一話
「……起きて……」
……ん……。なんだかうるさいな……。
「……起きて……起きなさい……」
いやだ……。僕はもう少し寝るんだ……。
「……起きなさいって、言ってるでしょ!」
「はうあ!?」
突如腹部に感じた重みに、微睡んでいた僕の意識は一気に覚醒へと導かれた。
「いつまで寝てるの、ラグル!今日は『儀式』の日でしょ!」
お腹の上に乗っかって僕の名前を呼ぶこの子はセレス。僕らが暮らすこの村の村長の娘で、小さいころからよく知る幼馴染だ。彼女の両親は、この村に捨てられていた赤子の僕を拾ってセレスと一緒に育ててくれた。だから、大切な家族でもある。
「はは、そうだったね。今行くよ」
「早くしなさいよ!遅れたりしたら、一緒に居る私が変な目で見られちゃうんだから!」
そう言い放つと、セレスは立ち上がってさっさと僕の部屋から出て行ってしまった。あんなところは、昔から変わらないな。
さて、僕も身支度をするか。
「おはよう。父さん、母さん」
「ああ、おはよう」
「おはよう、ラグル」
「やっと来たわね!」
階下に降りた僕は、朝食を作っている母さんとテーブルに座っている父さんとセレスに挨拶をした。彼らは僕と血がつながっているわけではない。だけど僕のことを本当の息子のように育ててくれた。その深い愛情に、僕はとても感謝している。
そんないつもと違う僕の視線に気づいたのか、父さんは僕に笑顔で語りかけた。
「なんだラグル、改まった顔をして。何か悪いことでもしたのか?」
茶化すような父さんの言葉に、母さんが料理を運びながら答える。
「あら違うわよ。だって今日は儀式の日だもの。緊張もするわ。さあ、ラグルも座って一緒に食べましょう」
席について食卓を見ると、心なしかいつもより朝食が豪華な気がする。これは儀式を迎える子供のための、母さんなりの祝い方なのだろう。
「まあ、そうだな。その結果によっちゃ、この村に残るかどうかも決まるんだから。どうだ、ラグルはなりたい職業はあるのか?」
「いや、特には無いかな。でも、戦闘系は嫌かも。僕。戦うのとか苦手だし」
「それを一番気にしているのはセレスよ。この子、昨日も部屋で『ラグルと一緒に居られるような職業になりますように』ってずっとお願いをしてたのよ」
「ちょっと。ママ!なんでそれ知って……、て、それより!なんで言うの!」
ぼっ、とセレスの顔が赤く染まる。そのころころ変わる表情は、見ていてとても愛くるしい。
「ははは、母さん、あまりセレスをいじめないでやってくれよ。おっと、もうこんな時間か。俺は先に行くから、お前らも遅れるんじゃないぞ」
「はい」
「わかってるわよ、パパ」
父さんは食べ終わった食器を置き、鞄を持って家から出て行った。父さんには村長として、これから大きな仕事がある。そしてそれは僕らにも大きく関係することだ。
「ほら、私たちも行くわよ」
一足先に食べ終わったセレスは待ちきれないといった様子だ。僕は急いでパンをちぎり、口に詰め込む。
「セレス、そう急かさないの。喉でも詰まらせたらどうするのよ」
「だって……。はあい」
昔からセレスは母さんの言うことは素直に聞く。でもそれは、僕もそうか。
「いいよ。行こうか、セレス」
食べ終わった僕は立ち上がり、玄関へと向かう。
「やっとね!じゃあママ、行ってきます!」
「行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
歩き出す僕らを、軽く手を振りながら見送る母さん。全くいつもと変わらない、見慣れた光景だ。穏やかで、だけど満たされた僕らの日常。
これが、ずっと続くんだと思っていた。
あの時までは。
僕たちは村の中央にある教会に向かって歩く。近づくにつれて、同じ方向に向かう人が多くなってきた。
「今日は人が多いね」
「当たり前でしょ。今日は一年に一回の儀式の日なんだから」
儀式。それは16の歳を迎える子たちに教会で行われる神聖な行事の事だ。神父によって祝福された子らは、それぞれ自分自身に宿った職業が目覚める。その職業次第じゃ、超好待遇で王都に招かれることもあるくらいだ。なにせ、この国は北の地を支配する魔王との闘いのために常に冒険者を求めているのだから。
「僕、実はこの村に残れるような職業がいいんだ。父さんと母さん、そして村のみんなに、何か恩返しができるように」
僕は隠していた胸の内をセレスに伝えた。一歩先を歩くセレスは真剣な眼差しで僕のほうに向きなおり、またくるりと前を向く。
「安心しなさい。もしあんたがどんな職業だったって、私がそばにいてあげるわ!」
「え?それって、どういう……」
「ほ、ほら!ついたわよ!」
セレスの指し示す方向を見ると、確かにもうすでに教会の目の前にまで来ていた。どうやら僕は思ったよりもおしゃべりに集中していたらしい。
セレスは僕の腕を引いて教会の中へと引きいれる。それにしても、どうしてセレスの耳はこんなに赤くなってるんだろう?
教会の中に入ると、もうすでに椅子は半分ほど埋まっていた。そして横や後ろの空間には見物に来た人たちがいっぱいだ。まあそれも無理はない。娯楽の少ないこの村での、年に一度の一大イベントなのだから。
じっ、と中の視線が僕たちに集まる。というよりも、セレスに。彼女は村長の娘であり、小さいころから聡明で皆の中心。おまけに容姿も端麗ときた。故にどんな職業が目覚めるのか、前々から皆に注目されていたのだ。
「私たちが最後みたいね…。あんたの歩くのが遅いから…!」
セレスは恨めしそうに僕を睨みながら座る。
「ごめんよ……」
僕も顔に謝意をにじませながら、その隣に座った。
「さて、皆揃ったようだな。それでは、これより儀式を行う。最初の子は前へ出なさい」
教会の奥から神父と共に出てきた村長、つまり僕らの父さんが厳かな雰囲気で言った。途端に教会内は静まり返り、皆の視線は最初に立ち上がった少年の目の前の水晶玉に釘付けになった。少年が水晶玉に手をかざすと、みるみるうちにそれは赤く染まり、中央に文字が浮かび上がってきた。
「おお、君の職業は『戦士』だ。勇敢な戦士になれるよう励みなさい」
「はい、神父様。僕は立派な戦士になります!」
周りから歓声が上がる。少年はなりたかった職業が目覚めたようで、嬉しそうに後ろで見ていた親らしき人たちと抱き合っていた。
この順番で行くと、僕たちは最後になりそうだな。
少し緊張している様子のセレスと一緒に、僕たちは次々と職業に目覚める子たちを見ていた。中にはもちろん希望していた職業と違った子もいたみたいだけど、これに関しては仕方ない。生まれ持ったものだから、後から変えるなんてことはできないのだ。
そして、いよいよセレスの順番になった。皆、一斉にセレスの事を見ている。そんな視線にセレスは気恥ずかしさを感じているようだ。
「さあ、手を」
セレスは促され、ようやく水晶玉に手を置いた。
瞬間、水晶玉が光り輝いた。明らかに今までとは違う、皆を包み込むような優しく温かい光。神父がほう、と声を漏らす。
「なんと……!君の職業は『聖女』だ……!」
教会全体にどよめきが走った。
「聖女!?」
「聖女だって?」
「そんな、まさか……!」
皆、口々に言いあう声が聞こえる。もちろん僕も眼前の光景が信じられずにいた。聖女といえば、支援系職業の最高職。あらゆる神聖魔法を操り、神の奇跡を皆に授けるという神話級の職業だ。その昔、暴虐を尽くしていた魔王を北の大地に追いやった伝説の勇者パーティーにいたという話はあまりにも有名だが、まさかこんな辺境の村で、しかもセレスが……。まだ現実を呑み込めない。
「セレス」
父さんがセレスに優しく声を掛け、
「お前は、本当に私たちの誇りだよ。愛している」
うっすらと涙を流しながら優しく体を抱きしめた。周りから割れんばかりの祝福の声がかかる。なんていったって聖女だ。きっとこれからセレスはすぐに王都に呼ばれ、何不自由ない生活が始まる。彼女はそれだけの価値を持つ者だからだ。
それに比べて、きっと僕なんて……。
水晶玉の前に立った僕の事を見る人は一人もいない。皆セレスの事を見、口々に自分の意見を述べ合っている。もはやこの場の絶対的な主人公はセレスだ。
一瞬だけ、振り返ってみた。
なんだ、違うじゃないか。誰も見ていないなんて。
皆の視線を一心に受けながらも、セレスだけは真剣な眼差しでこっちを見ていた。あの透き通る瞳で。あの瞳を見るたび、僕の心はざわめく。そして僕はこの感情がなんなのかも知っている。
でも、これは伝えちゃいけない。知られちゃいけない。だって、僕と釣り合うわけがないから。
さようなら、セレス。
僕は離別の意を込めて、水晶玉に手をかざした。
どれくらい経っただろうか。水晶玉から目を離していた神父が、ちらりと視線を下にやる。そして、また信じられない物を見たという表情をした。
「これは!」
その大声に、また皆の視線はこちらに集まった。その視線には、明らかに期待が混じっている。もちろん、セレスのものも含めて。僕ですら、次の言葉を期待しているくらいだ。
しかし、いくら待てども神父は何も言わない。ただおろおろと狼狽え、父さんと顔を見合わせるばかりだ。そして父さんは、今までに見たこともない苦悩の表情を浮かべていた。
やがて、黒く濁った水晶玉からゆっくりと滲み出るように文字が浮かぶ。
「見るな!」
父さんはとっさに水晶玉を払いのけるが、僕はその前に見たそれを口に出してしまっていた。
「呪……、い……?」
教会内を沈黙が支配する。僕も含め、誰もそんな職業は知らないようで困惑が皆を包む。しかし、どうやら神父と父さんは違ったようだ。
「迷っている暇はない!そういう教えなのです。もし破れば、皆に災いが降りかかる!」
「ううむ……」
「あなたの心境はお察しします。しかし、こうするしかないのです!」
「……」
ただならぬ雰囲気で言い争う二人を皆が注視する。やがて、深く黙り込んでいた父さんが重々しく口を開いた。
「ラグル。私はお前のことをずっと大切に思っていた。本当の家族ではないことを気にしたことなど一度もない。ずっと愛していたし、それはこれからも変わらない」
なあ、父さん。いきなりそんなこと言われても恥ずかしいし、戸惑うよ。言われなくたって、僕らはこれからもずっと家族じゃないか。そんなに唇を噛みしめて、血も垂れて……。なんなんだよ。
「すまない。許してくれ、息子よ」
その抜いた剣は何なんだよ!
教会内に悲鳴が上がる。このあり得ない状況に、僕の頭はたった一つだけの事実を理解していた。
なぜかはわからないが、父さんは僕を殺そうとしている。
怒り、悲しみ、戸惑いが僕の中で炎のように湧き上がった。体の奥底から痛みを伴って伝わる熱い力。そしてそれが最高潮に達し、まさに全てを噴出させようとした瞬間。
セレスが、僕も手を引いて教会から飛び出した。
そのまま僕らは走る。二人で、行く当てもなく。
何度この手に救われただろうか。どれだけ深く引き上げてくれるのだろうか。
今ぐちゃぐちゃになった頭の中で、手を引くこのぬくもりだけが唯一の救いだった。
どのくらい走ったのだろうか。ここはおそらく、村の外れの森。かなり深いところまできたようで、周囲に人の気配は全くない。荒い息をつく僕らはとりあえず近くの木の根元に座り込んだ。
「はあ……、はあ……一体、どうなってるんだよ……?父さん……、何だよ、呪いって……?」
あまりにも衝撃が大きすぎて考えがまとまらない。横に座るセレスも、父さんの行動の意味について考えているようだ。
「……あんたの職業、父さんの行動の意味、私には何もわからないわ。でも、一つだけわかることはある」
セレスの言いたいことは、僕にも分かった。
「ここに居たら、あんたは間違いなく……」
「殺される、だろ?」
「……っ、そう、ね」
二人の間に沈黙が流れる。やがて意を決した僕は立ち上がった。
「……なにもかもわからないけど、ここに居ちゃいけないってことはわかってるんだ。僕は逃げるよ」
「待って!」
再び走り出そうとする僕の手を、セレスが掴んだ。
「離してくれ、セレス」
ほんとは僕だってセレスと一緒に居たい。でもこうするしかないだろ?だって君は選ばれた人間。その横に居ていいのは僕じゃない。
だけどセレスは掴んだ手を離さない。
「いやだ」
「離して……、離せよ!」
「いやだ!」
セレスの絶叫に、僕は踏み出していた足を止めた。いや、止めてしまった。
「言ったじゃない、私がそばにいるって……。あんたがどんなになったって、そばにいるって」
「セレス……」
ああ、これは。ずっと一緒に居た僕だからわかる。
何を言っても聞かないときのセレスだ。
僕は振り向かなかった。なぜなら、今のぐちゃぐちゃな顔を見られるわけにはいかなかったから。地面に落ちる涙を、こっそり受け止めるのに必死だったから。
その時。
「危ない!」
セレスが僕を突き飛ばした。
シュッ、と風を切る音。倒れゆく僕の視界に、今まで僕の首があったところを通り過ぎるナイフが見えた。
「ラグル、あそこ!」
無理矢理体を捻って体勢を立て直し、セレスが指さしたところを見る。
「おっと、噂の聖女も一緒でしたか。これは探す手間が省けました」
森の中からナイフを持った男がゆっくりと僕らに近づいてきていた。その動きはまるで獲物を狩る狼のようだ。
「なんだよ、お前!なんなんだよ!」
僕は近くにあった木の棒を掴み、地面に落ちている石を男に投げる。それを男は顔色一つ変えることなくナイフで弾いた。
「いやあ、名乗るほどのものではありませんがね。ただの殺し屋ですよ」
「こ、殺し屋…!」
横に居るセレスが息を呑む音が聞こえた。またしても不条理に命を狙われている僕は、歯をギリッと嚙みしめる。
「なんで、僕なんだ!僕が何したっていうんだよ!」
その言葉に殺し屋の男は少し足を止める。
「そうですね、何も知らずに死ぬのもかわいそうかもしれません。端的に言えば、あなたはまさに呪われたのです」
「呪われた……?」
「ええ。知っての通り、この国では一定の年齢になると儀式によって職業を獲得します。その中でごく稀に、あなたのような呪いという職業を持ったものが生まれるのですよ。その者たちは、必ず大きな厄災をもたらすと言い伝えられています。だから職業が目覚めた時点で殺すのです」
僕は自分と同じ者たちが迎えたであろう末路に恐怖を覚えた。しかし、あの場にいた村人たちは皆こんなことは知らないようだったが。
「ふむ、なぜこれを皆が知らないのか疑問に思っているようですね。誤解や混乱を防ぐため、情報が漏れないようにしているからですよ。この事実は限られた者たちしか知らされません。知っているのは儀式を行う聖職者や村や町の長、そして私たちのような暗殺者くらい」
男はナイフを空中に投げ、一回転したそれを逆手に持ち替えた。
「少ししゃべりすぎましたかね。しかし聖女ともあろうものなら、これはいずれ知るはずだったことです。さて、仕事を終わらせましょうか。まあ、あなたは何も悪くありませんよ。しいて言うなら、運が悪かったくらいで」
「運が……、悪かった……?」
怒涛の不条理をぶつけられ続けた僕は、その言葉で自分の中の何かが壊れるのが分かった。
何かが、来る。
視界が青白く染まる。
「!」
「!まずい!」
男はさっきまでとは違い、僕との距離を一瞬で詰めてきた。スピードを乗せて振り下ろされるナイフ。
だが、僕には届かない。
「が……」
僕の右手から飛んだ青白い炎が、男の身を焼いたからだ。
「こ……、で……」
言葉にならないうめき声をあげ、男は地面に倒れこんだ。いや、もはやこれは先ほどまでの男ではない。ただ崩れた残骸だ。それくらい男は原型をとどめていなかった。
手が震える。舌が乾く。この得体の知れない力に対する恐怖と、初めて人を殺めてしまった感覚で吐きそうになる。
でも、それよりも大事なことがあるはずだ。僕はセレスの安否を確かめるため、振り返った。
「セレ…………、ス……?」
そこにいたセレスの姿は、おおよそ僕が知るものとはかけ離れていた。
セレスは木の幹に背をつけて座っている。俯いているため表情は見えない。だがその皮膚は赤くただれ、ところどころ崩れた肉から血がポタポタと垂れている。
なんだ、これは。病気?あの男の魔法?それとも、
僕の、せい?
僕はふらふらとセレスに近寄る。力なくうなだれているセレスは、顔を上げることすらできないようだ。
だが、微かに何かを言っている。僕はしゃがみ込み、セレスの口元に耳を寄せた。ばらばらと抜け落ちるセレスの髪が顔にかかったが、そんなことはどうでもいい。
「ね……。……んね」
絞りだすその声を、一つも聞き漏らすまいと僕は集中する。
「……そばに……いてあげられなくて…………ごめんね……」
どしゃりと、セレスの体が崩れた。
「……セレス?」
僕はあたりに転がっているセレスの破片を手で集める。おいおい、何の冗談だ?これは。全くセレスはしょうがないな。
「セレス?セレス?」
散らばった、さっきまでセレスだったものはもちろん答えない。なんでだよ、おかしいだろ?だってさっきまで、普通に話してたじゃないか。
「セレス?セレス!」
頭ではわかってるんだ。こんなことをしたって無駄だって。でも体のほうはそうそう言うことを聞かない。
「セレス?セレ……、う、あ、おぇえぇぇ」
今朝、セレスと一緒に食べた朝食が口から溢れ、地面に転がったセレスと混ざる。いけないいけない、セレスが汚れてしまう。僕は両手でそれをぬぐい取り、ぐちゃぐちゃとかき混ぜ
あ
だめだ
現実に心が追い付いてしまう
セレスは死んだのに、なんでこんなことしてるんだ?
「がああああああああああああああああ!!!!!ひゃ、あああああああああああ!!!!!ああああああ、あっあああっああ、あああ!!!!!」
視界の端に、先ほど男が投げたナイフが落ちているのを見つけた。僕をそれを拾い上げ、ためらいなく自分の喉を搔き切った。
痛い、苦しい。口の中に血が充満し、心臓の鼓動に合わせて口からぼとぼととあふれ出す。でもこれでいいんだ。セレス、僕もすぐそっちに行くからね。
しかし気づいた。何かがおかしい。徐々にだが痛みは薄れ始め、零れる血の量も少なくなっていく。喉に手を当てると、今さっき自分でつけたはずの傷がない。
「ひ。ひ、ひ、ひゃああああああ!!!!」
僕は狂ったようにナイフで自分の体を傷つけ始める。しかしどの傷も、ひとしきり痛みを感じると無常にもふさがっていてしまう。
どれくらいこうしていただろうか。やがて僕は、歯がこぼれたナイフを力なくぽとりと落とした。
運が悪かった?そんな言葉で、僕が救われるとでも思ったのか?違う。運ではない、本当に悪い奴がどこかにいる。そう思わなければ、壊れてしまう。
ああ、違うか。僕はもうとっくに壊れてしまったんだ。
僕は地面を掘り、僅かに残ったセレスの欠片を埋めた。
全てはこの力のせいなんだろう。このせいで、セレスは死んだ。このせいで、穏やかで満たされていた僕らの日常はすべて崩れた。
だから、まずはこの力の正体を突き止める。そして全てに復讐してやる。
僕は歩き出した。目指すは王都、セレスが行くはずだったところだ。この国の全ての情報が集まるそこなら、なにか手がかりがあるはず。もし自分の思惑通りにいかなければ、すべて壊してしまえばいい。
だってセレスのいない世界なんて、存在している価値など無いのだから。