(5)
ヴァン神の社でも二人はこんな感じで言い合っていた。
ケンカのネタは尽きないのか、空が白むまで言い合っていた二人だったが、さすがに山の稜線が白く輝き始めると言葉数が少なくなっていった。
そして、赤い太陽が山際から顔を出した頃には、誰も声一つ上げなかった。
ーー生き残った村人は誰一人あらわれなかったーー
あの時の朝日の恐ろしいまでの美しさを、ブルックリンは一生忘れない、と思った。
それでも太陽が天空の一番上に輝くまで、三人は待った。
もちろん、誰一人、マオやベアトリスの家族ですら現れなかった。
三人は社で生存者を待つのを諦め、麓の村を目指した。
帝国軍にかち合うのを避け、山境を彷徨った挙句、聞こえてきたのはブルックリンの父が帝国に討たれ、その晒し首が街道沿いに掲げられているという話だった。
そして、母も姉も、幼い弟妹たちも、父の隣に首を並べている、と。帝国は、ただ一人行方が分からないブルックリンに賞金をかけて探している、と。
ブルックリンたちは生存者を探すことを諦めた。
それより、これからは身分と名前を偽って帝国から逃げ続けなければならない。
父の最期の命である「生きろ」は、とてつもなく困難な命になった。
朝一番の鐘が鳴るのを聞きながら、ブルックリンたちはヴァン神殿へと向かった。
サリクスタウンのヴァン神殿は、街の中央広場の真前に建っていた。
朝靄に煙る中央広場はまだ薄暗かったが、すでに行商人たちが、朝市の準備に追われていた。
そんな朝特有の喧騒の中、ブルックリンたちはヴァン神殿の門前にたどり着いた。
門を叩くと門番が顔を見せる。
ブルックリンの顔を確認すると、何も言わずに門を開けた。
中はブルックリンの故郷のヴァン神殿と同じ作りだった。
門を抜けると、奥にヴァン神の祭壇が設えられた中庭が広がる。
ヴァン神は風の神なので、その祭壇がある場所は風通しのいいところであるべきだった。
だから大なり小なりヴァン神の祭壇は、天井が無い中庭に設られた。
ブルックリンの故郷のヴァン神殿とここの神殿が唯一違うところは、中庭の周りを柱廊と回廊が取り囲んでいることだった。
回廊の周りには小部屋があり、それぞれの用途に基づいて使用されている。
柱廊には小さな社が並んでいた。ヴァン神の眷属の社だ。
ヴァン神の父母の社、兄弟達の社、従者や御者の社、マオとベアトリスが信奉する狩人の神・コートの社もあった。
柱にはレリーフが彫られ、ヴァン神の神話を讃える。
神々の王として誕生したヴァン神。
世界の覇権をかけて争った太陽神との戦い。
太陽神を打ち倒した後、この世界を支配しようとやって来た闇の神々との戦い。
ヴァン神をたぶらかし、混沌の神々を引き入れた混沌の三女神の存在。
混沌の神々との戦いに苦戦するヴァン神。
冥界に囚われた太陽神を助けに、七人の仲間と共に冥界下りをするヴァン神。
そして、中央の祭壇の上には、見事冥界から戻り、混沌を打ち払い、神々の王として立ったヴァン神が掘られていた。
そのレリーフの下には、本来ならガート王国の建国王のレリーフがあるはずだった。
だがそこは白く塗りつぶされていた。
建国王を英雄神として奉ることは、帝国に許されなかったことが、その白く塗りつぶされた壁が如実に物語っていた。
中庭にはすでに五人の人物がいた。
中央の祭壇の左手にはロイド副司祭がいた。
彼は昨日とは違い、司祭服を身にまとっていた。
ロイド副司祭の反対側、祭壇の右手には、鎖帷子の上に司祭服を着ている屈強な男がいた。年の頃はロイド副司祭と同じくらいだろうか。一目でコナー副司祭だと分かった。
二人の後ろにはそれぞれ一人ずつ青年が立っていた。
ロイド副司祭の後ろには、皮のベストとズボンを着て、肩から皮鞄を下げただけの軽装の男性が立っていた。
腰にはショートソードを差しているが、見るからに荒事が苦手そうな柔和な青年だった。
コナー副司祭の後ろには、革を蝋などで硬く煮固めた鎧を着た青年が立っていた。
腕と胸と腹を金属の鎧で覆い、腰には長剣を差している。丸盾をくくりつけた荷物を背負っているところを見ると、かなり腕に覚えがありそうだった。
そして後一人は、彼らから少し離れた場所の柱に腕と脚を組んでもたれかかっていた。
無造作に束ねた黒髪を柱に預け、その人物はブルックリンをチラリと見た。
胸と腰の部分しか鎧で覆われていなかったので、腕や脚の盛り上がった筋肉がハッキリと見てとれ、戦士であることは間違いなかった。
そして、武骨な筋肉とは対照的な豊満な胸と腰。
それを隠しもせずに、その女性は腕と脚を組み替えた。
その時チラリと彼女の腰に下がっている戦斧がブルックリンの目に入った。
ーーエリアール神の女戦士か!
ブルックリンは背筋にヒヤリとしたものを感じた。
自衛手段を一切持たないエリアール神の唯一の防衛手段が、この女戦士達だった。
彼女たちは、どの法にも命にも従わないが、大地の法と命には従う。
今回、エリアール神殿の宝物が盗まれたので、派遣されたのだろうが、一切の妥協を許さない彼女たちの在り方は有名なだけに、ブルックリンは今から頭が痛かった。
「よく来てくださいました」
祭壇前に近づくと、ロイド副司祭はにこやかに迎えた。
対するコナー副司祭は眉をしかめ、ブルックリンたちを順番に睨め付けた。
「白々しい」
ベアトリスが小さな声で呟き、途端にマオに足を踏まれる。
「いてっ」
「黙っててよ」
「なんだと」
小さな声であいも変わらずやり合うマオとベアトリスを無視して、ブルックリンはロイド副司祭に顔を向けた。
「ヴァン神の与える試練ならどのような試練でも厭いません」
神殿から依頼を受ける時の決まり文句だ。
ロイド副司祭は頷き、祝福の言葉を述べようとした時だった。
「本当にこの者たちで良いのか? ロイド」
コナー副司祭が遮った。
え?、とブルックリンたちはコナー副司祭の方を見る。
コナー副司祭は苦虫を噛みつぶしたような顔で、ブルックリンたちを睨んでいた。
「ええ、ご説明した通り、この者たち以上の適任はいません」
コナー副司祭の言葉にロイド副司祭はにこやかに答える。
「お前がそう言うから承諾したが、見ればなんとも貧相な連中ではないか。この者たちで本当に依頼をこなすことができるのか?」
コナー副司祭はブルックリン達に蔑んだ視線を送りながら、ロイド副司祭に言った。
コナー副司祭の態度に、後ろでベアトリスがムッとしたことが、気配で分かった。
「ええ、彼らなら大丈夫だと、信頼できる筋から紹介を受けました。私も、彼らなら必ず成功させると信じています」
そうでしょう?、という意味を込めてロイド副司祭はブルックリンたちに視線を送る。
ブルックリンは慌てて頷いた。
「はい。身命にもかけて必ずやり遂げます」
「ふん。どこの筋から話を聞いたのか知らんが、失敗は許されんのだぞ」
ブルックリンの言葉を無視して、コナー副司祭は鼻を鳴らす。ブルックリンたちの実力を一切認めないという態度がありありと分かった。
それからブルックリンたちを再度睨め付ける。
「お前たちも、この依頼の重要さを分かっているんだろうな」
「そんなの分かっていますよ」
ブルックリンが答えるより早く、ケンカ腰でそう答えたのは、意外にもマオだった。
振り返るとマオが目を怒らせてコナー副司祭を睨んでいた。隣ではベアトリスが慌てたようにマオの腕を引いている。
その腕を振り解いて、マオは一歩進み出た。
「そっちこそ、こっちの実力も知らずにそんなこと言って、失礼じゃないんですか!」
「ほぉ」
コナー副司祭は今度はマオをジロリと睨んだ。
だが、マオは負けじとコナー副司祭を睨んだ。
「ブルックリンは村一番の剣士だ! ベアトリスだってオーガすら説得出来るぐらい弁が立んだ! 僕だって、山向こうの鹿の目が射抜けるんだから!」
「ふん。なら、この依頼を必ず成功させられるのだな」
「当たり前だ! 後で吠え面かいても知らないから!」
「マ、マオ…」
流石に言い過ぎだと思ったのか、ベアトリスが必死にマオの腕を引いて止めようとしていた。
だが遅かったようで、コナー副司祭は怒りに満ちた瞳でブルックリンたちを見た。
「その言葉、しかと聞いたぞ。失敗した折には覚悟しておけ!」
そう怒鳴ると、自分の言いたいことは終わったと言わんばかりに、腕を組んで一歩下がった。
入れ替わるようにロイド副司祭が一歩前に出る。
「では、あなた方にヴァン神の守護がありますように」
ヴァン神の風のルーンを指でブルックリンたちの頭上に描く。
ブルックリンも一礼してロイド副司祭による旅立ちの祝福を受けた。
簡単ではあるがこれで神殿からの依頼を受ける儀式は終了し、契約の魔法が成立した。
「マオ〜、お前な〜」
神殿から外に出ると、ベアトリスが恨めしそうな声でマオに詰め寄った。
「ごめん。つい、カッとなって」
マオは申し訳なさそうに首をすくめる。
「ああいうのは俺の役目だろ? マオがしゃべるから何も言えなかったじゃないか」
「ごめんってば。でも、ブルックリンがバカにされたのが許せなくって」
首をすくめながらマオは悪びれずにそう言った。
その言葉にブルックリンは苦笑した。
「マオの気持ちはありがたいが、私は気にしていないよ」
「ほら、ブルックリンもこう言っているだろ? まったく、マオのハッタリのせいで失敗できなくなっただろ」
「だから、ごめんってば」
不意にクスクスという笑い声がして、ブルックリンたちは振り返った。
ロイド副司祭にカナンと紹介された柔和な青年が、口に手を当てて忍び笑いをしていた。
彼はブルックリンたちの視線に気づくと、笑いを引っ込めて謝った。
「すみません。ただ、そちらのマオさんがコナー副司祭に啖呵を切った時の副司祭の顔を思い出して」
そしてまた忍び笑いをした。
「お前、コナー様をバカにするのか!」
ライアンと紹介された武骨な青年がつかみかからん勢いでカナンに詰め寄る。
カナンはライアンの手を避けながら、返した。
「彼らに礼儀を欠いていたのはコナー副司祭ですよ。そしてあなたも礼儀を知らないのですか?」
「なんだと!」
ライアンはカナンから一歩引くと、腰の剣に手をやった。
その途端、ヌッと二人の鼻先に斧が突き出た。
「ケンカなら私が買うが?」
オルフィーヌと紹介されたエリアール神殿の女戦士だ。
カナンとライアンは二人の顔の前に突き出された斧とオルフィーヌの顔を交互に見比べた。
それからどちらともなく身を引く。
エリアール神殿の女戦士が、男顔負けに強いことを誰もが知っていた。
「ありがとうございます」
ブルックリンはオルフィーヌにケンカの仲裁をしてくれたことに礼を言った。
ところがオルフィーヌは、ブルックリンをチラリと見て、にべもなく言った。
「私は石さえ速やかに帰って来れば良い。それを邪魔するものは刈り取るのみだ」
そしてスタスタと前を歩いて行く。
その後姿に前途多難な道行を見て、ブルックリンは頭を抱えたくなった。