第二話 非日常の本鈴
――――――――満月。
魔術史を紐解けば、かつての世界の月には横一文字の線が入っていたと言う。
その所為か、月の神秘性は著しく低下し、満月に行う儀式魔術の多くが使用不可能となったらしい。
原因は諸説有るが、最も有力なのは隕石が横切った際に抉れたとされている。
この世界には、神秘であふれている。
科学万能時代であるこの二十一世紀に於いてでも。
その原因は、世界の裏側、歴史の裏で暗躍する魔術師の存在である。
彼らは、約一千年前に、滅んだ自らの世界を見限り、魔力の使い方も殆ど知らない“原住民”と、歴史的文化的符合が多く、緑溢れるこの世界にやってきたのである。
想いや意思が力になる世界。“イメージピア”。
それが、かつて魔術師たちが捨てた星であり、そう呼ばれだしたのは捨て去られてから書物にされてからである。
そして、“地球”。
魔術師たちが逃げ込んできた、技術が神秘を凌駕した世界。
否、逃げ込んだ当時はその限りではなかった。
むしろ、11世紀の地球から見れば、イメージピアの住人の文明は凡そ、500年は進んでいたのだ。
魔術やそれに伴う技術の流出による産業革命や、急激なエネルギー消費や公害に、この地球という星が耐えられる保障など、ありはしないのだ。
むしろ、以前の失敗での教訓を生かすため、魔術師の指導者は魔術やそれに類する神秘の秘匿に努めた。
全ては、魔力の枯渇を防ぐために。
己ら魔術師の存続の為だった。
それに、折角異世界まで自分の世界を捨ててまでやってきた開拓地を、見す見す原住民に食い潰されては堪らない。
だが、魔術師たちは謙虚であった(と、書物では伝えられている。現実をみるとホントかどうかは怪しい)。
魔術師たちは、飽くまで移民であり、寄生虫に過ぎない。
人類の存続こそが命題なのだ、と魔術師の指導者は言ったそうだ。
当時から今も変わらない魔術師の指導者の名は、リュミス・ジェノウィーグ。
齢にして三千を超えるらしい、その世界で最強の名を欲しいままにした魔術師の、唯一の弟子である。
彼女は、イメージピアの生き残り五百人を引き連れ、巨大な建造物と共に地球にやってきた。
その建造物こそ、彼女の師の命令で設立した、魔術の存続と保全を目的にした“魔術連合”の総本部だったのである。(以降、“本部”とだけ表記する。)
彼女はその組織の指導者たる『盟主』だったのだ。
その“魔術連合”の成り立ちは、今は割愛する。
まず、地球にやってきた彼女らは数百年、魔術師の育成に励んだ。
衰退した魔術の復活。自らの地盤を固めるために心血を注いだという。
自分たちの世界から持ち込んだ、図書施設に収容されている魔導書を厳選し、完璧な管理の元にその術を伝える。
幸い、地球の原住民は豊富に存在する魔力の使用法どころか、存在すらも知らないようなので、これの独占に成功。
そうして、魔術師において魔術とは何たるか、と言う問いに。
―――――汝、究極を求めるべし、と概念的に刷り込むまで、二世代も掛かった。
そうなった十二世紀頃には、ヨーロッパ辺りに魔術師を少数派遣する事を検討していたその時、事件は起こった。
否、起こっていたのを知ったのだ。
彼女の師、『黒の君』こと、ウェルベルハルク・フォーバードの知識が散在していたのだ。
リュミスは彼に問い詰めたところ、暇つぶし、と返された。
あるところには魔導書として。
あるところには凶悪な魔具として。
あるところには災厄の根源となる代物も有ったのだ。
更には、彼曰く、地球とイメージピアの時間の経ち方は違うらしく、現在より過去にも少しずつ彼は魔性の道具をばら撒いたらしい。
当時、リュミスは異世界移住に師が妙に協力的だったのはこの為だったのか、と絶望したらしい。
それは、幾百幾千にも及ぶ、時限爆弾のようなものだった。
使い方を誤れば、世界が滅亡するような物も幾つもあったらしい。
ただし、どれも全て、持ち主にふさわしい人物でなければ使用できないようになっている。
なっているのだが、それでも危険なのには変わらない。
しかし当時、拠点にしていたヨーロッパでは魔女狩りが横行。
全て無傷で回収したかったが、とてもではないがこうなってはどうしようもない。
それらの可能な限りの回収、及び、不可能なら破壊を彼女は配下の魔術師達に命じたのである。
だが、15世紀になると、カトリック教会が正式に異端審問に魔女狩りが加わり、回収は困難を極め始めた。
原住民の強烈な抵抗は、魔術師達に大きな動揺と思想の分裂を齎した。
元々二つだった派閥が、更に幾つにも分裂したのだ。
派閥同士の衝突や合併を繰り返し、ようやく三つに収まった。
魔術の特性から名を取り、
神秘の秘匿を尊重し、自然の維持を続けようとする、傍観的な“代用派”。
世間に魔術を認めさせようとする強行的な思想を持つ、実力重視な“流用派”。
そして、リュミス・ジェノウィーグが纏める勢力。
中立と妥協で二つの派閥を抑え、許可と断罪を下す“両立派”が存在する。
そして、近代兵器と科学の発達により魔術の必要性を極端に失った20世紀。
魔術師達は、派閥同士の睨み合いを両者に深い悔恨を残したまま凍結する事になった。
産業革命時に何らかの介入を果せば、結果は変わったかもしれないが、魔術師は世間の情勢に極端に疎い。
リュミスの政治的手腕が三流だったのが拍車を掛けた。
消費型社会の概念は、“代用派”から過激派を生み出し、それを鎮圧させるのに手間取ったのも悪かった。
結局、魔術師達は、過去の教訓を何一つ生かせぬまま、二十一世紀を迎える事となったのだ。
なんとも、皮肉な話である。
以上、大まかなこの世界の裏側の歴史である。
なぜそんなことを長々と語ったかと言うと、
「今日も、この時間が来ちゃった・・・。」
吉中朝美は、“代用派”に属する魔術師だからである。
“本部”には非常に珍しい、日本人魔術師の彼女は、ある日、多大な恩あるリュミスに約二カ月前に直々の依頼を受けたからである。
曰く、
ジャパンの木賀市に、異常魔力反応を確認。
“WFコレクション”である可能性が高く、早急に回収、もしくは破壊せよ。
魔力反応レベルからして、貴女では手に負えないだろうから、応援を順次投入する。
先だって現地に潜入し、現状の監視をしろ。戦力が整うまで、一切の戦闘を控えよ。
簡単に言えばそんな感じだった。
要は、役に立たないから周囲を見張って調査しておけ、ってことだ。
魔力の反応から非常に厄介な代物だと判断され、長期的な派遣が決定されたのだ。
未熟な彼女に白羽の矢が立った理由は、現場が日本で、彼女が日本人だったから都合が良かったからだ。
それに、彼女は元々日本に帰ってきてどこかに修学する予定だったのだ。
その予定が変更され、任務と言う形になってしまったのである。
とある事情で、普通の日本人だった朝美が魔術師となったのは紆余曲折あったが、この依頼をリュミスに恩を返す為に朝美はこの仕事を二つ返事で受けた。
朝美自身も実力で自分を選んだのだとは思っていなかったが、逆に、成功させれば認められるチャンスでもあるのだ。
彼女は意気揚々と母国へ帰還した。
そうして、高校生として私立木賀高校に入学した朝美は、現地の潜入に成功し、疑問も疑いも持たれる事無く周囲に溶け込む事にも成功したのだ。
快調な滑り出しだった。
だが、打ち倒す、もしくは回収すべく敵の反応は微弱で、魔術に携る者が辛うじて“嫌な予感”、と思う程度の魔力しか発していない。
それが、この木賀市の上流区一帯ほぼ全域に。
朝美が探査系の魔術が得意なら話は違ったのだろうが、これでは適当に歩き回って遭遇するのを待つしかない。
多少無理をしてでも行動は出来るが、応援を待って対処するのが冷静に判断し、日々犠牲者が出るのを歯噛みしながら待ち続けた。
勿論、警戒は怠ってはいない。
月の魔力が最も活性化する深夜12時から2時まで、油断無く見回りをしているのだ。
それでも、満足な成果は得られない。
ある意味当然とも言える。
能力的に、朝美と相性が悪いのだ。
言ってしまえば、敵の方が朝美の方を避けているのかもしれない。
「まったく、ふざけんじゃないわよ。」
舐められている。それも、完全に。
悪態付いても状況は変わるはずも無く、―――――――諦め掛けたその時。
「――――――――――――来たぁッ!!!」
待ち侘びた敵が出現したのを悟った。
―――――――――――――――――――――――
「――――――――まさか!!」
12時を回っても、ウェルクは帰って来ない。
脳裏に、北沢の言っていた言葉が反芻する。
――――――――人攫い、猟奇殺人。
最悪の、予感だった。
真水は苛立ちながらテレビを付けてニュース番組を探した。
少しでも安心を求めての行動だった。
しかし、現在報道されているのは、東京で父親を殺して逃げた少年を探して警察が捜査しているということぐらいだ。
「ああ、もうッ!!」
真水は不安が最高潮に達し、堪らず外へ駆け出した。
・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・
そして、時間は現在に戻る。
真水は現実逃避から戻り、異世界での出来事のような光景を目にした。
絶え間ない金属音が響くあそこで、何かと何かの接触による火花が散っていた。
今の時代なら、アニメでしか聞く事の出来ない音だった。それよりずっとリアルで、済んだ本物の音だった。
そして、そこに居る怪異も、都会ではお目に掛かれない生物だった。
一言で言えば、巨大な熊だった。
ただ、誰の目が見ても大人しそうとか、死んだ振りが通用しそうな形相ではなかった。
赤い両目が爛々と獰猛に輝き、眼前の全てを薙ぎ払い、叩き潰さんと暴力を顕現していた。
だが、真水はそこに見とれていたのではない。
その怪物熊と相対し、一歩も引かずに交戦している人間が居るのだ。
半分程しかないの身長を駆使し、撹乱して、接近して、切り伏せる。
剣の形をしているだけの“鉄の塊”を両手で持ち、俊敏を武器にして戦っていた。
そう、彼女を真水は知っていた。
「―――――――吉中?」
非常識な事なのに、簡単に飲み込めたのは、今の彼女がどこかウェルクの醸し出す不思議な雰囲気にあったからだ。
今の彼女は、闇夜に忍ぶような黒衣のローブ姿で、手には鈍器になりそうな鉄の塊がある。警察に見つかれば職務質問は確実だろう。
しかし、当の本人は怪物熊と戦闘に夢中らしく、真水の事などまるで気付いているようではなかった。
――――ブウン!!
丸太を振るったような音を立て、空振りする怪物熊の腕。
そんなの初めからお見通しだと体を低くし回避した吉中は“鉄塊”を斜め上に振り上げ、虚しく空を切った巨腕を斬り捨てた。
良い判断だ。
強力な攻撃力を誇る腕を切り落とせば、自分の身に降りかかる危険が軽減するし、相手の攻撃方法も制限される。
何より、片腕を失うとバランスが取れなくなるのだ。大勢は決したようなものだった。
無意味に突貫し、ダメージを与えるだけの戦法ではなかった。
一方、真水はよくあんな得物で敵が斬れるな、と混乱のあまりそんな関係の無いことを思っていた。
――――クガガアアアァァァァア!!!!
凡そ、生物が放てる悲鳴ではなかった。
朝美はそのまま無慈悲に怪物熊を一刀両断した。
「なんだ、あれ・・・・」
思わず、真水は呻くように呟いた。
斬られて噴出されるはずの血など、その怪物にはまるで無かったようであり、断面は奇妙な瑠璃色に発光していた。
先ほど斬り捨てられた腕の断面もそうであり、まるで、この世の生物ではないような印象を受ける色だった。
「――――――誰ッ!?」
暗闇の中、その瞬間に初めて朝美が真水に気付き、振り向いた。
なんと言葉を発してよいか決めあぐねていると、真ッ二つにされた怪物熊の片腕が、ピクリと動いたのだ。
強烈な既視感のような物に襲われ、思わず叫んだ。
危ない、と。
危険を察知した吉中の行動は迅速だった。
「“―――――――――――”」
一瞬過ぎて何を言ったか分からなかったが、早口言葉で何かを呟き。
「うあ・・・・」
思わず驚いてしまうほどの現象が起こったのだ。
吉中の両手にある“鉄塊”が勢いよく燃え上がり、振り向きざまに火炎放射器の如く焼き払ったのだ。
超高熱の火炎剣だった。
見事な剣捌きだった。
賞賛のひとつでも送ってやりたい。
まさに、魔法であった。
だが、怪物熊を焼き捨てた吉中は、次の瞬間ビクリと震え、真水の方に向き直り。
「もう一体!!!」
そう、朝美が悲鳴に近い叫びを上げた瞬間、激烈な違和感が真水にも襲った。
狭い行路を三次元的に高速移動しながら移動するそれは、豹やチーターに似た姿をしていた。
だが、やはり理性を感じられない闘争本能に満ちた赤い両目が、異様だった。
「くッ!!」
苦々しげに朝美が前に出て迎撃しようとするが、――――――――それは愚策だ。
機動力が脅威の敵は、足を止めさせてから攻撃するに限る。
無意味な攻撃はおろか、強力な防御手段が無ければ、だたの的でしかない。
何かしら牽制してから攻撃に移るべきだったのだが、後の祭りだった。
「あぐぁ!!」
朝美の必死の斬撃は虚しく空を切り、突撃してきた猛獣の一撃をまともに受けて吹き飛ばされた。
声を上げる暇も無い、一瞬の出来事だった。
「吉中ッ!!」
叫び声を挙げた時、目の前には既存の形状を逸脱した巨大な口を広げた猛獣が迫っていた。
それは、軽く人を一人丸呑みにするくらいわけない大きさだった。
――――――喰われる。
真水は、足がすくんで崩れ落ちた。
分かりやすい死の具現に、これ以上無いほど簡単な感想を抱いた。
あまりにも非現実的過ぎて、今度は恐怖を感じる暇も無い。
だが、その瞬間は永遠に訪れなかった。
一瞬、辺りが昼のように明るくなったかと思う閃光が猛獣を貫き、目の前に迫っていたそれは散りのように消えた。
「あれ?兄貴じゃない。」
振り向くと、いつものように人を小馬鹿にしたような態度で真水を見下ろすウェルクが居て。
「こんな物騒な時期に、―――――こんなところで何してるの?」
それは、こっちが聞きたかった。
『この世には、認知されてないだけで恐るべき神秘や怪異が存在する。』
いつだか、ウェルクがハードカバーを読みながら呟いた言葉である。
『知っていたとしても、それを拒否することは可能だが、しかし、一度知ってしまった時点で拒否する事は死に等しい行為である。』
いま思い出しても、恐ろしい言葉だった。
『人は、どんな状況でも選択する事が出来る。例え其れが強要でも、事実上不可能でも、それを拒否する意思が存在する事は出来る。』
それは、これから起こることを予見しているような、そんな言葉だった。
『―――――死を恐れてはいけない。
知ることに目を瞑り、死ぬ為に生きる事こそ、真の恐怖である。』
今思い出しても、何とも身勝手な言葉だった。