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【第4話】この手は、まだ燃えていない

 ギルド寮の朝は、相変わらず静かだった。

 木造の廊下に響く控えめな足音と、窓越しに差し込む柔らかな光。

 だが、ロイ・グランベルクが小さな食堂に降りてくると、珍しく先客がいた。


「……おはようございます」


 レア・フィルシュタインだった。少女は、すでにテーブルの上にパンとスープを並べ、自分の分を食べ始めていた。


「ああ、おはよう。今日は早いな」


「……少し眠れなくて」


「まあ、そういう日もある」


 ロイはいつものように豆のスープを鍋から注ぎ、自分の席に着く。レアはちらちらと彼の顔色をうかがいながら、ゆっくりとスープを口に運んだ。


「ロイさん、今日はどこに行くんですか?」


「今日は、ギルドで依頼を受けている。川の堤防の修復作業だ。簡単な力仕事だが、同行するか?」


「はい、行きます」


「ユナはまだ寝てるだろう。起きたら追いついてもらえばいい」


「わかりました」


 レアは静かに頷いた。その瞳に、不安と微かな期待が交錯しているのを、ロイは見逃さなかった。



 朝食の後、二人はギルドから少し離れた小さな川沿いに向かった。

 雨で緩んだ土手には、いくつかの場所で土砂が崩れ、木の杭が倒れていた。


「この杭を打ち直して補強するのが今日の仕事だ」


 ロイは簡単な指示を出しながら作業を始める。

 レアも見よう見まねで土を運び、木杭を支えた。


「重くないか?」


「大丈夫です。思ったより、ずっと楽です」


 黙々と作業するうち、レアの頬に薄い汗が滲む。

 川の水音と、小鳥のさえずりだけが響いていた。


「ねえ、ロイさん」


「なんだ?」


「私、こういう仕事……好きです」


 ロイはわずかに眉を上げた。


「意外だな。てっきり、炎を扱う仕事の方がいいのかと思っていた」


「いいえ。炎を使うのは……まだ怖い。でも、こういう普通の仕事なら、誰も傷つけなくて済むから」


「そうか」


 ロイは土を固める手を休めず、淡々と続ける。


「だが、君の炎もいずれ役に立つ日が来る。急ぐ必要はないが、完全に避けることもない」


「……はい。でも、今はこれで十分です」


 レアの言葉は静かで、確かな芯が感じられた。



 一時間ほど作業を続けていると、ユナがやってきた。


「……遅れて、すみません」


「気にするな。ちょうどいいところだ」


 ユナも作業に加わる。細い腕で木材を運ぶ姿は、どこかぎこちなくも真面目だった。


 ロイは二人を見ながら、自分の心に小さな安心を感じていた。

 この少女たちはまだ、不安と葛藤の中にいる。だが、ほんの少しだけ“前”に踏み出し始めている。



 昼が近くなり、三人は一度休憩を取ることにした。


 川辺の草地に座り、ロイが用意したパンと水筒の水を口にする。


「ロイさん、なぜ支援術士になったんですか?」


 突然、レアが尋ねた。


「……理由、か」


 ロイは少しだけ遠い目をして答える。


「昔は前線に出ていたが、途中で気づいたんだ。“力”を持たない者がいかに簡単に見捨てられるかを。俺はそれを嫌った。だから後方支援に回った」


「それで……私たちみたいな人を拾ってくれるんですね」


「そうだ。見捨てられるのは、あまり気分がいいものじゃないだろう?」


 レアとユナは、静かに頷いた。



 昼食を終えて作業に戻ろうとしたとき、川の向こう岸で叫び声が聞こえた。


「誰か助けて! 馬車がひっくり返った!」


 見ると、向こう岸の橋の近くで荷馬車が横転し、積み荷が散乱している。


「レア、ユナ、行くぞ」


 三人は橋を渡り、現場に駆けつけた。

 周囲には野菜や雑貨が転がり、馬は怯えて動けなくなっていた。


「怪我人は?」


 ロイが声をかけると、運転手らしき老人が足を押さえて呻いている。


「足が……動かん……!」


「すぐに手当てする。レア、ユナ、積み荷を回収しろ」


「はい!」


 二人は散乱した荷物を素早く拾い集める。

 ロイは老人の足を診て、骨折ではなく軽い捻挫であることを確認した。


「大丈夫だ。すぐ楽になる」


 簡単な治癒術式を施すと、老人の表情が和らいだ。


「あんたら、冒険者か?」


「いや、支援術士と見習いだ」


「見習い……か。いや、助かった。ありがとう」


 老人は小さく頭を下げた。



 荷物の回収が終わり、三人は橋のたもとに戻った。


「……驚いた」


 レアがぽつりと呟く。


「何がだ?」


「自分が……ちゃんと誰かの役に立てたから」


 ロイは静かに頷く。


「誰だって、何かの役に立てる。炎を使わなくても、神を降ろさなくてもな」


 ユナも、小さく頷いた。



 ギルド寮に戻った三人は、夕食の準備を始めた。


「今日は野菜が多いですね」


「さっきの老人が礼にくれたんだ。せっかくだから全部使うぞ」


 野菜を刻む包丁の音が、静かな食堂に響いた。


「……私、今日みたいな日が続けばいいなって思います」


 レアがそっと呟く。


「私もです」


 ユナが静かに答えた。


 ロイは微笑み、小さく頷く。


「きっと、続くさ。俺がついている限りはな」


 その言葉に、少女たちの表情が少しだけ明るくなった。



 夜。ロイは一人、寮の窓から外を眺めていた。

 星空の下、ふたりの少女が自分の居場所を探し始めている。


 それを支えることが、今の彼の仕事だった。


 自分の手は、まだ燃えていない。

 けれども、確かに何かを掴み始めている──そんな気がしていた。

次回──「焦げ跡と神託と、今日のごはん」

ほんの少しの平和と、少しだけ進んだ距離。

そして、レアとユナの過去が交差する。

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