1 おじさん
(見られているな)
いつものように調理場で焼き鳥を焼きながら、そう思った。
焼き鳥を焼くおじさん店員――この時彼は三十八歳になっていたから、青年ではなくおじさんと言ったほうが適当だと思える――の目の前には十数本の焼き鳥の載った、長い焼き台があった。
焼き台は長さ二メートル以上ある横長のステンレスの台だった。三方にステンレス板が組み合わさって「コ」の字型を形成しており、コの字の左辺の、二枚の板の先端を上にして調理台に置かれている。上に突き出ているその二枚の板の先端に、金属製の細い角棒が一本ずつ寝かせて取り付けられていた。その角棒に焼き鳥の串の両端を載せて、台の内側から出てくるガスの火で焼くのだ。
この時おじさん店員は客の夕食向けの焼き鳥をこの焼き台に並べ、火の熱と格闘しながら焼き具合を注視し、時おりひっくり返していた。肉から煙がもうもうと上がり、換気扇に吸い込まれていった。焼き鳥につけたタレが火に炙られる、香ばしく甘い匂いが調理室に立ちこめていた。
(――見られている)
その甘い匂いをマスク越しに嗅ぎながら、思った。
北関東の地方都市にある大型ショッピングモール、イオンモールS新都市店。その一階にテイクアウト飲食店がずらりと並ぶ一角があり、それらのテナント群の西の端にチェーン焼き鳥店「天上天下」はあった。
「天上天下」S新都市店はテナント群の端にあるという立地を活かして、レイアウトにとあるささやかな工夫がされていた。カウンター形式の売り場だけでなく、裏の調理場も壁の一面をガラス張りにして外から見えるように設計されていたのだ。つまり調理場の焼き場をガラス壁のすぐ手前に設置し、店員が焼き鳥を焼く様子を対面式で客に見えるようにしてあった。昔ながらの焼き鳥屋の焼き場の情緒ある風景を、客に目で楽しんでもらおうという、設計者の配慮がそこににじみ出ている造りだった。
さて、その焼き場で一人黙々と焼き鳥を焼いているおじさん店員が、
(見られているな)
と感じたのは、夕方五時の退勤時間が近づいていた時だった。
この時おじさん店員は焼き場で焼き台に向かって立っていた。その数十センチ先にはガラス壁があってその向こうでは客が行きかっている。――そこから絡みつくような視線を、先ほどからおじさん店員は感じていたのだった。
おじさんは始め、視線を無視しようとした。こういう時、焼き台に向けて落としている視線を上げ、客と目を合わせると、客は気まずく思うのか店前から去っていってしまうことが多い。それはおじさんにとっても喜ばしくないことであった。できれば客たちには心ゆくまで自分が焼き鳥を焼く様子を眺めてもらえればいい、と普段から思っている。
しかし、この日の客の視線はあまりに執拗だった。見られ始めてからもうずいぶん長い時間、おじさんは視線を感じ続けていた。さすがに視線の主が気になった。おじさんは視線を上げ、調理場の外に目をやった。
子供がすぐそこに一人立っていた。小学校高学年くらいに見えた。
(男の子だろうか、女の子だろうか)
その子を見た瞬間、おじさんはまずそう思った。
子供は痩せていた。ハーフパンツと半袖Tシャツからにょきにょき細い手足を出していた。その手足が健康的に日に焼けていた。脚先を交差させて立っており、そのポーズがどこかフラミンゴを連想させた。
顔は面長で切れ長の目をしていた。瞳が大きい。しかしその瞳は光をたたえておらず、くすんでどこかミステリアスな印象を見る者に与えた。残念なことには鼻の穴が上を向いていて顔全体の景観を損ね、美形とは言いがたかった。毛量の多い長い黒髪をセンターできっぱり分けており、両耳が完全に隠れていた。
おじさんは子供の外貌を一瞬でそこまで見てとると、
(男の子……かな)
考えた。髪形も顔も細い体つきも中性的で、性別がどちらか分かりにくい。ただ、服装が男の子っぽいのと、第二次性徴期にさしかかる年頃だと想像すると、女の子にしては胸のふくらみがなかった。
目が合った。目が合うと、少年は唇を横に伸ばしてニッ、と笑った。そうして脚を交差させたまま、おじさんに向かってちょっと頭を下げた。おじさんもつられて会釈を返し、少し気まずくなって視線を下げた。そのまま焼き鳥に集中した。
しばらくして再び視線を上げると、もう少年はそこにいなかった。
(よく考えると、これまでにも何回か、うちの店に焼き鳥を買いに来てくれていた子だな)
おじさんがそんなことを考えたのは、退勤して私服に着替えて店を出てから、店のテナントの西側にあるイオンモール内の休憩スペースで、アイスコーヒーを飲んでいた時だった。
そこは食品売り場とパン店の間にあるスペースで、木製の円テーブルと椅子のセットがいくつも置いてあった。パン店のパンの焼ける匂いが漂い、食品売り場の買い物客たちの立てる物音がにぎやかに聞こえてくる場所だった。
おじさんは仕事終わりにこの休憩スペースの一角の席に座って、パン店で売っている一杯百十円のコーヒーを飲んで一服するのが常だった。家まで車で帰る前に、万一事故など起さぬよう、長時間の立ち仕事の疲れを癒してから車に乗るようにするのが習慣になっていた。
(どこか印象に残る子だったな)
プラスチックカップに氷と共に入れられたアイスコーヒーをストローで吸い上げながら、おじさんはぼんやり思い返した。おじさんが覚えている限り、あの少年はここ最近おじさんの勤務する焼き鳥店を時々利用してくれている。しかし親や友達は一緒におらず、いつも一人だった。
(なにか家庭の事情があるのだろうか)
そこまで少年のことを思った時、突然右斜め後ろの死角から、
「あの!」
と声を掛けられた。振り向いてみると正にその少年がそこに立っていたので、おじさんはひどく驚いた。
少年はニヤニヤ笑みを浮べて、やはり、脚を交差させていた。