オルガのマーチ
~前回までのあらすじ~
“大罪の魔王”のうちの一人、新見 零がふらっと教室に現れ、教室内は大混乱。そんな状況にあくせくする王太郎と、楽しむ零。
一層騒がしくなる日常かと思われたが、副担任の香月先生の口からは「魔導学園襲撃事件」なる不穏な言葉が発せられ……。
その夜、遠く離れた場所の魔導学園では、襲撃事件が発生。襲撃犯が零を探してどこかに消えた訳だが――。
終業のチャイムが鳴る。
武闘場に集まった俺たち1組は列を成す。しかし今回列の前にいるのは担任の二騎先生ではない。
「は~い、今日の授業はこれで終わりで~す」
ホワッとしたトーンで指示を飛ばすのは、副担任の香月先生だ。香月先生は、胸に押し上げられたセーターの前で手を組んで微笑んでいる。
ゆるふわの印象の強い香月先生。実際マイペースで穏やかな人なのだが、俺は本性を知っている。自分の好きな話となるとヨダレを垂らしてでも止まらない“変人さん”なのだ。
「昴、颯介、帰るか」
「そうだね」
着替えを済ませた俺たち三人は寮への帰路を急ぐ。早く行かないとバスが混んでしまうからである。
「王太郎くんたちだ、一緒に帰ろ~」
後ろから七海が駆け寄ってくる。その後ろに紗耶と恵梨香もいる。
「俺たちは別に構わないが……」
「ん?」
俺の不思議がる視線に紗耶が気付いた。そして俺の言いたいことに気付いたようだ。
「あぁ、香月先生が施錠するから、って今日は居残りできないんだよね」
「そうだったか」
納得納得。俺も「頑張る」とか見栄切った手前何かしないとな。帰ったらランニングでもするか。
俺たちの使っている武闘場は校舎の地下一階にある。
地上一階へと階段を上り、廊下から外へ向かうとき、
「もし、そこの方々少しよろしくて?」
俺たちに誰かが喋りかけてきた。
聞き覚えのない蠱惑的な声音の方へ振り向くと、やはり見たことのない女性が立っていた。
大きく割れたスリットから大胆に脚を出し、胸元の開いた紫のドレスから艶やかな柔肌を覗かせる。腰まで伸びる銀髪は毛先がくるっとカールし、陽光で輝く。その女性の立ち姿は堂々としていた。
学園とはミスマッチな女性の風貌だが、俺の気にかかったのは彼女の瞳。ルビーのような煌々とした瞳に俺たちは写るものの、彼女が俺たちを見据えていないように思えた。
……どこか哀愁を感じる眼、誰かと似ている。
誰だったかな……? シルエットは浮かぶのに色を捉えきれない感じ。モヤモヤとした思いは具合が悪い。
「あの……、どちら様ですか?」
恵梨香がその女性の応対に出た。隣には七海と紗耶が並ぶが、三人の警戒心は高まっているのが見てとれる。
「わたくし“オルガ・ベロニカ”と申します。少し人を探していますの」
「人探し」と聞いて警戒心は少し弱まる。共に顔を付き合わせて「誰だろう?」と瞳で話し、その旨を七海が尋ねた。
「身長181cm、体重76kg、体脂肪率7%、両目の視力が共に1.5で、瞳の色はグレー。髪の毛は眼と耳にかかるくらいの長さで情熱的な赤色ですわ。それと左の鎖骨にほくろがあって、右肩には大きなき――」
「分かりました! 分かりました! その人の特長はよーーく分かりましたからそのあたりで!」
かなりの熱を持って身体的特長を列挙するオルガを七海が止めた。予想の倍以上の情報の整理が追い付かない。
えーと、身長181cmだから俺より少し高いか。体重、体脂肪率なんて端から見ても分からんな。瞳の色なんていちいち覚えてないし……。髪は赤色か……。そんな髪のやついたら印象に残ると思うが……。
赤色の髪? そういえば最近、真っ赤な鮮血みたいなやつを見たな。“大罪の魔王”のうちの一人、“怠惰の魔王”の新見 零だ。
真っ赤な髪を動かさず、いつもだら~と眠そうなした目付きしている印象が強い。……零の目付き?
これまた引っ掛かった。何が心に詰まったのかは、目の前にいるオルガを見るとすぐに解けた。
零も、オルガと同じ虚ろな瞳だった。目の前のやつらは皆に興味なしの印を押している。見ている体は取っているが、実のところは見ていない。
――自分以外は誰も同じだろ。
そんな達観したような眼。物憂げでもない、寂しい風景を見ているんだろうな。
俺の胸に詰まった何かは解けたが、後に冷たい感覚を残した。透いた心に冷たい風が通る。
「新見、零……」
ふと、その名前を呟く。どんな声音で言ったのかは分からないが、きっと空気の中に消え入りそうな弱々しい声だったのだろう。
だが、俺の声を聞き逃さなかった人間が一人いた。零の名前を耳にした彼女は眼の色を変えた。
「貴方その名前を、零様の名前を知っていますの?」
突如、オルガは虚ろな瞳の奥に光を留めた眼差しを向けられる。どこか期待されているようにも取れる言葉にもたじろいだ。
「知ってますけど、今どこにいるかは分かりません」
事実、零の居場所は知らない。午前中はいたようだが、昼休みまでには姿を消している。ふらっと現れてふらっと消える猫のような気ままさは掴み所がない。
俺の返答を聞いたオルガは「やはり」といった顔をした。零の不在は想定済みらしい。
「それでは、零様がいらすまでわたくしと遊びましょう」
不敵に笑うオルガは両腕を広げ天を仰ぐ。
オルガの口にした「遊び」とは何なのか。不穏な空気を、昴の声が切り裂いた。
「お前ら下がれ!」
昴の怒声にも似た叫びに近くにいた颯介が身を縮こまる。それほどの大声に紛れて目の前を“黒”の塊が占拠した。
廊下一杯に身を詰め込んだ“黒”は濃黒の斑を、呼吸のリズムで波打たせる。肉厚でたるんだ体躯に丸太のような四肢。真っ赤な絵の具をベタ塗りしたような双眸が静かに俺たちを見据える。
総じて言うなら、オオサンショウウオを禍々(まがまが)しく拡大したような風貌。
間違いない、“魔獣”だ。
「うわぁぁぁ!」
「きゃぁぁ!」
少しのタイムラグの後、颯介と七海が同時に悲鳴を上げた。恵梨香は衝撃の余り尻餅を着いた。紗耶は悲鳴こそ上げないものの、唇を強く噛み締めている。
「後ろだ、逃げろ!」
その場の全員が魔獣に気を取られ硬直していたが、昴は違った。的確な指示を飛ばす。俺はすぐに身を翻して走り出す。床に座り込む恵梨香を引っ起こして走り出す。紗耶と七海、颯介も後に続くが、昴は動かなかった。
「昴、行くぞ!」
「分かってる。ちょっと待て……」
静かに返事をした昴は、ただならぬ目付きで魔獣を睨み付けていた。静かに息を吐き出すと、眼を吊り上げて腕を突き出す。
昴の行動の直後、オルガと魔獣を囲う氷の壁が現れた。
透明な氷は空間を断ち切り、魔獣と俺たちとの間に物理的な隔たりを造り出した。
「お前、これどうやったんだよ」
「どう、って魔術さ。……と、込み入る話をしている暇はなさそうだ」
氷の壁にヒビが入る。氷にヒビが入る軽快な音との直後に豪快に割れた。
散った氷の破片が光を反射し、その中に佇むオルガを照らす。見惚れてしまうほどのアイロニーに満ちた美しさに思わず息を呑む。
そんなオルガは微笑を湛えて腕を突き出しながら立っている。
どうやら壁の破壊は彼女の仕業らしい。
「魔導師がいたのですわね。でも、わたくし追いかけっこは嫌いですのよ」
冷たく言い放ったオルガは、伸ばした腕の角度を上げた。天井を狙った指先が垂直に下ろされる。
オルガの指の軌跡がなぞる先の天井はゆっくりと歪む。コンクリートが歪んだと思うと、ぐにゃりと湾曲する。みるみる天井は曲がり、曲がった挙げ句落ちた。
「うわぁぁ!」
「危ない!」
口々に瓦礫の落下を避けながら後退する。誰も下敷きにはなっていないようだ。怪我をした人もいない。
「しまった!」
俺が全員の無事を確認し終えたとき、昴が悔しそうに歯噛みした。
「退路を絶たれた」
昴に言わて気付いた。オルガは俺たちの行く先を瓦礫で塞ぎ、反対の道を自らと魔獣で塞いだ。
「さて、そこの魔導師。こうなったら魔獣と戦うしかありませんわね」
したり顔と悪戯な笑みで昴に語りかけるオルガ。傍らに魔獣を従えて、俺たちの動きを観察する。
「あんたは何者だ? なぜこんなことをする?」
今にも襲いかかってきかねない魔獣に緊張の糸を張りつめた昴が問いかける。
オルガはわざとらしく頬に指を当てて考えてるポーズをとった。名画のような美しさとの反面、オルガは返答を焦らす。そしておもむろに口を開いた。
「『魔導学園襲撃事件』の襲撃犯、とでも言えば伝わりますか? わたくしは零様を探しに来ましたの」
「「「―――っ!?」」」
「目の前に襲撃犯がいる」。 その事実に全員が驚きを隠せずにいた。
だが、襲撃犯の目的が本当に零を探すことだとして、その先が見えない。オルガ・ベロニカの影はちらついているが輪郭が掴めない。意図的に掴ませないようにしているのか、オルガの言葉は俺たちを不安に追い込むばかりだ。
目の前にいるオルガがえらく遠く感じられる。形のない靄として俺たちを弄び、追い込み漁をして狩らずに嘲る。そこまでして零を探して何がしたい?
俺には“大罪の魔王”である零を打ち倒すことがオルガの真の目的には思えなかった。事実上最強と謳われる“大罪の魔王”を倒すことは、大きな存在証明になりうるだろう。しかし、その後は世界を敵に回すことになる。他の魔王を相手取るとなると、捕らえられ首が飛ぶのは必須。明らかな得がない。
第一、オルガがそんな愚策を取るとは思えない。印象だけの話だが、オルガはもっとクレバーなはずだ。
どうして……?
「――郎、王太郎!」
「んっ!? どうした颯介?」
「昴が『下がれ』って」
「あぁ、そうか」
珍しく深い思案に浸っていた。颯介に現実に戻される。
どうやら昴が前に出てオルガと魔獣を相手取るらしい。
「昴は大丈夫か?」
「分からない。けど、『出来る限りの時間を稼ぐ』って言ってたけど」
「それまでに零が来ることを願う、っか」
逃げ道のない現状は、零を連れてこれないこととイコールだ。つまり、すべては運に託された、ということ。
「さぁ、遊んでくださいな!」
オルガは傍らの魔獣に対して使役するかのように指図した。魔獣もオルガの指示のままに脚を動かした。
「来る!」
――来る?
昴が身構えた後ろ姿を見て、俺は首を捻る。この魔獣にしても何かおかしくはないか?
俺の見た魔獣、少なくとも俺の知っている魔獣は本能のままに行動するはずだ。理性、知性のない魔獣がどうしてオルガの言葉を解し、指示を受け入れる? どうして一番手近のオルガはターゲットにならない?
昴は接近されないように魔獣の行く手を壁で塞ぐ。しかし氷の壁は建設される度にオルガの魔術で粉々に砕かれる。魔獣は間を縫うように歩み続け、着々と距離を詰める。
昴の表情が徐々に険しくなっていく。
魔獣が一歩、また一歩と近付く。その従順さが、さらに疑問を確かなものへとしていく。
「オルガ、その魔獣は本当にそこにいるのか?」
「あら、面白いことを仰いますわね」
俺の指摘にもオルガは動じない。狼狽えるところか、挑むようの眼で見返す。
「王太郎、一体どういうことだ?」
「落ち着いて思い出してみよ。あの魔獣はお前の氷の壁に一回でも触れたか? 一回でも唸ったか?」
「……確かに、一回たりともしていない。が、『そこにいる』ってのは……? まさか……」
そこで昴は俺の言わんとしたことを理解したようだ。他のやつらはもどかしそうに俺を見つめる。
「ちょっと王太郎、もったいつけないで早く言いなさいよ」
「落ち着けって言ったろ紗耶。元からおかしいんだよ。『どうしてオルガの指示を受けるのか』って時点から穴だらけだ」
「それはそうだけど、話が見えない」
紗耶に同調するように後ろの三人も首を縦に振る。
俺の推理で辿り着いた答えを、どう一言で言い表そうか。少し考え、丁度いい言葉が浮かんだ。
「要は“幻想”なんだよ。オルガの造り出した形のない操り人形。触れられないから触れない、声がない」
「……なるほど。王太郎のクセに筋が通っている」
「太郎のクセに……、生意気だわ」
「うるせぇチビ。それと太郎って言うな」
恵梨香へ、もはや定型化したレスポンスを飛ばそうとした。その言葉が喉まで昇ってきたとき、恵梨香の頭の上の天井が軋んだ。
「恵梨香! 危ない!」
言葉よりも早く飛び出した。
急な俺の叫びに身を縮こませた恵梨香を掴んで、一番手近の七海へ投げ付ける。と、勢い余って倒れ込んでしまう。
カラッ――。
天井が軽快な音を立てる。
ガラッ――!
次の瞬間、天井が轟音と共に崩れ出した。
「王太郎!!」
紗耶が血相を変えて飛び出す姿は、瓦礫の影で暗転した。
~キャラクター紹介~
向坂 昴
173cm、67kg
整った顔立ちと甘い声音で、黙っていれば美少年。実際、振る舞いや声のトーンなども落ち着きを発し、クールな雰囲気を醸し足出す。
しかし本性はS気味な成分の入った“イケメン風”。笑いのツボも常人とはずれている。
篠崎 颯介と同室。
また、今回の一件で魔術を使えることが判明。他のメンバーとは一線を画すような存在感や、どこか秘密を抱えているようだが……?
能力、“氷像”――氷の造形物を造り出す魔術。