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緋き夜に  作者: 兎角送火
7/10

七幕 使役

 銀髪の少女は瞳孔を開いた後に至ってなお、安らかな笑みを浮かべていた。

「シンス・インクア」

「……ッ!?」

 私がわき腹の横から向けて手のひらから、階段を伝ってディンのブーツを霜付けにする。

「……どうして、あんたが」

「魔法は血に宿るっていうからやってみたんだけど、案外上手くいったね。ソフィアの呪文は何度も聞いて覚えてるし」

 弾かれたようにディンが氷漬けにされた靴を引き剥がし、暗灯に短剣を閃かせて襲い掛かってきた。

 立ちざま、その鳩尾に膝を入れ、手首を捻じり上げる。

 激しく咽る彼女へ、私は無感動に顔を寄せた。

「いつぞやとは真逆だね、ディン。こうも弱いと、いっそ哀れだよ」

「お前ッ、お前がッ、ソフィアの遺志を継いだような顔をするな!!」

「そう?でもさ、仕方ないじゃない。だって、あなたにはできないでしょう?」

 琥珀色の瞳が揺らぐ。

 硬直する彼女の額に、額を重ねて瞼を瞑った。

「ソフィアは今もここにいる。これから先、彼女は私が連れていくよ」


         *


 人を呪わば穴二つ。

 南国の諺だそうだが、意味はよく知らない。

 きっと、魔法はひとりの口に宿るものではなく、生き血を啜った誰かに受け継がれ、その者の口から再び紡がれるといった意味なんじゃないかと予想している。

「馬車に乗るのは初めてだけど、中々快適だね」

 私が荷台から声を掛ければ、縛られた黒髪が揺れて、不機嫌そうな横顔がこちらに向けられた。

「良いご身分ね。そうやって座ってれば、勝手に目的地に連れて行ってもらえる」

「全くだわ。街に着いたら、ベネディクトには飛び切り色の良いキャロットをプレゼントしてあげないと」

 名を呼ばれた栗色の毛並みを持つ馬が唇を震わせ、尻尾を左右に振る。

 ため息を吐いて前に向き直る少女に、今度は私が顔を向けた。

「そういえばレーシュ、エリオットのやつはどこ行ったの?」

「あいつはただの腐れ縁で、パーティメンバーじゃないって言ったでしょ。知らないわよ。ヘルトレーゼに残るみたいだったし、例の婆やとまた悪巧みでもしてるんじゃないかしら」

 私とレーシュの間に際立った接点などないが、ヘルトレーゼに居づらくなったという点では共通していたし、ひとり旅は何かと危険なので同道している。

 私は“エールの風”の元メンバーには会わない為。

 レーシュは酒代のツケを払いきれなくなったらしい。

 見た目そのままだらしない女である。

 私はさっと荷台から飛び降りて駆け出した。

「え、ちょっと!?」

 背後の戸惑う声が遠ざかっていく。

 東への街道を進む馬車へ、北方向から走ってくる薄汚れた白い毛の塊。

 三頭いる。

 尾が三本に分かれた大狐だ。

「テウメッサだっけ……っ?」

 息を切らしながら首を傾げる間に、先頭の個体が肉薄する。

 顰められた面貌の中、金月色の虹彩に陽光が踊っていた。

 左斜め前へ跳びながら前傾。

 空中で寝返りを打つように回りながら、鞘から得物を抜き払う。

 太い首筋が半ばまで断ち切れ、後ろ向きにしゃがみながら着地する私の眼前に、三尾の妖狐は地鳴りを起こして転倒した。

 振り返りざま立ち、横に切っ先を払えば、続くもう一体の双眸が赤く噴く。

 そのまま屈み込んで柄を空に立て、右肩の辺りで固定するように両手持ちした。

 頭上を跳躍していった獣の腹が縦に裂け、血雫がぱらぱらと降り注ぐ。

 前肢を踏み切って止まり、威嚇しながらも動かない殿の個体へ、低く走り寄った。

 咆えながら向かってくるテウメッサの足下にスライディング。

 噛み付こうとする顎を、ブーツの靴底二つで蹴り上げる。

 そのまま両脚を大狐の首に巻き付け、眼窩に逆手持ちした剣を突き入れた。

「うぐっ」

 倒れ伏した大型肉食獣の下敷きになり、背中を草地に打ち据えられて呻き声が漏れる。

 馬車に帰り付くと、レーシュが嫌そうに眉を顰めた。

「ちょっと、その恰好で荷台上がらないでよ。商品に血が落ちたらどうする気?」

「あなたが真っ当に行商をやってるのがつくづく意外よ」

 私が見下ろした先では、小麦の詰まった袋が山積みされている。

「冒険者だけじゃいつまで食っていけるか分かんないからね。保険よ」

「今日死ぬかもしれないのに、酔狂だね」

「やあね。縁起でもない」

 車輪の鳴る音に、風の音が混ざる。

 草の葉擦れも加わって、声を揃えた。


         *


 煉瓦の屋根や白塗りの壁は、ヘルトレーゼに比べれば随分くすんでいたが、それでも他に比べればずっとマシだ。

 ムートンの開拓に当たり、北東区間を囲む外壁が建造されている。

 と言っても木製の銛を連ねただけ柵だ。

 脅威はゴブリンのみであるし、いずれは都市全体の復興を目指して、撤廃し易い簡素なものが設けられている。

 “天魔の城”と銘打たれたあの城は、ギルドとして再利用される事が決まった。

 まあ、エントランスホールの設備から見て、元からそのように利用されていたのではないかと思われるので、意外性はない。

 レーシュは荷物を商会に揚げて、またヘルトレーゼに戻っていった。

 北東区間の名称はムートンから改め、オクリアと名付けられている。

 いずれ街の再興が成った暁には、都市全域がそのように呼ばれる事になるだろう。

 近隣都市にも知らせが走っているらしく、ヘルトレーゼの西門では連日馬車の列が絶えないと聞く。

「まさに、今最も熱い市場って訳だね。ロラン」

 槌の音や怒笑の声、雑踏を背景にした喧噪の中。

 建物の壁に背を預け、座り込んだ浮浪男を私は見下ろしていた。

 刈り込んでいた緑色の髪は少し伸びて、顎や口元にも無精髭が生えている。

 生気のない眼をして片膝を抱えながら、俯いて動かない。

 私はその襟首をむんずと掴み、引き摺っていく。

 工夫や商人の丁稚が振り返り、冒険者達に野卑な声で陰口されても気にしなかった。

 向かう先の空が蒼い。この男が立ち上がる理由なんて、それだけで十分だ。


         *


 日を浴びる度、翻る剣身がその都度白く閃いた。

 ゴブリンの苦鳴と共に上がる血飛沫が、崩れた家屋の壁に降りかかり、残酷な死の斑を描く。

 反撃してくる奴が相手なら良い。

 でも、ややもすれば怯え竦むような小鬼を手に掛けた後は、瞬きの回数が減っているのを自覚する。

 善人には務まらない仕事だ。

 でも、誰かがその手を赤く染めなければ、壁に張り付く血が人のものになってしまう。

 吐いてる駆け出し冒険者を横目に、次の獲物を探して歩く。

 他のパーティと出くわしたら、仲良く談笑とはいかない。

 互いに数秒睨み合って、どちらともなく別々の路地に入る。

 まかり間違って狩場が被ったら、下手したら殺し合いになりかねない。

 街中で殺生を働けば勿論重罪だ。

 冒険者資格を剥奪されたうえで指名手配される。

 末期はゴブリンと同等の扱いと言って差し支えないだろう。

 だが、市外に於いて法は通じない。

 殺されようが、奪われようが、それを取り返す術は武力より他にないのだ。

「よぉベロニカ。素敵なお仲間だな」

「久しぶりだねディアック。そこを通してくれない?」

「おいおい、ツレないじゃねぇか。共に天魔の城を拓いた中だろう」

 ディアック、クロウ、ブラゾン、セルティナ。

 以上荒くれ冒険者崩れ四名は、ムートン北西にある旧魔術学区を狩場にしていたことを、すっかり忘れていた。

 私は背後にチラと視線を向ける。

 死んだような目で俯き、手を引かれるままになっている生気のないロランの姿があった。

「俺達もよ。一度手を組んだ御同業と事を構えたくはねぇやな」

 物言いたげにこっちを見てるクロウに、同意を求めるよう首を捻るディアック。

「でもま、この辺今ホットだからよ。ゴブリンも粗方討伐されちまって、もう獲物の当てがないし、何より」

 彼は腰から蛮刀を抜き放ち、切っ先を私の喉元で止めた。

「苦楽を共にした仲間を捨てに来るような奴なら、躊躇いなく切り捨てられるってもんだ」

 据わった目をする彼に対し、私は少し目を見開き、次いで弓なりに細めた。

「彼、今日三匹だよ」

「……嘘こけ」

「本当よ、ほら」

 前を向いたまま腕だけ伸ばし、青年の腰から得物の鯉口を切ってみせる。

 その刀身はまだ瑞々しい赤色で濡れていた。


         *


 天魔の城周辺には、相も変わらず冒険者達が各々キャンプを設営していた。

 少し離れた位置に私達も天幕を張り、毛布に包まって雑魚寝する。

 と言ってもふたりだけだし、別に不快じゃない。

「ねぇ、ロラン」

「……」

「ソフィアの灰は、どこに埋めたの?」

 街の外は魔物に溢れていて、人の使える土地は限られている。

 墓なんて上等なものは、貴族ならともかく、平民にはまず与えられない。

 冒険者と言えば死んだら火葬し、灰をどこか見晴らしの良い所に埋めてやるくらいがせいぜいだった。

「……ディンが」

 ぽつりとそう呟き、しばらく待ってもそれ以上の答えは返ってこない。

「……そう」

 私は寝返りを打って、彼に背を向ける。

 梁棒に吊るしたランタンが、枕元にぼんやりとした影を描いていた。

 魔法はひとりに付きひとつだけ宿るとされる。

 例外は余人の血を取り込むこと。

 然る女帝は広大な国中の魔法使いを掻き集めては生き血を献上させ、夜毎妃のワインにその血を垂らして啜り、遂にはその力を宿し込んだ子を産み落とすに至ったという。

 やがて大きく育ったその者は数多の魔法によって魑魅魍魎を生み出し、母から譲り受けた野望を胸に世界を征服しようと侵略を始め、果ては剣聖に討たれて魔物だけが世に蔓延るのだが、それはまた別の話。

「シンス」

「──止めろ」

 言い出した途端、はっきりとした制止の声が上がる。

 私は少し笑って、そちらにまた寝返りを打つ。

「喋れるじゃない」

「お前の口にソフィアの血が撥ねたのは偶然なのは分かってる。あの時」

 彼の脳裏にはきっと私と同じ情景が浮かび上がっている。

 白く硬いが所詮は翼の生えた蜥蜴。

 おまけに前肢が羽として発達しているから地上に落としてしまえば攻撃手段は乏しい。

 厄介なのは、滑空から一瞬の接地で鉤爪に捉えられる事。

 それがワイバーンの狩りだった。

 ギルドの、延いてはヘルトレーゼ市の代表であるビルムフォートレート以下精鋭冒険者達は、バリスタによる狙撃と逐次退避という、およそ素人であれ容易に考え至るであろう、実にオーソドックスな作戦を以って攻略に望んだ。

 その間、各パーティはゴブリンによる横槍を避ける為、戦闘地域を囲うよう配置されており、エールの風もここに加わっていた。

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