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【第15話】揃った声、揃わぬ歩幅

新たな朝は、張り詰めた空気と共に始まった。


 


ギルド支部の演習場。その中央に設置された模擬戦フィールドには、結界石による安全区域が張り巡らされている。


今日はこの場で、正式に六人となった《残火の縁》候補小隊の、初の全体戦術演習が行われる。


 


「……全員、揃ったな」


 


ロイ・グランベルクは、隊員たちの顔を順に見やった。


レア。ユナ。ノア。アデル。エミリア。そして、ルシア。


それぞれの立ち位置と役割、能力の相性、戦術思考の傾向──すでにロイの頭の中では、幾通りものフォーメーションが構築済みだ。問題は、それを“現場”でどう動かすか。


 


「今日の目的は、“全員で動いて勝つ”ことじゃない」


 


指揮台に立つロイが声を張ると、六人の視線が自然と集まった。


 


「個々の力は十分だ。だからこそ、その力がぶつかり合うんじゃ意味がない。俺たちは、まだ“ひとつ”にはなれてねぇ。今日はそれを……確認して、踏み出す一歩にする」


 


ルシアはわずかに頷き、エミリアは穏やかに視線を下げた。


ユナは無言で、だがまっすぐにロイを見つめ、ノアは小さく肩をすくめる。


アデルは拳を握り、レアは少し緊張気味に隣のユナを見た。


 


それぞれの表情が、ほんの数日でずいぶん変わったとロイは思った。


(変わり始めている。だからこそ、ここが最初の“壁”になる)


 


「支援陣は、基本構成どおり。ノア、エミリア、ユナの三人で後方展開。アデルは突撃起点、レアは中間支援。そして……」


 


ルシアに視線を向ける。


 


「……ルシア、お前は副官候補として、全体の“乱れ”を把握し、俺の補佐に入ってもらう。とはいえ、戦闘参加もある。判断は任せる」


 


「了解。……死霊は常に、影に従います」


 


いつもの抑制された声。だがその内側にある静かな火──《冥脚円舞》を構成する黒き死霊たちの気配は、ルシアの足元でひっそりと舞い始めている。


 


風が通り、魔石ランプの光がちらつく。


訓練場の周囲には、ギルド職員数名が見学に来ていたが、今は誰も言葉を発しない。


ただ、空気の張りつめた密度だけが、六人と一人を包み込んでいた。


 


「よし──全員、配置につけ」


 


ロイの一声で、演習が始まった。


 


各自の足音が、訓練場の土を踏みしめる。


風が止み、結界が僅かに輝きを増す。


 


その瞬間、六人の歩幅が、ほんのわずかにズレていたことに、ロイは気づいていた。


(始まるぞ。最初の“揃わなさ”が──)


 


まだ、誰もその“誤差”の意味を知らなかった。


 


***


 


最初の接触は、アデルの突撃から始まった。


 


「突っ込むぞ──“開け”!」


 


アデルが叫ぶと同時に、空気が爆ぜた。


脚部に刻まれた強化術式が発動し、彼の体が疾風のごとく前方へ跳ねる。


 


標的となったのは、模擬戦用に配置された魔力結晶のゴーレム。三体。中級相当。肉体への殺傷力は持たないが、衝撃は実戦並だ。


 


「火力、出すよ……!」


 


続けてレアが中距離から魔力を練る。


両手に火の揺らめきが集まり、螺旋状に巻き上がる。


 


だが──その瞬間。


 


「干渉、強すぎる……!」


 


ノアの短い警告が走った。


後方で展開していた術式群が、一瞬だけ、熱による歪みに乱されたのだ。


エミリアが支援陣の中心で術式環を再調整するが、ユナの放つ空間補助との波形が交差し、エラーが起きる。


 


「ロイ。支援術、重複します。修正を」


 


ノアが冷静に警告するが、その裏では──アデルの突撃が、火線と重なりかけていた。


 


「お、おい、火線通るって! 巻き込む気かよ!」


「そっちが先に入るから……っ」


 


レアの火球が逸れ、アデルの頭上で爆ぜた。


衝撃波が彼を押し戻し、土煙が巻き上がる。


 


「チッ、タイミング、ずれた!」


 


アデルが舌打ちし、レアは唇を噛む。


その後ろでは、ノアが微調整した術式を一つ、静かに止めた。


 


「……死霊、三柱展開。足元、注意」


 


ルシアが静かに囁いた。


場に出た三体の黒き足元の亡霊たちが、ロイの指示を待つかのように旋回を始める。


 


「止めだ。──全員、後退。初期配置に戻れ」


 


ロイの声が、戦場に響いた。


短く、鋭く。


だがその響きには怒気はなく、ただ冷静な判断と分析が滲んでいた。


 


六人の動きが止まり、静寂が戻る。


 


「今の一撃。アデルとレアの間で、火力と突撃の軌道が被った。支援陣の調整も間に合ってなかったな」


 


ロイは静かに言葉を続ける。


 


「ノア。お前の術式展開、正確だった。ただし、補助の重ね合わせがレアの火力に負けた。火属性の波長干渉、計算に入れておけ」


「……了解。次から調整する」


「エミリア、ユナ。後方での合図が曖昧だった。詠唱と補助のタイミング、意識してくれ」


「はい……すみません」


 


エミリアが苦笑混じりにうなずき、ユナは静かに瞬きをしただけだった。


 


最後に、ロイはルシアに視線を向けた。


 


「ルシア、お前の死霊展開、タイミングは良かった。けど──俺にひと言、先に“視える”ようにしてくれると助かる」


「……失礼。以後、行動前に告げます」


 


わずかに伏せ目がちに応じるその声音には、かすかに“申し訳なさ”が含まれていた。


六人の間に、静かな気づきが流れる。


 


(戦うことはできる。だが、“一緒に”戦うには、まだ遠い)


 


ロイは短く息をついた。


 


「いいか、次の試行では“報告”を徹底する。動く前に一言でも、確認を取れ。完璧じゃなくていい。だが、黙って動くのは──チームじゃない」


 


その言葉に、皆がうなずいた。


 


そして。


誰よりも静かに、ルシアが目を伏せながら、心の内で小さくつぶやく。


 


(──あの頃の、授業と同じだ)


 


かつて臨時講師として戦術論を語った男が、目の前でまた“教えて”いる。


──違うのは、その声に“熱”があるということだ。


 


***


 


第二試行が始まったのは、それから十五分後だった。


小休憩を挟み、術式の再調整と情報共有の簡易ブリーフィングを経て、各自の配置が再び整えられる。


 


「今度は“進行役”をルシアに任せる。全体の補助と調律、任せていいか」


「……了解。死霊三柱、常駐。ロイ、支援転送術式の波形、共有を」


 


ロイが軽く頷き、肩越しに制御環を展開する。


そこに重なるように、ルシアが死霊の魔力線を編み込んでいく。


 


波形の一致を確認したノアが一歩下がる。


「干渉減少率、予測値より十二%低下。調整進行中」


 


「レア、火線を一度試射。アデル、突撃動作を後追いで」


「わかった」


「おうよ」


 


レアの掌から、今度は緩やかな炎が放たれた。


それを追うように、アデルの脚が疾走する。


火の尾を踏まず、流れるように回り込むと、ゴーレムの側面に一撃を叩き込む。


 


「今の、いけたな!」


「火力、少し下げたけど……問題なかった?」


「ああ、十分すぎるくらいだ」


 


次の瞬間、後方の術式環が淡く光る。


ユナの補助が、風の流れを読み取るように展開され、アデルの反応速度を微かに引き上げていた。


 


「“風の階梯”、重ねました。干渉、なし」


「エミリア、前方に祝福環を。足元に合わせて」


「はい、位置確認。展開まで三秒──今!」


 


エミリアの声とともに、ルシアの死霊がその場を舞う。


魔力の流れが交錯しながらも、互いを乱すことなく、ただ“そこにある”ように融合していく。


 


ノアが小さく息を吐いた。


 


「……干渉波、完全に消失。奇跡か」


 


「奇跡じゃない」


ロイの声が響く。


 


「合わせようとした結果だ。誰かが“譲った”からじゃない。全員が“預けた”から、こうなった」


 


誰もが、ほんの少しずつ、自分の枠を“開けた”のだ。


その証左のように、術式の全体像は、わずかに円を描くように安定し始めていた。


 


そしてその中心には、今──黒きドレスのような衣をまとった少女がいた。


 


ルシア=ヴァルシュタイン。


その存在はあくまで静かに、他者を支える補佐に徹している。


 


だが、かつての戦術論講義の教室で見た姿とは違う。


 


(……この人は、“意味”を持たせてくれる)


 


ルシアは心の内でそう呟く。


 


かつて、ただ“正しさ”の盾として戦術を学んだ少女が──今、“誰かと共にある”戦いに、意味を見出そうとしている。


 


「よし、全員戻れ。今回は──よくやった」


 


ロイの声に、誰もが黙ってうなずいた。


歩幅はまだ揃っていない。


 


だが、声は──確かに、今、ひとつになっていた。


 


***


 


その日の夕刻。ギルド支部の記録室は、訓練場とは対照的な静寂に包まれていた。


 


分厚い扉をノックし、ルシアが一歩、足を踏み入れる。


そこには既に、ロイ=グランベルクが待っていた。


 


書類の山を軽く脇に避け、彼は彼女に視線を向ける。


 


「申請、か?」


「はい。所属願い、提出に来ました」


 


ルシアの声音は、常と変わらぬ静けさを湛えていた。


だがその手に持つ用紙は、明らかに微かに震えていた。


 


「理由を、訊いてもいいか」


「……この隊は、“目的”を与えてくれる。私の力を、“誰かのため”に使うという目的を」


「戦術論の教室では、そこまで語らなかったな」


「当時はまだ、命題を“個人”に委ねる意味を知りませんでした」


 


「なるほど。──ルシア=ヴァルシュタイン。申請、受理する。即時配属だ」


 


短く、簡潔な言葉。


けれど、そこにあったのは疑いの余地のない信頼だった。


 


「……ありがとうございます。副官として、可能な限り貢献を」


「副官、か」


 


ロイが、わずかに口元を歪めた。


 


「言葉だけで“副官”は務まらんぞ」


「承知しています」


「なら──まずは、俺の“隣”に慣れることからだな」


 


そう言って、ロイは手元の筆を置いた。


彼女の提出した書類を一瞥し、静かに保管棚へと差し入れる。


 


ルシアは一礼し、踵を返そうとして──一瞬だけ、足を止めた。


 


「……“ありがとう”とは、どういう時に使う言葉ですか」


「ん?」


 


唐突な問いに、ロイは少し考え、肩をすくめた。


 


「自分でもよく分からんが──少なくとも、“命を繋いでくれた”とか、“意味を与えてくれた”とか……そういう時に使っても、いいんじゃねぇか」


「……そうですか」


 


それだけを呟いて、ルシアは部屋を後にした。


 


夜の廊下を歩きながら、胸元にそっと手を当てる。


 


(これは、まだ“忠誠”ではない。だけど……)


 


確かに心が何かを、微かに震わせていた。


 


(いつか、“ありがとう”と言えるように──)


 


少女は歩みを進める。


隊の歩幅は、まだ揃っていない。


けれど、それを“合わせよう”とする気配だけは、確かに宿っていた。


 


それは、烈火のように燃え盛るものではない。


静かな、けれど強靭な意志。


 


──火の踊り子は、まだ舞台の中央に立たない。


だが、その“足取り”は、着実に、歩幅を揃えようとしていた。


 



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