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何はともあれ席に着き、三人で――というか主に師匠と母親が――話をした。
少年が二人の会話を聞いているうちに分かったことは、師匠と母親は学生時代の友人らしいということだった。関係の詳細やどれほど親しかったかは、二人の会話からは読み取れなかった。
師匠も母親もいい大人のくせに変に恥かしがって、会話はあまり弾まなかった。そこには唐突な偶然から引き起こされた困惑があり、遠慮があり、恥じらいがあって、二分間に一回くらいは不器用な沈黙がテーブル席を包んだ。
「じゃあ、東京で保育士を?」
「うん。元の夫とその園で知合って、この子がお腹にできるまで。この子ができて、元の夫と結婚して、彼の実家のある大阪に行ったの」
「そうだったんだ。で? その……離婚してまたこっちに?」
「うん。今年の六月にね」
「そうか」
母のそんな身の上話を聞きながら、師匠はホットコーヒーの紙コップを両手で包むように持って、すすす、とコーヒーをすすった。
「直己さんは? 結婚とか」
「俺? とんでもない。ただひたすら焼き鳥を焼いていただけだよ。本当にそれだけで――こんなおっさんになってしまったな」
「そうなの? 今彼女とかいないの?」
「いないよ、こんな三十八でパートのおっさんに」
「そう? いそうだけど」
「いやいや。めぐちゃんは?」
「私? いないいない! もう元夫だけでお腹いっぱい」
「そうなんだ。セクハラとは取ってほしくないんだけど、なんていうか綺麗になったなと思うけど」
「ふふ、何言ってるの? 私なんて全然だよ」
「そう?」
「そうだよ」
「……」
「……」
と、こうしてまた沈黙がはびこってきてしまうのである。二人は目を合わさぬよう、じっと二人の間にある焦げ茶色のテーブルの板に視線を落として、相手が話し出すのをもじもじ待つのだった。
そんな二人を、二人の間のいわゆるお誕生日席の位置に座っている少年が、ニヤニヤ笑みを浮かべながら眺めていた。
結局お互い初めてのお見合いでもしたかのように大して場は盛り上がらず、時間だけが過ぎてしまい、場を切り上げることになった。
「天上天下」の焼き鳥を夕飯用に買っていくと母親が言うと、師匠は「自分が買えば社割が効くから」と言って、遠慮する母親を押しきって親子に焼き鳥を買ってやった。親子にはまだ食品売り場での買い物の用があったので、そこで師匠と別れた。母親は「私は仕事があってなかなか会えないけれど、今後も息子はあなたに会いに行くと言っているので、よろしくお願いします」と丁重に挨拶し、頭を下げた。先ほどの会話の中で、母親の休みはカレンダー通りで、師匠も基本土日休みであることがお互いに知れていた。つまり師匠が働いている月~金曜日の日中には、そうそう母親は師匠に会いにイオンには行けない、ということが分かっていた。
「なんで連絡先交換しなかったん」
買い物を終えスズキワゴンRに乗りこみ、すっかり暗くなった帰り道を走っていた時、少年が母に聞いた。
「ん? なあに?」
母はどこかぼんやり運転していた。
「だからなんで師匠の連絡先聞かなかったんやって。チャンスやったのに」
「チャンス? 何が?」
「だってお母さんと師匠、ちょっといい感じぽかったやん。もしかして付き合ってたん」
母は一拍間を置いてから、
「子供がそんなませたこと言わないの」
と厳しくはねつけた。少年は「そうですか」と生意気に吐き捨てて、先ほど買ってもらった駄菓子の「蒲焼さん太郎」を歯で引きちぎり、もしゃもしゃ咀嚼した。
車のフロントガラスの外には暗くなりかけている関東平野が広がっていた。それはどこまでもだだっ広い平地で、その平らな土地に背の低い住宅と様々な業種の店舗が建ち並んでいた。それらの建物のずっと向こうに浅間山が小さく見え、闇に姿を隠しつつ稜線を地平に出っ張らせていた。ワゴンRの前を走る車のテールランプが、十一月の気の早い夕闇に赤く滲んだ。