記憶の心
東京で、いちばん変な玉子焼きを見つけました。
そんなメールが京花の番組宛に届いたのは、雨が降りそうな午後だった。
メールを開いた瞬間、京花の心に微かなざわめきが走った。しかし、それだけだった。
ここ数ヶ月、京花はひどいスランプに陥っていた。
ポッドキャストの企画も、言葉も、すべてが上滑りしているように感じる。
リスナーからは、日に日に厳しい声が届くようになっていた。
「最近、京花さんの声に熱が感じられません」
「このままじゃ、番組も終わりですね」
それは、彼女のキャリアそのものを否定する言葉だった。
そして、追い打ちをかけるように、チーフプロデューサーから呼び出しがあった。
「京花、来月いっぱいで番組を終了する。契約更新はなしだ。」
あまりに突然の通告に、京花は言葉を失った。
「視聴率も、スポンサーの意向も、すべてが君のパフォーマンス低下を示している。リスナーからの批判も無視できない。このままでは、君のブランドイメージがさらに傷つく。一度、休んだ方がいい。」
さらに追い打ちのように、業界紙の連載に南波修司の名前を見つけた。
> 「最近、記憶や涙で味を語る番組が増えていますが、それって感動の押し売りになっていないか心配です。食って、もっと静かで個人的な行為だと思うんですけどね。」
名指しはしていない。
けれど、誰が読んでも京花の番組を指していることは明らかだった。
京花の仕事生命は、まさに風前の灯火だった。
その日、絶望の淵に立たされた彼女の元に、例のメールが届いたのだ。
> 見た目は完全にたこ焼き。でも中身はふわふわのだし巻き卵。タコもちゃんと入ってて、口に入れた瞬間、笑いそうになるのに、飲み込む頃には泣きたくなるくらい東京なんです。北千住のまるたけって店です。京花さん行ってください。絶対に!!
笑ってから泣く食べ物。
その言葉に、京花はかすかな希望を見出した。
もしかしたら、この味が、停滞した自分を動かす起爆剤になってくれるかもしれない。
いや、この味に最後の望みをかけるしかない。
―――
北千住の駅の改札を抜けた途端、彼女の心は一気に冷めた。
どこにでもあるチェーン店、雑然とした商店街。
この街が持つ「陸の玄関」という空気が、今の京花には単なる、ごちゃまぜにしか感じられなかった。
アーケードを抜け、メールにあった路地裏を探す。
すると、雨が降り出す寸前の匂いの中、提灯と木の看板が見えた。
「築地風 だし巻きたこ焼き まるたけ」
店に入り、注文する。
「すみま〜せん。だし巻きたこ焼きひとつください。」
「はーい、今から焼くねー!」
威勢のいい声が、ひどく耳に障った。
以前の自分なら、この活気に心を躍らせたはず。
だが、今は何も感じない。
ただ、早くこれを食べて、早くこの場所から立ち去りたい。
丸い穴に流し込まれるのは、小麦粉ではなく、透明感のある黄金色の卵液。
その瞬間、京花の心にわずかな疑念が湧いた。
(本当に、ただの卵? 焼けるの? どうせ、また期待を裏切られるんでしょ?)
きっと、これも期待外れに終わるに違いない。
最近の自分のように、見かけ倒しで、中身が伴わないものに違いない。
香りが立ち上る。
だしの香り、焦げ目のない卵の香り。
しかし、京花の心は動かない。
やがて焼き上がったそれは、まさにたこ焼きの姿をしていた。
6つ並んだ球体。
表面は薄い卵の膜で覆われ、つまようじで持ち上げると、ぷるんと揺れる。
京花はおそるおそる、ひとつを口に運んだ。
最初に、熱が舌を包み込む。
優しい熱が、硬く閉ざしていた心のドアを叩く。
続いて、だしの甘さがじんわりと広がる。
甘くはない。
しょっぱくもない。
でも、あったかい味だった。
その中に突然、プリッとした歯ごたえ。
「ちゃんとタコはいってるのね。」
その瞬間、京花の目に涙が浮かんだ。
笑うはずだった。
なのに、どうしようもなく涙がこぼれ落ちる。
それは味というより記憶の装置だった。
だし巻きの香りに、昔のお弁当を思い出す。
タコの食感に、屋台のにぎやかさが浮かぶ。
たこ焼きのかたちに、東京のユーモアがにじむ。
京花はひとつ、ため息をついた。
「ユーモアなのに、誠実。形は笑えるのに味は泣ける。まさに東京、って感じ。」
その言葉に、これまでのスランプが、彼女の心が動かなかった理由が凝縮されていた。
何かを表現しようとすればするほど、言葉が嘘くさく感じられた。
それは、今の東京が、そして自分自身が、見かけ倒しになっているように感じていたからだ。
しかし、目の前のだし巻きたこ焼きは違った。
ユーモアな形なのに、その中には本物の優しさと温かさ、そして誰かの誠実な思いが詰まっていた。
カウンターの端では、常連らしき老夫婦がゆっくりとそれを頬張っていた。
若い夫婦らしき二人が「なんだこれ!」と笑っている。
その空間すべてが、すでに東京の土産話だった。
帰り道、駅ナカの冷凍品コーナーでだし巻きたこ焼き(冷凍)を見つけた。
「こんなとこでも買えるのね。」
それは名物としての第一歩かもしれなかった。
京花はスマホを構え、震える声で語り始めた。
「今日、北千住で出会ったのは、たこ焼きの顔をした、だし巻き玉子でした。ふわふわの卵の中に、タコがいる。笑えるような形に、思わず泣きたくなる味が詰まっていました。」
言葉に詰まりながらも、彼女は続けた。
「東京のお土産って、おしゃれでも、流行りでもなくて、こんなのあるんだって驚きと、なんか懐かしいっていう感情が、いっしょに包まれてるものかもしれません。」
この日から、京花のポッドキャストは少しずつ変わり始めた。
しかし、番組終了の通告は撤回されなかった。
―――
「最初は、常連の悪ノリだったんです。」
「まるたけ」の厨房で鉄板に向かう白石さんは、手を止めることなく、そう言って笑った。
「夜の屋台で、だし巻き玉子を串で出してたんですよ。それが意外と人気でね。ある日、飲みすぎたおじさんが、これ、たこ焼きの穴で焼いたらもっと面白いぞって。」
「最初は冗談だと思って聞き流してたんだけど、次の日に別の常連が、本当にやる気ないの?ってね。そう言われたらこっちも意地が、ね。」
京花はその話を聞きながら、鉄板に落とされた卵液がじわじわと固まりはじめる様子を見つめていた。
「でも、形がたこ焼きでも、生地が卵じゃ違うものになりますよね?」
「そう。最初はただの玉子の球体だったんだけど、やっぱり、たこ焼きって名乗るには、タコがいなきゃってことで、入れたんですよ。」
最初に完成したものは、外側が焦げて、中は生っぽく、出汁の香りも飛んでしまっていたという。
「卵を多く入れると、熱が通りにくくなるんですよ。かといって、火を強くすると外が固くなる。何十回焼いて、ようやく、ふわっぷりっの両立ができたときはさ。泣きましたね〜。」
「これは、ユーモアの仮面をかぶった、だしの勝負料理なんです。」
京花はその言葉に静かにうなずいた。
「東京ってなんでも見た目で判断されがちだけど、中身で勝負してる人、実は多いですよね。」
「そう。形で笑わせて、味で驚かせて、記憶に残る。屋台で育って、料亭を見て、家族の食卓を思い出させる。そんな料理が、理想だと思ってます。」
この料理には、東京の下町らしさと、料理人の矜持、そして、偶然が生んだ文化の混ざり合いが詰まってる。
「最近は観光客も来てくれるんですけど、たこ焼きに卵が入ってるんですか?って聞かれてね。こっちとしては、たこ焼きじゃなくて玉子焼きにタコが入ってるんですって返すしかなくてさ〜(笑)」
京花は笑いながら、メモ帳にひとこと書き込んだ。
「東京の味は、勘違いから始まって、気づけば本物になってる。」
取材を終えた帰り道、京花は北千住の細い道を歩きながら、心の中でそっとつぶやいた。
「たこ焼きの形で、玉子焼きの本気。その裏には、本気をユーモアのかたちで包むっていう、東京の、ちょっと照れくさい優しさがあったんだな。」
―――
「さて、今回はまるい味にまつわるエピソード、たくさん届いていますよ〜。」
収録が始まってすぐ、京花は笑顔でそう切り出した。
以前のような作り笑いではない、心からの笑顔だった。
今回のテーマは、「だし巻きたこ焼き」にちなんで、見た目がたこ焼き、でも味はだし巻きという驚きと温かさが、多くのリスナーの記憶を呼び覚ました。
「じゃあ、まずこの方から。ラジオネーム『おべんとうのきいろさん』」
> 私の小学校時代のお弁当、毎日必ず丸いたまご焼きが入ってました。母が今日はうまく巻けたからラッキー!って嬉しそうに言うのを思い出しました。大人になった今、だし巻きたこ焼きを食べて、一瞬でその朝の空気を思い出しました。
不思議ですね。まるい形って。記憶をまるごと持ってくる気がします。
京花は一呼吸おいて、ゆっくり言葉を重ねた。
「記憶をまるごと持ってくる。この言葉、なんだかすごく響きました。味じゃなくて、かたちで思い出すってありますよね。」
次に読み上げたのは、リスナー『ヨルのひとさじ』さんから。
> 仕事のストレスで、ご飯がのどを通らなくなった時期がありました。そんなとき、彼女がこれなら食べられるかな?って買ってきたのが、北千住のまるたけのたこ焼きでした。
一口で、これは卵だ!って驚いて、だしの味がしみて、泣きながら食べたことを今でも覚えてます。丸いものって、なんであんなにやさしいんでしょうね。
スタジオ内がしんと静まり、京花も目を細める。
「やさしい形って、食べもののなかにしかないかも。角がないって、それだけで受け入れやすい。疲れてるときほど、ああいう味が沁みるんですよね。」
横で控えていた水島がつぶやく。
「たこ焼きの形で泣かされたって、なかなかない話だよな?」
千紘が笑いながら応じる。
「これは心の非常食ですね。」
さらに京花は、少し声を和ませながら読み上げた。
「最後はこちら。ラジオネーム『たまごは毎朝さん』」
> 私の家では、おでんの玉子も、だし巻きも、いつもちょっと丸いのが出てきます。母が東京の卵は、どこかで遊んでるって笑ってて。意味はよく分からないけど、たこ焼きの卵バージョンを見たとき、あ、うちのやつ、出世した!って思いました。
京花はくすっと笑って、言葉をつなぐ。
「東京の卵は、どこかで遊んでる。これ、名言かもしれません。だしをちゃんと感じるのに、かたちはユーモア。まるたけのたこ焼きって、まさにそんな卵でしたね。」
収録の最後、京花はマイクに向かってゆっくりと話し始めた。
「まるいものって、どこか安心できる食べ物のかたちをしてる気がします。丸いおにぎり、丸いまんじゅう、丸いたこ焼き。そのかたちには、誰かが手を加えた証がちゃんと見えるんです。」
「そして、食べるときに思い出すのは、味より、そのとき誰といたかだったりする。それが、東京の味の不思議な力なのかもしれません。」
時計の針が23時を過ぎたころ、
スタジオにはもう収録のざわめきもなく、
残っていたのは京花と、スタッフの千紘、水島、颯の4人だけ。
照明も少し落とされ、BGMも切れた空間。
けれど、そこにはどこかあたたかい余韻があった。
「今日の回、反響すごそうですね。」
千紘がタブレットをのぞきながらつぶやく。
「泣いたって人、多かったっすね。」
颯も、椅子に寄りかかりながら声をこぼす。
京花は手に温かいお茶のカップを持ちながら、ゆっくりと
言った。
「たぶん、あの丸い形が、心の形に似てるじゃないかな?」
「どういう意味?」
千紘が聞き返す。
「うまく言えないんだけど、だし巻きのたこ焼きって、どこかで誰かが遊んだ形でしょ?でもその中にはちゃんと熱があって、やわらかくて、噛めばちゃんとじわっと味が出てくる。」
「それがユーモアだけど、真面目ってやつか。」
水島が笑いながら言う。
「うん。東京の食べ物って、そういうの多いなって思ってて。形はカジュアルだけど、どこか本気が隠れてる。」
京花は少し間を置いて続けた。
「しかも、記憶って、意外とそういう味のあとに残る。その場で感動した味より、あとからふと思い出す味のほうが、心のなかで大きく育つ気がする。」
千紘が頷く。
「わかる。なんで今それ思い出すの?ってタイミングで、味や匂いがよみがえるんですよね。しかも、それがふわっとした食べもののときが多い。」
「だから、東京の名物って、すぐ忘れられるようで、すごくしぶとく残ってるんだと思う。派手じゃないけど、ちゃんといるの。」
京花の声はゆっくりで、でも芯があった。
颯が苦笑いしながらつぶやいた。
「しぶとく残る東京って、なんかキャッチコピーみたいっすね。」
「悪くないと思う。たしかに、派手じゃないけど忘れられない味がいちばん記憶に残るもんな。」と水島。
しばらく沈黙が流れたあと、
京花が立ち上がり、再びマイクの前に座った。
「ちょっとだけ、録るね。おまけに使うかも。」
【ボーナス録音】
「今回の放送では、形が記憶を呼び起こすということを改めて感じました。味は舌で感じるものだけれど、それが心に残るかどうかはきっと、どう食べたかで決まるんだと思います。」
「東京の味は静かに記憶を育てていく。そのやさしい力を私たちはきっともっと信じていいんだと思います。」
録音を終えた京花は静かにマイクをオフにした。
スタジオの空気は昼間よりも少しだけ甘かった。
―――
朝。
京花がコーヒーを飲みながらSNSをチェックしていたときだった。
画面に、見覚えのあるアイコンが浮かび上がった。
日向るいの投稿が目に留まる。
> 最近話題の北千住の丸いたまご焼き。
関西風の出汁巻きたこ焼きにそっくりで驚いた!
やっぱり和食って全国でつながってる感じがして素敵です。
その言葉だけなら、特に問題はなかった。
けれど、コメント欄には、すぐさま反応が集まった。
「そっくりって……つまりパクリってこと?」
「関西の味を“東京名物”って名乗るのはどうなの?」
「また東京が何でも自分のものにしてる」
「そっくりじゃなくて参考にしてるだけでは?」
「日向るいさん、影響力あるんだから慎重に」
30分もしないうちに、「だし巻きたこ焼き論争」というハッシュタグが生まれた。
そんな空気をさらに複雑にしたのは、ある対談記事。
南波修司が、とある文化系Webメディアでの発言。
> 「泣ける形の食べ物って、最近やたら目にしますよね?あれって食の話じゃなくて、演出の話でしょ?」
> 「食べ物にストーリーを盛りすぎると、味そのものはどこかに消えていくんですよ。」
SNS上では「これは京花の番組を遠回しに批判してる」と話題になり、るいのそっくり発言を利用するように拡散された。
スタジオに到着した京花に、千紘がタブレットを見せながら言った。
「ちょっと面倒な空気になったね。」
「うん。正直、これはるいさんの言い方も悪くなかったと思うけど、読み手が都合よく解釈しちゃったね。」
水島がソファに寝転がりながらぼやく。
「でも、東京がまた盗んだみたいな論調は、なんか違う気がする。」
そのとき、千紘が手元のタブレットを操作しながら、険しい顔で言った。
「あれ? 南波、また何か書こうとしてるかもしれない。」
画面には、まだ公開されていないが下書き中とマークされた記事タイトルが表示されていた。
> 『感情に踊らされる消費者達「北千住の卵たこ焼き」が証明した虚構グルメの現在』
> 『インフルエンサーによる記憶商法と地域文化の分断』
「今回は、番組じゃなく、るいさんごと燃やす気かも。」
京花は、迷った。
この件に触れるべきか、触れないべきか。
炎上中の話題にわざわざ火を注ぐ必要はない。
しかし、このまま放っておけば、あの店や、あの味の優しさが、いつの間にかパクリという汚名を着せられることになる。
「東京って、盗むというより混ぜる街なんだと思うけどね。」
京花の声は穏やかだった。
「文化が集まって、混ざって、変化して、そして今ここにある東京らしさになるんだよ。それって、真似じゃなくて消化じゃん。」
千紘が、ポッドキャストで取り上げるかどうか尋ねた。
「もちろん。」
京花は即答した。
「たこ焼きの顔をした、だし巻き玉子。あの味を食べて、心が動いた私が、この話を避けるのは誠実じゃないでしょ?」
収録スタジオで、京花は録音ボタンを押した。
「今回の話題は、ひとつだけ。似てるけど違うということについてです。東京の北千住で出会った、だし巻きたこ焼き。それを関西のたこ焼きとそっくりだと感じる人もいます。でも、私があの味を食べて感じたのは、東京の言い訳がましい優しさでした。」
「似てるって言葉には、比べる意味もあります。でも、残すって行為には、重ねる意味があります。」
「東京の味は、いつもなにかに似ている。けれど、なにかそのままじゃない。どこか違っていて、どこか照れていて、どこか東京なんです。」
「誰かが昔のたこ焼きを思い出して笑ってくれるなら、誰かが出汁の香りで泣いてくれるなら、それは、まねではく、物語の継ぎ足しだと思っています。」
録音を終えた京花は、マイクを静かに止めた。
千紘がふっと息をついた。
「炎上っていうより、ちゃんと届けたって感じっすね。」
颯がつぶやいた。
「東京って説明じゃなくて余白で勝負してるって言葉、思い出したっす。」
京花は微笑んだ。
「じゃあその余白を言葉にして残そう。それが、私たちのやり方だよね!」
その時、るいから、思いがけず京花のもとに直接メッセージが届いた。
> 『京花さん。言葉が足りず、ご迷惑をかけてしまってごめんなさい。 実は今日、まるたけさんに行ってきました。 SNSに載せるつもりはなくて、ただ、自分の心で味わいたかったんです。
一口で、泣きそうになりました。
あの形に、あの味に、何かが包まれてて。
ああ、京花さんが言ってた心の形って、こういうことだったんだって思いました。』
メッセージの最後にはこう綴られていた。
『私は、京花さんの番組を聴いて育った一人のリスナーです。 だから、番組、終わらないでほしいです。』
京花のフォロワーやファンの一部も、彼女の元へ流れていっている。
そして、日向るいは京花がかつて担当していた番組の、後継番組のパーソナリティに内定しているという噂を、京花は耳にしていた。
一方、京花の知らぬところで南波は別の場でこう語っていた。
> 「思い出と味を結びつけるのは構わない。けれどそれを不特定多数に共有するなら、自分だけの思い出じゃなくなる。それは私の記憶を売ってることにならないのか?」
視聴者に届ける言葉が、無意識に誰かの記憶を搾取するという指摘。
彼はあくまで問題提起として話していた。
―――
収録の翌日、京花はもう一度「まるたけ」を訪れた。
あのだし巻きたこ焼きが、今このタイミングでもう一度食べたくなったのは、昨日のやり取りとリスナーたちの声が、心にじわりと残っていたからだった。
「おかえりなさい。」
店主の白石さんは変わらない笑顔で迎えてくれた。
注文はもちろん、例のまるいたまご。
鉄板で静かに焼かれる卵液。
だしの香りが鼻に届き、ジュワッという音が耳をくすぐる。そのすべてが、昨日とは違う温度で京花の五感を包んだ。
ひと口かじると、熱とだしと卵のやさしさが改めて胸に沁みた。
「やっぱりこれ、東京の味ですよ。」
白石さんが、笑いながら言った。
「どこが?」
「東京って、誰かに似てるって言われても、そうかもねって笑って返せる街だと思うんです。比べるより、混ざる方を選ぶっていうか?」
その言葉に、白石さんはしばらく黙ってから、こう返した。
「似てるって言われるのは、ちゃんと見られてるってことでもあるからね。たぶん、違いより興味が先にある。そういう風に受け止めると楽になるんだ。」
京花は最後のひと玉をゆっくりと口に入れた。
「この形は、遊びだけじゃない。ちゃんと受け取る姿勢が詰まってる気がします。まるい形って、誰かを拒まないから。」
―――
その日の夜、いつものスタジオで、京花は最後の録音を始めた。
「たこ焼きの形をした、だし巻き玉子。それは、東京という街の柔らかい答え方だった気がします。」
「似てると言われても、うん、でもちょっと違うよと笑いながら答えるやさしさ。どこから来たかではなく、どこで出会ったかを大切にするあり方。」
「そういう静かで、まるい東京が、このお店とこの味には詰まっていました。」
―――
その日の午前中、チーフプロデューサーから再び連絡が入っていた。
「最終回の反響がすごい。リスナーからの継続希望が殺到している。スポンサーも、もう一度検討したいと言ってる。番組、継続できるかもしれないぞ。」
京花は、静かにマイクをオフにした。
水島、颯、千紘が顔を見合わせ、安堵の表情を浮かべる。
京花は、3人にそっと微笑んだ。
「最終回だと思って収録した、あの日の言葉に嘘はないよ。でも、もう一回だけ、皆と一緒に旅を続けてもいいよね!」
彼女の瞳には、かつての迷いはなかった。
―――
そして、その日の夜。
京花のSNSには、一枚の写真が投稿された。
それは、北千住の駅前で撮られた、だし巻きたこ焼きの写真だった。
迷子になっていた私を、見つけ出してくれた味。
笑って、泣いて、また前を向くきっかけをくれた味。
まるい味は、心の形に似ているのかもしれません。
皆さん、明日からも、東京のいい味、一緒に探していきましょうね。
その投稿は、瞬く間に拡散された。
「京花さん、おかえりなさい!」
「泣きました。私も明日、まるたけ行きます!」
「継続希望、出してよかった!」
京花は、溢れるほどのメッセージを読みながら、静かに涙を流した。
番組の継続は、リスナーと、そしてあのまるい味がくれた、もう一度のチャンスだった。
しかし、その裏で南波は新たな記事を準備していた。
> 『やさしい味に涙する社会。共感疲れの時代における食文化の危機』
> 「あえて言うなら、まるい形で記憶を包むのは、表現としてあまりにも都合がよすぎる。本当に語るべきは、なぜ今そんな物語が求められるのか?という社会側の問題でしょう。」
発信はあくまで冷静な文化批評として。
だがその刃先は、京花と彼女のリスナーたちへ向けられていた。
次の放送で、彼女は再びマイクに向かう。
その声は、かつてないほど穏やかで、しかし確信に満ちていた。
「今日の東京リアルグルメは、だし巻きたこ焼きでした。さて、次はどんな味に、会えるでしょうか。おたのしみに!」




