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東京リアルグルメ  作者: マリブン
Season1

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7/13

記憶のしょっぱさ

足立区・北千住の駅から徒歩で15分。

住宅街の中に京花は小さな木造の建物を見つけた。

看板の木肌は雨と日差しで銀色に変わり、角の削れ方さえも長い年月を語っていた。


「糀屋三郎右衛門」


看板には、擦れた筆文字が残る。

表の窓には手書きで「味噌甘酒ようかん・あります」と貼られていた。


そこはリスナーからおすすめされたお店。


> 「京花さん、こんにちは。東京の甘さって、どこかしょっぱく感じませんか?

私は糀屋三郎右衛門の味噌甘酒ようかんを食べたとき、甘さの奥に残る塩味に泣きそうになりました。

そのしょっぱさが、謝れなかった人の記憶と重なったんです。

東京にも、言えなかった気持ちが味になる瞬間があるんですね。」


京花は手紙を読み返し、胸が痛んだ。

手紙の文字は少し揺れていて、書きながらためらった時間がそのまま紙に残っているようだった。

謝れなかったこと。

言わずに距離を作ってしまった人。

それは、自分にもいる。ごく最近のこと。

あの夜、夫・洋平とすれ違い、謝る機会を逃し続けていた。


―――


引き戸を開けると、木と糀の香りがふわりと立ちのぼった。


その香りに包まれながら、店内へ一歩踏み入れた京花は、奥のカウンターで取材用のマイクを構えている女性の後ろ姿に目を留めた。

すらりと伸びた背中、肩の動き、話し方の抑揚。

見間違えるはずもない。

向坂るい。

カメラマンと一緒に、店主に笑顔でうなずきながら甘酒ようかんのカットを撮っている。


「奇遇ね。」


こちらに気づいたるいが、柔らかく微笑む。

その声は礼儀正しいのに、ほんの少しだけ勝負の匂いを含んでいた。


店主が差し出した甘酒ようかんを、るいは箸で持ち上げ、一口かじる。


「やさしいだけじゃないですね、この味。少し涙腺にきます。」


その言葉は、自分が頭の中で練っていた感想とほとんど同じだった。

胸の奥に小さなざらつきが走る。

偶然か、それとも...。


「京花さん。お先に失礼します。お疲れ様。」


そう言ってるいは店主にお礼を伝え店から出ていった。

暖簾の向こう、るいが路地角で南波と立ち話をしている姿が見えた。


「感情だけじゃ記事は残らない。」

とるい。


南波は鼻で笑う。


「数字は裏切らない。残るのはアクセス数だ。」


「数字だけじゃ、人は動かないと思うけど。」


その短いやり取りが、冬の冷たい空気ごと京花の胸に残った。


店内の隅では、水島が三脚の高さを調整し、千紘がマイクのレベルを確認している。

颯は入口側で自然光の入り方を見ながら、小声で「今の空気、映えますね」とつぶやいた。

京花は軽く頷き、録音ボタンが押されるのを横目で確認してからカウンターに向かった。


「いらっしゃい。お待たせしました。」


現れたのは、白髪を後ろで束ねた70代ほどの女性。

割烹着姿のその目元には、静かな落ち着きが漂っていた。


「こんにちは。甘酒ようかん、まだありますか?」


「ええ。おひとつ?」


「はい。それと…少しお話を聞かせていただけますか?東京の味を紹介するポッドキャストをやっていまして、あっ、ラジオのような感じです。」


「あらまぁ。そんなふうには見えないけど、声の仕事なのね。どうりで落ち着いた喋り方だと思ったわ。」


「ありがとうございます。今日はリスナーさんの手紙で、ここに来ました。」


「なるほどね。まぁ、そこに座ってまっててくれる?」


京花はカウンター脇のベンチに腰を下ろす。

女性は小さな黒盆にのせた甘酒ようかんを運んできた。

小ぶりな切り身。

やや褐色の表面には、光る塩の粒が浮いている。


「味噌と甘酒って、ケンカしないんですか?」


「しないのよ。不思議なことにね。甘いだけじゃ単調でしょ。味噌のしょっぱさがあるから、甘さが引き立つの。」


「今のくだり、もう一回もらえますか?」と水島が静かにカメラを持ち上げる。

千紘は「塩の粒のアップ、次いきます」と指示を飛ばす。

颯はようかんを見つめ、「この塩、写真でちゃんと伝わりますかね」と首をかしげた。

店主が笑って「大丈夫よ、目でも味わえるように作ってるから」と返すと、チームの空気が少しやわらいだ。


京花はようかんをひと口。

甘さは丸く、舌に乗った瞬間やさしく広がり、後から塩気がすっと追いかけてくる。

舌に残るしょっぱさは、胸の奥に沈んでいた言葉をひと粒ずつ浮かび上がらせるようだ。

発酵香とともに、言えなかった気持ちのように、静かに残る。


「甘いのに、しょっぱい。」


「そう。しょっぱいのに、やさしい。言葉って、そのまま言ったら壊れることがあるでしょ?でも、味なら残せるの。

あのとき、こう思ってたんだよって、代わりに伝えてくれるのよ。」


京花は黙った。

あの一言が言えなかったせいで、壊れた関係がある。


「この味、すごく東京ですね」


「珍しい表現ね。でも、うれしいわ。うちはね、昔は甘酒だけ作ってたの。あるとき息子が言ったのよ。母さんの味、ようかんにしたら?って。そしたらね、味噌を入れろって言われたの。変な子でしょ?」


「息子さんがいらっしゃるんですね。」


「それが、もういないのよ。十年前に事故でね。」


一瞬、空気が変わる。

京花は何か言いかけたが、その静けさを壊すのが怖くて、口を閉じた。

でも、女性の語り口は変わらなかった。

その静かさがむしろ深かった。


「でもね、この味噌甘酒ようかんができてから、うちの常連さんが、これ涙出る味だねって言われたのよ。きっと言えなかったことって、心のどこかに味として残るのよ。それがしょっぱさになるの。」


京花は言葉を失っていた。

今日ここに来たのは必然?

言いたくて言えなかったことが、甘酒と味噌の間でようやく形になった気がした。


「この味、番組で紹介させていただいてもよろしいですか?これこそ東京の本当の味だと思うんです。」


「ええ。どうぞどうぞ。でも、ひとつだけ伝えて。やさしいだけじゃ甘さにはならないって、ね。」


京花は小さく頷いた。

そうだ、優しさだけじゃ伝わらないことがある。

しょっぱさや、苦さや、後悔や、謝れなかったこと。

それごと混ざって、ようやく甘くなる。

味噌甘酒ようかんは、まさにそんな味だった。


店を出たところで、路地の角から南波修司が現れた。

黒いコートに記者ノートを抱え、唇の端をゆるめる。


「同じ現場で同じテーマ、珍しいな。どっちの語りが響くか、楽しみだ。」


るいは軽く笑い、「響き方は人それぞれですから」と受け流した。

しかし、南波の視線はすぐに京花へ移り、低く問いかける。


「で、君は何のために話すんだ?」


答えは喉元まで出かかったが、飲み込んだ。


「聴けばわかります。」


そのまま背を向け、歩き出す。

後ろでシャッター音が一度だけ響いた。


―――


その夜、京花は録音ブースに座っていた。

デスクの隅には、糀屋三郎右衛門の女性が「夜食にでも」と包んでくれた、小さな切り身の味噌甘酒ようかん。

スマートフォンには、いくつものリスナーメッセージが届いている。


その中の一通が、また胸を刺した。

内容は言えなかったことについて。


> 「別れ際、彼に謝ればよかったと今でも思います。時間が経つほどさらに言えなくなり、最後はもう言わなくていい理由を作って忘れたふりをしてしまいました。だけど、この甘さの中にあるしょっぱさが、まだ終わっていないと教えてくれた気がします。」


京花は洋平のことを思いながらリスナーに紹介した。


「このポッドキャストでは、毎回ひとつずつ、東京のあちこちにあるいい味-を、名物と呼びながら紹介しています。

リスナーのみなさんの記憶や体験も、立派な名物の一部です。」


いつものイントロ。

でも、今日の声はどこか震えている。


「今回、私が出会ったのは、味噌甘酒ようかんという、不思議な和菓子でした。やさしいはずの甘さの中に、少しだけしょっぱさがあって、口の中に残るその塩味が、なぜか言えなかった言葉を思い出しました。」


収録中なのに視線が窓の向こうに流れる。

東京の夜景は光があるのに、時々すごく空っぽに見える。


「リスナーの皆さんは言えなかったことってありますか?私は、あります。ほんの一言。ごめんねって言えばよかった。

でもその一言を飲み込んだ夜、その後どうやって話しかければいいのか分からなくなったんです。」


京花の脳裏にあの夜の洋平の表情が浮かんだ。

疲れて帰ってきた洋平は、肩からカバンを下ろし、ネクタイを緩めるとそのまま椅子に腰掛けた。

冬の夜気がまだコートに残っていて、冷たさが少し部屋に広がる。


「おかえり。遅かったね、また面談?」


「うん。進路の話でちょっと長引いて…。」


洋平は短く答え、カバンからプリントの束を取り出して机に置いた。


京花はマグに温かいお茶を注ぎ、彼の前に置いた。


「ありがとう。」


その一言はあったけれど、視線はまだプリントに落ちたままだった。


「ねえ、少しだけ話してもいい?」


「うん。」


返事はしたが、手はペンを握ったまま。

その仕草が、京花の中で小さなざらつきになった。


「もう少し、私の話も聞いてよ。」


自分でも驚くほど、声に棘が混じった。

返事の代わりに沈黙が置かれ、その沈黙は冷たい水のように、二人の間に広がっていった。

洋平はペンを置きかけたが、何も言わずに立ち上がり、風呂場へ向かった。


湯気の向こうで、何かを小さく呟いた気がした。

けれど、京花はそれを聞き返さなかった。


「私、分かったんです。謝らなかった人が悪いんじゃない。

聞く前に、怒ってしまった自分もまた、あの時間を壊していたんだなって。」


原稿をめくり、次の曲の再生ボタンを押す。

フェーダーを下げると、スタジオのモニターから静かにイントロが流れた。

曲の時間はおよそ4分。その間に一息つける。


椅子から腰を浮かせ、脇のテーブルに置いたみそ甘酒ようかんを手に取る。

ひと口かじると、やわらかな甘さのあとに、ほんの少し塩気が残った。

さっき話した言えなかったことが、その味と重なって頭の奥に戻ってくる。


ポケットの中でスマホが震いた。

画面には「洋平」の名前。


> 【洋平】

甘酒のようかん食べたんだ?

今日たまたま甘酒飲んでたんだ。なんか偶然だな。


京花は、しばらく画面を見つめたまま指を動かせなかった。

ごめんねと打つには、まだ遠い。

でも、同じ言葉に触れた偶然が、胸の奥を少しだけ温める。


> 【京花】

食べたよ。

甘くて、少ししょっぱかった。


既読がすぐにつく。

それ以上の返信はない。

けれど、その沈黙が少しやさしかった。


そんなやさき、またスマホが震えた。

画面には南波の投稿。


《足立で偶然の鉢合わせ。感情派と計算派、同じ題材で収録中》


添えられた写真には、糀屋の暖簾の前で立つ自分とるいの姿。

キャプションの最後には、「次は別の塩味スイーツで再び対決か」と煽る一文。


千紘がタブレットを差し出した。


「これ、もう拡散されてる。」


水島は眉をひそめる。


「完全に対立構図作ってますね、あの人。」


颯はニヤリとして、


「でもこれ、逆に再生数伸びるんじゃないっすか?」


「そういう煽りに乗ったら負けだよ。」


千紘がすぐ返す。

水島は首を振る。


「でも現実は数字がないと続けられない。」


「数字取ってから本質語ればいいっすよ」


颯は笑う。


千紘が反論する。


「数字だけで勝っても、残るのは空っぽじゃない?」


三人の視線が京花に集まり、返事を迫られる。


「数字の上じゃない。」


そう答えたが、胸の奥では迷いが消えなかった。


三人の言葉が交錯する中、京花は黙ってモニターを閉じた。

負けるつもりはない。

でも、戦う場所は数字の上じゃない。

胸の中でそう決めた。


その後、ブースに戻りリスナーの声をマイクから届ける。


「あのとき言えなかったこと」


差出人は、しずくちゃん。

17歳の女子高生で、数か月前から毎週欠かさず感想を送ってくれているリスナーだ。


> 京花さんへ

今日の味噌甘酒ようかんの話、すごくよかったです。甘さの中に、ちょっとだけ残るしょっぱさ…あれ、すごく分かります。実は私にも、ずっと言えないままのことがあります。

中学のとき仲良かった友達がいました。でもある日、その子がいじめられてるって噂が出て…。私は怖くて、何も言わずに距離を置きました。卒業式の日、その子から手紙をもらいました。『謝らなくていいよ。私たちが一緒にいた時間は嘘じゃないから』って。

それが今も、胸の奥でしょっぱいまま残ってます。

京花さんの話を聞いて、あの味を思い出しました。


画面の光が、言えなかった記憶をひとつずつ照らしていくようで、胸がざわついた。


「しずくちゃん、メールありがとう。どう返したらいいのか分からなくて…何回も読み返しました。」


少し間を置いて、息を整える。


「言えなかったことって、必ずしも言い直さなきゃいけないものじゃないと思うんです。そのまま、時間の中で味になることもある。甘いのに、ほんの少しだけしょっぱい。

言い過ぎなかったからこそ、壊れずに残った記憶もある。」


「だからこそ、私たちは時々、言わなかった言葉の残り香に触れたくなるのかもしれません。たとえば、味噌甘酒ようかんの中の、あの小さな塩気みたいに。」


マイクの前でそう話しながら、京花はふと自分の心の奥を探っていた。

そこには、いまだに名前を呼べる「謝れなかった相手達」の顔が並んでいた。


中学のときの親友。

バイト先で気まずくなった先輩。

そして、洋平。


昨夜、彼から届いた短いメッセージ。

そこに謝罪も理由もなかったけれど、それでも京花は思った。


まだ終わってない。


マイクに向かって、息を吸う。


「しずくちゃん、その思い出は、きっと誰かの心に残る味になるはずです。」


「味って、完璧じゃなくてもいいんです。ちょっと形が崩れてたり、塩気が強かったり?それでも、忘れられない味ってありますよね。」


言い終えたとき、胸の奥が少しあたたかくなった。

フェーダーを下げ、曲を流す。

スタジオに静かなピアノが広がった。


机の上には、昨日のようかんの残りが一切れ。

口に入れると、甘さの奥から塩気が顔を出す。

泣いたあとの笑顔みたいな、そんな味だった。


―――


週末の夕方。

京花は商店街の路地を歩いていた。

今夜はスーパーではなく、個人商店で“白味噌”を探していた。

味噌甘酒ようかんを食べてからというもの、

発酵やにごりという言葉が、自分の中で別の意味を持ち始めていた。

豆腐屋の横を抜け、昔ながらの味噌・麹専門の店に足を踏み入れると背後からふいに声がした。


「京花?」


その声を聞いた瞬間、胸が小さく跳ねた。

一番聞きたかった声。

でも、一番怖くもあった。


ゆっくり振り向くと、洋平が立っていた。

私服姿で、片手にエコバッグ。

人混みの中で見つけたその姿は、懐かしい匂いと一緒に近づいてくるようだった。

いつもの買い物帰りのようで、けれど目の奥に少しだけ迷いが見えた。


「味噌が切れててさ。白味噌、売ってるとこ知ってる?」


「偶然だね。私も味噌を探してたの。」


互いに短く笑う。

言葉は少ないのに、胸の奥で何かが動く。


棚の甘酒を見ながら、洋平が言った。


「この前の放送?味噌甘酒ようかんのやつ、聴いた。」


「やっぱり。」


「しょっぱさの奥に残る甘さって言葉?少し、沁みた。」


京花は思わず息をのむ。

自分の声が、ちゃんと届いていたことがうれしかった。


「ごめんね。」


自然に出た言葉だった。


洋平は少し笑って、首を振る。


「俺も悪かった。話す前からどうせ分かってもらえないって決めつけてた。」


ふたりの間を長く覆っていた沈黙が、少しずつほどけていく。

京花は袋から、小さな包みを取り出した。


その瞬間、るいの「残すことが目的」という言葉がふと頭をよぎった。

もしこの甘酒ようかんが、誰かの記憶を支えるなら、それは勝ち負けの外側にある価値だ。

洋平に渡すこのようかんも、きっとそういうものになる。

そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなった。


「これ、食べてほしくて。」


「ようかん?」


「うん。冷やして食べてね。甘いけど、ちょっとしょっぱいよ。」


「知ってる。あの放送で、もう味が想像できる。」


受け取った包みを見て、洋平が笑った。


「少ししょっぱいくらいが、いいよな。俺たちも、そういう関係でいようか。」


京花は驚いて、すぐに笑顔になった。

さりげない言葉なのに、胸があたたかくなる。


「また食べたくなったら言ってね。」


それは、ようかんのことだけじゃなく、会話や笑い声や、取り戻したい時間すべてを含んでいた。


「ようかん?」


「それもだけど…私の話も。まだ聞いてくれるなら。」


「聞くよ。いつでも。」


ふたりは軽くうなずき、別々の方向へ歩き出した。

背中にもう気まずさはなかった。


帰宅して冷蔵庫を開けると、ようかんがなくなっていた。

そうだ、渡したんだった。


なくなったことが、今日はやけにうれしかった。

あの一切れには、甘さと一緒に、まだ言葉にならない優しさがちゃんと残っていた。


京花は窓辺に腰掛け、遠くの街灯を見つめていた。

洋平との再会の余韻が、温かな塩味となって胸に残っている。

冷蔵庫からは「味噌甘酒ようかん」が消えていたが、渡した記憶は確かに心の奥に溶け込んでいた。


デスクに向かい、これまでの収録やリスナーの感想、胸の奥に渦巻く思いをノートに書き留める。

言葉にできなかったものは、すべて味となって残る。

その言葉を思いながらペンを走らせた。


窓の外の風が、都会のざわめきを運んでくる。

謝れなかった夜、言えずに過ぎた時間。

それは相手を責めるためではなく、また失敗することへの恐れからだったと気づく。

ふと過去の録音を再生すると、当時の自分の声が響く。

弱さをさらけ出しながらも、救いを求めるような温かい声。

「この音は今も私に何かを訴えている」そう感じ、ノートの端に小さく記した。


しずくちゃんのメールが蘇る。

「言わなかったまま残った言葉は、今でも胸に刻まれている」

その一文に、自分が伝えるべきものが“記憶の共有”であることを悟る。


スタジオに向かうと、水島は音のバランスを確認し、千紘は次回テーマの整理、颯はカメラ映像を見ながら笑っていた。


「今回のしずくちゃんのメール、マジで響きましたね。」


その声に背を押され、京花はマイクの前に座る。


「今日の番組では、『味噌甘酒ようかん』から言えなかった理由について話します。その塩味は、謝れずに残った言葉のようです。弱さや恐れで飲み込んだ思いも、味として残れば、次の一歩になれる。」


語るうち、洋平やしずくちゃんの顔が浮かび、少し声が揺れた。

それもまた収録に溶け込み、遠くの風のように聞こえた。


「たとえ言葉にならなくても、想いはいつか誰かの心に染みる。だから、あなたも言いそびれた言葉をそっと抱きしめてください。」


最後に締める。


「今日の東京リアルグルメは、味噌甘酒ようかんでした。また次の放送でお会いしましょう。」


録音停止のボタンを押すと、スタジオに残った自分の声が、まだ空気を震わせていた。

静かに目を閉じた。

その瞬間、自分自身と和解できた気がした。


スマホには、しずくちゃんからの返信

「京花さんの声が、私の記憶の味になりました。」


胸の奥が温かく満たされる。


夜の街を歩くたび、東京の灯りは無数の窓を透かして、見知らぬ人の暮らしを映してくる。

そこにも、きっと誰かの「言えなかった言葉」が湯気のように漂っているのだろう。


ポケットの中には、糀屋でもらった小さな空き包み。

甘さも、しょっぱさも、すでに舌から消えていたが、その味は胸の奥でまだ温かかった。


やさしさだけじゃ、甘くならない。

けれど、しょっぱさを知った甘さは、きっと長く残る。


放送後、千紘から短いメッセージが届いた。


「今回の回、爆発的な数字は出ないかもしれない。でも、こういう話は長く残る。」


水島は編集データを送りながら、

「南波の煽りは想定通り。でも、この温度は数字じゃ測れないっすよ」と笑った。


颯は「次はもっと語らせる系で攻めましょうよ!」と軽く肩を叩く。


そのやりとりを読みながら、スマホの画面を指で滑らせる。

そこには、るいの投稿が一行だけ。


> 話さなかったことで、残る記憶もある。


その下に小さくもう一行。


《数字と心、どちらが長く残るかは、人による》


それが挑発か共感か、京花には分からなかった。

ただ胸の奥の塩味だけが、少し濃くなった。


ただひとつ確かなのは、

今日の味噌甘酒ようかんもまた、甘さと塩気が交じり合った残る記憶として、誰かの胸に刻まれたということ。


京花はカバンの中の小さな空き包みに触れた。

中身はもうない。

でも、その味がくれた感情は、まだ温かいまま残っていた。


京花は笑みをこぼし、夜風の中でそっと呟いた。


「また、あの味に会いに行こう。」


街灯の明かりが、その言葉をやわらかく包み込んだ。

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