40話 別れ
「……セ、ロス──?」
振り返り視界に入ったのは、腰と胴体でちぎれたセロスの姿。
血に似せた赤黒い液体を垂れ流し、肉の代わりに詰まった鉄がこちらを覗く。
腕も脚もボロボロだった。陶器のように傷一つなかったあの肌は、傷がない所を探す方が難しかった。
それでも彼女はプライドからなのか、顔だけは美しいままだ。それこそ、傷一つない。
「はは、なんだよ。結局俺独りに……」
「あまり見ないで欲しいのだけれど。それとも、こういうのに欲情する癖でもあるのかしら」
「え……は?」
目を疑った。そして直ぐに耳も疑った。
自分の目と脳が正常ならば、セロスの口は動いた。
耳が正常ならば今確かに美しい声で悪態をつかれた。
いやでも、そんなはずはないとブルブル顔を振り目を擦る。
こういう時、耳はどうすればいいのだろうか。そんな間の抜けた事を考えていると再び彼女は口を開いた。
「……何とか言いなさいよこのグズ」
確信した。この容赦のない悪態は幻聴ではなく、現実だ。
身体が二つに別れていると言うのに、どういう訳か彼女は生きている。
「え、あ、だって……えぇ?」
先程まで涙でぐちゃぐちゃになっていた忍だが、あまりの出来事にそんなものはすっこんでしまった。
「ああ因みに、本当に勘違いしないで欲しいのだけど、さっきのは抱き着いた訳じゃないわ。見ての通りこの有様だからバランスを崩しただけ──」
眉間に皺を寄せペラペラと悪態をつくセロスを遮って、今度は忍から抱きしめた。
どうでもいい。彼女が生きてさえいれば、抱き着いただのバランスがどうとか、どうでもいいのだ。
「離れなさいこの変態。壊れかけの人形相手に何をしているのかしら」
「うるせぇ!! この馬鹿野郎、心配させやがって……!!」
「ふん、私は自動人形よ。首がもがれようが胴がちぎれようが、コアが無事でマナが残っていれば動くに決まっているじゃない」
と厳しい口調の反面、セロスの表情はとても柔らかなものだった。
「……セロス、何があったか聞かせてくれないか」
「元よりそのつもりだわ。ただその前に離れてもらえるかしら。むき出しの鉄に響くわ」
セロスを近くの木に寝かせると、一部始終を話してくれた。
忍が王都へ向かって数時間後、およそ千の軍を率いた玲瓏騎士三名が奇襲を仕掛けてきた。
序列2位と3位はさすがに強く、苦戦を強いられた。更に最高位の男の強さは別格だったらしい。
「正直、あの男さえ居なければ問題はなかったわ。さすがは天剣ね、私でも仕留めきれなかったもの」
「……そんなに強い奴がいたんなんて」
もしその男がこちらではなく、王都にいたとしたら忍の復讐は成功しなかっただろう。あの戦力に加え、セロスが敵にまわるようなものだ。
いくら運が味方になったも、それには限界がある。
「ただ玲瓏騎士第一位、俗に言う天剣ガブリエル・スターライトは別の国の間者だったわ。おかしいと思ったわ。彼はイリオスじゃなく、グラキエスの人間だもの」
「ど、どういう事だよ。なんで別の国のヤツらが急に出てくんだよ」
ここでいきなり登場したのが第三勢力の存在。
一位のガブリエルとやらが情報を流していたのか、エザフォース最北の国グラキエスの刺客がこの戦いに介入したのだ。
他の玲瓏騎士が倒れたタイミングを見計らい、たった2人の伏兵が姿を現した。
一人は背が低く腰までボサボサの水色の髪を伸ばした少年。
もう一人は異様な程背が高く、目隠しをした紺色の髪の女。
「アイツらの要求は単純よ。ピグマリオンが造ったある自動人形とそのコアのありか。詳しくは落ち着いた時にでも話すわ。とにかく、その2人にピグマリオンは負けてしまったの」
まるで何かを隠すようにセロスは話を終わらせた。違和感を覚えた忍だが、それについてもいつか話してくれるだろうと思い、ひとまずはよしとした。
そしてセロスはあまりの急な出来事に対応が間に合わず、助けることが出来なかったのだ。
彼女自身、その後剣を振るうもピグマリオンの死んで3対1になり半壊されてしまったらしい。
「クソだクソだとは思ってたけど、ここまでとは思わなかったぜ。本当にこの世界はクソったれだな」
真相を聞いて怒りが込み上げてきた。
それはイリオスやグラキエスの二人組にもそうだが、自分に対してもだ。
この森を出てすぐ、アルマールへ向かう最中に遠くに見えた大量の土煙は恐らくイリオスの軍勢がたてたものだ。
自分には関係ないと無視したが、もしあの時引き返していたなら未来は変わっていたのかもしれない。
自責の念に駆られる忍に対し、セロスはピシャリと言い放った。
「怒りも憎しみも後になさい。今は他にやるべき事があるわ。それと、貴方に手伝って欲しいことがあるのだけど」
あまりに冷徹なセロスに忍は少し腹が立ち、ぶっきらぼうに応えた。
「……なんだよ」
だがよくよく考えてみればセロスから頼み事など二年間の間で一度もない。
いや、あるにはあるのだが頼みと言うよりは命令だ。しかも雑用の。
そんなセロスが忍に手伝って欲しいと言うのだから、相当な事なのだろう。
「ピグマリオンが逝った今、私のマナの供給源はないわ。普通に暮らしていて一年もつかもたないかと言った所かしらね。勿論マナを使えば使うほど動ける時間も減るわ」
「だから俺にマナを供給しろって事か」
自動人形の仕組みはざっくりとしか分からないが、人間と同じ様にマナを生み出す事は出来ないらしい。
彼女がどのようにしてピグマリオンからマナを貰っていたのかはわからないが、断る理由がない。
と、早とちりして答えたはいいが彼女の表情を見る限り、どうも違うらしい。
「馬鹿ね、事はそんな簡単じゃないの。そもそも私にマナを供給出来る人間は極わずかよ。貴方程度じゃまだ無理よ」
「なら俺に一体何を頼むんだよ」
呆れながらそう言うと、セロスは真っ直ぐに忍を見つめ、
「私を彼の元に運んでくれるかしら」
両腕をあげたセロスは、うんざりとした表情でそう言った。
「……ああ」
それまで当然のように出来ていたことが出来なくなったセロスを見て、2年前、この世界に来たばかりの自分を見ているようで胸が締め付けられた。
ボロボロになったセロスを背負い、ピグマリオンの元へと運んだ。
彼女は何を言うでもなくそっとピグマリオンの頬を撫でた。
(少し2人の時間があった方がいいか)
それから忍は二人の家があった場所に穴を掘り、セロスの気が済んだのを確認すると、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながらピグマリオンの亡骸を抱えた。
「こんなに、軽いのか……!」
師の亡骸は思った以上に軽かった。それは別に血が抜けたからという訳ではない。
元々病魔に蝕まれ弱っていたのだ。決してそれを忍には見せるような事はしなかったが。
忍は別れを惜しみながらも、できる限りゆっくりと彼を穴に寝かす。
道半ばだと言うのに、ピグマリオンは何故か満足しているように見えた。
「どうしてだよ……俺はまだ何一つ、アンタに返せてないじゃないか。この恩、どうやって返せばいいんだよ」
命の救ってもらい、絶望の淵から引き上げてくれた。
その上生きる指標と、力を授けてくれた。
父のような厳しさと祖父のような暖かさで支えてくれた。
「返しきれねぇよ……」
俯くと涙はポタポタと垂れ落ち、ピグマリオンの頬に消えていった。
その様子を隣で見ていたセロスは、下唇を噛んでいたが決して弱さは見せまいと決めているかのようだ。
「ピグマリオン、貴方は紛れもなく私の父親だったわ。全てを終えたらじきに逢いに行くわ……おやすみなさい」
セロスは祈るように目を閉じ、一筋の涙に似た液体が頬を伝った。
そして二人はどちらからでもなく、彼に土を被せた。
段々と見えなくなる姿を見ると心が締め付けられるようだった。
(仇は討つからな。空から見ててくれ)
深紅の水晶のついた杖を墓標代わりに突き立て、忍は手を合わせ目を閉じた。
「さよなら、ピグマリオン」




