26話 最期は笑って
地下牢の一室でケイトは目を覚ました。
両手両足を拘束されている。ただの鉄なら問題ないかもしれないが、この拘束具は特別製だ。
「ここは……チッ、魔戒石か。助けに来て逆に捕まるなんて笑い話にしたって出来が悪いな」
魔戒石とはマナの流れを阻害する効果があり、かなり頑丈なので破壊するのも難しい。
拘束具としてはかなり有能な代物だ。
ふと、この悪臭漂う地下牢に人の匂いを感じた。
間違いがなければこの匂いは、先程自分を倒した者のソレだ。
それと微かにユキの匂いも。
「ふむ、目が覚めたか獣。剥製にでもしてやろうと思ったが……どうやら貴様もガメリオンに縁があるらしいな」
見覚えのある赤い髪を一つに結び、昨夜同様に金色の甲冑に身を包んでいる。そして自らを飲み込む蛇の紋章。
正体は端正な顔付きをした女性だった。だがその瞳からは光すら飲み込んでしまうような闇を感じた。
この世界では性別など力の優劣には何の関係もない。
力がなければ魔法で強化すればいい。
たったそれだけで男女の差は埋まってしまうのだから。
「だからどうし……その胸の紋章……お前、玲瓏騎士だな? ユキはどこにいる! 答えろ!」
玲瓏騎士とは、イリオスが強国たらしめる理由の一つでもある。
一から十に分けられた騎士団の長に与えられる称号が玲瓏騎士だ。一人一人が天賦の才を持ち圧倒的な戦闘力を誇る。
たった一人で千の兵に匹敵する力を持つイリオス最強の騎士達。
目の前の少女は二十歳やそこらだろう。その若さで玲瓏騎士を名乗ることを許されるとは尋常ではない。
「そう焦るな。それを知ったところでお前程度ではどうにもならない」
「ふん、不意打ちでいい気になるなよ小娘が。先の戦争で俺は玲瓏騎士を一人殺した。こんな拘束具さえなければ貴様の首など──」
「だが、現実に拘束具はあるのだ。理想を語るのはいいが、現実を見るといい」
彼女は煽る訳でもなくただ淡々と言葉を紡いだ。
まるで仲間を殺したケイトに対してもなんの感情もないように。
そして指をパチンとならすと、ケイトの前に半透明の光の板が現れた。
「なにを──」
「これから起こることをそこでよく見ていろ。吠えるのは自由だが、己の無力さを知れ」
「まて! ユキはどこだ! クソッ」
それだけ言い残すと、彼女は名乗ることもせずにその場を去った。
その直後、光の板が一瞬ブレたかと思うとある景色が映し出された。
悪態をついていたケイトだがその景色を見るやいなや、飛びかかる勢いで暴れだした。
しかし魔戒石製の拘束具はそんな事ではビクともしない。文字通りケイトは今無力なのだ。
「──ユキッ!! おい、ここから出せッ! ! ここから出せよ……出してくれ、頼むから……」
板には王都の広場が映し出され、そこには人集りと断頭台。そして拘束され、兵に連れられたユキの姿があった。
ケイトの懇願は虚しく響くだけで、誰の耳にも届かなかった。
◇◇◇◇◇
「静まれ!! これより、罪深き敵国ガメリオンが第二王女、ユキ・レオノール・フォン・ガメリオンの処刑を執行する。玲瓏騎士、序列第七位グランツ・ベルムットがこれを執行する」
ユキを連れた兵とは別に、黄金の甲冑に身を包んだ茶髪の男が声を上げた。
歳は四十程の中年で、顎に縦の太刀傷があり歴戦の猛将のような雰囲気を醸し出している。
グランツが玲瓏騎士と名乗った瞬間、数十もの民衆が歓声が湧き上がった。
この国では英雄にも近い扱いなのだろうか。
男女問わず彼を称える声が飛び交った。
一般兵は約三十程。ユキ一人に対して些か大袈裟な気はするが、万が一に備えての事だろう。
「先の戦争は我が国は多くの兵を失った。この中には親族もいるだろう。仇を取りたいとは思わないか? この女の命を持って、道半ばに散っていった盟友達の手向けとしようではないか!」
グランツが高々に叫ぶと親族も、そうでない者も賛同し民衆の巨大な殺意は、たった一人の少女に向けられた。
「うおおお! 殺せー!」
「そうだそうだ!」
「父ちゃんの仇だー!」
殺意は声だけに留まらず、ゴミや石がユキに向け四方八方から投げられた。
だがユキは避けようとも防ごうともせずに、しっかりと前だけを向いていた。
ユキの額からは血が滲み、腕や身体の至る所で鈍痛が顔を出す。それでも彼女は前を向いていた。
グランツが手で合図すると、兵士がユキを数歩前へと歩かせた。
「くくく、言い残すことはないか?」
早く処刑したい気持ちを抑え、公開処刑の体裁を保つ為グランツが言った。
すると、ユキは更に一歩前に出た。
先程までガヤガヤと騒いでいた者も自然と口を閉じた。
目を瞑り、一度ゆっくりと深呼吸。
そして目を開き、
「──私の愛した人は獣人でした」
あまりに突飛な言葉に一気に視線が集中する。しかし、ユキは怯みもせずに続けた。
「戦争で亡くなっちゃいましたけど……騎士団長のケイトは凄いんですよ! 私が物をなくした時なんて、匂いですぐ見つけちゃうんです!」
意味のわからない事を嬉々として語る彼女の言葉は民衆の注目を集めた。
この人はなぜ死ぬ間際にこんな事を言っているのか、民衆も兵もグランツも怪訝そうな顔をしている。
これから死ぬユキだけが笑っていた。
「私が迷子になった時も、すぐに見つけてくれて……! ずっと、一緒に居てくれて…… 騎士団長にまでなって守ってくれるって……! それで、それで……あれ、おかしいな。なんで泣いちゃうんだろ……」
一つ思い出す度に三年前に失ったケイトとの思い出が涙と共に次から次へと溢れてくる。
もう整理したと、終わらせたはずの愛が息を吹き返した。
千日たっても未だに心は彼を想っていた。
まるで勝手に終わらせるなと言わんばかりに心は強く、想いを主張し続けた。
「ふん、情に訴えるとは下らん事をする」
グランツはユキの姿を見て心底嫌気が刺したように吐き捨てた。
それはなにも彼一人だけの話ではなかった。
「惑わされるな! コイツは生き延びる為に演技してるんだ!」
民衆の一人が叫ぶと、それに呼応するように次々と心ない声が上がった。
「獣人が好きだなんておかしいわ。嘘に決まってる」
「そうだそうだ!」
「嘘つき野郎!」
四方八方からくる言葉の刃は容赦なくユキを貫いていく。身体の痛みはない。だが心には確かに刺さり続けていた。
「わ、私は生き延びるつもりなんてありません……!今日ここで、処刑される覚悟でいます。逃げも隠れもしないと誓います」
それからユキはもう一度深呼吸をして、民衆を見渡しながら再び口を開いた。
「皆さん──人は……何故争うのでしょうか」
涙を拭き、一人一人に問い掛けるように言った。
何を言われようと腹を立てることなく、ユキは全ての刃を受けいれた。
「獣人だからですか? 亜人だからですか? それとも他国の人間だからですか? それって一体何が違うんでしょう」
「何ってそりゃ人と獣は違うだろ」
「こいつは一体何が言いたいんだ? 亜人と俺達が一緒な訳ないだろうが」
困惑。処刑場を囲む大半の人間が困惑していた。
獣人を愛したと訳の分からないことを言ったかと思えば、次に出てきたのは人と亜人はどこか違うのかと。
「処刑前で頭がおかしくなったのかしらね」
誰1人真剣に聞いているものは居なかった。完全な四面楚歌。それでもユキは真っ直ぐ前を見て否定の声を掻き消すように喉を鳴らした。
「──人は、人です!!そこに獣人も亜人も……他国も自国もないんです。美味しいものを美味しいと、綺麗なものを綺麗と……好きな人を好きって感じる心は、同じではないんでしょうか。私には何が違うかなんてわかりません。共に笑い、共に泣き、共に語り合うのに、見た目ってそんなに大事ですか……見た目が違うと一緒に笑う事すら許されないんでしょうか。心が!! 一番、大切なのではないですか?」
先程までの野次がピタリと止まった。亜人迫害に理由はなかったからだ。それを皆、心の奥底では理解していた。
この国が、世界がそうさせただけで、本当の意味で亜人に恨みを持つ者はこの場にはいないのだ。
ユキの最期の声が民衆の心に届いたのだ。
「だから皆さん、私で終わりにしましょうよ。種族の違いや、国の違いで争うなんてすっごく勿体ないと思うんです。
私はもうひとりぼっちですけど、皆さんはそうじゃないんですよ。まだ、間に合うんです。せっかく生まれたんですから、悲しみ嘆くよりも沢山笑って生きましょうよ!」
涙を流しながら満面の笑みで、ユキは心の内を全てさらけ出した。
自国を滅ぼされたと言うのに、敵国のど真ん中でさえ彼女は恨みつらみなどただの一言も口にしなかった。
手を取り笑いあって生きようと、そういった。
ユキは本当に心の底から平和を望んでいるのだ。
グランツが手で合図すると兵はほんの一瞬躊躇い、それでもユキを断頭台へと立たせた。
腰を曲げ、木製の台で首を固定した。ギシギシと鳴る木の音がやけに耳に残る。
あれだけ騒がしかしかった民衆の目には戸惑いの色が映っている。
「お、おい……ほんとに処刑するのか……?」
誰かが呟いた。
「殺さなくてもいいじゃないか?」
「ママ、あのお姉ちゃんどうなっちゃうの?」
「……黙って……見てなさい」
全く都合のいい連中だ。心を打たれたと言えば綺麗だが、手のひらを返したというのが適切な表現だろう。
ユキはそれが嬉しかったのか、固定されながらも笑顔を絶やす事はしなかった。
頭上の刃はユキの首を落とすにはあまりき大きすぎる。
所々に付着した血が乾きどす黒く変色していた。
斬れ味はきっとよくない。とてもじゃないが手入れをしているようには見えない。
それとも、敢えて手入れしていないのか。
そんな刃を支えているのは一本の麻縄だ。頑丈ではあるが、剣の前では無力に等しい。
グランツは刑を執行するため前に出ると怪訝そうな顔で、
「なぜ笑っている。数秒後、お前は死ぬのだぞ」
死を前に笑うユキが理解出来なかった。
死は恐い。今まで作りあげてきたものが全て消滅し、これから作り上げていくであろう未来をも飲み込んでしまう。
なのに、彼女はどうして笑うのだろう。
「──泣いて産まれたんですから、笑って死のうって決めてるんですよ」
やはり彼女は笑っていた。
「そうか。敵ながら強いな」
そしてグランツ・ベルムットは剣を抜いた。
麻縄に迫る煌めく刃を見て、ユキは安堵した。
(ああ、これでやっと──)




