(2)
風の神ヴァンとその眷属を信仰する部族達の王国、ガート王国が西方にあるセレネ帝国に攻め滅ぼされたのは、今から16年前である。
セレネ帝国は当時の国王の一族を皆殺しにした後、どこからか幼児を連れて来て、ガート王国の国王の座に座らせた。
誰が見ても帝国の傀儡の国王にガート王国の部族達は反発した。
すぐさまガート王国の各地でセレネ帝国への反乱の狼煙が上がった。
だが、ガート王国の部族達には一つ大きな欠点があった。
「団結力が無い」という致命的な欠点のもと、反乱軍は帝国軍に各個撃破され、散り散りとなった。
ブルックリンの故郷の村も、そういった村の一つであった。
「まず初めに申し上げますと、あなた方のような方がこの街にいるのは迷惑なのです」
サリクスタウンというセレネ帝国占領下で唯一ヴァン信仰が公然と許されている街を訪れたブルックリンに、街のヴァン神殿の副司祭ロイドはにべもなく言った。
「重々、承知しています」
返すブルックリンの言葉は力が無かった。
ブルックリンの言葉にロイドはわずかに疑わしそうな瞳をした。その瞳を避けるようにブルックリンはうつむく。
父親が帝国への反乱軍を組織したために、ブルックリンはセレネ帝国軍に指名手配されていた。
その為、他部族の村では賞金目当てに売られる可能性が高く、同族の村では迷惑をかけるため、人の往来にまぎれやすい街道沿いの町を転々とする羽目になっていた。
サリクスタウンの噂を聞いたのも、そんな街道沿いの町でのことだった。
曰く、サリクスタウンを治めるヴァン神殿の大司祭は交渉に長けた人物で、ガート王国滅亡後、王国に駐屯する帝国軍に、帝国に一定の税を納める代わりに、サリクスタウンの自治を認めさせたのだとか。
おかげでその街では、ヴァン神の名前を公然と唱えても、セレネ帝国に反乱軍の一味として捕らえられることは無いのだとか。
そんな街だからこそ、ブルックリンのようなお尋ね者が紛れ込んでも大丈夫だと思ったのだが、ことはそう簡単では無かったらしい。
サリクスタウンの門をくぐった途端、門番に呼び止められ、あれよあれよと言う間にこのロイド副司祭の執務室に連れて来られた。
「この街の微妙な立場をご理解いただきたいのです」
そうしてロイド副司祭は懇切丁寧にサリクスタウンの状況を教えてくれた。
まず初めに、大司祭が帝国軍からヴァン信仰を勝ち取ったと言われているが、決してそういう訳では無いとのことだった。
「そのような一面もありますが、この街を平和的に治めることが帝国側にも我々にも利点があっただけなのです」
サリクスタウンはガート王国一の穀倉地帯のど真ん中にあった。加えて大きな街道の交差地点のため、サリクスタウンはガート王国の穀物が一気に集まる場所でもあった。
「ここを戦で失ってしまうと王国中の民が飢えてしまいます。またそうなると帝国の王国への占領政策も難しいものになってしまう」
ロイド副司祭曰く、遅かれ早かれ帝国から無血開城の呼びかけがあっただろうところを、大司祭が機先を制して先に交渉し、ヴァン信仰を勝ち取ったのだとのことだった。
「だから我々としては、帝国側に痛くも無い腹を探られる愚は犯したくないのです」
そう言ってロイド副司祭は厳しい瞳をブルックリンに向けた。
ブルックリンは内心大きなため息をついた。分かっていたこととはいえ、ここならと期待もしていた分落胆も大きい。別に父と同じように反乱軍を組織するつもりは無いのだが、それをここの人に、ましてや帝国に説明しても分かってもらえないだろう。
「分かりました」
ここは諦めようと瞳を上げた途端、ロイド副司祭の思わぬ瞳に出会った。
「しかし」
ロイド副司祭は今までの厳しい瞳とは真逆の慈愛あふれる優しい瞳でブルックリンを見つめた。
「あなた方を受け入れる手立てはあります」
いきなりの態度の豹変にマオとベアトリスがブルックリンの後ろで顔を見合わせたのが分かった。
「なんだか『ただし条件があります』と続きそうな言い方だな」
そう皮肉るベアトリスに静かに微笑みロイド副司祭は続ける。
「お恥ずかしい話ですが、先日、大地母神エリアールの神殿に賊が押し入り、女神の祝福を受けた石を盗んでしまったのです」
ハッとしたように3人は顔を見合わす。ロイド副司祭の語る事件の重要さに気づいたのだ。
女神の祝福を受けた石とは、エリアール女神の豊穣の魔法を付与された石のことだ。これを耕作地に置き、エリアール女神に仕える司祭が儀式を行うと、その年は豊作になる。もし石が無ければ…。
「もうすぐ種まきの季節です。それまでに石を取り戻さなければ、今年は誰にとっても辛い季節となるでしょう」
ロイド副司祭は沈痛な面持ちで首を振る。
「もしかして、その石を僕たちに、取ってきて、もらい、たい、とか?」
マオがおずおずとそう言うと、ロイド副司祭はニッコリと笑った。
「そう聞こえませんでしたか?」
「無理だ!」
ベアトリスは叫ぶ。
「自慢じゃないが、俺たちの腕はたかが知れているんだ。魔法だって、大したものを覚えているわけでもない。第一、その石がどこにあるかさえ分からないんだ」
「追跡の魔法をかけています」
ロイド副司祭の返答にベアトリスはぐっとつまる。
「やり方はあなた方に任せます。もし金銭による取引が必要なら1万までは出すとエリアール神殿からも申し入れがありました。もちろん我がヴァン神殿からも多少の用意があります」
ロイド副司祭の態度に徐々に余裕のなさが滲み出てきた。
「あなた方にはやってもらわなければならないのです。お願いします。あなた方が頼みなのです」
ロイド副司祭は深々と頭を下げた。
「やります」
あっさりとブルックリンが返答する。マオとベアトリスがぎょっとしたようにブルックリンを見た。何故という顔が二人にある。
「受けなきゃ仕方がないだろう?」
ブルックリンはそんな二人に肩をすくめながら言った。
「私たちを受け入れてくれる街は、もうここが最後だ。ロイド副司祭はこの依頼を受ければ、ここで受け入れる手立てはあるとおっしゃった。つまり、依頼を受けるかこの街を去るか、どちらかしかないんだ」
「ブルックリン…」
「お前…」
妙に淡々としたブルックリンの口調にマオとベアトリスは不安そうに顔を見合わせた。いつからだろう。彼らの幼なじみがこのようになってしまったのは。幼い頃は彼ら同年代の者の中で一番輝いていたのに。今は何もかもを諦めているように見える。
「受けてくださるんですね」
ロイド副司祭は明らかにホッとした顔をした。
「依頼が無事成功しましたら、あなた方をこの街の功労者として受け入れやすくなります」
助かりました、と再度深々と頭を下げる。
「ちっ、そう言うことかよ」
ベアトリスは舌打ちをして気に入らなさそうにロイド副司祭を見つめた。
マオも複雑そうな顔をしてロイド副司祭を見る。
やがてベアトリスは大きなため息をついた。
「はあ! この神殿には他にこういったことを頼める人はいないのかよ!」
ベアトリスが嫌味ったらしくそう言うと、ロイド副司祭は困ったように目を伏せた。
「それは、その、政治的配慮ということでご理解していただけないでしょうか」
首を傾げるマオの横でベアトリスがパチンと指を鳴らす。
「ああ。じゃあ、道々の町で聞いた噂は本当だったんだな」
「何の話?」
「この街の大司祭がそろそろやばいということだよ」
「それで?」
「だからだなぁ」
飲み込みの悪いマオにベアトリスは苛立ったように説明した。
サリクスタウンのヴァン神殿の大司祭の下には二人の副司祭がいる。一人は目の前のロイド副司祭。もう一人はコナー副司祭だ。
「二人は非常に仲が悪いという噂だ」
「意見を多少違えているだけですよ」
ベアトリスの説明にロイド副司祭は静かに訂正する。
「多少? 大神殿のど真ん中で掴みかからんばかりの大ゲンカをしていたって話だぜ? 自分が大司祭になったら好きなようにはさせないって、大声で怒鳴りあっていたって」
「議論の末、言葉が過ぎることもありましたが、彼とはヴァン神に仕える者として志は同じですよ」
「ふうん?」
ロイド副司祭の言葉にベアトリスは片眉を上げた。
「議論の内容が、この街における帝国の支配の是非でもか?」
ベアトリスの言葉にロイド副司祭は大きくため息をついた。
「彼の大声は本当に困ったものですね」
それから、諦めたように口を開いた。
「この街は帝国に門を開きましたが、それを良しとしない者も多数存在しています。曰く、帝国の軍門に下ることは王国への、ひいてはヴァン神への裏切り行為だ、と。今からでも門を閉ざし、帝国との徹底抗戦をすべきだ、と」
ロイド副司祭は嘆かわしそうに首を振る。
「大司祭がどんな思いで帝国と交渉したのか、それも知らないで! しかも、その論の中心にコナー副司祭がいるのです!」
最後は語気が荒くなっていた。その事に気付いたロイド副司祭は咳払いをして、続けた。
「今回の件も、お互いに責任のなすりつけ合いになり、とにかく我々とは全く関係ない者に探索させようということで話の決着がついたのです」
「それで、僕たちかぁ」
マオがやっと納得がいったという顔をした。
それから、再度首を傾げる。
「だったら、やっぱり、何で僕たち? たまたま網をかけたら引っかかったの?」
マオの質問にロイド副司祭は意味深に微笑んだ。
「ある筋からあなた方の話を聞いたのですよ。もちろん、名前は言えませんが」
ベアトリスは片眉を上げて、ロイド副司祭を見る。マオも小首を傾げて、一体誰だろうと考え込む。
ブルックリンだけ、ある一人の人物の姿が思い浮かび、心の中で大きくため息をついた。
『それで、君はどうしたいんだい?』
その人物の声まで思い浮かび、ギュっとフタをするように心の奥底へしまい込んだ。