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緋き夜に  作者: 兎角送火
2/10

二幕 乾杯

「「「「いただきます」」」」

「…………ます」

 相次いで匙をシチューに入れる皆を見てから、私もパンを千切って口に含んだ。

 柔らかい、上等な小麦のパンだった。

「しかしよぉ、最近シリク森林じゃもう獲物は出涸らしだよな。ここらでムートン遺跡に鞍替えしないか?あの辺り、確かゴブリンの根城だったよな?」

 ロランの何気ない言葉に、耳がぴくりと動いた。

「亜人は報酬も高いけど、致死率も高い。ビギナーの私達なんて、一月持たないわよ」

 ディンに口を挟まれて、ロランは渋い顔をする。

「私、ゴブリン討伐の依頼受けちゃった……」

「「え?」」

 ソフィアとディンが揃って声を上げ、私を振り向いた。

「どうしよう、三日後の日没までにゴブリンの耳十枚をギルドに届けないと、報酬に貰える筈だった十五トリエが違約金に変わって、でも払えないし……」

 借金を組合が肩代わりする場合、当該加盟員はギルドに取り押さえられ、指定の労働で弁済を強制される。

 鉱山の採掘夫か、遠漁船舶の櫂手か。

 顔を真っ青にして絶望する私に、エリオットが汗を垂らしながら声を掛けた。

「まあ、流石に初級者向けの依頼が未達成だからといって、即奴隷落ちは無いだろうけどね。でも僕らさっきパーティ登録しちゃったから、その負債“エールの風”で肩代わりする事になるかも」

 難し気な息を吐く一同に、私はテーブルを叩いて立ち上がる。

「あのっ、私明日だけパーティ抜けていいですか?朝一でその、ムートン遺跡?に行って、ゴブリン十匹狩ってきます!」

「どうどう、ベロニカ、落ち着いて」

 ソフィアが隣で苦笑しながら私の背に手で触れた。

「受けちゃったものはしょうがないわ。じゃあ取り敢えず、ちょっと行ってみましょうか」


         *


 私が辿り着いた街の名前は、ヘルトレーゼというらしい。

 北から南へ流れるミルス河を跨ぐ形に栄えた街で、石積みの壁とオレンジの瓦屋根で葺かれた建物が立ち並んでいる。

 街道沿いに私が元来た西へ引き返せばシリク森林に近付く。

 対してムートン遺跡は、街の東へ四半日進んだ先にある無人市街、所謂ゴーストタウンだった。

「いるわね」

 崩れかけた壁から首から先だけ出して、ソフィアが囁く。

 視線の先には、小さな人影が三つ固まっていた。

 ──森に溶け込むような緑色の肌。

 ──かさぶたのように頭頂部を覆う硬皮。

 ──子供のように頭でっかちな体躯。

「奴ら、どうやって武器なんか集めたんだ……?」

 寄り集うゴブリン達を前に、ロランが唸るように疑問を口にした。

 彼の言う通り、小鬼達はそれぞれ短剣、斧、木の槍で武装している。

「冒険者から奪った、とか?」

 エリオットの声に長身の青年は首を傾げた。

「ちょうどお誂え向きな得物を、運良く落っことす冒険者がそうそういるとは思えないが……」

 どうだろう。

 人と魔物による闘争の歴史は十年そこらじゃ済まない。

 ここだって昔から数多くの冒険者が探索に挑み、そして命を落とした場所に違いない。

 謂わば古戦場なのだから、錆び付いた武具が数多く遺されている可能性は高いように思う。

「それよりあいつら、移動するつもりみたいよ。やるなら早くした方がいいんじゃない?」

 ディンが腰裏の短剣を僅かに抜きながらソフィアに目を向けた。

 このパーティの指揮は白銀の髪を持つ少女に委ねられている。

 彼女は首を引っ込め、壁に頭を預けてしばし瞑目すると、やがて瞼を開いて毅然と言い放つ。

「ロランはいつも通り前衛、タンクをお願い。中衛のエリオットに援護を付けるわ。ディンは背後に回って逃げ道を塞いで。ベロニカは私の護衛よ」

「おっしゃ」

 物陰から走り出すロランに、エリオットも無言で追従した。

 いつの間にかディンの姿も傍から消えている。

 ソフィアが唇を瞬かせた。

 途端、彼女の足下から霜が伸び、槍を持っていたゴブリンの両足を覆う。

 つんのめって転ぶ同胞を置いて、残る二体が二人の男に気付き、奇声を発しながら迎え撃とうと走り寄った。

 ロランはバスターソードを抜いて腰を落とす。

 小鬼達が斧と短剣で斬り付けるが、彼は刃を傾け弾くばかりでやり返す気配はない。

 痺れを切らした斧ゴブリンが跳び掛かると、彼の背に隠れていたエリオットが前に出てナイフを走らせた。

 喉笛を裂かれた醜貌が吐血しながら私の足下まで落ちてくる。

「ひっ」

 後退る私を置いて、事態は進行していく。

 その場に氷漬けされていたゴブリンが槍を落として膝から崩れ落ちた。

 出血を見るに、背中からディンに心臓を一突きされたようだ。

 そのまま挟み撃ちに逢う短剣ゴブリンは得物を投げ捨て、明後日の方向へ四肢を突いて犬のように駆け出した。

「──クアっ」

 長い銀髪の娘が余裕のない表情で意味の通らない言葉を叫ぶと、今度は彼女の伸ばした掌から冷気の輪みたいなものが放たれる。

 しかしそれは脱兎の如く逃げ出す小鬼の後ろを掠め、進路上にあった灌木の幹を円形に霜付かせるに留まった。

 ──気付けば走り出していた。

「ベロニカっ!?」

 何の為に走っているのか、小さくなっていく緑色の矮躯を追い続ける。

 腰から大して刃渡りも長くない刃を抜き放ち、身体を投げ出すように肩から腕をしならせて、柄を縦に投擲した。

 それは日差しを浴びて微かに閃き。

 そして逃げ行くゴブリンを、瓦礫の石材に縫い留めた。


         *


 血の滲んだ剣を鞘に納めたまま歩く事が、こんなにも気分を害するものだとは思っていなかった。

 腰から漂ってくる鉄臭さに鼻を手で覆い、どうにか嘔吐感を堪える。

 目を瞑りたかったが、瞼の裏には息絶えた小柄な亜人の無惨な死に顔が未だ張り付いていた。

「お手柄だな」

 緑髪の青年は気安く肩を叩いてくれたが、黒髪褐色肌の少女は真剣な眼差しでこちらをジッと見てくる。

 ゴブリンの左耳が十個詰まった麻袋の重みを背嚢に感じながら、少し前を歩く紫髪の青年に視線を送った。

「エリオット、どうして冒険者になったの……?」

「楽しそうだったからさ」

「じゃあ、ロランは?」

「俺が一所に留まって律儀に働いてる姿が想像できるか?」

 俯き、赤毛を左右に揺らす。

 どうして彼らは平然と笑っていられるのだろうか。

 夕色を帯びた斜光を頬に感じながら、鉛のように重くなった足をどうにか進めていく。

「ねぇベロニカ」

 ソフィアは髪を舞わせながら、喉を反らしてそよ風を気持ちよさそうに受け止めながら言った。

「魔物なんて呼ばれてるけどね、街の外で暮らしている獣達だって、私達と何も変わらないのよ。生き物を殺めてそれを食べ、夜には眠って朝には起きて、群れを作って仲間を思いやったり喧嘩したり……」

 ディンが後ろから私の髪をぐしぐしと撫でる。

「ただ違うのは、彼らがそんな日々に疑問を持たない事よ。生きる事に憂鬱を感じたり、他種族を食べる為に害する事を、当たり前として受け容れる。そんな理想的な在り方を指して、人は“魔”と呼ぶのよ」

 風が草原にさざ波を起こして、軽口を交わすロランとエリオットのはしゃぐ声を耳に届けた。

「冒険者になりたかったんじゃない。私は魔法使いになる事を選んだんだ。でも、魔法が使えなくたって、あなたが魔女になる方法はあるのよ」

 ディンが手を放して、隣に並んだ。

 ソフィアも歩調を緩めて、私を挟むように傍へ寄る。

「冒険なんて、老後の楽しみにでも取っておきなさい」

 街が見えてきた。

 外壁もない、野晒しの都が。

「私達は、魔女になるのよ」

 震えていた足に力が戻る。

 潤んだ視界も乾いていく。

 明瞭になった視界に、蒼穹が拓けていた。


         *


 つま先が草を掻き分ける感触が好きだ。

 葉擦れの音に導かれるように歩いていると、私がこの世界にいる事が許されているのだとう実感に浸れた。

 勿論そんなものは錯覚に過ぎないのかもしれない。

 だって。

「グギャアアアアアッッッ!?」

 降り頻る鮮血が髪に降りかかり、まるで赤毛から滲み出したみたいに額から頬を濡らしていく。

 剣を振り切った姿勢でぼんやり首を傾けた。

 こんな苦痛を生き物に与えるような存在が、神に愛される筈もないのだから。

 ゴブリンが喉から血を迸らせつつも、逆手に持った短剣を私の背に下ろそうと腕を振り被る。

 その身体が上下に分かたれて、その先でロランが長いバスターソードを肩に担いだ。

「獲物が死ぬまで油断するな、ベロ」

「だって、そいつもう致命傷だったし、これ以上痛めつけるのは可哀想だと思って」

「そうかよ」

 彼は後ろから迫ってきた片手剣ゴブリンを振り向きざまに薙ぎ払い、どこぞへ離れていく。

 ──屈んだまま横閃。

 両足首の前面を裂かれた小鬼がつんのめる。

 ──跳躍。

 前方宙返りしながら、天に向かって剣先を振り下ろす。

 脊椎を縦に割られた棍棒ゴブリンが倒れ込み、悶える。

 そこまで歩いていって首を刎ねてやると、後ろから迫ったダガーゴブリンへの対応が遅れた。

「……インクア」

 鈴の音みたいな声と共に、矮躯が右腕から胸に掛けて霜付けに凍る。

「ベロ、油断」

「ごめん、ありがとソフィア」

「いいって事よ」

 ──また跳ぶ。

 宙返りから、上下逆さの姿勢で身体を横に回す。

 両脚を前に倒すのに合わせて、刃を横に払った。

 銀髪乙女の背後に迫っていた斧ゴブリンの首を、彼女を跨ぐ形で刎ね飛ばす。

 着地に失敗して、お尻からずざざっと地面に滑り込んだ。

「え」

 見上げればそこに、緑色の醜貌が満面の嗤みを浮かべ、大きな岩を振り被っていた。

 その胸から短剣が生えるのがもう少し遅れていれば、私は脳天を砕かれていたことだろう。

「こいつで最後だね」

 ディンが痙攣する小鬼を踏みつけながら辺りを見回すと、崩れた廃屋に囲まれた広場に、都合六つの死体が散らばっていた。


         *


「「「「「乾杯っ」」」」」

 音頭に馴れたのはいつからだろう。

 私達がパーティを組んでもうすぐ一月が経つ。

「しかし、ベロも馴れたものだね。もうゴブリンを殺す度に吐かなくなったじゃん」

 落花生を口に放り込むエリオットの脛を、テーブルの下で蹴り付けた。

「いってッ」

「それにしても、ムートンって相当広いよね。ヘルトレーゼより大きいんじゃないかな」

 私が話しかけると、ソフィアは「ふへっ?」とパンを頬張りながら素っ頓狂な声を上げる。

「……んぐ。そうね。元はラビン王国領内でも片手の指で数えられるような、かなり栄えた都だったって話よ。九十年前の人魔大戦で魔王軍に焼き払われて以来、復興の目途も経たないみたいだけど」

「それで下級魔族の根城になってるってんだから、笑い話にもなりゃしない」

 ロランが葡萄酒を呷り、盛大に息を吐いた。

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