案山子の愚痴
案山子の愚痴
のんびりとした時間が流れる、どこかの田舎の、畑の真ん中。そこに一体の、案山子が立っていた。案山子は石ころで作られた目玉から、畑で働く人々を、ずっと見てきた。これからもそうだろう。ぎらぎらと太陽が照り付ける中、人々は土にまみれて、畑を耕し、作物を育てる。誰も案山子のことなんて、見やしない。黙ってうつむき、仕事をするだけだ。案山子はそれが寂しかった。「あぁ、おいらはみんなのことを、こんなに見ているのに、だあれもおいらを見ちゃあくれない。悲しいもんだ」と、案山子は藁の詰まった頭の中で、毎日愚痴を垂れていた。
するとそこに、案山子の唯一の友である鴉が飛んできて、案山子の肩の上にちょこんと乗った。「また愚痴かね。お前は案山子だ。案山子なのだから、これはお前が望んだことだ」と鴉は言った。この鴉は不思議なもので、案山子の考えていることが分かるようだ。案山子が「愚痴くらい人間もこぼす。案山子だけがグチグチと情けないなんて、そんなこたあないさ」と考えると、鴉は「それもそうだな。そんなことより、明日良いことが起きるぞ。楽しみにしていることだ」と言って、山へと飛んで行った。
その翌日、畑に見慣れない女の子がやって来た。どういう事情があるのか知らないが、遠くからこの村に引っ越して来たようだ。歳はまだ五歳くらいか。大人達に混じり、小さな手で一生懸命に、雑草を引っこ抜いていく。案山子がじぃっとその女の子を見ていると、女の子はその視線を感じ取ったのか、あるいはただの気まぐれか、案山子の顔を見返してきた。案山子が驚いていると、そこに女の子の父親がやって来て、女の子を連れて、家へと帰って行った。父親はどうやら体が悪いようだ。足を引きずり、顔色は悪く咳き込んでいる。女の子は帰り際に、案山子に手を振って「また明日」と言った。案山子はこの日、珍しく愚痴を垂れなかった。
それからも、毎日女の子は畑に出てきて、仕事をしては案山子に「また明日」と言って帰って行った。最初はそれが嬉しかった案山子だが、次第に疑問を持ち始めた。この女の子が、村の子供達と遊んでいるところを、見たことがないのだ。それどころか、周囲の人間達はこの女の子を避けてすらいるのだ。子供も、大人も、女の子と関わろうとしない。その疑問は間もなく解消された。女の子の父親は、罪人であったのだ。どんな罪を犯したかなど知る由もないが、住んでいた場所を追われ、どういうわけかこの村に居ついたのだろう。母親はいないようで、女の子はいつも一人ぼっちだった。案山子は「子供に罪はないだろうに。人間てのは酷いもんだ」と愚痴を垂れた。
案山子は女の子が帰り際に「また明日」と言う理由を察した。案山子の他に、話し相手がいないのだ。誰に挨拶したって、返しやしない。それどころか、睨まれすらする。だったら案山子に挨拶した方がましだ。挨拶を返さぬことは同じだが、ぎろりと睨み返したりはしないのだから。そしてそれは、女の子の父親も同じだった。ある日の夜、酒瓶を持った父親が案山子の所にやって来て、案山子に向かって話し始めた。顔は真っ赤になり、泥酔していることは明らかだ。案山子は「大の男が情けない。来るならシラフで来やがれ」と愚痴を垂れた。
「おれぁ、もうすぐ死ぬんだ。もう五臓のどこかが壊れちまってる。酔いたいから酒を飲んでるわけじゃあねぇ。早く死ぬために飲んでるのさ。おれが生きていたら、娘を苦しめる一方だ。さっさと死んじまった方がいいのさ」
父親は酒瓶を口につけ、一気に中身を飲み干した。そして声を上げてわんわんと泣き始めると、その声を聞きつけたのか、鴉が飛んできて、案山子の頭の上に乗った。鴉は人には分からぬ言語で、父親に向かってこう言った。
「お前の娘は、お前さえいなくなれば幸せになれる。来月この村に来る夫婦が育ててくれるはずだ。子宝に恵まれぬ夫婦ゆえ、大事にされるだろう」
「なぁ神様よぉ。森の神様よぉ。おれの声が聞こえているか。おれぁ今まで、散々娘に迷惑かけてきたがよぉ。命でもって償うからよぉ、娘が立派に育つところを見せちゃあくれねぇか。この願いを聞いちゃあくれねぇか」
「よかろう。聞き入れた」
その数日後、父親は死に、それから案山子は愚痴を垂れなくなった。
おわり