすでに満たし、本人が望めば娼婦を引退できる身になっている。
にもかかわらず、ヴェロニカ嬢が胡蝶の夢で娼婦を続けている理由は一つだけだ。
――復讐。
己と己の家族、一族をそんな目に合わせた相手に、何としても復讐する。
娼婦から解放され、一庶民になってしまえばそれはかなわない。
どれだけの怨念をその身に宿していたとしても、グレン王国の一庶民が他国の貴族に刃を突き立てることなどできるはずもない。
だがグレン王国の王宮にも出入りを許されているこの国の高級娼婦であれば、可能性はある。
中でも「五枚花弁」という最高級の娼婦となりおおせれば、その御贔屓は国の重鎮、各種ギルドの大物、大貴族などがほとんどとなる。
そのうちの誰かが協力してくれれば、ヴェロニカ嬢の復讐は成る可能性が高い。
グレン王国は大国であり、歴史あるとはいえウィンダリアス王国ははっきり言えば弱小国家だ。
それこそグレン王国の中枢級を骨抜きにして唆すことができれば、ウィンダリアス王国の王族を向こうに回しても何とでもできる。
――本当にそんなことができれば、だが。
大国の大役を担ってる方々ってのは甘くない。
女好きでだらしなく見えたとしても、一娼婦の復讐に付き合って国に害為すようなことを己の一存でやらかすような馬鹿は、そもそもそんな立ち位置にいられない。
よその国は知らねえが、グレン王国じゃあ間違いなくそうだ。
だが少なくともヴェロニカ嬢はそれが可能だと思っているんだろうし、そのために何としても「五枚花弁」になることを欲している。
「四枚花弁」ではヴェロニカ嬢が欲する大物を御贔屓にするには弱い。
「五枚花弁」であってこそ、弱小とはいえ国を相手どることが可能な大物を御贔屓にすることができるのだ。
そういう事情を知っているからこそ、俺はヴェロニカ嬢を「五枚花弁」に推薦しねえんだけどな。
「……知られているとなると、私の「五枚花弁」推薦は絶望的ですわね?」
「そう思ってくれて間違いねえな」
己の復讐の道具としてお客様を唆そうとする可能性がある嬢を、胡蝶の夢として推薦するわけにはいかない。
絶対にだ。
俺の推測がすべて思い違いに過ぎず、ヴェロニカ嬢がまるでそんなことを考えていなかったとしてもそれは変わらない。
お客様が、そんなバカなことにのるはずがないことも関係がない。
所有者が認めたのでなければ、「四枚花弁」を剥奪することすら視野に入れるべきだと、支配人としては思うほどだ。
そこに俺の個人的な感情は関係ない。
「――支配人は、復讐なんてくだらないと思いますか?」
「……わからん」
しばらくの沈黙の後、俺の知るいつもとは別人みたいになっているヴェロニカ嬢が、ぽつりと聞いてくる。
適当に答えていい質問じゃないと思うから、正直に答えるしかない。
俺は復讐をしたいと思えるような状況に追い込まれたことがない。
くだらないとも、尊いとも言える立場にゃいないのだ。
人に恵まれ、突然異世界に放り出された割には平和に穏やかに今まで過ごさせてもらってる。
他人の執念をとやかく言える立場じゃねえし、言いたいとも思わねえ。
「だけどもしも俺が胡蝶の夢の連中に同じことをされたとしたら、復讐はくだらんなんぞという連中は一人残らず俺の敵にはなる、な。――俺のは想像にすぎねえから、重みもなにもないただの言葉だが」
愚にもつかない俺の言葉に、さびしそうにヴェロニカ嬢は微笑んだ。
言葉はない。
わかってんだ、こんなこと言ったところで何にもなりゃしねえって事は。
俺は胡蝶の夢のお客様が、ヴェロニカ嬢の復讐の道具にされる可能性を絶対によしとはしない。
喩噺で「復讐」をわかったつもりになったところで、それは当たり前だがつもりでしかない。
もしかしたら「復讐」だけを支えに、気が狂いそうな夜をいくつも越えてきたヴェロニカ嬢の想いなんざ理解る訳がねえんだ。
これがヴェロニカ嬢をヒロインとした物語ってんなら、俺は全てをなげうって復讐に協力し、見事に成し遂げた後で結ばれでもすりゃいいんだろう。
もしくは途中で挫折して地に這いつくばる悲劇ものか。
だが残念ながらこいつは現実だ。
そして現実ってやつは、そんな物語的にはできちゃいない。
大概は不完全燃焼で、決定的な幸福な結末も、決定的な悲劇的な結末もやってなんかこない。
ただちょいと悲劇よりの日常を、「それが普通」と言って過ごしていくことがほとんだって事は知ってんだ。
――だが。
俺のでかい執務机の上に、ここ数年胡蝶の夢が使える人脈をすべて動員して作り上げた書類をばさりと広げる。
「そ、れは?」
「俺が……胡蝶の夢がヴェロニカ嬢を「五枚花弁」に推薦できない代わりの、特別報酬」
それは所有者の名前も使わせてもらって調べ上げた、ある国のある貴族のあらゆる情報を委細漏らさずまとめあげた結果の報告書と、その証拠となる全てのもの。
ただ世にぶちまけただけでもその貴族は間違いなく消し飛ぶし、ある国の王族と交渉に使えば大概の条件を引き出すことが可能な代物だ。
権力で握りつぶすことが出来ねえように、全ての書類と証拠にはグレン王国の重鎮たちのサインもいただいている。
「……どうして?」
「胡蝶の夢が認めねえのは、お客様に迷惑をかけることでな? 身内の敵潰すことに協力することは……まあ支配人の裁量ってやつだな」
俺の答えを聞いて、ヴェロニカ嬢が泣き笑いの表情になる。
これは別に同情で用意したもんじゃない。
ヴェロニカ嬢が胡蝶の夢に与えてくれた利益に対して、胡蝶の夢ができる形で報いただけのことだ。
情報を集め、書類に署名してくださっている大物連中も伊達や酔狂でやっておられる訳でもない。
隣国ウィンダリアス王国に、自分たちが如何様にでも干渉できる侯爵家を復権させることは、彼らにとって巨大なビジネスだ。
まあ胡蝶の夢の要望に付き合ってくださっているって側面も確かにある。
その辺は今度所有者に頭下げたおすしかねえ。
だが俺が用意したこれを使うってことは、ヴェロニカ嬢が娼婦とはまた違った修羅の道に足を踏み入れることを意味する。
それでもそれが胡蝶の夢で頑張ってくれた嬢が欲しいものだっていうなら、用意するのが支配人の仕事だ。
仕事には相応しい対価が必要だ。
それは何も金だけに限らないと、少なくとも俺は思っている。
「そいつはヴェロニカ嬢が得た正当な報酬だ。好きに使ってくれて構わねえ。胡蝶の夢もできる限りの協力はする。――それと次の花冠式からしばらく、ヴェロニカ嬢には休みを出す。期間は特に定めてねえが、戻る気になりゃいつでも戻っておいで」
ジュリーか。
復讐を実行しようがしまいが、娼館には戻らないほうがいいんだろうけどな。
支配人としちゃこう言うしかねえ。
「仕事と報酬のバランスがあってないんじゃありませんの?」
ヴェロニカ嬢の中でいろんな葛藤はあったようだが、結局いつも通りのキャラクターで行くことに決めたようだ。
俺としてもそっちのほうが助かる。
「足りねえか?」
「私がいただき過ぎだといっているのです」
「だったらいつか、お釣りを返しに戻ってきてくれりゃいい。別に娼婦としてじゃなくてもさ。――胡蝶の夢の嬢たちの愚痴の聞き役とかでもいいからよ」
借りだと思ってくれるなら、そうやって返してくれりゃあいい。
そういう他愛もない約束でもあれば、復讐やり遂げて空っぽになっちまうこともねえだろう。
「そんな大切なこと、私に勤まるとも思えませんわ」
苦笑を浮かべてヴェロニカ嬢が謙遜する。
「んなこたねえだろよ。――怒らんでくれよ? ……ヴェロニカ嬢は胡蝶の夢の嬢たちの中じゃあ弱い部類に入ると俺は思ってる。それを目的で捻じ伏せて、その位置まで駆け上がったってな」
強固に作り上げられたキャラクターは、裏を返せばそうしなければ持たない自分を知っているからこそだろう。
「ルナマリアやローラ嬢、リスティア嬢のような強い娘たちも嬢たちの支えにゃなれる。だけど弱音や愚痴を聞いてやるには、弱いけれどきっちり立ってる娘のほうが向いてるもんだ。俺の「魔法」は知ってのとおり心にゃ効かねえし、男の俺じゃその辺はまるで役に立たねえしな」
まあこのままであればヴェロニカ嬢は女だてらに「侯爵夫人」としてお貴族様になっちまうから、娼婦たちの愚痴聞き役なんてのは現実的じゃねえかもしれねえけどな。
それでもそういう役どころがいてくれたら、支配人としちゃ助かる。
「ま、気が向いたらでいい。覚えといてくれりゃそれでいいよ」
「私に復讐を止めるという選択肢はありませんから、これは有り難く使わせていただきます。――ですけれど帰ってまいりますわ。……必ず」
そう思ってくれりゃあ御の字だ。
「期待しないでまっとくさ。男と女のこの手の約束は反故にされるのがお約束ってもんだしな」
「あれ? 支配人と私は男と女の関係じゃありませんでしょう。支配人と娼婦じゃありませんでしたっけ? それとも男と女の関係をお望みでしたか――私はそれでも構いませんけれど?」
いつもの調子に戻られると手も足も出ねえのは、それもまたいつもの事か。
嬢たちそれぞれの背景にどんなものがあったって、胡蝶の夢の支配人と嬢の感じはこうでなきゃならん。
「……降参だ。――俺たちゃ胡蝶の夢で待ってる。……行ってこい」
「行ってきます」
俺の言葉にそう答えると、ヴェロニカ嬢は小さな躰を燕のようにひるがえして、避ける間もなく俺の左頬に唇を軽く触れさせる。
「――ふふふ。これはお釣りの先払いです。娼婦ですもの、口約束ですわ」
突然のことに目を白黒させる俺に、悪戯っぽく微笑みかける。
嬢たちがごく偶に見せてくれるこういう表情には、誰のものであっても目を奪われる。
こういう顔ができるんなら、自分の復讐に自分ごと焼かれちまうこたないだろう。
少なくとも俺はそう信じられる。
「唇を奪うと怖い娘が三人ばかりいますので、頬で我慢してくださいな。私も格上を敵に回したくはありませんの」
そういってくすくす笑っている。
いやこれだってばれりゃあ、ただでは済まねえと思うんだけどな。
――俺が。
「それと支配人」
なんだよもう。
まだなんかあんのかよ。
こんなのを嬢たちの相談役にした日にゃ俺の身が持たねえんじゃねえのかな。
はやまったかな。
「女の子に強い娘なんていませんのよ。――格上で怖い娘達ではあるけれど、泣いてる夜だってきっとあるわ。――間違っても彼女たちの想い人である支配人が、強い娘なんて言わないで」
「……肝に銘じとくよ」
どう見ても子供にしか見えないヴェロニカ嬢に、女心のわかっていない朴念仁が説教されている。
我ながらざまあねえとしか言いようがねえな。
次話 閑話 花冠式の騒動
今話にて二章が終わり、閑話を挟んで第三章へ入ります。
お客様と嬢たちのいろいろを書いていく予定です。
のんびり更新ですが、読んでいただければ嬉しいです。