前へ魔へ
~前回までのあらすじ~
紗耶と二騎先生の熱戦は逆転に次ぐ逆転の末。二騎先生が勝利した。
項垂れる紗耶を前に皆は紗耶を称賛し励ます。
しかしそんな中、王太郎は言葉もかけずに武闘場を後にした。
王太郎は励ますことに関し、複雑な感情を抱いているようだが……。
今日全てのカリキュラムを終了し、俺は昴と颯介と寮へ帰る。
俺よりも一回り背の小さい颯介は、俺に何か言いたげにしている。しかし昴が何事もなかったかのように歩くので、話を切り出せずにいた。
俺たち3人は、一緒に帰っているようで全く別々のことを考えているのだろう。しばしば歩調が乱れ、その度に歩調を整える。そんなぎこちない空気に包まれている。
本校舎の正門を抜け校門前のバス停を目指したが、そこには既に帰りを急ぐ生徒たちの列が出来ていた。
「これに並ぶのか」
バス二台分ほどの列を見て昴がボヤいた。
「歩いて帰れないことはないぞ。どうする?」
「王太郎がいいならそうするか」
俺と昴で話を進め、結局歩いて寮へ戻ることになった。
少し生まれた会話に乗じて、颯介が何か喋り出した。しかし昴が二、三言返すと会話は途絶えた。
どのくらいの時間歩いたのか分からない。
ひとしきり無言で歩き続けると、颯介が頓狂な声を上げた。
「どうした颯介」
脚を止めた颯介に合わせて昴が立ち止まる。少し遅れて振り返ると、颯介の視線は俺より向こうを見ていた。
「何か見つけたのか?」
続いて昴が問いかけると、颯介はゆっくりと無言で指を伸ばす。
指が指した先を見ると、どこかで見た標識。
『←50M 研究棟』
この標識は見覚えがある。
この先には昨日の魔獣襲撃事件が起こった研究施設があるのだ。
事件発生から昨日の今日の出来事。
現場がどうなっているかは気になる。
「見て行くか?」
俺の考えを見抜いたのか、昴が声をかけてくる。
颯介は相変わらず気を遣ってためらっているが、俺は首肯した。
もしかしたら昨日見た白い少女について何か分かるかも知れない。
そんな興味本意で事件現場を覗いたが、そこにあった風景は想像を越えた衝撃的なものだった。
俺が考えていたのは、魔獣の爪や牙により削がれた施設。外壁や窓ガラスはあられもなくても、建物の骨格は残っていると思っていた。
しかし実際目の前にした光景はそんなに甘くはなかった。
爆撃。いや、隕石が落ちたかのような破壊。歩道はクレーターのように抉られ、建物は曲がった鉄骨を露にしていた。
そんな風景を規制線一本を間に挟んで目の当たりにする。
ほのかに鼻を刺す生臭さが、魔獣の死を確かに物語っている。
言葉で何と言うのか。
「マジか」「ヤバい」「恐ろしい」
俺のボキャブラリーを総動員しても言い表すことが出来ない、圧倒的な風景だった。
「すげぇ……」
結局、そんなありきたりな言葉が口を突いた。
隣の昴と颯介も釘付けになっている。
そんな動かない俺たち三人に、誰かが声をかける。
「三人とも、どうかしましたか~?」
聞き馴れた声に振り向くと、おっとりした足取りで香月先生が歩いてくる。
「香月先生、これって……、何があったんですか?」
「これですか? これも魔術ですよ。いつか朝臣くんたちも出来るかも?です」
そういって胸を張る香月先生。軽く言っているが、俺たちは魔術に関してはちゃんちゃら素人。
何なら“戦う”という意識も自覚しているか、と言われれば“NO”だ。
「三人はもうお帰りですか?」
「はい。帰って休もうと」
「そうですか~。そういえば朝臣くんは宇佐美さんと幼馴染みですよね」
「まぁ、そうですけど」
香月先生が急に紗耶のことを話題に上げる。何を言いたいのか分からず戸惑う。
「宇佐美さんは凄かったですね~。あと少しで千里から一本取れたんですけどね~」
香月先生が“千里”と呼ぶのは、我らが担任二騎先生のことだ。どうやら香月先生は二騎先生と仲がいいらしい。
「有段者は動きが違います。私なんてとても真似出来ませんよ」
力を込めて語る香月先生。視界の端で昴と颯介も頷いている。
確かに紗耶は惜しかった。でも敗けた。他人に「惜しかった」「残念だね」「ドンマイ」何て言われて紗耶はどう思うのだろうか。俺には想像もつかない。
だから俺は――。
「朝臣くんはどう思いますか?」
「へ?」
よほど難しい顔をしていたのだろう。香月先生が微笑んで問いかけてくる。
俺は不意な問いに狼狽した。まるで香月先生に心を読まれているみたいだった。
「俺は……、紗耶の敗けは敗けだと思います」
違う、そうじゃない。「敗けたけど頑張れ」って言ってやりたい。
でもそれを言えるのは俺じゃない。
「もちろん、紗耶もそのことは分かっていると思うんで問題はないと思います」
ははは……。
乾いた愛想笑いで誤魔化そうとする。単純な言葉にすら自信を持てずに逃げている。そんな俺を俺は嫌っていても、きっと嫌うなんてこともワガママなんだろう。
――俺は紗耶みたいに、他の人がやったように、何かを成し遂げたことはない。やりきったという確かな自信がない。
「『――だから逃げても構わない』か、王太郎?」
「っ!?」
俺の心を代弁したのはまさかの昴だ。
「王太郎よ、さっきから黙って見てれば何だ。悟ったみたいな顔しやがって」
昴の冷ややかな言葉の中には芯があり、色を変えない瞳が俺を突き刺す。
「そんなことは……」
確信を突かれて言葉が出ない。
「ないか? どういう理由があるかは知らんが、“学園”に来たら逃げられないんだぞ」
「……」
昴の言っていることは正論だ。学園に来たのは魔導師として強くなるため。逃げることは許されない。
「そうだよ王太郎。昴や僕が宇佐美さんに声をかけることは出来ないよ。王太郎にしか出来ないんだ」
「颯介……」
昴と颯介が俺の背中を押してくれている。
出会って数時間のやつらに心の痛いところを突かれるなんて、どれだけ俺は単純なんだよ。
こんなんじゃ、俺の悩みなんて紗耶には筒抜けだろうにな……。
「朝臣くん、武闘場はまだ開いていましたよ」
香月先生が笑顔で告げる。
これは、もう……、行くしかない。
「悪い、ちょっと忘れ物した」
それだけ告げて走り出す。ずれる鞄をかけ直して全力で走る。
動く視界に入った昴のしたり顔、颯介の嬉々とした表情、香月先生の眼差し。
押された背中、俺の中の衝動に従って紗耶の元を目指す。
何を言うかは決めちゃいないが、とりあえず今の感情を伝えようと思う。
五分も走らない内に武闘場に辿り着く。
荒い呼吸そのままに扉を引いた。
「誰? ……王太郎?」
紗耶は不審な眼差しで見つめ、やっと俺だと分かったようだ。
「どうしたの急に。帰ったんじゃ……」
「ちょっと、休憩くれ」
血相を変えてやってきた俺に戸惑う紗耶は、大人しく俺の息が整うのを待つ。
膝に手をついて呼吸を整える。大分落ち着いたが、顔は上げない。
やべぇ、言うこと何も考えてねぇ!
ただならぬ事態でも告げるのか、と待ちわびる紗耶を前にどんな言葉が正しいのか分からない。
それに俺は紗耶に「ドンマイ」「頑張れ」を言いに来たのではない。俺の衝動を伝えに来たのだ。
「王太郎大丈夫?」
「あぁ、もう大丈夫。心配ない」
心配した顔付きで俺の顔を覗き込む紗耶。紗耶と目が合いそうになりハッと顔を上げる。
紗耶は真っ直ぐに俺を見つめる。
「まぁ、なんだ。紗耶は二騎先生に勝負を仕掛けて敗けたわけだ」
「むっ……、そうだけど……。まさかわざわざそんなことを言いに来たの?」
紗耶は俺が絞り出した言葉に機嫌を損ねる。これは釈明しないと話がこじれそうだ。
「そんなにすねるなよ。バカにしに来たんじゃない」
「……じゃあ私を励ましに来たの?」
フォローを入れてもすねた紗耶は俺を睨み付ける。
「励ましやしないさ。けど紗耶には言っとかなきゃいけないことがあるんだ」
「……」
紗耶は真面目な俺の口調に何かを感じたのか、黙った話を聞いている。
さて、何を言うか。何も決まっちゃいない。
「そのだな……。えーと……」
気まずくなり、視線を泳がせて言い出しの言葉を探る。
そして泳ぐ視線が紗耶の瞳と合う。
そのとき、なんとなく、本当になんとなく脳裏を過る光景があった。
さっきフラッシュバックした夕暮れの光景。沈む茜色を背景に微笑む紗耶の姿。その場しのぎで俺が言った「次頑張るよ」。そんな俺は“次”を頑張ったのだろうか? 答えは“NO”だ。
だったら、そんな俺が紗耶に言う言葉は一つしかないだろう。
「紗耶よ、俺決めたよ」
「何を?」
「ここで、俺は諦めずに何がやり遂げてみせる。約束だ」
俺の決意を受け取った紗耶はどこか嬉しそうに見える。そして口元に笑みを湛えながら口を開く。
「じゃあ約束ね」
「おう、約束だ。俺が自分に自信を持てたら、そのときに励ましてやるよ」
「約束」という言葉に感じる気恥ずかしさを誤魔化すようにはにかんでみせる。紗耶も一緒に笑った。
俺の心にのしかかったものが取り除かれた気がする。気持ちが軽い。
そのとき、校舎に響く放送音が鳴り、もはや聞き馴れた暴くn……、二騎先生の高圧的な声が続く。
『1組の朝臣。至急第一会議室まで来い』
――プツン!
超業務的な最短の業務放送だ。吐き捨てられたといっても過言ではない連絡に、俺は従わなければならない。だって内の担任怖いのだもの。万一遅れたら、また投げられそうだ。
「行ってきなよ、王太郎。また二騎先生に投げられるよ」
「いわれなくとも全力で行くさ。つか俺の考えて読むなよ」
なぜか紗耶は俺の心の機敏に聡い。もはや俺の思考を読み取るのだ。
「じゃあな」
手を振り、走って武闘場を出る。
今日はよく走る日だ。
「――ハァハァ……。やっと見つけた、“第一会議室”」
勢いよく武闘場を出た俺は、場所の知らない第一会議室を目指して走り続けた。
かれこれ一〇分以上は走り続け、やっと見つけた。というより、会議室の前に立っていた副担任の香月先生に見つけてもらった。
香月先生はさっきまで研究棟前にいたはずだとは思うが、どこからどこもなく出没するな、この人。
「朝臣くん、待ってましたよ。中へどうぞ」
「その前に俺が呼び出された理由を教えてください。心の準備が……」
「治安魔導師隊の人が、昨日の事件についてお話を聞きたいそうですよ。聴取です」
よかった。またまた二騎先生に絞られるのかと思ったが、少しは気が楽になりそうだ。
そして香月先生の後に続いて会議室に入る。
会議室の入り口からみて左側に、治安魔導師隊の制服を着た男性が三人座っている。
真ん中の男性は深いシワを顔に刻み貫禄を醸し出す。恐らくこの人が隊長なのだろう。
そして横に座る二人は隊員。隊長らしき人に比べると威圧感はない。
そして治安魔導師隊の一行の向かいには、椅子には座らずに二騎先生が立っている。相変わらずの仏頂面だ。
「朝臣 王太郎くんだね。待っていたよ。私は治安魔導師隊隊長の水木勝利だ」
真ん中の隊長が話を切り出した。
そして香月先生が俺に椅子を勧めてくれるが……、一つだけ気になることがある。
「この人は……?」
俺が“この人”と言って指を指したのは、勧められた座席の横に座る、学園の制服を着た男。
座るといっても大人しく座っている訳ではなく、両足を机に投げ出し船漕ぎの姿勢で、アイマスクで目を覆って眠っている。4本ある椅子の脚の内、半分の脚で立つ不安定さの中で器用にバランスと取りながら寝ている。
「こいつは放っておいて構わん。話を進めろ」
その爆睡生徒の後ろに立つ二騎先生が答えた。本当に放っておいていいんですかね?
気にはなるものの、二騎先生の指示に従わない訳にはいかない。
「それでは幾つか質問をするが、気楽に答えてくれればいい」
水木隊長が話を切り出す。
真面目な話が始まる、なんて雰囲気の中、
「ンガッ!」
隣で寝ている生徒が呻いた。
プチッ。
そんな擬音が聞こえた。二騎先生の堪忍袋が切れたのだ。
「起きろ馬鹿者! 鬱陶しい!」
怒号と同時に椅子の脚を蹴り抜く二騎先生。
支えを失った椅子は背中から転倒。油断していた男子生徒は頭から床に激突。痛々しい鈍い音が会議室に響いた。
「いっってぇぇ!」
男子生徒は絶叫と共に飛び起きた。アイマスクをかなぐり捨て、打った頭を両手で抑える。
「出た! これ絶対出血してる!」
血のように淀んだ赤髪を押さえて絶叫し続ける。その抗議の眼は迷うことなく二騎先生に向いた。
「千里テメェ! 頭割れたらどうするんだよ!」
「喧しい。寝るのは構わんが静かにせんか。それとここでは“二騎先生”だ」
一切の抗議を受け付けない二騎先生は相変わらずだが、男子生徒も二騎先生を名前で呼び捨てとは……。命知らずか?
しかし、頭から床に落とされた男子生徒が不憫すぎる。
「二騎先生、一般人に頭から落下はさすがにやりすぎですよ」
フッと俺の口を突いて出てきた言葉に、鋭い視線で返す二騎先生。そして男子が爆笑した。
「そうだぜ千里、 一 般 人 に頭から落下はやりずぎだ」
「黙れ、何が“一般人”だ」
爆笑しながら肩を叩く男子生徒を、二騎先生は今にも殺しそうな視線で睨む。
ていうか、この男子何者だ? 二騎先生と対等に喋るし、二騎先生がやり返さない相手。
本人や二騎先生には聞ける空気ではない。まさか治安魔導師隊の人に尋ねるはずもない。こうなれば頼れるのは副担任先生ただ一人。
「あの、香月先生。あの人は一体何者なんです?」
この状況でもニコニコしながら見守る香月先生は、俺の質問にゆっくり答えた。
「彼は世界一名の知れた魔導師ですよ。ね、新見くん」
香月先生が“新見”と呼んだ男子生徒は振り向き、笑いで溢れた目元の涙を指で拭った。
ふとした動きはただの男子。しかし挙動に合わせて、どこか男子生徒の身体に染み付いた独特の臭いが鼻を刺す。生臭い、昨日廊下ですれ違ったときに感じた臭いだ。
「世界一かどうかは置いておくにしても、確かに俺が新見だ」
悪戯に笑う新見は自信しかないといった出で立ちだ。
「新見……? どっかで聞いたことある名前だ」
どこだっけな? 俺が記憶の中を探っていると、溜め息を吐いた二騎先生が口を開いた。
「こいつの名前は“新見零”。この名前を聞けば直ぐに分かれ馬鹿者。こいつは“大罪の魔王”の一人だ」
――大罪の魔王。
それは10年前の魔獣の大進攻の際に第一線で奮闘した七人の魔導師を称えた言葉。
え? 目の前のこいつが“大罪の魔王”?
「そういうこった。俺は“大罪の魔王”の一人、“怠惰の魔王”の新見 零」
あー、なるほど。分かった分かった。“大罪の魔王”って、あの“大罪の魔王”ね。へー、すげぇや。
「……って、ぇぇぇぇぇ!!!」
~キャラクター紹介~
宇佐美 紗耶
ヒロイン、15歳、167cm、56kg
明るい茶色のショートカットで、細身のモデル体型。快活そうな見た目通り、誰とも当たり障りなく仲良くするタイプ。初めて会った相手にも容赦ない一言を言うことがある。
また、王太郎とは小学校以来ずっと同じクラスの幼馴染みなため、王太郎には特に容赦がない。
しかし貧乳を気にしており、そのことを指摘されるとぶちギレる。
幼少期から空手をしており、現在は有段者。
能力、現在なし。