Ⅰ:沈黙の雨
【第一回のお題とテーマ】
・禁則事項…主人公の「」による台詞の禁止
・テーマ…人形
少女は歌が大好きだった。
歌こそが彼女、雨音にとって最大の生き甲斐でもあった。
家ではピアノと、外では小鳥の囀りと、そして幼児の頃、両親から貰った少年の陶器人形に、歌って聞かせた。雨音の夢は、歌手になる事。
和服姿をした少年の人形、息吹は雨音が大好きだった。彼に名前を与えてくれた、彼女の存在が。
だが運命は十二歳の雨音から、全ての音を奪った。突然耳が、聞こえなくなったのだ。
以来、雨音は会話は勿論、歌う事も出来なくなった。
何も聞こえない沈黙なる世界に、たった一人置き去りにされた激しい孤独感がいつしか雨音の心を奪ってゆき、明るかった性格も見るに耐えないほど暗くなっていった。
歌が大好きだった雨音に手話は、無意味に思えた。彼女にとって、音は歌でもあったのだ。
音のない世界で生かされる日々が辛くて、泣いてばかりいたがいつしか涙すら流れなくなった。
部屋に閉じこもる毎日。
だが学校には、行かなくてはならない。
聴覚言語障害特別支援学校に転校したが、それは余計に苦痛を酷くした。やがて雨音は同じく口が利けない人形の、息吹だけに依存するようになった。息吹は嬉しかったが、反面悲しくもあった。彼は雨音の笑顔も、とても大好きだったから。
彼女の笑顔を取り戻したい。彼女を笑わせたい。だが所詮は、人形。何も出来ない。何も、伝えられない。
雨音は人形の息吹を、抱き締める。
あなたが人間ならいいのに。例え人形でも息衝く存在であって欲しくて、息吹って名付けた。でもどうせ音も聴けず歌えないのなら、私が息吹と同じ人形になる方がずっといい。
彼女の思いが息吹に伝わる。
違う。僕が人間になりたいんだ。それなら例え雨音と同じ様に僕も口が利けなくても、君を動作で笑わせてやれるから。
ふと雨音は彼のガラスの瞳を見詰めて、虚無感を紛らわす様にそっと人形の息吹に、唇を重ねた。
ある日、いつも通り雨音は登校する為に人形の息吹を片手に抱き、通学路を歩いていた。
夜中から降り出した雨は、今朝も降り続いている。もう片方の手で傘を差し、重い足を前進させる。
学校なんか行きたくない。そう思いながら深く俯きノロノロ歩いていると、曲がり角で同年代の少女二人が走って来て勢い良く、雨音にぶつかった。
雨音はその衝撃で、濡れた道路に倒れる。拍子に、手に持っていた傘と人形が、雨音の手から離れた。
「あ、ゴメ~ン。何か今、音がしたよね」
「ヤダこの子、人形抱いてたんだ。気持ち悪ぅ。早く行こ。学校遅刻しちゃうっ」
そのまま走って行った二人の少女の会話は、勿論雨音には聞こえない。彼女は傘を拾うよりも、手から消えた息吹を探す。だが、そこにあったのはビスクドールである息吹の顔が、半分割れている無残な姿。
雨音は彼の側に座り込むと、雨に濡れながらその破片を丁寧に拾ってゆく。指に鋭い熱を感じて、見ると破片で切った傷口から血が流れていた。その血の雫は、割れてしまった息吹の顔に零れる。
悲しくて、切なくて、虚しくて、雨音は泣きたかった。しかし、涙が出ない。
音のない世界。前髪の毛先から、頬に流れる雨水がその代わりになる。
ふと気付けば、雨音の傍に誰かの足があった。見上げると目前に、ビニール傘を差した黒髪ショートにオッドアイの若い男が、彼女を傘の下に笑顔で立っていた。
男は古風な西洋創りの店に、雨音を招いた。
看板には、【便利屋】『El contrato con un cáliz inmortal』とある。
「この人形を、修理しましょう。勿論、タダではありませんが」
壊れた息吹を手にそう言った、男の声が雨音の耳に届いた。思わず我を疑う。
「知っています。あなたの耳が聞こえない事は。今だけ、私の声が聞こえるように操作しました」
無論、それ以外何も聞こえないので雨音は相変わらず、話せないままだ。
この男の声だけが聞こえる現実が、不思議で仕方なかったが恐怖は感じない。オッドアイの奇妙な男が何者であるのかよりも、雨音は別の事を心配した。それはお金がない事。
登下校のジュース代にと親に渡された、百五十円を取り出すとテーブルに置く。足りない事は分かっている。心ばかりの、雨音の気持ちだった。
男は壊れた人形、息吹を奥の部屋に持って行き戻って来ると、テーブルの小銭に気付いて微笑む。
「クス。これではとても足りませんね。ですが、不足分はお金でなくても結構ですよ。その代償に別のものを頂きます」
言うや男は、雨音の前に手を翳す。すると何やら、霧みたいな物が雨音の体から引き出され忽ち男の掌の中に、吸収された。相変わらず怯える事無く、不思議そうにしている雨音。
「確かにあなたの代償、頂戴致しました。ですが、少々修理代にしては代償が余り有るので、サービス致しましょう」
そして男は奥にある部屋を、両手で丁寧に指し示す。見ると、そこにはすっかり修復されたビスクドールの息吹が、微笑みを浮かべ立っていた。
いや。寧ろ人形ではなく、生身の人間の姿になっているではないか。
これにはさすがに雨音は驚愕する。息吹はそんな彼女の元へとゆっくり歩み寄ると、手話で語りかけた。
これでやっと、動作で笑わせてやれる。君の笑顔が、何よりも雨音の事が、大好きだから。僕も耳が聞こえず、口も利けないけどね。
そんな息吹の気持ちが嬉しくて、雨音は人間になった彼を抱き締めた。
「今回、あなたの心にあった悲愴感と虚無感、それと歌手になる夢を頂きました。ついでに、偶然彼に零れた分の血液も」
思い出し、雨音は指を見ると確かに傷が残っていた。息吹はその手を取り、傷口に優しくキスをする。
後で僕が、手当てするよ。だから笑って雨音。
いつしか溢れ出し、頬に流れる彼女の涙を優しい笑顔を見せながら、息吹はそっと拭った。
相変わらず、音のない世界。もう二度と歌えないけれど、雨音の中の孤独感は嘘の様に消えていた。今はその世界に、人間になった息吹が一緒にいる。
漸く笑顔を取り戻した雨音は、この不可思議な男に深くお辞儀をすると、店を後にした。
息吹に手を、握られながら。
繋いだ彼のその手はとても温かく、そして心地良かった。
二千文字オーバーした、未熟な私を許して下さいm(*T▽T*)m
これを教訓に、今後更なる成長と修行を兼ねて頑張ります!!