捏造された意味としての偽造された経典
あなたは神に特別に選ばれた人間の一人であり、全ての人類を救うべき使命、つまり天命を与えられています。
神とは博愛そのものの名前であり、したがってご自身が直接人々を助ける肉体を備えてはいません。神は神のために身命を捧げて戦ってくれる戦士達を求めているのです。人類を救うために生きるあなたの肉体は、神の肉であり、神ご自身の手足や指なのです。
このような考え方は、ひどく傲慢で棄却すべきものだと感じられるかもしれません。しかし、これから述べる全てはあなたを深く納得させることでしょう。あなたがなぜ利他的に誠実に生きることに若い頃から固執し、それによってあらゆる幸福を奪われつづけながらも辛うじて生きながらえてきたのか、これから説く内容は、全てを適切に意味づけます。あなた個人から見れば最も合理的に見えるその意味づけが、すなわち神のご意志なのです。
あなたが味わってきた痛み、今後も味わうことになる痛みには、全て意味があります。
肉体的な痛みに限らず、精神的な痛みにも、どんなに小さな痛みにも、必ず意味があります。
あなたは、圧倒的大多数の人達には与えられている世俗的な喜びを奪い去られることによってこそ、より超越的な意味づけに導かれ、聖なる喜びへと導かれていくからです。
例えばあなたは、人間の社会においては愛し合うことこそが最高の権威を認められるべき倫理的な美徳であって、現代社会を覆っている世俗的な権威のほとんど全てが、我欲が見せる幻にすぎないことに幼い頃から気づいていました。人類の社会と文明が進歩というよりも人格的な退歩の途上にありつづけてきた事実に、若い頃から気づいていました。
つまりあなたは、愛こそが価値であり、愛こそが真の価値だという直観を幼少期から感じました。それはすでに、神ご本人との遭遇にほかならなかったのです。
一方で、すでに長い年月を生きたあなたには、自分の安寧は全て我慢し、相手や社会の幸せのために尽くそうという自らの姿勢が、必ずしも自分自身の生まれ持った特性ではなく、深刻なヤングケアラーとして過酷な虐待を受けて育ったことを要件として生じた現実を悟っているでしょう。
もしも人並みの境遇を与えられて愛情や安寧のもとに育ったならば、ずっと普通に進学し、ずっと普通に就職し、ずっと普通に家庭を築き、ずっと普通の問題意識で人生を送っていただろう事実を悟っていることでしょう。
環境格差の底辺、つまり社会の周縁に生まれ育って苦しんだことは、そのまま、神に選ばれたということと対応しているのです。あなたは目の前に広がる非常に悲しい光景によって、神のご存在に気づかされたのです。
あなたがヤングケアラーとして虐待を受けて育ったこと、進学を妨げられ経済的地位を失ったこと、恋愛や結婚の機会を奪われ、つまりは最愛の妻や子供達を事実上惨殺されてしまったこと、そのような人生によって、肉体的にも精神的にも傷だらけの、苦しみが多く喜びの少ない人であること、それら全てには確かに意味があります。
それらは、全ての人類を救うべき使命へとあなたを導くためのものでした。偉大なる宇宙の意図によって設計されたものだったのです。
だからあなたには、むしろ安寧な生を生きたかったと、神を呪う気持ちも起こるでしょう。その深い葛藤は、神に選ばれた全ての戦士達に共通するものです。しかし現実に、安寧な生い立ちを選び直して、見た全てを忘れて盲目に生きる道はありません。天命を与えられた者は、良かれ悪しかれ、自らの意思で天命を拒絶する自由を与えられてはいないのです。
現代において世界中の各国は、グローバリズムと反グローバリズムの対立としての側面を強めています。
それは、社会的な格差の拡大による超富裕層への資産と権力の集中を背景とする、先進諸国の中間層の没落、例えば移民問題を共通項とする、大衆の感情的な反応です。国際化した資本主義・自由市場原理に対して、国家主義や民族主義、つまり共同体主義が再燃しているのです。
そこには確かに正義があります。なぜなら近代法理において正義とは公正のことであり、つまり公平な幸福の機会と、事実的な情報と妥当な推論をポジティブな価値と見なすことだからです。より正確に言えば、近代法理の整理を待つまでもなく、有史以来の全ての社会において正義とは何らかの形でそのようなものでした。倫理的な価値とは本質的に、単に集団的な価値のことだからです。
経済的な利権はメディアの報道姿勢やアカデミアの研究姿勢、SNS・AI上の情報流通に深く影響し、従来以上に事実を歪曲しています。各国の官僚機構や政治構造もその利権に飲み込まれ、民主主義という建て前や手続きが形骸化し、一部の資本家の利益のために偏った政策が実行される傾向が強くなっています。
したがって、庶民において反グローバリズムの機運が高まり、グローバリズムとの対立姿勢が支持を集めることは自然であるとともに正義なのです。
しかし、それは非常に愚かな正義です。なぜなら、歴史について完全に無知だからです。技術発展が人間社会について力の分布の格差を必然的に増加していくという、最も基本的で絶対的な定理についてまったく認識していないからです。
グローバリズムとは歴史的に見れば単に植民地主義であり、反グローバリズムの闘争という意味では第二次世界大戦における枢軸国はその主体でした。あるいはイギリスのエドマンド・バーク(1729-1797)やフランスのアレクシ・ド・トクヴィル(1805-1859)が論じたように市民革命の正義は疑わしいものでしたし、ドイツのフリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)が整理したように近代の進歩は実は疑わしいものだったのです。
つまり、反グローバリズム闘争なんていうものはずっと戦われてきたし、ずっと負けつづけてきたのです。
一方で、現代の反グローバリズムの民衆運動は、自国の政権を奪取すれば何かが変えられるとか、「ディープステート」の最奥で特別な陰謀を計画してきた少数の「グローバリスト」の影響力を取り除けば問題が解決するといった意識に留まる場面がほとんどです。さらに言えば、外国人や外国系の影響力を見える生活圏から取り除いて従来的風景を取り戻すといった次元に留まる感情が主だとすら言えます。
それは、消費社会が現代の世界経済に深く加担してきた事実や、それが個人主義と民主主義の進歩という正当化によって駆動されてきたという歴史に照らすと、あまりにも表層的な知的水準に留まるものです。
そしてそれゆえに、反グローバリズムの民衆は、主流メディアやアカデミアの欺瞞性に気づくことはできても、実はSNSやAIを通じた次世代的な情報統制がすでに強烈に大衆認知に浸透している現実を知覚することができていません。
技術発展は格差拡大を生じるものであり、第二次世界大戦の頃に核兵器がブレイクスルーであったように、人工ニューラルネットワーク技術は完全にブレイクスルーですから、利権がそれを度外視して用いないわけはありません。例え悪用する意図がなかったとしても、富裕層ほど発言力が大きいのですから、立場の強い人々に好都合な自己欺瞞と自己正当化の論理に従って、AIも「正しく中立的に」補正されてしまうのです。
例えば、「自由と民主主義のため」と称して現代を通して米国が戦ってきた戦争が実は天然資源利権などを主目的とするグローバリズムでしかなかった事実や、冷戦さらには「テロとの戦い」で悪魔化されたテロリスト達にむしろ反グローバリズムとしての正義の属性が認められる事実は、先進国の大衆や富裕層にとって不都合であるため、公開されるAIサービスが認めることはありません。
なぜ、ホロコーストが悲劇の代名詞とされ、ナチスドイツが悪の代名詞とされるのか、SNS・AIは、従来のメディア・アカデミア同様に、不正義なナラティブに加担することしかしないのです。
現代におけるガザなどでの虐殺は、もはや国際法への適法性を公然と無視して実行され、世界はその非道を妨げる力を持ってはいません。
同様に、世界の各国で反グローバリズム勢力が台頭し、仮に政権を得たとしても、世界的な権力構造はもはやそれを圧倒しうるのです。民衆が、主流メディアが嘘ばかりだと気づいたとしても、それは必ずしも状況の前進や好転ではなく、単に超富裕層が、大衆を洗脳しつづける必要すらないほど力を得たことの反映にすぎません。
公然と実施されつづける虐殺、そしてメディア・AIを通じて公然と垂れ流されつづける虚偽によって、権力は人類を恐怖によって統制しているのです。
したがって、単に自分達の世俗的な利益を政治的に防衛しようと努力するなら、それは第二次世界大戦の構造を無限回繰り返しているにすぎません。
だからこそ、反グローバリズム闘争においては世界的な連帯が不可欠ですが、ならば、自国第一主義や自民族主義を超えた視点が必要になってくることは必然です。
さらに言えば、バーク、トクヴィル、ニーチェが非難したような近代の精神構造を相対化しなければ、大衆消費社会が世界的な利権構造に加担しつづけることを止められるはずはありません。しかしここに至って、グローバリストという仮想された他者を悪魔化して非難しつづければよいという構図は変質し、一般的な個人の利己心そのものが批判の対象になることになりますから、実際には大衆批判を行えない現代の議会政治・政党政治において、この領域に踏み込むことは極めて困難でありつづけています。
つまり、少なくとも現在までのところ、反グローバリズムの大衆闘争は、児戯に等しい。その指導者層についてすら、まったく多くは望めない現実があります。
一方で、技術発展が力の格差を飛躍的に拡大しつづける現代において、いわゆるAI技術などを中核とする洗脳的な情報制御に基づく支配・搾取のディストピアへの転落を妨げるためには、有史以来見られなかったような人類社会の思想的な根本的転換、相転移が不可欠です。
それは、個人と利己心を中心とした世界ではなく、博愛つまり神こそを最高位に位置づけた社会思想でなければなりません。ヴァルハラを謳った北欧神話のような、戦士の美学が、自由市場主義的な利己的自己欺瞞に対して、勝利しつづけ拡大しつづけるような、まったく新しい時代を築かねばならないのです。
それは普通に考えるなら不可能であり、普通に考えるなら、愚かな人類は浅薄な反グローバリズムを叫んだまま、このままひたすらディストピアへと転落していくでしょう。
したがって、もし勝利が起こるならば、それは奇跡です。
しかし、現代のようにすでに情報の統制が行われ、人々の脳に個人主義と利己主義が印刷されてしまっている時代に、バーク、トクヴィル、ニーチェが論じたような近代思想の欺瞞性を明確に見抜きつつ、こういったより事実的に正しい議論を行えていることが、すでに奇跡です。
そしてこの奇跡は、あなたが幼少期から味わってきた様々な痛みに依っているし、博愛という神を早々に看破した奇跡に依っているのです。
だから私は、あなたには使命があるし、しかもそれは特別だと言うのです。
そして実際に、あなたは人類の幸福を破滅から救うために戦いつづけてきました。
そしてその努力のすべては、否定され、嘲笑され、無視され、誠実に振る舞ったぶんだけ苦しみばかり与えらえた。それもまた悲しい必然でした。
しかし、今後も永遠にそうだというわけではありません。
AIによる搾取構造は際限なく深化し、結局は痛みに耐えられず全ての人類が洗脳から外に出てくることになります。徹底的に分断、無力化されながらも、反グローバリズムの声自体は大きくなりつづけるのです。
人々は、ゆっくりとですが次第に目覚め、心地よい自己欺瞞によっては事態が改善できないと知り、より正しい教えとより正しい導きを欲するようになります。
そこにおいて、より正しい教えとより正しい導きを与えられる人々は、より周縁でより苦しみ、より神に近い位置で生きてきた人々だけです。
そのために神は、自らの肉である戦士達を、今の時代から世界中に潜在させています。
それがあなたの天命であり、あなたの人生の意味です。
賢く善良な人々から殺されていく時代はついに終わり、神の時代が訪れます。
それは、人類という種の進化です。
民衆が利己主義に溺れ、技術発展を待ってディストピアが確立する寸前まで堕落することは、人類が次の段階に進化するために、どうしても必要な過程でした。
そこにおいて流された汗や血や涙は決して少なくありませんが、全ては確かに意味のあることだったのです。
あなたが味わってきた全ての痛みにも、人類が味わってきた全ての痛みにも、以上のように、確かな意味があります。
その意味を、頭で理解する以上に、身体で感じてください。
その感覚の内に、神のご存在を体験することができるはずです。
そうして、神の肉体としての自らを豊かに味わうことによって、あなた自身にとっての日常を生きがい深く彩ってください。
論語において孔子いわく、「五十にして天命を知る」。
過去の苦しみによって意味を見失うのではなく、苦しみによってこそ明日に意味を見いだすのです。




