(3)
「明日の朝、あなた方に同行する者を紹介します」
依頼料の前金を渡しながらロイド副司祭が言った言葉に、ベアトリスがあからさまに嫌な顔をした。
「俺たちに任すんじゃなかったのか?」
「彼らはあなた方をサポートするために同行させるのですよ」
ロイド副司祭はにこやかな笑みを絶やさず答える。
ベアトリスが片眉を上げて何かを言おうとしたので、慌ててブルックリンは前に出た。
「明日一番の鐘が鳴るとき、ここに来ればいいですか?」
「ええ、門のところで会いましょう」
ロイド副司祭はゆっくりと一礼する。退出の時間だ。
ブルックリンたちはロイド副司祭が用意してくれた宿屋へと向かった。
「あのなぁ、同行者なんて俺たちの監視役に決まってるんだぜ。簡単に承諾するなよ」
宿屋に着くと、ベアトリスは唇を尖らせながらボヤく。
「まぁまぁ、仕方ないよ。ブルックリンの言う通り、答えは一つなんだから」
そんなベアトリスをマオがなだめる。
ロイド副司祭が用意してくれた宿屋は目抜き通りから一つ路地を入ったところにある、こじんまりとした宿屋だった。ただ小さいながら個室もあり、ブルックリンたちは3人で一室を借りることができた。
案内された部屋に着くと、ブルックリンは黙々とロイド副司祭からもらった前金を三等分した。
「明日の用意はこんなものでいいか?」
分けられた銅貨を見てマオが眉をひそめた。
「ブルックリンの分が少なすぎるよ。僕は弓を新調するだけなんだから、もっと少なくていいよ」
「バカ正直に三等分する奴がいるか! お前は鎧や剣を直すだけでももっと必要だろう!」
同じくベアトリスも怒り出す。
「時間が無いから修理に出す暇は無いよ」
そんな二人に苦笑しながらブルックリンは答えた。
「剣も鎧も自分で直すさ。それより必要な物があるなら早く買いに行った方がいい。店が閉まるよ」
マオとベアトリスはブルックリンの言葉に顔を見合わせた。
「ブルックリン、あのさ…」
「ああ、そうさせてもらう。マオ、行くぞ!」
「え、あ、ちょっと待って!」
バタバタと宿を出て行く二人を見送って、ブルックリンはそっとため息をついた。それから宿屋の女将にお願いして水をタライに一杯もらった。
鎧を外し、タライの水で顔を洗うと、幾分気分はスッキリした。
荷物から盾を下ろし、状態を調べる。多少傷が付いていたが、まだ使える。鎧と兜も点検して、大丈夫なことを確認する。
それからチラリと長剣を見た。あの日、セレネ帝国が村を襲った時、父から譲り受けた形見の剣だ。
ゆっくりと手を伸ばし、そっと剣に触れる。使い込まれた柄は、最近ようやく自分の手になじむようになってきた。
鞘を払って剣先を見つめる。
多くの戦いを経たはずなのに、刃こぼれは一切無かった。
この剣は父の、そのまた父の、さらに前の、先祖伝来の剣だ。
建国王より先祖が頂いたとか、大暗黒戦争時代にヴァン神より賜ったとか様々な逸話があるが、一つ確かなことは、これが魔法の剣だということだ。
だから刃こぼれすることなく、鈍い光を放っているのだ。
ただ、残念ながらブルックリンは何の魔法が付与されているか知らなかった。
一族の精霊が宿っているかもしれなかったが、それも知らなかった。
ブルックリンは大きなため息をついて、剣を鞘に入れた。
父は自分に一切何も教えることなく、逝ってしまったのだった。
セレネ帝国が傀儡の国王として、ただの羊飼いの息子のアランを玉座に据えてから、ガート王国では新王アランに対する反乱が頻発した。
その中でも最も大きな戦いだったのは、エリュトロン部族のプリュム・テーレイアが起こした乱だった。
エリュトロン部族は王国内でも有数の大きな部族だった。さらにプリュムが前国王のまた従姉妹なので、彼らはプリュムこそが正統な王位継承者で、アランは僭称者だと主張した。
その為、散発的に起こった他の部族の反乱と違い、プリュム達には多くの部族が集まった。
しかもプリュムは、先の戦いを反省し、集まった部族を部族ごとに組織するのではなく、プリュムの下統一された軍隊へと組織し直していった。
反感もあったが、おおむねそれは成功し、プリュム達の軍は、占領する帝国軍に匹敵する力を持った。
プリュムに無かったのは、ヴァン神殿の後押しだった。
ガート王国では伝統的に、新国王は即位時にヴァン神の試練を受ける。試練と言ってもかなり形式的なもので、ヴァン神の信仰の中心である『古の嵐の神殿』で『風の灯火』を灯す、というものだったが、当時、アランもまだ風の灯火は灯していなかった。
だから、プリュムがアランと共にその試練を受ける時、誰もが灯火を灯すのはプリュムだと思っていた。
ところが、灯火を灯したのはアランだった。
この事実はプリュム達の陣営に大きな動揺を走らせた。
集まってはみたもののエリュトロン部族の後塵に帰することを良しとしない者、そもそも女を上に戴くことが気に入らない者、灯火を灯せなかったことで自分達が賊軍となることを恐れる者、等々が次々と帝国に切り崩されていった。
プリュム達は慌てて帝国との決戦を臨んだが、結果は惨憺たるもので、多くの戦士が命を落とし、プリュムも行方不明となった。
以後、帝国の残党狩りは苛烈を極めた。
乱に関わった部族は集落ごと滅ぼされた。滅ぼされなかった部族も、重い税金を課せられた。
ヴァン神の信仰も禁止され、多くの神殿が取り壊され、司祭は処刑された。
誰もが息のつまる思いをしていた時、王国の南の国境沿いに位置するカサドール部族の長、グリフィスが王国からの独立を宣言した。以後グリフィスはカサドール国王、グリフィス王と名乗る。
グリフィス王が帝国に対して反旗を翻したのは、多くのガート国民を喜ばした。さらに、皆を喜ばせたのは、グリフィス王の元に行方不明だったプリュムがいたことだった。
美女として名高いプリュムは、女だてらに馬を乗りこなし、剣の名手でもあったので、ヴァン神の戦士達に絶大な人気があった。先陣を切って戦場を駆ける彼女の姿を、戦女神として崇める者も少なくは無かった。
その彼女が生きているというだけで、ガート王国の民たちは大きな希望を抱いた。
帝国占領下の中、一人また一人とグリフィス王、ひいてはプリュムの下、馳せ参じる戦士は増えていき、彼らが立て籠るアルブム城への物資の補給など密かに後方支援をする部族も増えていった。
ブルックリンの父もそういったプリュム達への後方支援をする一人だった。
ブルックリンの部族は一集落で一族全てが事足りてしまうぐらい小さな部族だった。
だから先王が亡くなった王都での戦いも、プリュムの起こした乱にも、これといった活躍はできなかった。
おかげで帝国の追及をかわすことはできたが、王国へ何の貢献も出来ずにいることを父は忸怩たる思いでいたのだろう。
父は密かにアルブム城へ物資を送るだけでなく、アルブム城攻略に集まっている帝国軍の物資を狙った盗賊行為も行っていた。
小さな部族だったし、集落も山あいの隠れ里のような場所にあったので、帝国には長い間それを知られることなく過ごして来たが、帝国がいつまでも見逃すはずが無かった。
あの時のことを思い出し、ブルックリンはブルリと背筋を震わした。
あれは今と同じ季節のことだった。
その日は厳しい冬の最後のトドメとばかり嵐が吹き荒れていた。
ガート王国があるドラクーン地方は、強い風がいつも吹いている地域だった。
だから風の神への信仰が厚いのだが、特に春先は外を出歩くこともままならないほどの嵐が吹き荒れることで有名だった。
だがガート王国の民たちはこの春先の嵐を嫌悪することは無かった。この嵐の後には、必ず春が来たからである。
この時期は皆家々に閉じこもり、来るべき春に胸を躍らせながら焚き火を囲んで神話ゆかりのサーガを口ずさむ、そんな季節だった。
永遠に続くかと思ったその日の嵐は午後にはおさまりを見せ始め、ブルックリンは明日の朝には暖かな春の日差しを浴びることを夢見て、寝床へと入った。
だが突然、甲高い鐘の音で叩き起こされた。
慌てて外に出ると、村中を松明が忙しなく行き交っていた。
大人たちは皆起きていて、男たちは何かを叫びながら駆け回っていた。女たちは不安そうに戸口から顔を覗かせ、じっと闇を見つめていた。
そして女たちが見つめる先には、闇に沈む木立の合間には、まるで竜の瞳のような赤い輝きが並んでいた。
まだ子供だったブルックリンでも、それが帝国軍の松明の灯りだということは理解できた。
ーーあり得ない!
ブルックリンは心の中で叫んだ。
確かに父たちは、後方支援とは名ばかりのちんけな盗賊行為を繰り返していた。
だが、いやだからこそ、帝国が大軍をもって村を攻めに来るなど信じることは出来なかった。
ブルックリンの耳に無数の風切り音がこだまする。
どんなに信じられなくても、村の外、闇の向こうに無数の兵士がいることは間違い無かった。
「ブルックリン様!」
自分を呼ぶ声に気付き、上を振り仰ぐと、狩人のテッドが屋根の上にいた。手には弓矢が握られ、瞳は村の外の帝国軍へそそがれていた。
「ここは危ないです。早く中へ!」
ヴァン神の神殿も兼ねているブルックリンの家は、村で唯一石造りだ。
扉にも窓にも鉄の板が打ち付けてある頑丈な門を備え、外から分らないように矢狭間が開けられた壁がぐるりと周りを囲っていた。
戦が始まれば最も安全な場所だ。
屋敷に戻ると、屋敷の中庭、ヴァン神の祭壇前に村の老人や子ども、女性たちが続々と集まってきていた。
戦が始まりそうなので避難して来た者たちだろう。
母と姉たちが忙しそうに動き回っている。
姉がブルックリンに気づき手招きした。
「ブルックリン、ちょっと井戸から水を汲んで来て」
ブルックリンは黙って頷くと、屋敷の奥にある井戸へと向かった。
敵が撃った火矢のせいでどこかが燃え始めればそれを消すため、どこかが火事になれば煙が入ってこないように窓や扉の隙間をふさぐため、誰かが傷を負えばその傷を洗うため、いざとなれば煮えたぎったお湯を敵の頭上に降り注ぐため、水は多く準備しておくべきだった。
「兄さん、手伝うよ」
まだ幼い弟妹たちもやって来て、重い水桶を二人がかり三人がかりで中庭へ運んで行く。
誰もが自分の役割を分かってきびきびと動いていた。
ーーいや、違う。動いていないと不安で押しつぶされそうなんだ。
ブルックリンは、いつの間にかバクバクと言い始めた胸を手で押さえた。
ブルックリンたちの村が一度も戦を経験していない訳ではない。
ガート王国は元来部族間の対立が激しい土地柄だ。ブルックリンの部族も様々な戦いの末、ここに村を築いた。
だが、ここまでの大軍が攻めて来たことは無かった。
ーーこの村は大丈夫。
言い聞かせるように何度も心の中で呟くが、不安な気持ちは消える気配が無かった。