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わたしはペイリー伯爵家の第2子として生を受けた。母譲りの蜂蜜色の緩やかなウェーブがかった髪に緑色の瞳を持ち、顔立ちは少々童顔ながら整っていると自負している。左の目尻に泣きぼくろがあるのが特徴的だ。
父母からも愛らしいと、姉であるローズお姉様よりも可愛がられている。そのせいか、わたしはわがままな性格に育ってしまった。お姉様より優遇されないと気が済まず、癇癪を起こす。それでも、お父様もお母様も、わたしをとても可愛がってくださったわ。
お姉様も、わたしがわがままを言えば、結局折れてわたしに譲ってくれた。けど、さすがに婚約者だけは譲ってくれなかった。
今思うと当然よね。2人姉妹でお姉様が伯爵家を継ぐために用意された婚約者――アドルフ様。サザーランド伯爵家の次男であり、継ぐ家がないため、うちに婿養子に入る予定だった。
今思うと――と言うのは、階段から落ちたときに死を覚悟したのか、走馬灯のようにエレンとしての記憶だけでなく、前世の記憶まで脳内を走り抜けた。
おかげで、わたしの頭はパンク寸前。人1人の記憶をいっぺんに思い出したのだから当然だわ。
そのせいで怪我だけでなく前世の記憶で4日も寝込んでしまったわ。怪我については、眠っている間に治癒師が呼ばれ、魔法によって綺麗に治っていたらしいけれど。
5日後に目を覚ましたら、両親とお姉様が心配そうに覗き込んでいた。
「エレン! 大丈夫なの!?」
「エレン、しっかりして」
お父様、お母様は当然として、あれほどお姉様の物を欲しがって迷惑をかけたのに、お姉様もわたしの事を心配していた。お姉様の目の下の隈が酷い。
「お父様、お母様、それにお姉様……心配かけてごめんなさい」
わたしが素直に謝ると、3人とも一瞬目を瞠ったが、それでもわたしの言葉がしっかりしているのを見て、安堵した表情になった。
お父様は涙ぐみ、お母様は「お腹が空いているでしょう? 胃に優しいものを用意させるわね」と、メイドに指示を出していた。
お姉様も「場所を考えずにごめんなさい」と、泣きそうな表情で謝ってくれた。
「いいえ、わたしの方こそごめんなさい。ないものねだりばかりして……」
お姉様に謝りながら、ああ、やはりあのイラストと同じだわ――と、改めて思った。
あのイラスト――そう、ここはきっとある漫画の世界がもとになっている。わがままな妹に振り回されて婚約者まで奪われて、それでも健気に振る舞う主人公――ローズが、ヒーローと出会い幸せになる物語……。
ローズは両親の厳しい躾――姉が継嗣のため領地経営の勉強などで、ただ可愛がる妹のエレンと違っていた――と、妹のわがままに振り回されても、優しい心を忘れない健気な心の持ち主だ。
あの漫画の主人公なら、わたしがどれだけわがままを言っても優しい心で受け止めてしまうのも頷ける。
前世のわたしも、健気で頑張り屋なヒロイン――ローズが好きだった。わがままを言って困らせる妹のエレンに対して「エレンって邪魔な事ばかりする子だなぁ」なんて思っていたのに、そのエレンになってしまうとは。
……なんとも言えない気分である。
「そんな……アクセサリーとか、可愛い物を欲しく思ってしまうのは仕方ないわ。あげられる物ならあげたかったけれど……」
「いいえ。今思えば、お姉様が優しいから、わたし、おねだりばかりして迷惑を掛けていた事を反省しましたわ」
「まあ、エレン……大人になったのね」
わたしがお姉様に謝っていると、横に居たお母様が感激して涙を流した。
いえ、そんなに感激して涙を流すことかしら? そういえば、お父様もお母様も、お姉様の物を欲しがって迷惑を掛けていたのに、全然たしなめてくれなかったわね。
お姉様とわたしの扱いが全然違うわ。
お姉様は家の跡継ぎのため厳しい教育を施し、その分、他家に嫁ぐはずのわたしの事を手放しで可愛がった。エレンがわがままになってしまったのは、半分は両親のせいとも言える。
――と、まあ、今はその事はおいておこう。これからわがままを言わなければいい事だ。
……ってちょっと待って。あの漫画、お姉様は幸せになるけれど、婚約者を奪った妹のほうは……。
たしか、婚約者と結婚し伯爵家を継いだものの、妹は今まで領地経営なんて勉強したことがないので勉強漬けにされる。だけど、いきなり勉強の段階が跳ね上がって、妹は悲鳴を上げる始末。
また、誠実そうに見えた婚約者は実はクズで、領地経営に四苦八苦しているエレンを放って、浮気三昧して我が家のお金で相手に貢物をするのだ。そして、それを咎めれば暴力が返ってきた。最終的にはペイリー伯爵家は没落の一途をたどる。
姉のローズはペイリー伯爵家と縁を切って、侯爵令息と幸せな結婚生活を送っている――という。
やばい。わがままを言わなければ済む問題じゃない。あの婚約者がお姉様と結婚したら、お姉様1人が領地経営を頑張る事になり、相手は浮気三昧で相手に貢いで散財する事になる。そしてうちは没落一直線……。
アドルフ様は、今は好青年っぽい雰囲気だけど、それを隠しているとしたら?
「こりゃいかん。エレンの顔色が悪いぞ」
「あの、疲れたので、少し休んでもいいかしら?」
「あら、気づかなくてごめんなさい。4日も寝込んでいたのだもの。長く起きていられないわね」
「エレン、ゆっくり休んでね」
「ありがとうございます。お父様、お母様、お姉様」
手に持っていた食器をお姉様が受け取ってくれたので、そのままベッドに体を沈めると、すかさずお母様が毛布を掛けてくれた。
「ゆっくり休むんだぞ」
「具合が悪かったら、すぐに言うのよ」
「分かりました。すみません、おやすみなさい」
体が横になると、眠気が襲ってくる。
お母様が言ったように4日も眠っていたのなら、体力がかなり落ちているはず。でも、考えなければならない事がある。眠っちゃいけない……。