2 少年
少年は水曜日が来るのが楽しみになった。彼が半分無理やり師匠に指名してしまったおじさんが、言ったことを違えず、夕方五時過ぎからイオンの休憩スペースで、毎週必ず話に応じてくれるようになったからだ。
考えてみればそれはかなり妙な交流だった。
始めの数回は当初の予定通り師匠が焼き鳥の作り方についてレクチャーしてくれたものの、これは意外に早く話すネタが尽きてしまい、そのうちただのおしゃべりをするだけの時間になった。師匠は寡黙なタイプであまり話さず、少年が一方的に学校であったことなどをしゃべり、それに師匠が相づちを打ちながら聴く、というのがお定まりになった。
(かっこええなあ)
休憩スペースの向かいの席に座り、自分の話を興味深げに聴いてくれている師匠の顔を見ながら、少年はつくづく思うのだった。
師匠は髪が長かった。黒髪にパーマを当てているのか天然パーマなのか分からなかったが、ワカメのようなウェーブがついて、それを肩につくかつかないかというくらいの長さまで伸ばしていた。仕事中はその髪を後ろで縛っている。
顔の作りは目鼻立ちがはっきりして眉が太く、見ようによっては男らしい顔つきだった。しかし仕事の疲れからか、それとも内臓でも悪いのかひどく顔色が悪く、目の下には濃い隈がいつもくっきり表れているのだった。痩せて頬がこけ、無精ひげをがっしりした顎にまばらに生やしている。
(戦国時代の野武士みたいな顔や)
師匠のそんな顔を眺めて、少年はそう思い、おかしがった。師匠は仕事を上がると後ろ髪をほどいて下ろしてしまうのだが、その波打つ長い黒髪も、疲れた表情も、無精ひげも、少年にとってはいかにも渋く、熟練の職人っぽく見えるのだった。
師匠はいつも五時過ぎから二十分程度、少年と話す時間を作ってくれた。始めは自分だけコーヒーを飲みながら話を聴いていたが、そのうち気を遣って少年にも食品売り場でジュースを買ってやり、二人でお茶しながら話をするようになった。師匠はその沈毅な態度で、大人しく少年の話を聴いた。少年はそんな師匠にどんどん心を許していった。
「師匠、誰か友達を好きになったことある?」
そう少年が思い切って聞いたのは、師匠が飲むコーヒーがアイスからホットに切り替わったころだった。
「それはもちろんあるよ。なんで?」
師匠はそう答えると、コーヒーを一口すすった。
少年は少しもじもじしてから、
「あんなあ、僕、大阪の前の学校にいたころ、友達を好きになってしまってん」
「うん」
「すごく仲の良い子だったから、なんていうか、自分がその子のこと好きだって告ると友達でもおれんくなるかも知れんし、その……気持ち悪がられるかなと思って」
「気持ち悪い? なぜ?」
「だってずっと仲が良くてよく遊んだりもしとったし、僕、結局んところ男前やないやんか」
少年は情けなさを覚えながら言った。胸の奥にどろどろした何かがあって、そのどろどろを胸から引きずり出していやいやながら仕方なく師匠に見せつけたような、そんな気分だった。
師匠はふっと笑った。
「見た目だけで人を好きになったり、逆に気持ち悪く思ったり、世の中そんな人ばかりではないと思うよ」
「せやけど」
「君はその友達のこと、見た目で好きになったの?」
「え? それも多少あるな」
「それもある?」
「うん。師匠はそういうことないん?」
「……言われれば多少あるな」
「なんやねん」
はは、なんかごめん、と師匠は謝って、
「でも俺も主に見た目から好きになった人が昔いて、思い切って告白したことがあったな」
「それでどうなったん」
「びっくりされたけど、付き合えたよ」
「そうなんや」
「そもそもそれでその人と付き合う小遣いが必要になって、焼き鳥屋でアルバイト始めたんだよ。だからなんていうか、人を好きになるってことは全然悪いことじゃないし、君のその相手にとって迷惑ではなかったんじゃないかな。気にすることないよ」
少年は納得できるようなできないような微妙な気がした。
「そうかなあ。まあ、僕大阪から越してしまったから、どっちみちもうその子には会えんけど。それで、師匠は好きで付き合ったその人とはどうなったん?」
師匠は遠い目をした。
「君と一緒だよ」
「一緒って?」
「その人が遠くに行ってしまって別れた。その後彼女がどうなったかは知らない」
師匠はそこまで話すと、「もう五時半だ、帰りな。俺も母親を待たせているから」と言って椅子から立ち上がった。少年もいつも通り夕食用に買った焼き鳥と惣菜の入ったエコバッグを持って立ち上がった。五時半になると少年との会話を打ち切って彼を帰らせるのが、師匠の常だった。
とにかく――年頃の子供としてはなかなか他人に打ち明けづらいこのような話までするほど、少年は師匠に打ち解けて、懐くようになっていた。そこには焼き鳥職人の弟子にして欲しい、という当初の想いとは少し違う感情が出てきていたが、そのことに少年自身が気付いているのかどうか。
それをはっきりさせるには、もう少しこの物語を続ける必要があるだろう。