39話 鈴の音と現実
忍が眠りに落ち少しさるとようやく森が見えてきた。行者は森が見えてきたので馬車を止め忍を起こした。
「兄ちゃん、ついたぞ!」
「ん……あ、ああ」
寝ぼけ眼をこすり、意識を覚醒させる。行者の言う通り、廃棄の森が見えた。
「つってもまだ少し距離はあるけどな。悪いがあとは自分でどうにかしてくれ」
「わかった。ありがとう」
一般人が近寄るには危険すぎる為、行者を忍が降りると来た道を引き返した。
ここから森の入口まで歩いたとてそう時間はかからない。十分だろう。
「ふぅー……ここに来るのもなんだか随分久しぶりだな」
廃棄の森を前に心安らぐ人間は恐らくエザフォースでも忍だけではないだろうか。
「早く2人に会いてぇ」
ピグマリオンとセロスの顔を思い浮かべるとギリギリだった心がほんの少し栄養を得た気がした。風脚を使い少しでも早く帰るため急いで森へと歩を進める。
道中、何回か小動物や魔物と遭遇したが、戦う以前の話でそれらは目が合うと猛スピードで逃げ出してしまった。
そんな事を繰り返しながら奥へ奥へと進んで行くと、風に乗って何か飛んできた。
頬についたそれを手に取り確かめてみると、
「これは……煤か? 随分派手にやり合ったみたいだな」
指についた黒い物体は煤だった。あの二人が全力で戦ったのなら煤の一つや二つもでるだろう。
特に深く考えもせずにそのまま二人の元へと急いだ。
しばらく進み、ある地点を通過すると思わず足を止めた。いや、止めざるを得えなかった。
「な、なんだこれ」
そこから先に広がっていたのは木々の生い茂る森ではなく、破壊の限りを尽くされた焦土だ。
木々はなぎ倒され、その殆どが焼き尽くされ炭と化している。
記憶が正しければ、そこには家があるはずだった。だが元々なかったかのように、跡形もなく消え去っている。
ドクンと心臓が跳ねる。今更になって嫌な予感がした。
(いや、気の所為だ。あの二人に限って負けんなんてありえない。それも玲瓏騎士なんかに。またどっか別んところに家でも建ててるんだろ、きっと)
やや興奮気味になった荒い息を整え、良い方に無理矢理思い込み焦土と化した森を歩いて回る。
すこし進むと、煤でほとんどが黒くなっているがその隙間から見える金色は見覚えがあった。
「これは……ああ、やっぱり」
煤を払いうと、見覚えのある蛇の紋章。つまり、玲瓏騎士の甲冑だ。
その他にも一般兵の焼死体はそこかしこに転がっていた。ざっと見渡しただけでも数十はあるだろう。
「大丈夫、だよな」
自分に言い聞かせるように、ピグマリオン達を探した。
そして二人目の玲瓏騎士の遺体を発見。向けられた戦力がどれほどなのかは不明だが、シュメルの口振りからするに玲瓏騎士三人がメインなはずだ。
つまり、もう一人の遺体を見つければ二人の生存率はグンと上がる。
はずだった。
「あ──」
焦げつき半分炭化した大木の根元にローブを着た遺体があった。左胸を長剣に貫かれダラリと力無く両腕を下げていた。
しわくちゃな顔と、伸び放題の髭。すぐ下には深紅の水晶がついた立派な杖が転がっている。
彼がその杖を使っているのを一度だけ見た事があった。
あれは忍が彼に挑み、手も足も出ないまま完封された時だ。
滅多に使わないと言っていたからには強力な杖なのだろう。
しかし、その杖を使った上で彼は殺されてしまっている。
忍は膝から崩れ落ちた。
負けるはずがない、そう高を括っていた。
だが彼は死んでいる。それは変えようのない事実だ。
恨みだとか怒りだとか、哀しみさえもない。忍はただ、この現実を受け入れられずにいた。
「嘘、だろ、ピグマリオン……本当は生きてんだろ? 俺を驚かせたいんだろ? セロスと一緒に……そ、そうだ、セロス……アイツなら!」
ピグマリオンから目を逸らし、現実から逃げるように走り出した。視界すら滲んでまともに前が見えない。手足の動きがバラバラでへんてこな走り方だった。何度も躓いた。
走れど走れど、死屍累々の惨状は終わることなく続いていた。
「いって……!」
その内、遺体に足をとられずっこけた。
嫌な想像ばかりが脳内に広がる。今自分が躓き蹴飛ばしたのは、もしかしたらセロスなのではないか。
そんな妄想に囚われながら恐る恐る確認するが、なんてことはない兵卒の亡骸である。
辺りを見回すも彼女の姿はなく、煤と炭の黒の世界があるだけだ。
「……セロス! いるんだろ!? 出てこいよ! 出てきてくれよ、頼むから……セロス……」
煤と同じ黒の空に向けて呟いた。ただ、気付けば口にしていた。
「──そんなに何度も呼ばなくても聞こえているわ。それとも、何度も呼ぶ程私が愛しかったのかしら」
静まり返る森の中、後ろから鈴の音のような美しい声が響いた
ああ、こんな時だと言うのに彼女は彼女のままだ。安心できる。この人をおちょくったような口ぶり、間違いなくセロスだ。
ただ忍は恐くて振り返る事が出来なかった。
もしかしたら、幻聴なのではないかと思った。
振り返っても誰もいないんじゃないかと思うと、どうしても後ろを見れなかった。
「あ……」
後ろからセロスはそっと忍の頬に触れた。
「よく帰ってきたわね。そこは褒めてあげる」
無機質な冷たい温度は間違いなく彼女のものだ。
幻聴や幻覚などではなく、今確かにこの場に息をしているのだ。
忍はその手を取り、縋り付くようにぎゅっと掴んだ。
「セロスぅ……! よかった、お前は生きてんだな……本当にもう駄目かと、独りになっちまうんじゃねぇかと……ピグマリオンが、ピグマリオンが……!」
セロスの生存を知り、忍はピグマリオンの死を受け入れた。
それを理解してしまうと、堰を切ったように涙が溢れて止まらなかった。
「少し見ない間に泣き虫になったみたいね。はぁ……ピグマリオンも逝ってしまったし、貴方の知る家もない。森も焼けてしまってこの通り。残念だけど、貴方が帰りたかった場所はもうないわ。もう、こんな私しか残っていないけれど……それでも、一応言わせてもらうわね。おかえりなさい、忍」
血と灰の世界で彼女は優しく微笑み、後ろから抱擁した。
「う゛ん……う゛ん……ただい──」
ガチャン。
鉄がぶつかるような、落ちるようなそんな音が響いた。
同時に、首に回っていた細腕は力無く地に落ちていった。冷たい温もりは嘘のように消えていった。
忍は恐くて振り返る事が出来なかった。
これが現実な気がして、後ろを見ることが出来なかった。
それでも、意を決して振り返った。
「……セ、ロス──?」
ああ、やっぱり。見るんじゃなかった。