五幕 再会
「素敵だね。でもお生憎様。私は一人の方が性に合っているから」
壁の裂溝から差し込む蒼穹が大理石を静謐色に染める。
踵を返す彼らを見下ろしながら、女王様にしては貫禄が足りないかなと、自らの朱衣を引っ張った。
*
魔法生物であるゴブリンの発生は雌雄生殖の獣とは根本的に異なる。
彼らは土中より出でるのが普通であるが、人里には不思議と現れない。
深い森の奥みたいな魔力が濃い場所でなければ生まれないのだろうと考えられている。
あまり知られていないが魔物は総じて草食であり、他種族の生存を必要としない。
彼らが人間を襲うのは森を伐り出すからであり、縄張りを荒らす外敵を排除する為だった。
「体調不良って聞いてたけど」
「そういう事にしておいた方が、あいつらに禍根を残さずに済むだろう」
青年は紫髪を揺らし、ニヒルに嗤ってみせる。
「あんた、いつまでいる気?」
黒髪で低い位置で結んだ見慣れない娘が、私に向かって端正な目元を眇めた。
「この人はレーシュ。ムートンの北東ゴブリン占区で稼ぐなら、ツーマンセルが最も効率がいいからね。適当なソロ冒険者を見繕ったんだ」
「馴れ馴れしいわねエリオット。私はあくまで護衛依頼を受けただけよ。あんたの稼ぎがどうあれ、報酬はきっちり頂くからね」
「分かってるさ。でも僕が荒稼ぎしても、分け前が増えるとは思わないでよ?」
肩を竦めるレーシュは、この分だと追加報酬をせびるつもりだろう。
石造りの立派な街並みは、煉瓦葺きの屋根は多少古めかしくはあるものの、ヘルトレーゼとほぼ遜色ない。
ムートン城の尖塔から睥睨しつつ、私はついさっき見つけた旧友を密かに窺った。
城の内部情報はディアックらがギルドに報告したようで、ムートン城は現在冒険者でそこそこ賑わっている。
商魂逞しい露店主などは屋台を牽いて武具の手入れや糧食の販売をやっており、一階ホールなど最早お祭り騒ぎと言って過言ではない。
城の南側にある二つの尖塔は、西が“星級の塔”、東が“高貴の塔”と呼ばれている。
由来はそれぞれ旧魔術学区と旧高級市街を監視するうえで利用されるからだった。
螺旋階段はフロアごとに半周回廊を歩かなければ続きを登れない作りになっており、全部で十五階層ある。
本館が十階建てであるので、ちょうど二分の三倍だ。
私が偵察に選んだのは第五階層。
尖塔には門がなく、謁見の間がある本館最上階の通用口からしか出入りできない。
その為多くのパーティは十階から十五階までのフロアで哨戒を行い、見通しの悪い下層は比較的空いているのだ。
ムートン城解放から早一ヵ月。
いつもは貸し切りだったのだが、今日は先客がいた為に、冒頭のやり取りである。
エリオットとレーシュは窓溝下部の石材に鉤状の金具を引っ掛け、ロープを外壁に沿って落とした。
「そこから降りるの?」
「一々城内に戻ってたら日が暮れるわよ」
レーシュが呆れた目をして言う。
そのまま縄伝いに塔の外壁を蹴って緩やかに落ちていく二人を、ぼんやり見下ろしていた。
両名が着地した所で、窓溝から空の下へ身を躍らせる。
──赤衣がお腹に張り付き、前髪が額を何度も打った。
──腰に佩いた得物がベルトにぶつかって金音を立てる。
──俯せになった身体の正面に、焼き石敷きの地面が迫った。
両のつま先で“高貴の塔”を蹴って、落下軌道を斜めに逸らした。
前転して踵から着地し、そのまま弾むように宙返りを繰り返して慣性を受け流す。
とっ……。
着地した私がその足で小鬼の都へ歩を進めると、後ろから控え目に声が掛かった。
横目に振り返ると、レーシュが唖然として首をゆるゆる振っている。
「何考えてんの……。足見せなさい」
「別に折れてない」
「素人判断に任せられないわよ!」
彼女が怒鳴るものだから、堀を跨いで正門へ続く橋を渡っていた冒険者達が好奇の視線を投げてきた。
無視して前進し続ける。
いつまで経っても、後ろの足音が絶える事はなかった。
*
夕に焼けていく西の稜線とは対照的に、穹は色を深めていく。
白塗りの壁も煉瓦の屋根も橙に染まっているのに、日影は驚くほど暗く寒い。
小鬼達は駆け回ったりしない。騒いだりもしない。
仰向けに転がり、傍目には死んでいるみたいに見えた。
「一体起こすと全部諸共だな。ベロ、足下には気を付けろ」
「……エリオット、いつまで仲間気分でいるの。お互い“エールの風”から抜けた身の上じゃないか」
「だからこそさ。ここは協力し合う場面だと思うね」
「はっ」
鼻で笑って腰のポーチから依頼書を風に放った。
流れてきた小さな羊皮紙をキャッチし、紫髪の青年はため息を吐く。
「なんだ、ゴブリン討伐じゃないのか。折角またお前の狩りを見られると思ったのに」
「見世物じゃないっての。今日の獲物は」
私がピッと指差した空の先には、鳩が三羽程飛んでいた。
「鳥か?」
「違うよ。旧都ムートンの北門を解放する」
「なるほど、城の次は歓楽街か。期待されてるな」
「ギルドから命令なんてされてないけど」
「どうだか」
灯りの点らない街中は晴れていても仄暗い。
屈んでカンテラに火を入れる間、黒髪を結んだ少女が背後を振り返った。
「ねぇ、ヤバイかも」
「なんだよレーシュ。野宿が嫌だったら適当に切り上げるよ」
エリオットが細身の剣を抜くと、レーシュは錐のような得物を両手に一つずつ構える。
羽の音がばっさばっさと響くようになって、私もようやく異常に気付いた。
「……っ」
咄嗟に近くの軒でドアを確認する。
開いた。
ふたりに向かってかぶりを振って見せると、彼らも黙って私に続いた。
捻りを回して火を消し、窓からそっと外を窺う。
猩々緋のほうき星がいくつも降り注ぐ夜だった。
翼膜、蜥蜴の頭、長大な尻尾、全てが皙い事が闇中でも手に取るように分かる。
その竜が着地しただけで、覗いていた窓硝子はピキリと罅割れた。
「ワイバーン……久しぶりに見た。なんで?ハルタビア連峰で食いあぶれたのかしら」
レーシュがぶつぶつと考察を呟いている。
「それってミルス河の源泉でしょ?あいつ南から来たけど」
「……分かってるわよ」
上流、つまり北にある筈の棲息地からやってきたという風では無かった。
翼竜は俄かに騒ぎ出すゴブリン達には目もくれず、適当な広場に丸まって瞼を落とす。
勝手口から路地を伝って逃げる間、レーシュは何度も振り返っていた。
*
ディアックと向かい合ってチーズを齧っていると、椅子の隣に銀髪が揺れた。
「……ソフィア」
目を丸くする私に、かつてのパーティメンバーは以前と変わらず微笑みかける。
「ちょっと時間いいかしら」
「いいよ。勿論」
「おいベロニカ、勘定は」
「近々ワイバーンの討伐依頼あ入るから、その報酬で埋め合わせしよう」
適当に言い包めた大男を、今度はソフィアが瞠目して見下ろしていた。
適当な酒場の隅にあるテーブルまで来ると、懐かしい顔がもう二人分揃っていた。
「ロラン、ディンも。久しぶりだね」
「よぉベロニカ、ここ最近調子良いみたいじゃねぇか」
短く刈り込んだ緑髪に長身の男は、不機嫌さを隠そうともせず開口一番低い声を発した。
「ええ、おかげ様で」
私が素知らぬ振りをして席に着くと彼は露骨に舌打ちをした。
横目にさっきまで座っていたカウンター席を見やる。
恐らくだが、私がディアックのような強面とつるんでいることが、ロランのような半グレ者にとってあまり面白くないのだろう。
こう、アイデンティティが脅かされるというか。
「あんた、そっちの奴らと一緒に竜を見つけたらしいね」
ディンは相変わらず何を考えているのか分からない、不愛想な無表情で顎を振った。
金髪の大漢の隣に栗毛を短く結んだ益荒男が座り、今日は以前と違って仲良く杯を酌み交わしている。
「偶然ね。ムートン歓楽街で」
「歓楽街だぁ?」
ロランが木杯を行儀悪く呷った。
「北東区に行ったって?嘘こけ。お前みたいな駆け出しが、D級区分の危険領で探索できるもんかよ」
「私はFだけど、ディアック達はEに昇級してるし、パーティだから安全マージンは取れてるわよ」
「……はぁん、なるほどな。腕の立つ連中に負ぶって貰った訳だ。そういうの寄生ってんだよ。長生きできると思うな」
「──ロラン、いい加減にして」
言葉を被せるようにソフィアが窘めながら椅子を引くと、彼女が腰掛ける軋みに気圧されたようにロランは顔を背ける。
「ごめんねベロニカ。喧嘩したい訳じゃないの。あのね?あなたと向こうの、えっと、ディアックさんだっけ?彼らで発見したワイバーンだけど、ギルドの掲示板に公表が貼り出されたの。つい一時間程前だから、あなたはまだ見てないんじゃないかしら」
私は赤毛を耳に掛けて眉を下げ、微笑。
「うん。内容は?」
「C級の討伐指令。該当ランクは強制参加。上位は今回蚊帳の外で、下位は参加を認められる。組合保障は利かないみたいだけど」
ディンが手でナイフを回し、弄びながら応えた。
「そ。参加するんだ」
私が言うと、ソフィアは肩を強張らせ、それでもゆっくりと頷く。
「私はCだからね。ロランとディンはまだDだけど、これに生きて帰れたら昇級できる」
冒険者の昇級は上位依頼の達成数を基準にギルドが任意で行う。
定数は決められていない為、安易な依頼を複数こなせば早く昇級できるというものではないし、実力が認められていれば一度の上位討伐でもランクを上げられた事例は事欠かない。
昇級する折は受付嬢から事前に内示があるらしいから、彼女らが把握していても不思議じゃないが。
「寄せられてるね」
「……そうだね。昇級をちらつかせて下位の冒険者を募ってるみたい。ランクの指定もワイバーン一体にしては異様に高いし……」
ソフィアが言葉を濁すと、ディンが机を指で叩いた。
「城が解放されて、組合の連中調子に乗ってるのよ。これを機にムートン北東に棲みついたゴブリンも一掃すれば、いずれムートンもヘルトレーゼの管轄区として領主に献上できるかもしれない」
「ダイドラ侯爵だっけ」
「そうさ。王国南部を仕切ってるらしいが、噂じゃ樽が服を着て歩いてるみたいな奴らしいぜ」
南部領は北に比べて気候も暖かく、肥沃な大地はラビン王国に於ける農産の要だ。
ダイドラ卿は子爵に次ぐ第四位貴族でありながら、その影響力は小国の王に準ずると言われていた。
「それで、話は臨時パーティの依頼って事でいいのかな?なら悪いけど、私は乗れない」