記憶の玉子焼き
「これ、ほんとにおかきなの?」
最初に写真を見たとき、京花は思わず声に出していた。
リスナーからのDMには、こう添えられていた。
> 「めちゃくちゃ地味なんですけど、一度食べたら忘れられない玉子焼のおかきって知ってますか?日本橋の佃權って店ので、見た目も味もクセになるんです。
あまりまだ知られてないので、紹介してもらえたら嬉しいです!」
玉子焼のおかき。
その名前だけで、すでに頭の中が少し混乱する。
甘いのか? しょっぱいのか? それともどっちでもないのか?
そして何より、見た目が玉子焼ってどういうこと?
気になって調べてみると、出てきたのは「佃權」という創業明治の老舗。
場所は日本橋の一角、ビル街の裏手にある静かな路面店。
取り扱いの大半は料亭やホテル向けの業務用販売で、一般販売はごく限られている。
「これは、行くしかないな」
その週末、京花は日本橋へ向かった。
日曜の朝、日本橋のオフィス街はどこか人の気配が薄く、
歩く足音と電車の低い振動音だけが都市の深層を奏でている。
カメラ担当の水島が、すでに通りの反対側でアングルを確認している。
千紘は店の外観をスマホで押さえつつ、「のれんの金文字、光が反射するから気をつけて」と声をかけてきた。
颯はポケットからミニ三脚を取り出し、「人通りが少ない今のうちに前景を撮りましょう」と軽く笑った。
チームの呼吸が合うと、取材前の緊張が少しやわらぐ。
佃權本店の前に着くと、小さな木看板と、黒地に金文字の佃權ののれんが目に入る。
引き戸を開けると、静かな店内に乾いた米の香りと、
だしのようなやわらかい甘さがふわりと漂ってきた。
「いらっしゃいませ。お取り置きでしょうか?」
奥から出てきた女性に「玉子焼のおかきを」と伝えると、
「ございますよ、少々お待ちくださいませ」とすぐに取り出してくれた。
白い箱の中から出てきたのは、見た目はまさに玉子焼だった。
少し焼き色がついた黄色い長方形。
四角く整った形に、うっすらと焦げ目まで再現されている。
だが、それを持ち上げてみると軽い。
そして口に入れた瞬間、想像を裏切る食感があった。
サクッ。
「あ、ほんとにおかきだ。」
食感は軽快で、噛むほどにだしの旨みがじわじわと染み出す。
表面には薄く蜜が塗られていて、甘じょっぱいコーティングがじんわり広がる。
「おいしい。」
その味は、玉子焼の甘さでもなければ、おかきの塩味だけでもない。
まるで東京の味の記憶が、ひとつにまとまっているようだった。
「これ!なんでもっと知られてないんですか?」
尋ねると、店員はやわらかく笑った。
「うちは昔から料亭へのお納めが中心でして。一般向けには店頭だけで少しずつ。予約してくださる方が多いですね。」
「玉子焼って、江戸のもてなしの象徴なんですよ。甘さと塩味のバランスが命で、口に入れた瞬間にほっとするが理想。
それをおかきで表現できないかって、三代目が考案したものなんです。」
ほっとする。
それは、まさにいま京花が感じていたものだった。
東京という都市の味が、騒がしさではなく、安堵のバランスとして形になったのが、このおかき。外に出ると、日本橋の空気は少し湿り気を含んでいた。でも、手の中の小箱は軽く、どこか頼もしい存在感があった。
京花はスマホの録音を起動する。
「今日、日本橋で出会ったのは、玉子焼のおかきでした。お菓子なのに、だしが効いていて、甘さとしょっぱさが絶妙に折り重なっていて。まるで、東京らしさってこういうことなんじゃないかって感じました。」
「人に言いたくなる。でも、ちょっとだけ秘密にしておきたい。そんな味。だからこそきっと、お土産になるのだと思います。」
数日後、京花は再び佃權本店を訪れた。
今度は、もっと味の背景を聞くために。
応対してくれたのは、四代目となる現職人・佃義直。
まだ四十代半ばだが、話しぶりには落ち着きと静かな自信がにじんでいた。
「玉子焼のおかきって、見た目のインパクトもあるけど、実は味の再現の方がはるかに難しいんです。」
義直はそう切り出した。
「甘じょっぱさって、人によって感じ方が全然違うんですよ。甘すぎれば駄菓子になるし、塩気が立てば、ただのせんべいになる。でも、玉子焼のあのだしの丸みと甘みの余韻って、どっちでもなくて、合わさった時だけ出るニュアンスなんです。」
試作には三年かかったという。
「まず、玉子焼を味の設計図にしたんです。高級料亭で出す関東風の玉子焼。だしをきかせて、砂糖は控えめだけど、舌には残る。それを再現するには、まずだしの粉末化から始めました。」
焼き上げる前にもち米を蒸し、冷ましたあとに独自調合のだしパウダーと卵黄パウダーをふりかけて乾燥。その後、油でカラッと揚げてから、極薄の甘だれをひと塗り。塗りすぎるとベタつくし、薄すぎると甘さが伝わらない。ここが一番難しかったですね。」
「でも、食べた人が玉子焼だって笑ってくれたときに、ああ、東京の味を遊び心で渡せた気がしました。」
東京では、玉子焼は日常のごちそうとされてきた。
寿司屋では、最後のお楽しみとして出され、家庭では子どもの誕生日やお弁当の特別な一切れとして愛される。
「だから、玉子焼には祝う気持ちが入ってるんです。でも、それを声に出さないのが東京流。」
京花は録音を止めたあと、静かに言った。
「つまり、おめでとうとかありがとうを、そのまま言わずに、味に込めるってことですね。」
義直は少し照れたように笑った。
「そうですね。音を立てずに渡す。それが東京の贈り方かもしれませんね。」
かりんとうと同じく、玉子焼のおかきにも通じていたのは、
主張しないけれど、気づけば残っているという味の存在感。
京花はその日の帰り道、小さな紙袋をそっと抱えながら、
また一歩、東京という都市の贈り方に触れた気がしていた。
「さて、ここからは玉子焼のおかきについて、リスナーの皆さんからいただいたメッセージをご紹介していきます。」
収録スタジオ。マイクの前で、京花は笑顔をつくりながら進行を続けた。
千紘が横でタブレットを操作しながら言う。
「けっこう来てるよ。何これ初めて知った!っていうのも多いけど、玉子焼って単語だけで記憶が動いてる人も多いね。」
「じゃあ、これ、いこうかな。」
京花が読み上げたのは、ラジオネーム「のんのん母さん」からのメッセージ。
> 「東京生まれ東京育ちの我が家の定番は、だし多め甘さ控えめの玉子焼。高校生の娘も昔は甘い方を好んでいたのに、今ではこの味じゃないと嫌と言います。おかきになっていると知って驚きました。」
「いいですね。だし多め甘さ控えめってまさに東京風。」
「娘さんの味覚の変化もなんかエモい。」
颯がとつぶやく。
続けて、「モノクロ書店」さんからの投稿。
「大学時代、神楽坂の古い下宿で暮らしていた頃、隣の大家さんがよくだし巻き作ったよと持ってきてくれました。だしの塩気と、差し出してくれる心の温かさ。その二つが混ざった味は、卒業してから一度も口にしていません。けれど京花さんのラジオで玉子焼のおかきの話を聴いた瞬間、あの夜の廊下の匂いと、大家さんの笑顔まで、全部が鮮やかに戻ってきました。」
「いい話。でも、わかります。あったかいしょっぱさって、東京の冬の味な気がしますよね。あと、だし巻きくれる大家さんって絶滅危惧じゃないですか?」
京花が少し笑いながら言う。
「なんか、この味が東京って言葉、人によってまったく違うのに、伝わる感じが共通してるの、不思議ですよね。」
最後に読んだのは、「さとうはると(8歳)」くんからのメール。
お母さんと一緒に聴いてくれているという。
> 「ぼくは、たまごやきはすっぱいのがすきです。
でもこのまえ、おかきになったたまごやきをたべて、
すっぱいじゃないのに、すきになりました。
つぎのとしょかんのおべんとうにいれてください。ってママにいったら、
それはむりっていわれました」
スタジオ内、大爆笑。
「いや、入れてあげて! おかき、入れてあげて!すっぱいのが好きってとこからおかしすぎるんだけど。未来の料理評論家くんかも(笑)」
(♪軽快なギターのイントロが流れている最中、フェードアウトせずにBGMの上から会話が始まる)
京花「たった一切れの玉子焼が、誰かの朝になって、思い出になって。こうして別のかたちで届く。今この瞬間、知らない人同士がその味を共有してるって、すごいことだよね。」
颯「うん。だって玉子焼きって、だいたい誰かと一緒に食べてる記憶があるじゃん。お弁当とか、朝ごはんとか。」
千紘「お寿司屋のしめ、とかね。」
(スタジオに男爵音が響く)
颯「あ、これホントに玉子焼の味する。甘いけど、しょっぱさの記憶が後からついてくる感じ?」
千紘「うん、納豆巻きの横にいる玉子焼みたい(笑)」
京花(マイクに向かって)「玉子焼って、ただの卵料理なのに、人との時間が一緒に思い出されるんです。東京のお土産って、派手じゃなくても思い出ごと渡すものが多い。だから静かに心に残るのかもしれません。」
(♪BGMが少し上がるが、まだ会話が続く)
千紘「そう考えると、東京の味って味そのものよりも渡し方にある気がするね。静かに受け取ったっていうシーンが残るから。」
颯「うん。東京の距離感ってやつか。がっつり主張するんじゃなくて、あとからあれ、東京だったなって思い出させる贈り方。」
(BGMがサビに入り、3人が少し黙る)
千紘(画面を見て)「あ、これ見て。『玉子焼おかきは土産としては無理がある』って記事、出てる!」
颯「え? 誰が?」
千紘「南波修司。またあの人。」
京花(ため息をつきつつ、リスナーに向けて)
「はい、出ました。辛口ライター南波さん。じゃあ、このあとの曲明けで、その記事と一緒に東京土産の価値について考えていきましょう。」
(♪曲がフェードイン、スタジオに次の空気が流れる)
「もう、東京土産はこうあるべきって、誰が決めたんだろうね
京花はマイクから少し身体を離し、スタッフに小声で話しかけた。」
「ね。形に残らないとダメ? 大手で売ってないと価値がないって何?」
フェーダーを軽くいじる音がカチャリと響く。
颯がイヤモニを外し、低く答える。
「だいたい誰に渡すかよりどれだけ利益になるかしか見てないっすよ。文化までビジネス目線で切りすぎだと思う。」
千紘がタブレットを見ながら首を振った。
「東京のお土産って本来、生活の延長なのよ。派手さじゃなくて、日常に溶け込む静けさ。人形焼も佃煮もそう」
水島も小声で加わる。
「そうそう。売上より思い出されたときに残るのが東京土産の特徴だって、調査でも出てたし。」
京花はモニターの波形を見つめ、一度息を止めた。
BGMが静かにフェードアウトする。
ここからはオンエア。
京花の声が、マイクを通して柔らかく広がった。
「東京のお土産って、派手じゃないんです。大きな声でおいしい!と叫ぶ代わりに、静かに置かれる。『ありがとう』を直接言わない代わりに、味で伝える。たとえば人形焼や最中、あるいは佃煮のように。その場では地味でも、あとから東京だったなと記憶に残る。そうい主張しないやさしさが、この街の贈り物にはあると私は思います。」
短い沈黙のあと、スタッフが視線で頷き合う。
スタジオの空気がふっとやわらぎ、次のBGMが静かに流れ始めた。
―――
「本日は、少し緊張感のあるゲストをお迎えしています。」
京花がマイク前で微笑みながら紹介する。
「週刊文化グラフの記者であり、かつて私の編集担当でもあった南波修司さんです。」
「どうも、ご無沙汰しています。」
黒のジャケットに身を包んだ南波がゆっくりとスタジオに入り、椅子に腰を下ろす。空気がわずかに引き締まったが、彼の柔らかな声がその場をほぐしていく。
「今日はお招きいただきありがとうございます。東京の名物について、少し話してみたいと思いまして。」
「こちらこそ、光栄です。視点の異なる声を伺うことは、私たちにとっても大切なことですから。」
京花が穏やかに応じると、南波はさっそく話を切り出した。
「正直に言えば、玉子焼のおかきやかりんとうといったものを東京の名物と呼ぶことには、やや違和感を覚えるんです。」
京花は軽く頷いた。
「というと、どういった点ででしょう?」
「名物という言葉には、ある程度の社会的裏付けが必要だと考えています。たとえば流通量、認知度、観光地との結びつき。そうした客観的な基準が整って初めて、その土地ならではと胸を張って言えるのではないかと思うんです。」
「確かに、そうした数字で測れる価値は非常に大きいですよね。」
京花は少し言葉を選びながら続けた。
「けれど最近、数字に表れない価値にも目を向けるようになりまして。たとえば、玉子焼のおかきを召し上がったあるリスナーの方が、昔のお弁当の味を思い出したとお便りをくださったんです。」
南波は静かにうなずく。
「なるほど。ただ、それはあくまで個人の記憶ですよね。もちろん尊いものではありますが、名物と呼ぶには少し飛躍があるように思えてしまいます。」
「おっしゃる通りです。ただ、個人の記憶が重なっていったとき、それが街の記憶として根付いていくこともあるのではないでしょうか。」
京花の声は、静かに熱を帯びていく。
「東京という都市は、あまりにも多様で、ひとつの味にまとめることが難しい街です。だからこそ、静かに受け継がれている味にこそ、ある種の東京らしさが潜んでいるように感じるんです。」
南波は一瞬考え込むように目を伏せたあと、問いかける。
「つまり、売れるものではなく、残るものに価値を見出す、ということですか?」
「そういうことになりますね。ヒット商品とは別のラインで、記憶に残る味という名物も、あっていいのではないかと私はおもってます。」
スタジオに、わずかな静寂が流れた。
そして南波が、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「昔から変わらないね、君は。」
「それは、褒め言葉として受け取っても?」
「もちろん。芯のある意見は、時に人を納得させる。今日は、それを改めて感じさせてもらったよ。」
南波が立ち上がり、軽く会釈をしてスタジオをあとにする。
扉に手をかけた南波が、ふと立ち止まった。
「まぁ、今日の収録は思ったより面白かったよ。」
京花が一瞬だけ微笑む。
「それは光栄です。」
しかし、次の瞬間、南波の声のトーンがわずかに変わった。
「名物は記憶に残るもの、か。綺麗な言葉だ。すごく番組的で。」
その語尾には、どこか皮肉が含まれていた。
「けどね、京花君。記憶に残るものと、世の中に残るものは、必ずしも一致しない。むしろ逆のほうが多い。誰かの心に残っただけの味は、誰にも気づかれないまま消える。俺は、それを何度も見てきた。」
「それでも、誰かの暮らしの中で生きていれば、十分だと思っています。」
南波はうっすら笑った。
「君は優しい。でもな、俺は世の中の記憶を扱ってる。バズらないものに価値があるなんて、信じてるのは作り手だけだよ。」
そして、わざとらしく軽く手を振った。
「ま、いい収録だったよ。またいつか。」
扉が閉まる音が、スタジオの空気に一線を引いた。
颯がつぶやいた。
「あの人、絶対なにか仕掛けてきますっよ。」
京花は無言でマイクのスイッチを切り、静かに息を吐いた。
―――
◆数日後──Twitterのタイムラインにて
@nanba_graph(南波修司)
> 記憶に残るから名物なんて、作り手の自己満足ほど滑稽なものはない。
本当に価値あるものは、誰にも説明しなくても売れる。
感傷で街は救えないし、土産にはならない。
「週刊文化グラフ」次号、特集:
『東京の勘違い土産を検証する』
※アイキャッチ:玉子焼おかきの写真(©放送局)
京花のもとには、リスナーやSNSからざわめきが届く。
「南波さん、あんなこと言ってたっけ?」
「番組で話してた内容と違う…。」
「炎上させる気?」
そのすべてを京花は黙って見ていた。
言葉ではなく、空気が歪んでいく感覚。
しかし、それもまた、東京のひとつという現実。
京花は、マイクの前で静かに語りかける。
「名物とは何か?その答えは、もしかすると、売れた数でも知名度でもなく、誰かの暮らしに寄り添った記憶の濃度なのかもしれません。」
「ふとした瞬間に思い出される味。言葉にはされずとも、誰かのなかで生き続けていく味。それこそが、本当の東京の味なのだと、私は信じています。」
収録を終えたスタジオで、颯がつぶやく。
「なんだか最近、贈りもの自体が難しくなってる気がしますよね。これが東京ですって言い切るのが、もう怖いというか。」
京花は、頷いた。
「だからこそ、これ、東京っぽいと思ったっていう、静かな贈り方が、今の時代には合ってるのかもね。」
京花は、リスナーから届いた2通のメッセージを、もう一度読み返していた。
ひとつは、母がつくるだし多めの玉子焼きに似ていたという投稿。
もうひとつは、祖父母と一緒に食べた白いかりんとうの味が忘れられなかったという話。
派手じゃないのに、渡された瞬間がちゃんと記憶に残る味。
誰かを思い出すきっかけになる味。
それらが、東京のおみやげとして生きている。
京花は静かにマイクのスイッチを入れ、録音を開始した。
「前回と今回のエピソードでは、かりんとうと玉子焼のおかきという、ふたつの東京の味をご紹介致しました。」
「共通していたのは、大きな声で売られていないということ。けれど、その静けさの中に、誰かの記憶や、生活の香り、渡し方の品格が、確かにちゃんとあったことです。」
「東京という街は、豪華で目立つものだけでできているわけではありません。音を立てずに贈ることを美徳とする文化が、静かに、でも確かに残っています」
「私たちがこの番組で名物と呼ぶとき、それは買えるものという意味ではなく、記憶として渡される価値があるかどうかという視点で選んでいます。」
「そして、贈るという行為は、何かを届けるだけでなく、その人を思い出すきっかけをつくることだと思っています。」
「だから今日も誰かの記憶に東京のひとしずくを。」
このポッドキャストでは、毎回ひとつずつ、東京のあちこちにある素敵な味を、名物と呼びながら紹介しています。リスナーのみなさんの記憶や体験も、立派な名物の一部です。
なので、ぜひ教えてください。あなたの知ってる東京の味、覚えている東京のお土産、そして、忘れられそうな味も。
私たちと一緒に、東京の今を残していけたらうれしいです。
「今回のの東京リアルグルメは、玉子焼のおかきでした。
さて、次はどんな味に、会えるでしょうか?おたのしみに!」




