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緋き夜に  作者: 兎角送火
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九幕 召喚

「街を離れるんならエハトラハト沿いに東進するのが普通だろう。なんで北なんだ」

「それだといずれ帝国領に入っちゃうでしょ。移民するんじゃなけりゃ結局は北上することになる。それならヘルトレーゼから直接北部領を目指した方が、道中寄りたい場所も幾つかあるし」

「ほう、さぞや見所なんだろうな」

「ええ、服飾の街ロデッセイとかね」

 無言で回れ右をするロランの肩をがっしり掴まえる。

「稼ぎの良い狩場も訊いて地図にメモってあるよ」

「本当だろうな。マジでお使いの旅になったら俺は夜逃げするからな」

 腰まで草に埋もれたまま歩くのは難儀だ。

 背嚢を負ぶった私達は隣合って進むのだが、どうにも歩幅や体格の違いでロランに遅れを取る。

 体力だったら私の方が上なのに、チィ。

「ね」

「んだよ」

「ソフィアの灰。本当は君が持ってるんだよね」

「……いや?」

「そう。別にいいけどね」

 薄く雲の垂れ込めた穹の下、草切れを散らす風が首元に涼しい。

 通りすがりにあった古い肋骨を撫でる。

「これ、なんの動物だろう」

「魔物じゃないのか?大戦時の遺物なら、今すっかり絶滅してる理由に説明が付く」

「“王”が“剣聖”に討たれて以来、モンスターは発生地から移動することがなくなったんだっけ」

「命令が無くなったら働かなくなる辺り、こいつらが生きてたら案外気が合うかもな」

「いいね。君が死んだらここに埋めよう」

「ならお前の灰はシリクの森に埋葬してやるよ」

 低姿勢で走り出す私の背を、大柄な青年はぽかんと呆けて見送った。

 右足で地面を弾く。

 宙に浮いたまま身体を前に倒し、下半身を高く持ち上げる。

 さらに腰を捻って横に回転。

 腰の鞘から得物を振り抜くと共に、両足を前から降ろして着地した。

 頭を捻じた角ごと上半分刎ね飛ばされた黒い水牛が、どっしりと重い震動を上げて横倒しになる。

「……おいおい」

 そのまま歩み寄ってきたロランが髪を掻いた。

「糧食は足りてるんだ。害獣指定されてない動物まで無用に殺すなよ」

 柄と十の字に交わる黄土色の尖がった鍔先から、長刃を伝い落ちた朱い雫を滴らせつつ、構えを解かない私に彼は眉を潜める。

 倒れた牡牛の背後には後続の同種が立っていた。

 一頭、いや二頭。

 後ろに庇って仲間を見えないようにしていたようだ。

 それを見たロランが哀れむように目を細め、私の肩に手を伸ばし──。

 黒牛達が一斉に口をぱっくり四つに分裂させ、歪な短牙を見せつけた。

 硬直した緑髪の青年を置き去りに、私は前一頭へとひとっ跳びに距離を詰める。

 馬の如く前肢を上げた牛の懐へスライディング。

 高草に埋もれながらも、まだ腰は地面に着いていない。

 その姿勢で利き腕を胴に巻き付けるように横転。

 一周して柄を払った。

 血飛沫を潜り抜けながらもう半周して膝を折り、しゃがみながら後退るように地を滑って停止。

「うッ!」

 後ろから闘牛の突進をまとも喰らい、つんのめる形で宙に投げ出される。

 揺れる視界に腹を掻っ捌かれて腸をぶちまける牛影が見えた。

 くそっ、仲間が死んだってのに躊躇無いヤツ。

「ベロニカっ!」

「ッ!」

 咄嗟に浮いたまま寝返り、剣を正眼に背から着地した。

 子供の金切り声を重ねたみたいな高周波を発しながら、黒牛の化け物が四つ顎で私の刀身に齧り付いた。

 圧し潰されそうな重みに腕が軋み、歯を食いしばる。

 ギリギリという金鳴りと共に牛貌がどんどん降りてきて、鼻梁に落ちた涎が左右の頬から伝っていく。

 苦渋に顔を歪める私ごと草地を覆っていた影が、唐突に向かって右へ逸れた。

 ロランの得物はバスターソードと呼ばれる十字鍔の両刃直剣。

 鞘から切っ先まで持ち手の身長ほどもあり、斬るというよりは重さで叩き付けるように使うものである。

 彼はそれを豪快に横薙ぎにして、大きさだけなら三倍はあろうかという水牛を、僅かな距離だが弾き飛ばしてみせた。

 瞠った双眸の中に朱瞳が揺れる。

「生き残ったお前がへばってんじゃねぇッ!」

 草を透かす雫を散らし、青年の横顔が慟哭する。

 私は両膝を臍に寄せ、体を弓なりに反らす勢いで立ち上がった。

 化け牛に向かっていき、右に横回りしつつ、屈む。

 噛み付く四つ顎を潜り、水平に掲げた得物の柄頭を左手で押し込んだ。

 側頭部に剣が貫通した黒い水牛を、脚を起こしつつ腕の力で草地に捻じ伏せる。

 縦に噴き出した赤液が顔にかかり、頬から顎までを流れ落ちた。


         *


 西の地平線に小さな陽玉が浮かんでいる。

 夕差しに染められた短い草葉がそよ風に揺れた。

 茂みの下をバッタが横切り、コオロギの声がどこからともなく響いていく。

 ブーツを踏み鳴らし、一本の太い灌木に手を着いた。

 根元に洞が開けていて、中を覗けば小さな焚火を前に、青年が串に刺した肉を焼いている。

「近くに池があったよ。見た感じ雨水だったし、毒気はないと思う」

「おう、サンキュー」

 投げ渡した皮水筒を掴み取り、ロランが肉串の一本を差し出した。

「塩とかねーから味は保障しないが、脂は乗ってるし食えるだろ」

 黙って受け取り、無造作に噛み千切る。

「……あの牛の骨だったのかな」

「違うだろうな。骨のがずっとデカい。あれはソーキムっていう害獣だな。ヘルトレーゼギルドの名鑑に載ってなかったが、ここ十年くらいで北から流れてきたのかもしれん。角を持って帰れば換金できるが、戻るか?」

「まさか。それより、肉はまだ残ってるの」

「鞄に詰められるだけはな。あんま欲張っても腐るから、ここ二、三日分だけだ」

 はたはたと細かな微音が聴こえてきた。

 降り出した通り雨が木肌を打っているのだろう。

 牛肉の串焼きを胃の腑に納めた私は、皮水筒で喉を潤してからそろそろと立ち上がり、洞の入り口に付近に潜んでそっと外を窺った。

 橙穹から落とされる雫達が、底に緋色を湛えながら日差しを縦切っていく。

 気付けば坂に生えた灌木の下方に、一頭の亜人が立ち竦んでいた。

 貌は人らしいオウトツがあるけれど、目や口が付いていない能面である。

 肌は白いのかもしれないが、今は夕差しを背に受けて逆光に染められていた。

 肩幅が極端に広く、腕や脚部の骨格と筋肉が大きく発達しており、頭部だけがやけに小さい。

 手足の指先に皮膚と一体化した鋭い爪が伸びている。

 声もなく雨雫を肩で弾き返しながら動かないその姿は、前衛的なモチーフの彫像みたいにも見えた。

 奴には目がないが、仮に視界があったとして。

 そこに、長い両刃剣が夕燦に閃きながら飛来するのが映る。

 咄嗟に右腕を振り抜いて弾き飛ばすと、正面間近に赤毛を浮き立たせた娘が腰に佩いた柄に手を当てて迫っていた。

 バツの字に走らせた軌跡が鬼人を四つに分断して、その背後では娘の握った刃が逆袈裟にブレている。

 体の左半分にだけ撥ねた返り血を見下ろし、私はロランのバスターソードを右手に拾って灌木に帰った。

「なんて奴?」

「オーガだ。ゴブリン以外の魔族なんて滅多に見れないぞ」

 私は剣を手渡してから可笑しくなって吹き出す。

「君って物知りなのね」

「俺を図鑑か何かと思ってるなら金輪際質問には答えないぞ」

「この辺りはも駄目なのかな?」

 森という程ではないが木々があって小輪の花も見られる丘地は、夕立ちを浴びつつ涼やかな風の音を鳴らしている。

「少なくとも人が住める土地じゃない。いつ新しい魔族が土から這い出してこないとも限らないからな。それは俺達が寝ている真下かもしれない」

 短く息を吐き出して、遥か西の日没を見つめる。

 ロランは洞から背嚢を二つ担いできた。

「行くか」

「ええ」

 腕を払って得物を納めた。

 足下の草葉に降りかかった血液は、天気雨に流されてすぐ見えなくなった。


         *


 運河の水面が家灯りを反射して、朧に雲の張った宵空の代わりに緋星を湛えている。

 板葺きの屋根は擦り切れ、煉瓦の壁には蔦が這う。

 川辺の石場に茂った広葉の下で蛙が合唱していた。

 夜だというのに路沿いに飛ぶ白鳥を尻目に、乳白床を踏みながら私は左右をゆっくり見回す。

「驚いた。人がいるね。ここ、オーガの棲息地とそう離れてないのに」

「魔物は移動しないから、寧ろ危険な獣を寄せ付けない防波堤になるんだ。ヘルトレーゼだって、近くのムートンにゴブリンが巣食ってたからこそ繁栄できた」

「皮肉だね。私達は彼らを食べる為でもなく殺めるのに、彼らがいないと街一つ守れないなんて」

 脇から伸びてきた皺くちゃの掌に手首を掴まれ、横手の店内に引き込まれた。

「うわっ」

「客引きか?えらい強引さだな」

 ロランが眉を下げて付いて来る中、つんのめった私は転倒を免れて胸を撫で下ろし、繋がれたまま腕の主を見下ろす。

「ひひっ、こんな辺鄙な村じゃ、こうでもせんとおまんま食い上げさね」

 とんがり帽子を被った小柄な老婆は、悪びれるでもなく皺の一部と化した両目を細めてにんまり笑った。

 すれ違うのもやっとな室内は、入り口以外の三方にある壁棚にぎっしり瓶詰めが並べられている。

 鉱石や果実、薬液漬けにされた小獣の標本や、ジャムみたいな粘性の光る色液。

 天井から吊り下がる燭台が風に揺れて、今にも屋根や戸棚に引火しそうだ。

「保存食なら三トリエ。触媒なら二十トリエ。細かな雑貨はひとつ七トリエが相場さね」

 背嚢を振り返ってみたものの、中身を忘れるほどずぼらじゃない。

 糧食の備蓄は十分あるし、旅の必需品は出発前にヘルトレーゼで買い込んである。

「……悪いんだけど」

「買った」

「ロランっ」

 短い緑髪の青年がずんずん店内に踏み入るので、思わず声を上げた。

 彼は適当な商品を物色すると、さして迷った風もなく瓶を三つほど指に挟むようにして持つ。

「婆さん、いくらだ」

 ローブ姿の妖しい老婆は、垂れ下がった目をぎょろりと見開いた。

「ヤコウイモリの干物と秋のアグレヤ草ジャム、それから……これは銀砂か。全部で、そうさね、百で手を打ってやろう」

「おいおいそりゃないぜ婆さん。銀砂はともかく、アグレヤなんてもう黒ずんで殆ど処分在庫だろ?せめて五十」

「馬鹿言うんじゃないよ。都会のもんからすりゃ粗悪品でもここいらじゃ貴重品さ。九十五」

「俺は使えないが、連れが最近魔法を習得したもんで、その祝いってことで乾物はまけてくれないか」

「そこは相談だね。あんたの態度次第じゃ、特別にそっちはおまけしてもいい。締めて銀貨八枚だ」

「七枚までなら出せるんだけどな。……仕方ない、やっぱりこの銀砂は諦め」

 言いながらロランが一番小さい瓶詰めを端っこの棚に戻そうと腕を伸ばす。

 するとこれまでしかつめらしい顔をしていた老婆が、急に焦ったように手を上げる。

「わ、分かった。七十で売ってやる。だからそれは持ってきな!」

 ロランはきょとんとした顔で振り返る。

 ほんの一瞬、口角がヒクついたように見えたが、気のせいだろうか。

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