【第1話】冴えない男と、爆炎の少女
本作は、いわゆる“追放もの”をベースにしながら、
派手でも万能でもないスキルを持った少女たちと、
どこか冴えない中年男の再出発を描く群像劇です。
地味でも、役立たずでも、居場所はきっと見つかる。
そんな希望を込めて、ゆっくり歩む物語を綴っていきます。
少しずつメンバーが増え、やがて“追放者だけのクラン”ができるまで。
どうぞ気長に、お付き合いくださいませ。
──北方辺境、第三補給路沿いの森道。
空は曇天。昼過ぎにもかかわらず、景色全体が灰色に染まり、吐く息すら白く滲んでいた。
その林道を、ロイ・グランベルクは一人、ゆるい足取りで歩いていた。
「……はぁ……」
ため息は何度目だったか。猫背気味の痩せた背中に、くたびれたマントと予備袋が揺れている。肩には軽量の支援術式端末。手には小型の記録板。
王都からの左遷──ではなく“地方転任”を言い渡されて半年。四十代に差し掛かった男の姿は、どこから見ても冴えない一行そのものだった。
(戦術顧問をやっていた頃が、もはや夢みたいだな)
懐かしむでもなく、愚痴るでもない。ただ事実として、ロイは自分が“そういうポジションの人間になった”ことを認めていた。
「さて……ここから先は“例の現場”か」
林の奥に広がる焦げた匂い。枯れ木や土の焦げた断面が、まだ痛々しく残る斜面。
ロイはマントの中から支援術式端末を取り出し、空間に淡い光のサークルを展開する。
──《支援術式群:戦術後方系》起動。
パーティ連携支援、状況分析、索敵、連携指示、魔力反応監視モードへ。
「感知半径三〇メートル。生命反応──あり。……生き残り?」
不意に風が抜ける。
音のない、濃い沈黙の中。崩れた木の陰に、小さな人影がひとつ。
ひどく薄汚れてはいるが、それでもはっきりとわかる。──それは、少女だった。
──立っていた。
黒いローブは焼け焦げ、肩まで伸びた髪は煤け、靴は片方が脱げていた。それでも背筋を伸ばし、ロイのほうを見ていた。
「……ひとり?」
ロイの問いかけに、少女は応えなかった。
だが敵意も逃走もなく、ただ無言で見返してくる視線に、ロイは確信する。
(ここが、報告にあった“追放現場”か……)
王都に提出された報告書には、こう書かれていた。
「B級冒険者パーティ《セクター・カローラ》、任務中の暴発事故により壊滅。被害甚大。唯一生存していた魔法使い少女は、原因不明のスキル暴走により追放」と──
「……お前が、“レア・フィルシュタイン”か?」
少女は、こくりと頷いた。
「……まいったな」
ロイは、軽く頭をかいた。
その瞳。赤く、深く、沈むような色。
誰かの期待に、もう応えようとはしていない。
けれど──壊れたわけでもない。ただ、凍っていた。
「少しだけ話せるか? 俺は、ロイ・グランベルク。戦術支援術士だ。今は近くのギルドで、支援職をやってる」
「……ギルドの人?」
「ああ。けど、王都の連中とは違う。俺は“使える奴”にしか興味がない」
静かに。だがはっきりとそう言ったロイに、レアの視線が一瞬だけ揺れる。
「使える……?」
「そう。お前のそのスキル。《爆滅魔炎》だっけか」
レアの表情が、ピクリと動いた。
「……それで、みんな……」
「死んだのはスキルのせいじゃない。“使わせ方”を間違えたからだ。誰も止めず、誰も理解せず、誰も助けなかった。それだけだろう?」
その声には、怒りも憐れみもなかった。
ただ、事実だけを切り取るような、乾いた現実主義者の響き。
「お前のスキルは危険だ。それは間違いない。制御も、消耗も、運用も難しい。だが──使えれば、強い。俺は、そういうのを見逃す趣味はないんでね」
しばし、風の音だけが木々の間を渡る。
そして。
「……ロイさん」
低く、かすれる声で、少女が初めて名を呼んだ。
「私、……壊れてると思う。でも……、もし、まだ……誰かの役に立てるなら、」
その続きを、少女は言わなかった。
言葉にしなくても、ロイは理解していた。
(……こいつ、まだ、踏ん張れる)
戦力としてではなく、人として。
ロイは少女に歩み寄り、手を差し出した。
「じゃあ、来るか。食事つき、寝床つき、しばらくの仮採用。仕事は、焦らず覚えりゃいい」
「……はい」
少女は小さく頷き、ロイの手を取った。
そして、ふたりの歩みが始まった。
──辺境都市オルドリフ、第二支部ギルド寮。
粗末な木造建築の三階、端の部屋。
ロイが“補給任務帰り”とだけ報告した当日、そこにもう一つの寝床が用意された。
レア・フィルシュタイン。十五歳。
仮登録のまま、保護扱いで滞在が認められた少女。
「……ここ、使っていいの?」
「俺の部屋の半分。どうせ、半分も使ってなかったしな」
ロイは簡素な机の上に支援端末を置き、マントを脱ぐと小さな棚にかけた。
レアは黙って荷物を抱え、片隅のベッドに腰を下ろした。
「なにか足りないもんがあれば言え。着替え、タオル、魔力制御の補助具……まあ、ゆっくりでいい」
頷くだけの少女に、それ以上何も求めず、ロイはいつものように炊飯器の蓋を開けた。
「……さすがに、飯は食えるよな?」
「……はい」
言いながら、レアの腹がぐうと鳴った。
気まずそうに俯いた彼女を横目に、ロイは無言でスープ皿と小鉢を並べる。
干し肉のスープ、豆と雑穀の煮物、そして大きめに切られたパン。
「とりあえず、腹を満たせ。考えるのはその後だ」
「……いただきます」
レアがスプーンを手に取る。その動きはぎこちなく、どこか“食べ慣れていない”印象すらあった。
「……ロイさん」
しばらくして、少女がぽつりと口を開いた。
「私のスキル、《爆滅魔炎》……本当に、使えると思ってるんですか」
「思ってるよ」
即答だった。揺らぎも迷いもない。
「魔炎術系の最上位。理論上は敵集団を瞬時に蒸発させられる。だが、消耗が激しい、巻き込みが大きい、感情に連動しやすいとくれば──制御は難しい。だからこそ、“運用”次第だ」
「……でも、誰も、そう言ってくれなかった。みんな私を……」
「脅威扱い、か?」
レアはゆっくりと頷いた。
「俺はな、レア。“役に立つかどうか”で人を見るのは好きじゃない。けど、才能を“放っておく”のは、もっと嫌いだ」
「……」
「お前のスキルは、たしかに危ない。けど、死ぬほど鍛えれば“武器”になる。──何より、無理やり戦わせる気もない」
「……じゃあ、なんで助けたんですか」
レアが、初めて目を見て訊いてきた。
「誰の指示でもないのに」
ロイは、小さく笑って応えた。
「誰かが放り出した仕事を、拾い直すのが好きなんだ。使い古された地図の、書き損じの部分を読み解くのが──俺のやり方さ」
沈黙が降る。
だが、もう空気は冷たくなかった。
*
翌日、ロイはギルド支部で最低限の書類を通し、レアの滞在延長を申請した。
審査は通った。田舎ギルドには、あまりに人手が足りない。
その夜、ふたりは初めて“訓練場”へ足を運んだ。
「……ここでいい。まずは、“炎を出さない練習”からだ」
「え?」
「出すな、じゃない。“出し方を知るために、出さない”。感情を燃やすのがスキルの特性なら、まずは逆を行く」
「……変な人ですね」
「よく言われる」
ロイの言葉に、レアは少しだけ口元を緩めた。
「なら、お願いがあります」
「なんだ?」
「……“燃えなかったら、褒めてください”」
その声は震えていた。
でも、そこにはたしかな勇気が宿っていた。
ロイは頷き、静かに指を鳴らす。
「──訓練開始。索敵範囲内、魔力異常検知強化モードに移行」
淡い支援陣が、レアの周囲を優しく包み込む。
「失敗してもいい。暴発しても、俺が止める。だから、お前は“自分を知ること”に専念しろ」
「……はい」
レアの瞳に、再びあの深い紅が灯る。
けれどそれは、昨日の“諦め”とは違う。
確かに──“戦う意思”だった。
*
その夜。ギルドの廊下をロイが歩くと、すれ違いざまに小声が聞こえた。
「あの子、また保護?」「どうせ長続きしないって」「前にも一人いたろ?」
ロイは無言のまま、彼らを見返すこともしなかった。
ただ、一言だけ呟いた。
「……だから俺が拾うんだよ」
どれほど“使えない”と烙印を押されても。
可能性を、まだ投げ出さない者がいるなら。
ロイ・グランベルクは、それを拾う。
戦場の“縁の下”から、“未来の戦術”を紡ぐために──
次回──「陰の火を宿す者」
焼け跡に残されたのは、ただの暴力か、それとも意思か。
ロイは、少女の目に宿るものを見逃さなかった。