(4)
村は一昼夜は持ち堪えた。
それが限界だった。
父たちはヴァン神の祭壇前に集まり何度も軍議を重ねていた。
降伏か。
それとも徹底抗戦か。
結局、取った策は村を捨てて逃げ出すことだった。
籠城しているフリをしてこっそり村の裏から逃げ出すという案だったが、帝国軍は読んでいたのか、その日の夕方突如総攻撃をしてきた。
それは、今までの戦いが嘘だったかのような激しい戦いだった。
村の門はあっけなく打ち破られ、雪崩のように帝国軍が押し寄せる。
後は地獄絵図だった。
村の家々は次々と焼かれていった。
あちこちで悲鳴と怒号が上がり、神殿の中にまで剣戟の音が響いた。
やがて神殿の門が激しく打ち叩かれる。
帝国軍が神殿まで到達したのだ。
「ここまでか」
父が諦めたように呟いた。
父の鎧は、自身のものか敵のものか、真っ赤に濡れていた。
途端にすすり泣きが広がった。
「皆、泣くな」
父は立ち上がり、村人たちを見回す。
「先ほど戦ってきて、村の北の森が手薄なことに気付いた。そこなら女子供だけなら何とか逃げることが可能だろう。動ける者は私と来てくれ。私たちが時間を稼ぎ、女と子供たちだけは逃げ延びさせるのだ」
父の言葉に男たちは立ち上がった。
皆、武器を手に父の元に集まる。
それにつられたように女たちも立ち上がった。
自身の子どもの手を引いて身支度をする。
「テッド、道案内はそなたに任す」
父の言葉にテッドはニヤリと笑った。
「任せて下さい。この辺の森は俺ら狩人にとっては庭みたいなもんだ」
テッドの言葉に頷くと、父はようやくブルックリンへと視線を向けた。
「ブルックリン」
父の言葉にブルックリンは弾かれたように立ち上がった。
そして父の元へと駆けて行く。
これが自分の初陣になると覚悟を決めながら。
だが、父の言葉はあまりにも意外なものだった。
「ブルックリン、お前は逃げのびよ」
ブルックリンは目を見張る。やがてその顔は歪んでいった。
「父上、私も戦います!」
「ならん」
返す父の言葉は厳しかった。
「どうしてですか? 私も戦えます! 戦わせて下さい! 父上と共に戦いたいのです!」
涙ながらに訴えるが、父は首を縦には振らない。
「父上、私は足手まといです?」
涙をぽろぽろこぼしながら訴えるブルックリンを父は厳しい顔で見つめた。
そして、腰の剣を引き抜くと、ブルックリンの目の前へ差し出した。
「この剣をお前に託す」
それは先祖伝来の魔法の剣だった。
代々族長のみがその剣を手にすることができる。
それを父から託される意味をブルックリンは即座に理解した。
「父上、嫌です! 私は…」
「ブルックリン!」
差し出された剣を受け取ろうともせず、尚も訴えようとするブルックリンに、父は怒声を上げた。
いつもは穏やかで怒ったことの無い父の初めての怒鳴り声に、ブルックリンは竦んだように無言で父を見つめた。
そのブルックリンの胸に父も無言で剣を押し付ける。
思わず受け取ったブルックリンに父は一言言った。
「生きろ」
その言葉にブルックリンは歯をくいしばる。
父の言った言葉の重みがズシリと肩に乗っかかってきた。
その重みに耐えきれず、思わず俯いたブルックリンの肩を、父は優しく叩いた。
顔を上げるといつもの父の優しい顔があった。
父は優しく頷くと、名残り惜しそうにブルックリンの頭を撫でた。
そしてブルックリンに背を向け、二度と振り返らなかった。
ブルックリンはため息をついて、宿の天井を見上げた。
今から思うと、北の森が手薄だったのは、帝国軍の罠だったに違いない。
安全に逃げ延びれると思ったその北の森に、突如帝国軍が現れた。
始めからそこにいたのか、父たちの防戦があっけなく打ち破られたのか、その時のブルックリンには判別がつかなかった。
森の中を帝国軍から逃げ惑っているうちに、母とも姉弟たちとも別れてしまった。テッドともはぐれてしまい、森の中をただ彷徨い歩いているうちに疲れきって倒れ伏してしまった。
ーーああ、自分はここで終わりか
甘美な睡魔が襲い、ブルックリンはそっと瞳を閉じた。
何時間、自分はそうしていたのだろう。
頬をペチペチと叩かれる感触でブルックリンは目を覚ました。
ここは何処だろうと頭を巡らせる前にほっとした声が頭上から降って来た。
「良かったぁ。生きてたぁ」
どこか間が抜けたような声は、幼なじみのマオのものだ。
頭上を振り仰ぐと、青色の瞳に涙をいっぱいにためて、マオが覗き込んでいた。
「ブルックリン、大丈夫か? 怪我は無いのか?」
頭上の樹から飛び降りてきたのは、同じく幼なじみのベアトリスだ。
警戒するように辺りを見回し、ブルックリンの側にひざまづいた。
その時になって初めて、ブルックリンはマオの膝の上に頭を乗せて寝ていることに気がついた。
「ここは?」
マオの膝から頭を起こすと、疲れと空腹でめまいがした。
「とりあえず水を飲め、ブルックリン」
ベアトリスが懐から水筒を出す。
一口水を口に含むと徐々に意識がはっきりとしてきた。
「皆は? 帝国軍は? 村は?」
次々と湧いてくる疑問にベアトリスもマオも申し訳なさそうに首を振った。
「ごめん。僕たちもはぐれてしまったから、分からないんだ」
「いきなり帝国軍が現れただろう? 俺たちも逃げるのに精一杯だった」
「ここはヴァン神の社の近くなんだ。そこならはぐれた者たちと落ち合えるんじゃ無いかって、ベアトリスと目指していたんだ」
「そしたらお前がここで倒れていたからびっくりしたよ。マオは『死んでる〜』って泣き出すし」
「仕方ないだろ?本当に死んでるように見えたんだから」
「で、お前が気づいたらもうちょっと状況が分かるかと思ったんだが…」
ベアトリスの最後の言葉は消え失せた。
代わりにため息が出る。
「さっきの問いを聞くに、お前も俺たちと同じらしいな」
ブルックリンはコクリと黙って頷いた。
「いや、俺たちより悪いか。お前、道に迷っているだろ?」
またもやブルックリンはコクリと頷いた。
ベアトリスは大きくため息を吐く。
「森の中は慣れた父さんたちだって迷うことがあるんだよ。ブルックリンは狩人じゃないんだ。迷って当然だよ」
慌ててマオがフォローする。その言葉に再度ベアトリスはため息をついた。
「あのなぁ、俺が言いたいのはこれからどうするか、ということだよ。親父たちもいない、長もいない。こういう時命令する立場にあるのはブルックリンだろ? そのブルックリンが道に迷っていたら、俺たちはどこを目指せばいいんだよ」
ベアトリスの言葉はブルックリンの胸に鋭く突き刺さった。
ブルックリンはキュッと唇を引き結んだ。
それから大きく息を吐いた。
「とりあえず、ヴァン神の社を目指そう。マオの言う通り、テッド達が森の中で迷うことは無いと思う。社にいれば、きっと誰かと会えるよ」
「そうだね。父さんたちが森で迷うことは無いよね」
ブルックリンの言葉にマオは嬉しそうに頷くと、先頭に立って社を目指し始めた。
「マオは考えが甘いんだよ」
ベアトリスはブツブツ文句を言いながらマオの後に続く。
二人の後を追いながら、ここで二人に会えたことをブルックリンは心の底から感謝した。
「グルッと広場を一回りしてきたが、概ねロイド副司祭の言った通りだったぜ」
ベアトリスとマオとは宿屋の一階にある酒場で合流した。
「大司祭はかなり高齢で、執務のほとんどを副司祭に任せているらしい」
そう言いながらベアトリスはスープに口をつけた。
小さな宿屋だったが食事の味は良く、酒場は宿泊客以外の客で賑わっていた。
「主に行政を取り仕切っているのがロイド副司祭。戦士たちをまとめているのがコナー副司祭だ。大司祭が元気な時からこの二人は仲が悪かったらしい。で、だ」
ベアトリスは声をひそめてブルックリンに顔を寄せた。
「例の帝国との取り決めごと、ロイド副司祭は賛成、コナー副司祭は反対だったらしい。もちろん当時は大司祭の鶴の一声で決まったんだが、コナー副司祭達反対派はずっと不満を燻らせていたんだろうな、大司祭が病気を理由に執務を遠のいてから再度その機運が高まっているらしい」
そこまで話すとベアトリスは顔を離して、パンを一口ちぎって口に入れた。
「機運というと、帝国を追い出せ〜、ってやつ?」
マオがパンを頬張りながら尋ねる。
ベアトリスは片眉を上げて答える。
「ひそかにアルブム城のグリフィス王を支援している者もいるらしいが」
ベアトリスは肩をすくめた。
「大司祭が死なないかぎり大っぴらには動けないだろうな」
「つまり、コナー副司祭は大司祭が亡くなった時がチャンス。ロイド副司祭は大司祭が亡くなる前に地盤を固めていたい、というところか」
ブルックリンが腕を組みながらそう言うと、ベアトリスは人差し指を立てて左右に振った。
「ところが、大司祭が死ぬ前に地盤を固めていたいのはコナー副司祭の方だ。いや、むしろロイド副司祭の勢力を追い出したい、か」
ブルックリンとマオは顔を見合わせた。
二人の顔を嬉しそうに眺めながらベアトリスはビールを飲んだ。
それからジョッキをテーブルに置いて、またもや声をひそめる。
「ロイド副司祭の元にしょっちゅう帝国の使者が来ているらしい」
「ええ!」
大声を上げるマオにベアトリスはシッと口に人差し指を立てる。
慌ててマオは両手で口を塞いだ。
「理由は分からんが、おそらく帝国は大司祭が死んだ後、ロイド副司祭を傀儡の大司祭に据えたいんだろうな」
「ええ〜、理由が分かんないよ。帝国はこのままでも充分じゃないの?」
ベアトリスの論にマオは不満気だ。そのマオにベアトリスは首を振った。
「それは違うな。恭順を示した大司祭の元でもコナー副司祭みたいな者がいるんだ。いつ情勢がひっくり返って、この街が帝国に牙を向くか分からない。そんな危険を抱えこむくらいなら、より帝国に従順な街にした方が安心だ」
それからベアトリスはブルックリンをチラリと見た。
「俺たちの立場は中々複雑って訳だ。エリアール神殿に賊が入ったのだって、手引きした奴がいるんじゃ無いかって噂があるからな」
「まさか!」
目を丸くするマオにベアトリスは分かってないな、という顔をした。
「今回盗まれたのはエリアール神の祝福を受けた石だぜ。その辺に転がっている石じゃないんだ。エリアール神殿だってそれなりに厳重に管理してるさ」
「そうかなぁ。僕が聞いた話だと、祭りが近いからって倉から出していたところをやられたっていう話だったよ。この街の人間はそんなことをするわけ無いから、絶対よそ者の仕業だって。どんな物でもお金に変えようとする嫌な世になった、って」
首を傾げながらそう言うマオにベアトリスは鼻白んだような顔をした。
「深読みをしなきゃ、そういう話になる」
「ベアトリスは深読みしすぎだよ」
「マオは何でも正直に考え過ぎだ。ロイド副司祭が今回の依頼を俺たちに持って来たことも、裏を考えないと」
「すっごく困っていたからでしょ?」
「あのな」
ベアトリスは片手をひたいにあてて、疲れたようにため息をついた。
「ロイド副司祭ほどの立場の人なら、もうちょっとマシな冒険者を雇えるんだぜ? 何で冒険者として名も上がっていない俺たちなんだ? しかもブルックリンは帝国のお尋ね者だ。ロイド副司祭は依頼を成功させればかくまうって言ったが、失敗したら帝国に売るってことなのかもしれないだろ?」
「そんなまどろっこしいことするかなぁ? ベアトリスの言う通り、ロイド副司祭が帝国とつながっていたら、さっさと僕たちを帝国に引き渡すと思うけどなぁ」
「じゃあ、ロイド副司祭の元に帝国の使者が来ていることは、どう言い訳するんだ!」
「そんなの知らないよ!」
「二人とも声が大きい」
段々と声が大きくなっていた二人にブルックリンは苦笑しながら注意した。
あ、と二人とも慌てて口を閉ざして周りを見る。
幸い周りの喧騒に二人の声は掻き消えていたようだ。誰もこちらに気づいていない。
「ベアトリス、声が大きいよぉ」
「マオ、お前だって」
ヒソヒソ声でなおも言い合う二人に、ブルックリンは苦笑するばかりだった。