月のうさぎ
月には一匹のうさぎが住んでいました。
雪のようにまっしろな、きれいな毛並みのうさぎです。
月のうさぎはいつもひとりぼっちでした。
生まれたときからひとりぼっち。お父さんもお母さんも、お兄ちゃんも妹もいませんでした。
めざまし時計通りにちゃんと起きてもほめてくれるお母さんはいません。
サッカーで難しいゴールを決めても喜んでくれるお父さんはいません。
分からない勉強を教えてくれるお兄ちゃんも、遊んでとせがむ妹もいません。
うさぎはいつだってひとりぼっちでした。
『ぼくにはお父さんがいない。お母さんも兄妹も、おじいちゃんやおばあちゃんだって。それはきっと、これからも。でもせめて、友達がほしいなぁ』
いつも寂しい思いをしていたうさぎは友達がほしくて仕方がありませんでした。
友達がひとり、そう、たったひとりでもいいのです。ひとりの友達がいれば、うさぎはきっと幸せだと思いました。
砂の海に小さな足あとを残しながらうさぎは考えます。
『もしぼくに友達ができたら何をしようかな。ぼくはお外で遊ぶのが好きだから鬼ごっことか。サッカーでもいいよね』
『でももしかしたら運動が苦手かもしれないし。そしたら一緒にテレビを見よう。ゲームはぼく、あんまり得意じゃないけどそれでもいいや』
『もし女の子だったらどうしよう。女の子の遊びってよくわかんない。仲良くなったらちゅうとかしていいのかな。嫌われるのはいやだなぁ』
うさぎは砂の上に夢をかいていきます。遊んでいる絵から始まって、学校へいく絵、家でゴロゴロしている絵、お出かけする絵。どの絵にも二匹のうさぎが笑っています。
うさぎが夢中になって次の絵をかこうとすると、びょうと北風が吹いてきました。
びょうびょうと強面の北風がうさぎの絵を消していきます。
「わっ! 北風さん、なんでそんなひどいことをするの」
北風は何も言わずに、びょう、びょうと言いながら去っていきました。
月の神様の涙、星の砂は夜の空に舞い上がります。こてん、と尻もちをついたうさぎは空を見上げました。
うさぎの夢が舞い上がった先には、夜空にひときわ輝く青い星がありました。
うさぎははっと気づきました。
『月には友達がいない。でもあの星なら、ぼくと友達になってくれる子がいるかもしれない』
その日から、うさぎの夢は砂の上の絵ではなくなりました。
毎日いっしょうけんめい船を作ります。
船の土台、大きな竜骨は大きな恐竜の骨。
船体は世界樹のおじいさんから枝をわけてもらいます。
マストはこうりつの良い三角帆。旗にはうさぎの顔と『友達さがしてます』の文字をかきました。
少しづつ、少しづつ船は出来上がっていきます。
ある日、月の神様がうさぎを見て尋ねました。
「うさぎよ、うさぎ。あなたは何を作っているのですか」
「神さま。これは星をわたる船です。ぼくはこれであの青い星にいきます」
目をキラキラさせてそう言ったうさぎに、神さまはその美しい顔をゆがめました。
「あなたはこの月から出ていこうというのですか」
「そうです。友達をさがしに」
「友達なら月でさがせばいいでしょう。わたしがなってあげてもいいですよ」
そう言った神さまに、うさぎは首を横に振りました。
「ダメです。ダメなんです、神さま」
「なぜですか」
「あなたは神さまだからです」
うさぎは悲しそうにそう言って、作業にもどりました。船はもうすぐ完成しそうです。
「月をはなれたものは、もう二度と戻ってはこれませんよ? それでもいいのですか」
意地悪にそう尋ねる神さまに、うさぎは何も言わずにとんかちを振り続けました。
「勝手にしなさい」
「ごめんなさい。ありがとう、神さま」
うさぎの船は、それから三日後にできました。
うさぎは気まぐれな風が船を勝手に飛ばさないようにしっかりと錨をおろしてから、家に帰って必要なものを持ってきました。
お弁当に水筒、バナナはおやつです。お菓子もちょっぴり持っていきます。大事なサッカーボールとお気に入りの櫛、それに武器の剣。ほしいものを全部詰め込んで、さあ出発です。
錨をあげて、マストを広げます。優しい南風がそっと背中を押して、宇宙船は銀河へと舞い上がりました。北風がそっぽを向いたままびょう、と手伝ってくれて、船はその速さを増していきます。
うさぎは舳先に立ってまっすぐに前を見つめていました。いつも見上げていた青い星が、目の前いっぱいに広がっています。
「きっとあの星に、ぼくの友達が待ってるんだ」
期待にふくらむ胸。甲板の上で飛び跳ねながら、うさぎは青い星を目指します。
航海の日々は、決して楽ではありませんでした。
お弁当を食べていたら、高波にさらわれてしまったこと。
船底に穴が開いて、あやうく沈没しそうになったこと。
風たちが意地悪をして、まったく前に進まなくなったこと。
困ったことがあるたびに、うさぎは『友達に会うためだもん』と心のなかでつぶやきながら頑張りました。
お腹が空いても我慢します。友達はきっと、うさぎと食べ物を半分こしてくれるでしょう。
開いた穴には大事なサッカーボールをはめて直しました。ちょっぴり悲しくても、着くまでの我慢です。
風に頼らなくても、船には櫂がありました。うさぎは少しずつ船を漕いでいきました。友達にちょっとでも早く会いたいから。
たくさんのデブリがうさぎの船を汚します。友達に会ったときに自慢しようと思っていた白い毛並みも、真っ黒になってしまいました。
それでもうさぎは青い星を目指すことをやめません。だってその星は、少しずつ少しずつ大きくなっているのです。もうすぐ友達に会えるのです。
うさぎはボロボロになりながら、絶対に諦めませんでした。
やがて、宇宙船が青い星の力に触れました。青い星にゆっくりと引っ張られていく船。うさぎは歓声をあげました。
「やったあ! これで友達に会えるぞ!」
ゴウゴウとうなりを上げる風を切って、船は青い星へと降りて行きます。船べりから下を見ていたうさぎは、どこかでこちらに手を降っている友達がいないか探します。
青い青い海にはたくさんの魚たちが泳いでいました。でも友達の姿はありません。
高い高い山にはたくさんの獣たちが生きていました。でも友達の姿はありません。
広い広い大地には無数の廃墟が立ち並んでいました。でも友達の姿はありません。
やがて船は、ザバア、と海に降りました。うさぎはぴょんと船から降りると走りだしました。
「誰かー! 誰かいませんか!」
「ぼくは月のうさぎです! 好きなことはサッカーです!」
「誰かぼくと友達になりませんか! 友達をさがしています……」
走って、走って。叫んで、叫んで。うさぎはやがて、がれきの山の上でへたりこんでしまいました。
この青い星には、うさぎの友達はいなかったのです。月と何もかわりません。うさぎはまた、ひとりぼっちでした。
うさぎのまん丸の目から涙がこぼれ落ちました。涙は星の砂になって、キラキラと舞います。
風が砂を舞い上げた先を見上げたうさぎは、あっと叫びました。
夜の空に浮かぶ真っ白な星。その星に、うさぎの友達がいたのです。
「ひどいや、神さま」
うさぎはつぶやきました。がれきの山のてっぺんで、大の字に寝転がります。
「ひどいや、神さま」
星の名前は、月。うさぎの友達は、月にいたのです。意地悪な神さまが隠していたのです。
でもうさぎは神さまと、月には戻らないと約束していました。神さまとの約束は絶対です。もううさぎは月には戻れません。
それでも、うさぎは。満月を見上げて笑いました。
「ぼくの友達はあそこにいるんだ。あの真っ白で、まん丸の星に」
その後、うさぎが友達に会えたのか。誰も知りません。
でも、月のうさぎはお餅をつきます。お餅は一人ではつけません。
真っ黒になったうさぎに、空が真っ白な雪を降らせます。しんしんと、しんしんと。
しんしんと。しんしんと――。