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蛇は眠る(R)  作者: EndoArisa
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第四話

 雨が窓を叩く音でミヨシ夫人は目を覚ました。ベッドに手をついて体を起こし、窓の方を見た。目をこすったり頬を叩いたりしてから何度も確認してみたが、やはり雨は降っていて、彼女はがっくりと肩を落としながらため息をついた。登山の予定はまた別の日に変更しなければならないようだ。窓から視線を外して枕元の時計を見ると、それは二時を指している。まだ夜中じゃないの、・・・まあいいか。結局今日の予定は台無しになっちゃったし。彼女はベッドから降り、暗闇の中、足を使ってスリッパを探し当てると、それを履いて居間に向かった。

 居間の中ではケンゾウの目が光っていたが、それは彼女の方を見ていなかった。真夜中に起こすのは申し訳ないと思った夫人は電気をつけずに居間を通ってキッチンに向かった。静かに冷蔵庫を開け、ビールを取り出し、そして閉めた。ビールのプルタブにゆっくり力を込めていくと、シャ、という情けない音とともに缶が開いた。彼女は一口だけビールを飲んで居間へと歩いた。

 夫人は登山に備えてぐっすり眠っていると思っているのか、ケンゾウはソファーに座る彼女に気づかずにとぐろを巻いて眠っている。彼の寝姿は滅多に見られないため、夫人は少し嬉しかった。しかし、それとは別に憂鬱な気持ちにもなっていた。せっかく新しい生活が始まりそうだったのに、と。絶え間なく降り続ける雨は京都の蒸し暑い夏の夜を後押しし、その蒸し暑さが彼女の不快感や憂鬱を増幅させていた。また、変な時間に目覚めてしまったせいか体が気怠かった。


 ちびちびとビールを飲んでいるうちに時計は三時を過ぎていたが、雨は一時間前と全く同じように降っていた。夫人は窓から外を眺めながら缶を口に運び、すでに空になっていることに気づいた。もう寝よう、酒なんか飲んだって何も良いことはないんだから。彼女はソファーから立って空き缶をゴミ箱に捨てた。缶と缶のぶつかる音がして彼女ははっとした。背後のケージから蛇の動く音がする。振り返るとケンゾウが不思議そうに彼女を見ていた。

「ごめんね。起こしちゃったね」

 ケンゾウはしばらく彼女を見ていたが、窓の方に顔を動かして彼女がなぜ起きているのかを理解したようだ。

「そうなの。雨が降っちゃってさ」と彼女は小さな声で言った。

 寝る前と比べて明らかに彼女の元気がなくなっているのを察したのか、ケンゾウはスキンシップを求めた。その動きを見て、夫人は思わず笑ってしまった。二メートルの体でケージの中をぐるぐると回る姿はいつ見ても愛らしかったし、食事をしたばかりの彼の腹はぷっくりと少し膨らんでいたのである。本当に、ケンゾウに出会えて良かった。そう思いながら彼女はケージに向かおうとした。一歩目を踏み出したその時、彼女の胸にあの痛みがほとばしった。しかし、いつもと違って立っていることもできないほど、鋭く、激しく、重い痛みだった。夫人は堪らずその場にうずくまり、そのうちにうずくまることもできなくなって倒れ込んだ。目の前が真っ暗になり、雨音が次第に遠くなる。呼吸を忘れていることにも気づかずに、彼女の意識は深く沈んでいった。

 ケンゾウは何が起きたのかまるで理解できなかった。ケージから出て、木棚をするする這い下り、夫人に近寄る。しかし、手や足に巻き付いても、首や頬を舐めても、頭の上でとぐろを巻いても、彼女は毛先さえも反応しない。ケンゾウはミヨシ夫人に死が訪れたことを理解した。


 それから一週間後、ケンゾウは夫人の傍でとぐろを巻いたままでいた。彼のまだら模様が窓から差し込む月明かりに照らされて、艶やかに光っている。ケンゾウは賢く、優しい蛇だった。そうであるならば、彼のあの行動も当然の帰結だったのだろう。



 ミヨシ夫人の同僚だったスズキさんは、夫人に何度も電話をかけても繋がらず折り返しの電話もないことを不思議に思い、彼女の自宅に向かった。しかし、家のチャイムをいくら押しても何分待っても、夫人は姿を現さなかった。もしかするとまずいことになっているのかもしれないと思い、スズキさんは大急ぎで近くの交番に駆け込んだ。

 夫人の家に入って居間へ続く扉を開けた警官たちの目に飛び込んできたのは、巨大な蛇の頭だった。彼らは慌てて外へ出て、スズキさんと救急隊員たちを帰らせた。


 次の日もその次の日も、大量の警官たちが夫人宅の居間へ突入しようと試みたが、彼らの顔の三倍近く大きい目に震え上がり、誰一人として蛇に触れることさえできなかった。


 「眠っているだけだな」

 そう言ったのは助言のために現場に呼ばれた学者だった。彼は臆する様子もなく、蛇の顎をポンポンと叩いた。すると、蛇の頭は彼らの方を向いた。武装した警官たちが一歩前へ出たが、学者がそれを手で制した。

「こいつは賢い。進んで人に危害は加えんよ。それで、処分するか?保護するか?」

 彼がそう言うと、警官たちは顔を見合わせた後、警官の一人に外で待機している動物園の職員を呼びに行かせた。



 その大蛇は全長三〇メートル、横幅二メートルもあり、輸送するために特別なトラックを用意する必要があったそうだ。ちなみに警察は、ミヨシ夫人の死因はペットによる事故である、と発表している。彼らは実際にミヨシ夫人の遺体を調べたわけではないが、あの現場を見ればそのように判断するのも無理ないだろう。また、問題の蛇が常軌を逸するほどの大きさであることは世間には伏せられている。


 かつてケンゾウと呼ばれた蛇は、現在、京都市動物園で管理されている。とはいっても、来園客の目には決して触れることのない地下で管理されているため、特別の許可なしで彼に会うことはできない。彼は動物園に来てから今日に至るまで、飼育員から与えられる餌には目もくれず、ただひたすら眠り続けているみたいだ。もしあなたが動物園の地下に侵入することができたのなら、蛍光灯一つない空間で闇に光る二つの眼をお目にかかることができるかもしれない。


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