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4-2

 冬が終わりに近づいてきたその日、二人で飲み物の買い物を終え、休憩スペースの席に一緒に座った師匠のテンションがあまりに低かったので、少年が「何かあったん」と師匠に尋ねてきた。


「何かって?」


 師匠は少年の方を向きながら、しかし眼の焦点を少年には合わせずぼんやり遠くを見ていた。


「なんか落ちこんどるやん」


「……」


 師匠はその沈黙をたっぷり一分以上続けた。先週の土日にあったことが頭によぎっていた。


「あのな、俺と君の関係って、いわゆる師弟ってやつだよな」


「シテイ?」


「師匠と弟子」


「うん、そうやな」


「でももうなんていうか――友達みたいなところもあるよな」


「まあ、そう言われればそうやね」


 そこで師匠は再び黙った。言ってしまおうかと思った。


「友達だったら、なんていうかその、お互い対等だから、俺の話を聞いてもらってもいいわけだよね? いつも君がしゃべることが多いけど」


 少年は師匠に買ってもらった「カゴメ野菜生活100 200mlパック」をストローでじゅっとすすった。


「もちろんええよ。話って何?」


「うん……これはかなり情けない話になるんだけど。もし君が俺のこと師匠として憧れたりしてくれてるんだったら――」


「ああもうええて! 師匠は師匠やけど、別に何があってもゲンメツしたりせえへんから」


「そうか」


 師匠はまた一拍置いて、


「俺、母親と長い間二人暮らししてるんだけど」


「うん」


「母親はちょっと、昔から病気があって一人では暮らせない状態で。だから俺、これまで何度か正社員にならないかって話があったんだけど、断ってきていたんだ」


 いつものゆっくりしたしゃべり方だった。考え考え、着実に言葉をつむいでいく。少年は生意気に腕を組んでそこまで聞くと、小首をかしげた。


「なんでお母さんが病気やと正社員を断ることになるん?」


「ああ、説明不足だったな。社員登用先――社員にしてくれる職場――がここの店じゃなくて、『天上天下』の別の店舗での募集でね。ついていないことに毎回遠い店だったから、引越ししなきゃいけなかったんだ。そうしたら母親が、ずっと住んできた家を今さら離れるのが嫌だって言うんだ。そうしたら、俺だけ引越して母親を一人暮らしさせるわけにもいかないだろ? その、母には病気があるから。それで社員登用の話は断ってきていたんだ」


「ふーん。それで?」


「それで、最近、母親が軽い認知症にかかっていることが分かったんだ。夕飯の買い物しにスーパーへ行って、帰り道が分からなくなった。スーパーの出口でぼんやり突っ立っているところを、近所の方が見つけて一緒に帰って来てくれて、なんとか事なきを得た。病院へ検査に行ったら、若年性の認知症だった。俺は働いている間母の様子を見てあげられないから、その間に母がまた家を出て、迷子になったりするかも知れない。東京にいる兄と相談して、母を兄の家に預けることにした。その話合いを、こないだの土日に家族でしたんだ」


「そうなんや」


「それで、それでな」


 そこまで話したところで、自分の声が若干うわずってくるのを師匠は感じた。向かいにいる少年がまさかという顔をした。師匠は既に左目から涙を一筋、無防備に流していた。


「俺、思ってしまったんだ。ああ、これで解放されたって。ようやく正社員の登用試験を受けられるって。そう、少しだけ思ってしまって」


 声が詰まって、ぽろぽろと涙をこぼした。顔を少しうつむけ、涙を手で拭った。その顔にウェーブのかかった長い髪がかかった。


 少年はあっけにとられたようだった。しばらくお互い無言でいた後、師匠が顔を上げて泣き笑いして、


「まったく情けない話だよな」


と言った。すると少年はふるふる首を振って、


「そんなことない。同じことになったら僕でもそう思ってしまうかも知れん」


と返した。


「そうかな」


「そうやで。人間やもの、仕方ないやん。全然かっこ悪くなんかないで、師匠」


 師匠は正直、小学五年生に慰められれば慰められるほど、情けなさが増した。しかしその一方で、一生懸命自分を励まそうとしてくれる人が一人、ここにいるという事実に救われ、胸に温かみが湧いてくるのも感じていた。

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