フルダイブVRマシンが生まれた日
開いて頂きありがとうございます。
今回はVR世界で何かをする物語ではなく、VRマシンってそもそも実現可能なの?という視点からの小話です。
実際に私が生きている間にフルダイブVRが楽しめる日が来るのかどうか・・・
2xxx年○月△日。とある大企業の研究施設にて。
「脈拍正常。血圧正常。脳波に異常なし」
「データリンクの誤差0.01秒以内に収まっています」
「テストプログラム終了。起床モードに移行します」
ずらりと並んだパソコンを始めとした様々な電子機器を見つめながら淡々と状況を報告していくオペレータ達。
それらの電子機器から繋がったケーブルの先にはベッドに横たわるオムツ姿の1人の男性が居た。
なおオムツ姿なのは男性の趣味ではなく、少しの状態の変化も見逃さない為の必要な措置であり、過去に何度かお漏らし的な問題があったための措置だ。
その男性がむくりと上半身を持ち上げ、横で待機していた白衣の男性が彼の付けていた耳栓とアイマスクを外す。
その様子をじっと固唾を飲んで見守っていたオペレータ達に彼は言った。
「意識正常。記憶の混濁もなし。
最終臨床試験は成功だ。
これで3072項目に及ぶ全ての試験は終了。
みんなお疲れ様でした」
「「お疲れ様でした!」」
男性の言葉を聞いてオペレータ達は歓声を上げたり脱力して座り込んだり、果ては倒れるように眠りに就くものまで居た。
それも仕方ないだろう。
彼らの10年に及ぶ研究が遂に完成したのだから。
試験を始めたこの2月なんて碌に寝る事も出来なかった。
半年以上家に帰っていないという者もいる。
「さてみんな。無事に私達の研究が完成したので久々に家に帰ってぐっすり休んで欲しいところだが、それは明日まで待ってほしい。
遠足が帰るまでが遠足であるように、この研究も上に報告して記録に残してやっと終わりだ。
この後その上の人達が来るので軽食でも取りながら待っていて欲しい」
そうして待つこと1時間。
その場には似つかわしくない高級なスーツを着込んだ男性を先頭に6名がやって来た。
部屋に入ってくるなり顔を顰め鼻をつまむ。
「臭いな」
「申し訳ございません。社長。
一応定期的に風呂には入るように指示しているのですが、ここ数日は徹夜続きでしたので万全とは行きませんでした。
この部屋も換気は行っていますがどうしても籠ってしまう部分があります」
「……まぁいい。病気などは発生させないようにな。
それより今日は長年の研究成果がようやく出たと聞いてやってきた。
それを見せて貰おう」
「はい。
どうぞこちらになります!」
ババンと効果音が出そうなほど自信満々で男性が示したのは、先ほどまで横になっていたベッドだ。
その枕元にはケーブルの繋がった耳栓とアイマスクが置いてある。
「……私の目にはゴテゴテした耳栓とアイマスクしか見えないが?」
「はい」
「私はフルダイブ型VRマシンが完成したと聞いてやってきたのだが?」
「はい、これがその試作機になります」
自信をもって答える男性に対し、社長と呼ばれた男は目頭を押さえた。
どうやら研究で疲れて頭を少し病んでしまったのかもしれない。
それとも競合他社のスパイを欺くための偽装なのか。
「構造を簡潔に説明してもらえるかな? あくまで簡潔にだ」
「はい」
社長は念を押すように簡潔にと指示を出した。
そうしなければ研究者というのは自分の研究内容を何十時間でも話し続ける人種なので危険なのだ。
「ではまず社長はフルダイブ型VRと聞いて、構造はともかく使用者はどのように現実世界からVR世界へと移行するのかを考えてください」
「それはあれだ。
VRマシンを装着して横になれば眠るようにスムーズに意識がシフトする」
「そうです。その状況をどうやって実現すれば良いでしょうか。
既存のヘッドマウントディスプレイでは視界いっぱいに映像を流しているだけです。
臨場感あふれる映像が楽しめると言っても肉体はリアルに動くことになるでしょう。
かと言って本当に眠ってしまえば行き先は夢の中です」
「ふむ、では昔からよくあるマンガやアニメのVRマシンはどうやって動いてるんだ」
「さぁ」
「いや、さぁって」
男性の明け透けな回答に社長は呆れたように見返す。
その夢のようなシステムが出来たから自分たちは呼ばれたのではないのか。
「残念ながらどう頑張ってもそれらの模倣は出来そうにありませんでした。
そこで我々は方針を変更しました。
いっそVR世界という夢を見てもらおうと。
夢というのは言ってしまえば脳内のみで完結する事象です。
直接手足を動かさなくても夢の中なら自由に動けるでしょう。
そして外側から見ればまさに眠っているようにしか見えないので、最初の『眠るようにVR世界に行ける』訳です」
「夢か。それでアイマスクとイヤホンということかな? よく眠れるように」
「それは違います。
夢というのは脳内の事象、つまり脳波によって起きているんです。
その脳波を観測し、こちらから意図した脳波を脳へと送り込むことでVR世界の夢を見せようという作戦です。
脳波を観測するならもちろん脳に近い場所で行った方が良いでしょう。
そこで、頭蓋骨に阻まれずに済む場所、イコール耳の穴(外耳道)と目の穴(眼窩)に着目した訳です。
今回の試作機では耳栓型の装置から脳波を送り、アイマスク型の装置から実際の脳で発生している脳波を観測しています。
まぁ原理はこれくらいにして、いかがですか。実際に使用してみませんか?」
どうぞとベッドを指し示されたが社長は二の足を踏んだ。
脳に直接電波を送る? いやそれ安全なのか? という不安だ。
「あ、安全は確保できているんだろうな」
「ご安心ください。
各種安全装置は機能していますし、動作検証もここの職員全員が繰り返し行い問題ない事を確認できています」
「そ、そうか」
恐る恐ると言った感じでベッドに近づく社長。
アイマスクを手に取って見るが、ゴテゴテしたケーブルが繋がっている以外はちょっと厚めのアイマスクだ。
「これを、付ければいいのか?」
「はい」
「う、うむ。付けたぞ。この後はどうすれば良い」
「そのまま横になってください」
社長が横になったのを見計らって男性は奥の職員に指示を出した。
ブゥンという短い振動音の後、隣に設置されていた大型ディスプレイが点灯した。
映し出されたのはコンクリート製の建物の中。一人の男性(社長)が所在無げに立っていた。
そこへ向けて男性がマイク片手に語りかけた。
「社長、私の声が聞こえますか?」
『お、おぉ。聞こえるぞ。ここは一体どこだ?』
「そこは既にVR空間です。ひとまず部屋の中を自由に歩いてみてください」
『わ、分かった』
ディスプレイの中では社長が歩いたり手をぐっぱしたりと感触を確かめていた。
またリアルでは社長はベッドの上に寝ているようにしか見えない。
社長と一緒にやって来た人達もその現象を見て驚いていた。
そして社長がVR空間を一通り堪能したのを見計らって再び声を掛けた。
「社長。一度戻って来て頂こうと思うのですが宜しいでしょうか」
『う、うむ。どうすれば戻れるのだ?』
「操作はこちらでしますので社長は目を閉じておいてください」
『分かった。閉じたぞ』
それを聞いて男性が再び奥の職員に指示を出す。
するとすぐに社長の意識が戻ったようなのでアイマスクと耳栓を外してあげる。
「おぉ!戻って来たのか」
「はい、お疲れ様でした。いかがでしたか?」
「いや驚いた。
最初は奇妙なアイマスクと耳栓を見せられて大丈夫かと思ったが、確かに別世界へと行っていた気分だ。
中で会話が出来ていたと言う事はこちらでモニタリング出来ていたと言う事だろう?
その様子も見たい。誰か代わってくれ」
社長に指示されてお付きの1人が恐る恐ると言った感じでアイマスクと耳栓を装着し、再び装置を起動した。
「おぉ、確かに先ほどまで居た空間が映っている」
ディスプレイに映された部屋の様子を見て社長は歓声を上げていた。
やはり口で説明するよりも実際に体感してもらった方が早い。
ひとまずこれで試運転は終了ということで装置は停止した。
社長たちにも満足頂けたようで良かったと男性は胸を撫で降ろしたのだが。
「それで、これをベースにフルダイブ型VRマシンを開発するというのは可能なのかね?」
その質問に男性は頭を掻いた。
「可能ではあります。が」
「何が問題なのかね」
「現状のあの何もない空間で活動する前提で、ここにある設備をフル稼働させても2台を同時に起動するのがやっとなんです。
なので一般のご家庭に、という訳にはいきません。
また通信量が膨大になることからネットワーク越しにというのも厳しいです。
同様に独立したヘッドマウントディスプレイで実現させることも難しいでしょう。
実現出来るとしたら、専用の大型施設を用意してそこからVR空間へ接続する、という形になります。
それでも同時接続は10人くらいまで、ですね」
「そうか……」
夢の『一家に一台VRマシン』にはまだまだ手が届かないということだ。
だが社長は諦めなかった。
「言い換えれば、そう言った施設を造れば目の見えない人や事故で手足を失った人でも自由に走り回ったり出来るのだろう?」
「そうですね。生まれながらにその状態だと脳が理解出来ない可能性がありますが、後天的なものであれば大丈夫です」
「うむ、それなら十分に需要はあるだろう。
それと、今回はただの部屋だったが、例えば水中や火山、宇宙空間なども出来るのか?」
「不可能ではありません。が、余りに危険な状況を創り出すと利用者がパニックを起こす危険もあります。
もちろんその場合の為の緊急停止装置などは用意してありますが、利用には細心の注意が必要でしょう」
「うむ。であれば深海のダイビングツアーや宇宙遊泳体験なども出来そうだ。
将来的には一家に一台が理想だが、一足飛びにそこに辿り着いても安全面の不安などの問題もある。
まずは専用の施設を造り、VR空間に慣れていってもらうのが良いだろう。
よし、それについてはこちらに任せたまえ。
君達は更なるシステムの改良と、あと見た目をもうちょっとどうにか出来ないか検討してくれ」
「分かりました」
そうして社長の視察は無事に終わった。
で、それは良いのだけど。
「所長、どうするんですかぁ?
俺、水の計算アルゴリズムとか考えたくないっすよ」
「それに今のVR空間は熱も痛みも臭いも味も感じられない状態じゃないですか」
「触覚とかも微妙ですよね」
「うむ、まぁな」
実はまだまだまだ問題は山のように残っているのだ。
まるでリアルと変わらないVR空間の実現にはここから多くの歳月が必要になるのだった。