1-2
「はい?」
おじさんは面食らって、ただそう返事した。少年は笑みを崩さぬまま、後ろ手にしていた両手を前に出した。右手に、何か入っている黒のエコバッグがぶら下がっていた。
少年はそのエコバッグを、おじさんの座っている席のテーブルにガサ、と置くと、何も断らずにおじさんの斜め向かいの椅子に座ってきてしまった。
「いつも、この焼き鳥全部おじさんが焼いてるんですか?」
椅子に腰掛けた少年は屈託なくそう聞いてきた。おじさんは面食らったまま、
「焼き鳥?」
と棒読みで答えた。するとエコバッグの中から焼き鳥のタレの匂いがただよってくるのに気付き、ようやく状況が掴めてきた。このエコバッグの中には、先ほど少年が買った「天上天下」の焼き鳥が入っているのだろう。
「ああ、曜日と時間帯によって違うけど、水曜日の夕食向けの焼き鳥は、だいたい俺の焼いたものだな」
ぼそぼそっと、ゆっくり諭すように答えた。おっとり考え考え話すのが、彼の子供の頃からの話し癖だった。聴く人によっては苛立ちを感じさせられる話し方だ。おじさんの答えを聞くと少年はニヤニヤ笑いから一気に口角を上げてぱあっとうれしげな顔になり、
「そうなんや! やっぱりな! 思ったとおりや」
周囲の席に座っている客たちの視線が集まるほどの声を出した。
「何が?」
再びおじさんが面食らいながら問うと、
「おじさんの焼く焼き鳥、めっちゃうまいねん。僕大阪におった時も焼き鳥お母さんと一緒に買ってけっこう食べたけど、こんなおいしい焼き鳥初めてやねん。水曜はいつもお母さん遅番で夜も園長先生と食べてきてまうから、僕一人で夕飯のおかず買いにイオンに来るんやけど、その時は絶対おじさんの焼く焼き鳥って決めてんねん」
「そうなんだ、それは――」
おじさんがおずおず謝意を述べようと口を挟みかけたが、少年はそれにおっ被せた。
「今、お店に置いてある焼き鳥全制覇中やねん。始めは好きなつくねとももと皮ばっかりやったけど、こうなったら全部食べてみよう思うてな。ぼんじりもレバーも食べたで。それから塩の焼き鳥も。でも砂肝とかナンコツとか、あれ好きな人おるん? まあまあ、考えようによってはオツやったけどな。今日は塩のつくねとハツを初めて買ったから、えっと残りは」
少年はそこまで勢いよく話し続けると、ハーフパンツ(ベージュの、ポケットのいっぱいついたカーゴパンツだった)のポケットに右手を突っ込み、コンパクトなキッズ携帯を取り出して、なにやら画面をチェックし始めた。そうして、
「カシラちゅうのと、ひなっていうのと、それからタレと塩のねぎま串で完全制覇や。……まあ、ねぎまを食べるかどうかはよく考えてからにするけど」
と最後はやや元気なく言って、体をちょっと斜めにしてポケットにキッズ携帯をしまった。
「ねぎまは食べないの?」
おじさんは少年のおしゃべりをなかなか面白く聞きながら、そう聞いてみた。
「僕ねぎ嫌いやねん」
「ふうん」
少し、間ができた。沈黙が数秒続いたところで、おじさんは会話を続けるためになんとなしに尋ねた。
「お母さん働いてるんだ?」
「そうやで。保育園の先生や」
「そうなんだ。それで水曜日は、君は遅くまでお留守番なんだね?」
「そうや。お母さんから七百円もらって、お米炊いて、イオンでおじさんの焼き鳥三本と、野菜のお惣菜を一つ買う。野菜も摂らんとお母さんに怒られるからな。余ったお米は木曜日の朝のおにぎりにする」
七百円。それを聞いておじさんはなんだか胸がキュッと痛くなった。
「偉いな。おじさんより偉いかも知れない。おじさん、朝も夜も、昼の弁当も母親に作ってもらってるから。自分で作る日もあるけど」
少年はその言葉に目をくりくりさせた。
「そうなん? まあ僕ももう五年生やからな、これくらい当然のことや」
「お父さんは何の仕事をしているの?」
この質問も、八時間勤務の後で疲れて頭が回らないなか、ただなんとなしにしてしまったのであった。
少年はスッと瞳から光を失わせた。
「僕お父さんおらへんねん」
おじさんは(しまった)と思い、本格的に胸を痛めた。
「お母さんとお父さん離婚してん。それで僕とお母さん、大阪からこっちに引越してきたんや」
「……なんか悪かったね」
「何が?」
「嫌なこと話させちゃって」
少年はハッと笑い、
「何言うとんねん。生きてれば嫌なことくらいいくらでも出てくるもんやろ」
偉そうに言うので、おじさんも少年の言葉がおかしくなり、はは、と少し笑った。
「ところでちょっとお伺いしたいのですけど」
突然少年は改まった。
「はい?」
つられておじさんも改まった返事をした。