Ⅱ:見得ざる者
【第一回のお題とテーマ】
・禁則事項……登場人物の名前の記載禁止
・テーマ……手癖
「パパ。明日学校で分度器とコンパスがいるんだ……」
「あぁん!? そんな物、自分で都合しやがれ!」
騒々しいパチンコの店内で、言い難そうに口にした十歳の息子へ目もくれず、大当たり中の台に向いたまま父親はそう吐き捨てる。
少年はやっぱりかと嘆息吐いて肩を落とすと、父親に背を向けた。
忘れた事にしよう。盗むよりかはマシだ。先生には叱られるけど。
そう思いながら歩き出した時、背後から父親の大声が飛んだ。
「おいガキ! 今日の分も、しっかり頼むぜ!」
それに息子は愕然とする。少年はパチンコのシステムを知らない。今大当たりしているので、父親はある程度儲かるがそれでも息子には、一銭も金を出さない。それどころか、暴力を振るい息子に窃盗をさせるという、手癖の悪い父親だった。
「ママ……」
少年は一年前にいなくなった母親を想い、涙ながらにパチンコ店を後にした。
やがて、すっかり懐を温めて満足そうに父親がパチンコ店から出て来た時、背後から息子に大声で呼び止められた。彼は不気味な笑顔で振り返る。
「上手く調達した――か!?」
言い終わる頃、目前の光景を見て父親はギクリとする。そこには、側にあるスーパーの前で店員に捕まり泣き叫ぶ、息子の姿があった。
「助けてパパ!」
すると父親の反応を確認した店員が、険しい表情で少年を引き摺りやって来た。
「親御さんですね」
「うっ! は、はぁ。一体どうしたんで?」
父親は観念した様に、口元を引き攣らせた。
人気のない路地裏で、少年は父親に殴られていた。
「このクソガキ! てめぇが上手くやらねぇから、代金取られちまっただろう! どうしてくれんだ! ああいう時は、他人の振りをしやがれ! パパって呼び止めるんじゃねぇ!!」
「ごめんなさい! ごめんな――ギャフッ!!」
散々その体に大の男から全力の蹴りを受けて、少年はついに気を失ったが父親は尚も殴打すべく、拳を振り上げる。瞬間、その手は何者かに掴まれた。そして背後から、澄み切った男の静かな声が届く。
「何かお困りでしたら、この便利屋が何でもご解決して差し上げますよ」
父親は手を振り解きながら相手を見て、差し込む西日で輝くオッドアイの双眸に、ギョッとする。だが、男の美顔に清楚で穏和な様子から父親は弱体者と短絡視すると、途端に傲然となる。
「便利屋だとぉ!?」
「はい。いかなるご注文でも、全てお引き受け致します」
「へぇ。そいつはいいや。だったら今すぐに、この目障りなガキを俺の人生から消してみろ。見る度に不愉快でならねぇ」
そう父親は、足元で意識を失っている実子を、爪先で小突く。
「かしこまりました。そのご注文に、相違ありませんね?」
「おう! 早くしろ!」
オッドアイの男へと、父親は威圧的に我鳴る。
「有難う御座います。お客様との契約は交わされました。では、その対等なる代価を頂戴致します」
それに父親は、敏感に反応する。
「代価だと!? 金なんざ――」
「いいえ。お金でなくても結構です。その代償となるものであれば、何でも」
父親の剣幕に一切動じる事無く男は冷静沈着に言葉を遮り、悠然とそう切り出す。金は不要と知り、狡猾そうに嘲笑すると恫喝の声を上げた。
「金じゃねぇなら、別に何だっていいや。さっさとしろ!」
「かしこまりました。それでは――契約、成立」
同時に男は父親の両眼を真っ直ぐに見据えて、上向きに広げた両掌をグッと握った。
瞬間、父親は突如暗闇に包まれる。
「お、おい! どうなって――」
言い終わらない内に、父親は路上に倒れ込む。立ち上がろうとするが、支えが利かない。支えがない。それはつまり。
漸く父親は自分が、両腕と両足を肘と膝先から失っている事に気付いた。
「ヒィ! 何しやがった!」
「あなたのご注文通り、息子さんを視界から消したのです。目障りで見る度に不愉快と仰いましたので、両眼を取り除きました。そして人生から、人一人の少年を消すからには相応の代償として、普段から手癖の悪いその手足を代価に頂戴致しました。それでは、この度は当店El contrato con un cáliz inmortalをご利用頂き、真に有難う御座いました」
遠ざかる足音と共に、大きな羽音がその後に続く様子だけが、父親の聴覚から受け取れた。
少年が病院のベッドで目を覚ますと、そこにはいなくなったはずの母親が向ける、優しい笑顔があった。
「ママ……?」
「やっと取り戻す事ができた……」
彼女は、夫の暴力で半年入院していた。半年後、息子を迎えに行ってが父親は利便上会わせなかったのだ。
少年は路上に倒れているところを救急車で病院へ運び込まれた。母親は警察から連絡を受けて、急いで駆け付けたのだ。側にいた父親はすっかり錯乱していた為、理性を失っているとの判断で精神病へと移送された。
「これからは、ママと二人で一緒に暮らしましょう」
「ママ! ママァー!」
少年は喜びに涙を流し、感動の再会に母子はしっかりと抱き締め合った。