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Ⅲ:孤独なる死

【第三回のお題とテーマ】


・禁則事項その一……「?」と「!」の使用禁止

・禁則事項その二……登場人物の名前の記載禁止

・テーマ……退屈




 TVでは、マラソン中継されていた。

 それを眺めていた老翁は、溜息を吐くと煩わしそうにTVを消した。そしてゆっくりと首を巡らせ室内を見渡すと、炬燵から身を乗り出し少し離れた場所にある新聞に手を伸ばす。

 広げて視線を落としたが、五秒も経たぬ内に新聞を放るとまた、今度は深い溜息を吐いた。座っている座椅子の半倒しにした背凭れに全身を委ねると、天井を眺めながら呟く。

「……退屈やなぁ……」

 彼は身寄りが誰もいない孤独な老人だった。この世に生まれ落ちて、もう八十九年の歳月を生きてきた。

 戦争を体験し、一兵として戦地を潜り抜け無事生還を果たした。

 生きて必ず戻ると約束して待たせた女と、その後結婚。一姫二太郎の二人の子供を儲けた。

 その後成人した子供達もそれぞれ家庭を持ち、今や孫までいる。彼にとっては曾孫になるが、もう三世代四世代となる子孫達も家庭を育み祖父祖母となった、彼の子供達の面倒を見るのに手一杯だ。

 十年前に死去した妻の葬式以来、半ばもう忘れ去られた様に誰一人、訪ねて来る事は愚か連絡さえない。

 戦後よりすっかり発展を遂げた昨今。

 この近代建築物がひしめき合い車は排気ガスを吐きながら渋滞し、人々は時間に追われる如くせかせか歩くこの都会では、八十九歳の老人にとって最早散歩は難儀でしかない。

 衰えた足腰で必死に周囲と合わせて歩いているつもりでも、彼よりも若い通行人から邪魔だの遅鈍だのと罵られる。昔と比べて便利になった時代の風は、他人に対してすっかり冷たくなってしまった。

 アパートの借家で六畳と四.五畳、台所に風呂とトイレの一室で一人暮らしをしている。ここに暮らし始めて二十年。初めは妻も一緒だった。若い頃に建てたマイホームは、とっくに息子へ譲っている。

 気付けば、いつの間にか視線は妻の仏壇へ向いていた。空虚心のまま暫く仏壇を眺めていたが、老人は重い腰を上げると五年前に買ったっきり一度も使う事無く白紙のままの、分厚い日記帳と万年筆を取り出した……。



 一年後。

 老人は病室のベッドの上にいた。

 この一週間前、自分の人生を書き綴った日記帳をこれと言った理由も、そして欠片の期待もないまま出版会社に郵送した。まるで、見えない何かに操られるかの様に自分の意思もないまま、そうしたのだ。

 その帰りに、何もない道で転んでしまい動けなくなっているところを、丁度パトロール中の警察が見つけ病院に運ばれた。

 見舞い客が一人も来ない病室のベッドで、老人はボンヤリと天井を眺めていた。まるで最後の使命を果たしたかの様に、倒れて以来認知障害になってしまった彼の口癖は一つ。

「退屈やなぁ……」

 時間はもうすぐ十七時になろうとしていた。廊下から聞こえてくる配給の準備。微かに鼻孔を擽る夕飯の匂いに、老人は一言本能的に漏らした。

「腹ァ――減ったなぁ……」

 三分後、配給係が彼に夕食を運んできたが、老人は眠るように息を引き取っていた。




 半年後。

 彼が出版社に送った日記帳の作品が、見事大賞を取りその年の話題作になった。だが著者である老人は、半年前にこの世を去っている。

 賞金と売り上げの行方はというと、彼が日記帳の最後に残した言葉にあった。

 『救済慈善活動全てに、我が財産を寄付する』

 本来彼は寄付する程の財産など、元々持っていなかった。しかしその“財産”は、老人にとっては金銭や土地を指し示す意味では、なかったかも知れない。

 もしかしたら日記に書き綴った、自分の人生の経験かも知れないしそれともこれと言った深い意味もない、ただの戯言なのかも知れない。もしくは、それをどう解釈するか相手に委ねたかも知れないが。

 結果的にその最後に残された言葉が遺書となり、老人の出版された本の売り上げ等は全て、寄付へと回った。

 その本のタイトルは――『退屈』


 便利屋、El contrato con un cáliz inmortalにて。夜明け前の店内、接客用のソファーで寛ぎながら一人の美女が、本を読んでいた。

 淡い桜色の肌に真珠色した長いウェーブの髪。活字に視線を落とす、髪と同じ色をした長い睫毛の下から覗く黄金色の瞳。

 彼女は読了すると本を閉じて、無造作に背後へ放り投げながら嘆息と共にぼやいた。

「ホント、退屈な話だったわ。こんな本が話題作だなんて、理解出来ない」

 そうしてうんと背伸びすると、ソファーの傍らで丸くなって蹲っている相手に言った。

「退屈そうね。あなた」

 それは鮮やかな赤毛に黒い斑紋、そして首周りから胸元にかけて濃い深紅のたてがみをした、オッドアイの豹だった。

「ああ。もう夜が明けるわ。次は、あなたの出番よ。――……」

 彼女が赤い豹の名を口にしかけた時、朝日が差し込み女はパールがかった翡翠色の横斑をした大鷹へと、姿を変えた。

 一方、傍らの赤い豹は入れ替わる様に黒髪をした人間の男に、変わっている。

「この忌々しい呪いから解放されさえすれば、退屈な夜を過ごす事もなくなる……」

 紫と青緑の色をしたオッドアイの男は、翡翠色の大鷹になった彼女に言うと、優しく腕の中に抱き締めた。



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