アンダーグラウンドにて
~あらすじ~
世界樹の地下に潜入した王太郎と恵梨香は、謎の空間に辿り着く。不気味な雰囲気漂う地下で、正体不明の敵と遭遇し、事態は急展開を迎える。
水道管を抜けた先の空間を突き進む。
ドーム状に広がる天井を仰ぎ、仄かに点灯する灯りを目視することで、ここは何者かの手によって意図的に造られた空間であることが分かる。しかし何者かの雰囲気は感じず、恵梨香の“探知”のレーダーにも反応はないらしい。
俺と恵梨香の足音が交互に木霊する。一定のリズムで、しかし異なるテンポで打ち鳴らす足音は交差するとまた離れた。
ドームの外周は歩けぬ距離ではなく、俺たちは一通りの壁を調べた。結果、施錠された幾つかの鉄扉は確認したが、鉄格子から覗く先は目視できなかった。
「……結構長い廊下と、とてつもない部屋の多さね。扉一つ一つ“探知”していたら日が暮れるわ、絶対」
「こんなことなら昴か七海に着いて来てもらうべきだった」
「ほんと、使えない太郎ね」
――――恵梨香だって!
喉まで出かけた言葉を飲み込む。確かに恵梨香の魔術も鉄の扉をどうこうできるものではないが、「地下空間の発見」という成果を残している。
これは恵梨香にしか出来ぬと零の期待であり、恵梨香はそれに答えている。
俺は反駁など立場ではない。差し詰め、その辺りの的確な反論を喰らうことは目に見えていた。
俺にできる反抗と言えば、
「太郎いうな、王太郎だ」
このくらい。悲しきかな我が人生。
俺の弱い反論の残響がドームから消えると、恵梨香は静かに口を開けた。
「――――何か、いる……?」
その一言と同時に、不思議な寒気で総毛立つ。
「お、おいおい……、脅かそうたって、そうは」
「ちょっと黙って! いるわ!」
恵梨香が真剣な声音を上げると、足下がひしゃげる感覚に陥る。咄嗟に反応できたのは俺だけのようで、恵梨香はぐらついたまま膝を着いた。
間違いない、恵梨香の言う何かは確かに俺たちに敵意を示している。足下の脅威を排除しなければ、という焦燥のまま、俺は拳を振り下ろした。
「うぉぉらぁ!」
鉄槌の勢いで地を跳ねた拳は、不気味な気配の退散に一役買ったようだ。乗り物酔いに近い半気管の揺れはなくなり、脚が地面を捉えた。
「立て恵梨香!」
「言われなくても立つわよ!」
奮起した恵梨香は、笑う膝にむち打ち気丈に立ち上がった。俺の腕を支えにする素振りもあったが、見る限り酔い以上の不調はなさそうだ。
「敵は俺の“相殺”の魔術に反応した。ってことは、さっきのぐらつきは遠隔操作の魔術で間違いない」
「だったら、周囲の魔力を優先的に“探知”するわ。そこから本体の位置を割り出すしかないけど……」
「持久戦だな。走れるか?」
「馬鹿にしないでよ」
恵梨香は強がって笑うも、口が引き吊っている。さっきの酔いの影響で走ることが困難であるのだろう。
それ以上に、元々恵梨香はマラソンを始めとした陸上競技は得意ではない。陸上競技のみならず、スポーツなどの運動はからっきしである。つまるところ、運動音痴というやつだ。
「来たわ! 壁沿いに強力な魔力の塊。結構なスピードでこっちに来てる!」
一抹の不安は残るものの、逃げねば二の舞だ。直線で向かってくる魔力を引き付け、恵梨香の指示で横へ跳んでやり過ごす。
転がるように身をかわすと、回転する視界の中で、失踪する黒い物を確認した。地を這いながらも、立体感のないそれは“影法師”のようだった。
――――影の魔術。
どこかで。
「何よあの黒いの。新型の魔獣?」
どうやら恵梨香も黒い物体Xを目視したようで、受け身を失敗した体勢のまま疑問を呈する。
「よりにもよって世界樹の地下に、新型の魔獣なんて笑えないわよ!」
逆ギレする恵梨香は床をペシペシと叩き、物体Xに激しく抗議する。
――――世界樹の地下に。
「待てよ……。
影、魔術、世界樹――――。
まさか!」
喉につっかえていたものが、するりと府に落ちた。解きかけのクイズを解いたとき、パズルの最後のピースをはめたとき、それらに似た快感が脳髄を刺激すると同時にら事態の深刻さが視界を覆う。
「また来たわ太郎! 今度は一発殴ってやんなさい!」
逆上する恵梨香が俺の袖を引っ張る。そして指を指す床には、薄暗い中にも目立つ漆黒の影が走っていた。
そこにあると分かれば目視は可能だが、手を打つには近すぎた。人の走る速度と代わりない程度だが、不気味さを差し引けば不十分な間合いだ。
「避けるぞ恵梨香」
「え、何でよ! 一発どかんと――――」
「いいから回避だ」
抵抗する諦めの悪い恵梨香を、無理矢理抱き抱えると力一杯に地面を蹴った。恵梨香の咄嗟のビンタをくらうも、間一髪の回避だった。
影法師は俺たちのいた場所でZ軸へ展開し、影にあらざる立体起動をした。鯨がプランクトンを補食するように、一杯に広げた黒い網が空を吸い込んだ。
影法師は再び地に潜り姿を消すが、その殺傷力には目を見張る。
影法師の口が掠めた鉄扉は穿たれ、滑らかな円形の切断面を残して一部が切り取られていた。
「っ!? 鉄の扉が削れてる!?」
遅れて現状を把握した恵梨香の声は上擦っている。続いて俺の肩を掴んで、「あれは何なのよ!」と激しく揺さぶった。
「落ち着け! “探知”を止めたら、それこそ格好の的だぞ、俺たちは」
「そ、それもそうね……。
大丈夫、まだ十分な距離があるわ。あれも慎重になっているみたい」
冷静さを取り戻した恵梨香は、天井近い壁を指差した。目を凝らすと、確かに黒い影がそこにあった。影法師は蠢いてはいるが、攻勢に転じる様子は見せない。
「あの影は魔術だ。多分、“魔王”の魔術」
俺は遠い影を捉えながら告げる。
“暴食の魔王”の魔術のこと、二騎先生からの伝聞で知ったこと、アイリスが敵側にいる可能性が高いこと――――。
恵梨香は影法師の挙動を事細かに“探知”する傍ら、俺の話に聞き耳を立てていた。
全てを聞き終えた恵梨香は頭を抱え、長い長いため息を吐いた。
「つまり、私たちは魔王に目を付けられたわけね。
……最悪だわ」
眉間にシワを寄せ、恵梨香は最大限の悪態を吐き捨てた。しかし瞳の奥には、吹っ切れた輝きと闘志が見える。
「逃げ道はないもの。こうなったらとことこんよ!」
自棄気味に奮起する恵梨香は、壁の影法師に堂々とメンチを切った。真っ直ぐに指を差し、「かかってきなさい!」と啖呵を切る。
影法師に言葉が通じたのかは定かではないが、計るような動きはなくなった。影法師は壁を地面を伝って、俺たちを目掛けて突進してくる。
「正面から来る!」
恵梨香の指示でタイミングを合わせる。影の位置を把握してしまえば、対処は難しくない。ぎりぎりまで引き付け、反撃の好機を伺う。
影は機械的にただ真っすぐ、速度を落とさずに接近してきた。
「行くぞっ!」
拳の射程に入ると、影も地面から飛び出してくる。
狼のような獣頭と削り取らんとする牙を剥き出して肉薄する。
「せぇぇい!」
渾身の魔力を乗せて振り切った拳は影のど真ん中を貫いた。
悲鳴も呻き声と発することはなくとも、影法師は逃げるように地に帰っていった。余程深く潜ったのか、黒い影の形は消え、恵梨香の“探知”の射程からも外れた。
「や、やったの……?」
一部始終を見ていた恵梨香は不安げに確認する。しかしその不安は、恵梨香本人の手によって答えが出た。
「まだいるわ! 距離は遠いけど、まだ壁に潜んで私たちを見ている!」
焦燥に満ちた声で、影のいる場所を示した。黒い跡は見えないが、恵梨香の“探知”は機能しているようで、影の魔力を認知した。
「くそっ。不死身かよ」
さっきの一発に魔力を込めたが、それでも倒し切れなかったのは痛手だ。知能を感じない影法師だが、本能に近い何かで避けられたことが想定外だった。
「だったらもう一発だ!」
震える四肢に力を込めて立ち上がる。身体の中の枯渇した魔力が、不意に沸き起こる感覚が巡った。クロエの“塑逆”が発動した感覚、その影響が体外に表れ、クロエの白髪が俺の肉体に反映された。
「もう一踏ん張りだ!」
気合いを入れ直し、ガツンと拳を鳴らした。
隣の恵梨香は俺の異常のタネを知っているのだが、やはり不思議そうに驚いている。
「本当に不思議ね……。魔王の影響だとか、信じられない」
「信じるかは自由だけど……、また来るぞ!」
影法師の次の攻撃は、探知能力のない俺でもすぐに気が付くことができた。なぜなら、影は潜む隠れるつもりなどなく、人を優々と飲み込める高さまで口を開き突撃したからだ。
さすがの大きさに恵梨香もたじろぐが、“相殺”が通用するとなれば話は変わる。
「さぁ、パワーアップした太郎の出番よ!」
「あれと正面衝突とか、ムリ」
「……はぁ?」
「逃げろ!」
再びピンチに陥ると、恵梨香を引っ張って突撃をかわす。スケールアップしたのは大きさだけでなく、心なしか早くなっている。
影の口撃を寸手でかわすと、後方にあった扉ごと壁が欠落した。
「――――っ! あの先に……!?」
するとどうしてだろうか? 壁の先に強く惹かれた。心が、魂が向こうへ行かねばと叫び出した。
――――つまり、あの先にクロエがいる!?
「行くぞ恵梨香!」
「えっ!? えぇ!? 何、突然っ!?」
取り憑かれたような俺の衝動が恵梨香の手を強く引いた。
なされるがままの恵梨香は、戸惑いながらも自らの意思で脚を進める。
「あの先にクロエがいる!」
「その根拠は?」
「魂の何となくだよ!」
暴論だったが、恵梨香は腑に落ちたように頷いた。
「どうせ袋のネズミだもの。とことん行くわよ!」
恵梨香は俺を追い越した。
影法師は再び壁を登り助走をつける。勢力をつけた影の脇をすり抜け、攻撃を跳躍で避けると、俺たちは通路へと逃げ込んだ。
通路は薄灯りど照らされ、先行きは無明瞭だ。だが、胸の奥の衝動がコンパスとなり、迷いはなかった。
「後ろ、来たわ!」
後方を探知した恵梨香が叫んだ。
影法師は2メートル程度の大きさに収まりながらも、スピードを上げながら追跡してきた。コンパクトな体躯ながらも、獲物を狩る牙は油断ならない。
「迎撃する。タイミング頼む!」
薄暗い通路で影の形はシルエットを捉えるのみ。タイミングを失敗すればタダではすまない状況で、正確な距離を計るために、恵梨香に視覚を託した。
聴覚、肌感覚、そして第六感を研ぎ澄ませ、低い重心で正拳を構えた。
『早い正拳突きは、両足裏で地面を掴むように――――』
紗耶の言を思い出した。
かつて、紗耶が教えてくれた真髄は、俺にある。
――――そうだ。
「膝のクッションを意識して力まず、クラウチングスタートの要領で蹴り出しの回転!」
意識の向こうから飛んできた恵梨香の合図と、遠い昔日の紗耶の声が重なった。
俺の正拳突きは影法師の口内に撃ち込まれた。牙で咬み切る直前で、今度こそ影法師の“存在そのもの”に当たった。
影法師は静かに霧散し、入り口から光がが通路へ射し込んだ。僅な光だったが、俺たちの行く先を暗示する希望のようだ。
今しかないという確信のもと、俺たちは先へ急ぐ。
「この先、少し開けた部屋があるわ!」
どうやら、恵梨香が探知した場所が俺たち目的地のようだ。ざわつく胸中が高鳴りへと変わる。
そして長い通路を抜けると、埃にまみれた一室へ出た。
相変わらず照明は少なく、眼がこの薄明に馴れていなければ見逃していたかもしれない。
――――その少女に。
部屋に入り、真っ先に視界に飛び込んだ少女は、中心で音もなく横たわっている。俺たちが飛び込んだにも関わらず、起きる様子は全く見せない。
薄汚れた部屋で伏せる少女は、乱れた錦糸の白髪をそのままに、細い腕と脚で浅い息をしている。閉じた瞼から伸びる睫毛も、遅い呼吸を繰り返す唇の幼さも、見覚えがある。
「太郎、この子が――――」
「あぁ、“傲慢の魔王”クロエ・キャベンディッシュだ」
やっと見つけた。
不意な出会いから半年を越え、いくつもの事件があった。
君はずっと俺の近くにいて、支えてくれた。
今度は俺が、君の力になる番だ。
そのとき、大地を上下左右に揺らす衝撃が俺たちを襲う。地下にあるこの空間ごと揺らした衝撃が、事の切迫した状況を示していた。
ピシッ!
音と同時に天がひび割れ、地上が降ってきた。




