不穏の足音
~あらすじ~
王太郎たちの夏休みも終わりが近付く中、王太郎はとあることで頭を悩ましていた。
さらに紗耶と近所で行われる花火大会に行くことになり、王太郎はてんやわんやの夏休みを過ごしていた。
花火大会の縁日では紗耶に振り回される中、紗耶の前に現れる燕尾服の男。
敵意剥き出しの紗耶は男と交戦を始めるが……。
夏休みも盆が過ぎ、残すところ十日となった。
季節は夏から初秋への支度を始め、蝉の声も大人しくなっている。
しかし!
猛暑は残暑へと変わることなく、快晴の青空からジリジリと日射しが降り付けていた。
都会に行けばヒートアイランドだの人の熱気だので、まさに生き地獄だろうが、都心から離れた田園地帯は違う。
青々と繁る緑と爽やかな風がある分、暑いことに文句を言うのは我慢しよう。
何せ、俺は屋内のクーラーの効いた居間にいるのだから……。
「はぁ~……」
俺はちゃぶ台一杯に散乱した宿題の中から、一番の悩みの種であるA4用紙を手に取った。
『魔導大会(仮)エントリーシート』
表題に目を通して、再び項垂れる。
夏休み前に二騎先生が口にした大会の存在。各クラスからその大会に参加する一名を決めろとのことだが、その一名が決まらない。
候補は絞っているのだが、そこから一人の決めかねるのだ。
「紗耶か七海か、はたまた昴か……。うーむ……」
ペンで眉間を押さえて熟慮する。この三人の中で、一番戦闘に向いている人選、か。
聞いた話では他のクラスからの出場者はそれぞれのクラス長らしい。クラス長だから出場と言うわけではなく、魔術が使えるからクラス長だったりと、他のクラスでは魔術が使える者が全くいないのだとか。
そんな事情も加味して、俺は考える。ありもしない思考回路も総動員して、頭がショートしそうなほど考える。が、中々一人に決めかねる。
すると台所に立ち寄っていた紗耶が横からエントリーシートを覗いてきた。
「まだ迷ってるの?」
「まぁな。欲を言えば零が出てくれればいいんだけど、絶対に断られる。というより連絡が着かない」
「アハハ、そりゃそうだ。
ところで王太郎は候補に入ってるの?」
紗耶は俺の隣に腰を下ろしてシートをから視線を俺に移す。
ほぼ顔の真横に紗耶のしたり顔。
紗耶の汗に混じったシャンプーの香りと、核心を突いた指摘に鼓動が高鳴る。
「まー、何と言うかあれだ。俺だと勝率が著しく低下するというか、対人戦闘には向かないというか……」
俺がどぎまぎしながらたどたどしく答えると、紗耶はニハハと笑って顔を遠ざけた。
「別に私は構わないけどね。一応これでも王太郎がクラス長として誠に遺憾ながら一任された訳だし、誰も文句は言わないよ」
紗耶はそう言いながら畳に転がっているクーラーのリモコンを取った。
ポチポチとリモコンを慣れた手付きで操作して風向きを変える。
「『誰も文句は言わない』か……。よし決めた!」
「よっ! 堂々と発表を!」
隣の紗耶が手を叩いて囃し立ててくる。
「昴に出てもらおう」
「ほうほう。その心は?」
「昴の魔術は攻防の幅が広いし、何より戦闘中の判断力で言えばあいつが一番だ」
「なるほどなるほど……。うん、私もいいと思うよ」
「決まりだ」
紗耶の後押しも受けて、俺は晴れ晴れとした気持ちでエントリーシートに昴の名前を書いた。これで悩み事が一つ解消された。
残るは夏休みの宿題だけ。と言っても大方片付けているので、終わりの目処は立っている。
俺の夏休みは見事に平和な終わりを迎えようとしていた。
すると玄関で引き戸が目一杯音を立てた。と同時に溌剌とした声で秘芽子が「たっだいまー!」と叫んだ。
「おかえり秘芽子」
「ヒメちゃんおかえりー」
「おっ、紗耶ちゃんおっすおっす~。ただいまだよ!」
って俺には返事なしかよ。
まぁ、こんなやり取りは慣れたものである。元より紗耶と秘芽子は姉妹のように仲がいい。俺なんて兄の威厳が皆無なのにな……。
あれ? 目から汗が……。この部屋はクーラーが効いているはずなのにな……。
「ヒメちゃん機嫌がいいね。何かいいことあった?」
紗耶は手際よく秘芽子に麦茶をサーブして秘芽子の顔色を窺った。
その指摘を待っていたのか、秘芽子は調子よく喋り出した。
「何たって今日は花火大会だよ! 夏の思い出と言えば“海”“山”“花火”“キャンプ”、そして“花火大会”だよ!」
「花火二回言ってんじゃねぇか。お前のおつむはそんなに残念だったのか……?」
「何言ってんのお兄ちゃん。“花火”はパチパチ花火、“花火大会”はドッカーン花火だよ」
……? 言いたいことが皆目分からんぞ。その擬音表現自体が馬鹿丸出しなんだがな……。
「要は“手持ち花火”と“打ち上げ花火”ってことだよね。分かる分かる」
「おい紗耶、それが分かるってお前もだいぶ」
「おつむがポンポコピー」だとは言えなかった。紗耶と秘芽子の視線が痛かった。言ってしまえば殺されるかと……。
「花火大会かー。そういや去年は受験で行っていないし、久々に行きたいなー。誰と行こうかなー(棒読み)」
紗耶はぐーっと伸びをして俺にチラチラと視線を配らせる。「連れてけ」ってことか?
「ごめんね紗耶ちゃん。私は友達との前約があるから一緒に行けないよ。あー誰か紗耶ちゃんをエスコートする人がいればいいのになー(棒読み)」
続いて秘芽子も頭を抱える素振りをしながらチラチラと俺を見てくる。「紗耶を連れてけ」っことだろう。
どうも女は強しだ。断れる空気でもなく、俺は首を縦に振った。
「しょうがねぇな。出店の金は自分で出せよ」
俺の返答を聞いて紗耶と秘芽子は小さくハイタッチをした。
はぁ……。
俺はまんまと策に嵌められたわけだ。
「ほらほら王太郎! もう出店が出てるよ、行こう!」
「おい走るなよ。くそっ、人が多すぎやしねぇか……?」
太陽が山脈の向こうに沈み、辺り一面には夜の帳が降りている。
街灯と出店に吊るされた提灯の灯りを頼りに、紗耶は器用に人混みをすり抜けて行く。
やはり細身の紗耶は小さな隙間さえ上手く掻い潜る。凹凸の少ないスレンダーなスタイルが故の身軽さだ。……そういうことにしておこう。決して貧乳だと、絶壁だと馬鹿にしているんけではない。
「ちょっと王太郎、私のこと馬鹿にしたでしょ」
「ウッ……、ソンナコトシテナイ」
いつの間にか横にいた紗耶が拳を握り締めていた。そして満面の微笑みの裏に怒りの獄炎。地獄の炎に焼かれそうだ。
思わずテンパって片言になった俺をクロとした紗耶は鉄拳制裁を下した。
紗耶の拳は俺の脇腹を見事にえぐり抜き、思わず吐き気を催す。
「お、お前……、マジに殴りすぎだろうが……」
「それは王太郎が悪いのですよ。代わりにあのリンゴ飴一個で許してあげる」
俺が吐き気を抑え込み気合いで立っている一方で、紗耶は楽しそうにリンゴ飴の出店を指差している。
「お前今殴っただろ。それでチャラじゃねぇの!?」
「それはそれ、これはこれだよ。早く!」
「いや、さすがにその理屈はおかしい……」
俺が全力で抗議をしていると、紗耶はおもむろに右手を握り締めた。
そう、まるで「もう一発逝っとく?」と言わんばかりの鉄拳アピール。
「分かった! その代わり一個だけだぞ。それ以上はないからな!」
「ありがと王太郎~」
これはおねだりというより恐喝なのでは……?
しかし俺は紗耶に抗うことが出来ず、大人しく五〇〇円のリンゴ飴を一つお買い上げ。何でリンゴ飴一個でこんなに高いんだよ!
「ラッキー、言ってみるものだね~。……美味しい!」
紗耶は他人の金で食べるリンゴ飴を、それはもうこの上なく美味しそうに頬張っている。
紗耶の横暴さと出店の値段の高さに頭を抱えて落ち着けそうな場所を探す。
そう。今回は出店を回って楽しむ夏祭りに来たのではない。あくまでも花火大会が目的だ。出店で油を売ることを否定はしないが、花火を観ることが出来なければ元も子もない。
だが、どこもかしこもすでに先客で埋まっていた。
「おい紗耶、どこで花火を見る? いい場所は粗方埋まっちまってるが……?」
俺はそれでも空いているスペース探しながら、片手間で紗耶に問いかける。
「だったら問題ないよ(バリボリ)。とっておきのスペシャルプレイスがあるから(バリバリボリボリ)。
……行こ、ちょっと走るよ!」
リンゴ飴を噛み砕いた紗耶は俺の手を取って先導を始めた。
つか人が買ってやったリンゴ飴をもう少しは味わいやがれ!
颯爽と走る紗耶に連れられやって来たのは、人混みから少し外れた小高い山の麓。
そこまで紗耶に連れて来られて、俺はやっと“スペシャルプレイス”とやらの心当たりがした。
「紗耶殿や、まさかこの上の神社が“スペシャルプレイス”だなんて言わないよよな?」
俺は恐る恐る目の前の長蛇の石階段を指差して問いかける。暗いおかげもあって、石階段の天辺は闇に包まれ黙視出来ない。
一方の紗耶は再び悪巧みをしたような笑顔で首肯した。
俺の中の“紗耶アラーム”が全力で鳴り響いている。もはや嫌な予感しかしない。
「何か悪巧みして」
「どっちが先に上に着くか競争ね! 負けたらジュース買ってくるってことで!」
「っておい俺の話を聞け!」
半ば不意打ち状態で理不尽なレースは幕を上げた。
完全に俺の不意を突いた紗耶は一〇段ほど先行している。元より運動神経の勝る紗耶に勝てるはずもなく、作戦の一つもこちらにはない。
こうなったら自力で勝つしかない……!
限界を越えろ、俺!
……負けた。
「やったー! 私の勝ちー!」
「てめぇ不意打ちとかセコいことして勝って、大人げないなこら……」
「勝ちは勝ちだよ。さぁさぁ!」
膝に手を着いて肩で呼吸する俺に、紗耶は早くジュース買ってこいと言わんばかりに手をヒラヒラと振る。
「少し休憩を……。ていうかまた階段を往復すんのかよ!」
「そうしないとジュース買ってこれないじゃん。早くしないと花火始まっちゃうよ」
暗に「さっさとしろ」と急かしてくる紗耶。今度ばかりは脅迫的な拳はないが、紗耶のかけてくる圧が凄い。
「分かったよ。行ってくるよ。適当に買ってくるから文句言うなよ」
俺は渋々承諾して石階段を降りていく。
覚えてろ紗耶め……。炭酸買って思い切り振りまくって爆発させてやる……!
階段を降りてく俺の背中に、呑気な紗耶の声援がかけられる。
王太郎はタンタンと石階段を降りていく。その背中を見送ると、花火がよく見えそうな場所を適当に見定める。
そして見付けたベンチに腰をかけて、小高い神社の境内から眼下の景色を見下ろす。
赤々と光る出店の提灯に人の交わり。流れる人並みは調律されたテンポで足跡を刻んでいる。
「これはこれで風情、かな?」
王太郎を待つ間、この花火大会ならではの光景を楽しむのも乙だな。
暗く薄気味悪い神社は普通の女子ならば怖がるところであろうが、私は特に怖くも感じない。
ただ静かに大人しく王太郎を待っていると、突然神社の境内から足音が聞こえた。
「誰っ!?」
その足音が普通のものなら、私もここまで大袈裟な反応はしなかっただろう。しかし足音から感じる気配がただ者ではない。
気配、というより魔力が明らかに違う。
「おやおや、いきなり敵意剥き出しとは。そんなに怖い顔をしなくてもよろしいというのに」
境内の暗闇から姿を現した男は、場に不釣り合いな銀色の燕尾服を着こなしている。スラリとした細身と白い肌の男は黒縁の眼鏡の奥の糸目を怪しくひからせ、一歩一歩近付いてくる。
男が近付くにつれ、鼓動は高鳴り男の一挙手一投足に注意を払う。
「私の質問に答えなさい! あなたは何者なの?
私でも分かるほどの異常な量の魔力……、魔導師なの?」
「魔導師と言えば魔導師ですかね。詳細はお答え出来ませんが、わたしは貴女の味方です。お迎えに上がりました次第です」
男は片手を胸に当て、礼儀正しく腰を折る。その立ち振舞いには欠けたるところが見当たらない。
しかし、男の所作が余計に気に食わない。昔からこの手のキザなやつは私の苦手とするところだ。
「何よ紳士気取っちゃって。ただの誘拐事案じゃん」
「わたしとしては実力行使もいとわないつもりですが……。よろしいのですか?」
男の言葉が開戦の合図。
私は身長を越える長さの鉄槍を構え、男と向かい合い火花を散らす。
一連の私の動きと魔術を見た男はおもむろに手を叩いた。
「素晴らしい魔術です。魔術展開の早さといい構える動きの滑らかさといい……。やはり一席に座すだけの技量はありそうですね」
「何をわけの分からないことを!」
男の振舞いに虫酸が全力疾走、思わず槍で突き出していた。
私の先手にも男は怯まず、鮮やかな動きで槍の打突をかわす。
こいつの動きは明らかに戦い慣れている動きだ。
「だったら数で勝負よ。これでも喰らいなさい!」
次の手として、私は槍を掴み直して投擲する。一本投げれば次の一本、という要領で鉄槍の雨を喰らわせる。
「ほほう! 数打つ魔力もある、と! 益々もって素晴らしい!」
男は降りつけてくる槍は仰いで歓声を上げる。
しかしそんな呑気なことをしていると槍を避けることなど出来ないだろう。
上手く急所を外して投げつけた槍は、男が回避不能な距離まで接近した。
が、槍の雨は流水の傘によって防がれた。
男の頭上に展開された流水の傘は槍を受け流す。おかげで男は無傷だ。
「これがあんたの魔術ね。水を操る能力、厄介ね」
「そう。水はときに龍の如く侵略し、ときに牙城よりも強い壁となる。さて、どうやって突破しますか?」
男は私を試すように問いかける。
試されているなら答えるのみ。数で無力ならさらなる数だ。
投擲量を増やすために槍ではなくナイフを生成し、男を中心に円を描くように走り出す。
そして男の四方八方からナイフを投げ付ける。
男は慣れたように流水でナイフを受け流し、余裕を見せ付ける。
「槍投げは終わりですか? それとも投げ槍ですか?」
男は茶化すように笑い、身体を動かずことなく流水を操る。
だが男は油断している。そこが突破口……!
「隙あり! もらった!」
ナイフから鉄剣に持ち替え、男の背後から急接近する。
油断した男の背中に剣が刺さろうとしたとき、刃が綺麗に切断された。
「えっ!? 鉄が斬られた!?」
私は危険を察知し、反射で後ろに飛び退いた。
男は始めて身体を捻ってこちらを向いている。そして男の指先からは鋭い線形で水が吹き出ていた。
「言い忘れていましたが、水はときにダイヤモンドをも切断しますよ。油断していると痛い目だけでは済まなくなるやもしれないので、どうぞお気をつけて」
男は隠していた武器を露にして、益々余裕の表情を浮かべた。自分が負けるはずがない、という確信からくるであろう余裕。
しかしその余裕が男の付け入る隙なのだ。
「確かに私は“水を操る”という能力を甘く見ていたかもしれないわ。けれど、あんたも私を甘く見すぎよ」
「……っ!? なるほど……、そういうことでしたか!?」
私の含みのある言葉で全てを察した男は、始めて余裕とは違う表情をした。その顔は驚きとともに、どことなく歓喜の色も垣間見える。
「これまでの攻防は罠でしたか。豊富な攻撃と文字通り鉄壁の防御力を持つのが“錬金”の能力だと思っていましたが、これは良い方向の見誤り! 素晴らしい、実に素晴らしい! 妬ましいほどだ!」
男は激情にも近い感情の昂りを見せた男は明らかに歓喜していた。
そう、私が男に仕向けたのは攻撃でも防御でもない“罠”。
今、男の周囲には極細の鉄糸を張り巡らせている。この暗闇において黙視することさえ難しい鉄糸は男を隈無く囲い込んでいる。
「水がダイヤモンドを斬れるなら、鉄は糸になっても肉くらいは斬れるわ。少しでも動けばあんたはミンチになる。降参しなさい」
男は糸の切断のためにでも、指一本も動かせまい。これこそ鉄糸の結界、私の新必殺だ。
投げナイフに仕込んだ鉄糸に気付けなかった男の負けだ。
だが男は粗方の激情を終えると、冷めきった様子で私を見据えた。
「素晴らしい魔術に戦略……、しかし! 貴女には一つだけ足りないものがある!」
「っ!? 嘘っ!?」
男は鉄糸の結界に物怖じすることなく、その身体を動かした。
男の身体に食い込む鉄糸だったが、糸が肉片を散らす前に身体が糸を 通 過 した。
一切の血飛沫も上がらず、男は一歩を何の問題もなく歩む。
「そう貴女に足りないものとは“経験”。“人を斬る経験”、“人に力を向ける経験”、“人を殺す経験”!
しかし心配は無用ですよ。そんなもの、これからでも賄える経験です」
男は結界を無傷で突破した。
そして私はようやく理解した。この男の身体が流水と化していた。この男の能力は“水を操る”能力ではない。“自らを水として操る”能力なのだ。
つまり、
「この男には攻撃が通じない……!?」
突き付けられた無情な現実に、私は膝を折ってしまった。
「さぁ、わたしと一緒に行きましょう。貴女を変える新世界へ……」
「っ……!?」
男の手が私の肩を叩いた。
敵わない……。
私が諦め、瞳を閉じたとき、勇猛果敢な足音が聞こえた。
「紗耶から離れろくそ野郎がっ!」
たとえ相手が身体を水とする魔術でも、こいつの攻撃は通じるんだった。
男を殴り飛ばした王太郎は、白い髪が逆立つほどに怒っている。
まさに“怒髪天を突く”形相に、男は不適な笑みを溢していた。




