プレリュードのためのプロローグ
〜これは伝説を縁どる名も無き英雄の物語〜
闇の中、炎が揺れる。
辺りをおおう剣戟と人の叫び声。そして、悲鳴。
血にまみれた父が一振りの剣を自分に差し出して言う。
「生きろ」
ただ一言。
その意味が理解できぬまま闇に押し出される。
行くあてのない闇へ。
そして未だに自分はその言葉の意味をつかめていない。
(1)
「ブルックリン、オーガ達が動き出したぜ。俺たちも行かないと」
ベアトリスの言葉にハッとする。
闇の中揺れていた炎は、頭が山羊、体が人の怪物バロンが持つ松明の灯りになる。
またあの夢か。
全身にびっしょりと汗をかいている。
「大丈夫か。ブルックリン」
幼なじみのマオが心配そうに顔を覗き込んでいる。
「顔が真っ青だぞ」
マオは愛用の長弓を構え、いつでも矢を撃てるように準備していた。
狩人に不向きな大柄な体であるが、彼はそれを弓の腕前を磨くことで補っていた。山向こうの鹿の目を射抜ける、とはマオがよく言う自慢である。
その大柄な体をかがめて、マオは心配そうにブルックリンを見つめていた。故郷の村が帝国に攻め滅ぼされてから、この心優しく能天気な青年の弓に幾度助けられたことだろう。
「すまない。少しうたた寝をしていた」
安心させようと微笑んだが、余計にマオを心配させたようだ。
「こんな時にかい? ブルックリン、無理をして…」
「おい、何をやっている。ボヤボヤしていると全部オーガどもにとられてしまうぞ」
マオの言葉はガサガサと茂みをかき分けて現れたベアトリスの言葉にかき消えた。
右手にクロスボウを持ち、左手には小ぶりの円形の盾を持った小柄な男性のベアトリスは、皮のベストにズボンといういかにも狩人らしい姿だった。だが、腰に吊るした長剣が妙に不釣り合いだ。
マオと同じくブルックリンの幼なじみのベアトリスは、自分が狩人の家に生まれたことを常々嘆いていた。いつか自分の知恵と力を活かせる職業に就くというのは、彼の口ぐせだ。
「オルフィーヌ殿はもう位置についているんだ。頼むよ、ブルックリン」
「分かってるよ」
慌てて立ち上がったために足に剣がからみつき、カチャリと音がする。
あの時、セレネ帝国が村を攻めて来た時、父から託された剣。
この剣を渡す時、父は自分に「生きろ」と言った。
「村の再興を」とか「セレネに復讐を」とか「私の仇を討て」ではなく。
ただ「生きろ」と。
自分は死にに行くのに、息子には「生きろ」と。
生きたところで帰れる故郷は無く、帝国軍に多額の賞金をかけられ、ただ追われる日々なだけなのに。
それでも、「生きろ」と。
一体父は私に何を望んでいたのだ。
「ブルックリン!!」
マオが注意を促すように強く叫ぶ。その目には心配そうな色がある。
「大丈夫だ」
ブルックリンは静かに言う。
今は迷っている暇は無い。
ベアトリスが指示した所定の位置に行くと、大地母神エリアール神殿から派遣された女戦士、オルフィーヌが待っていた。
彼女はブルックリンを見ると、黙って斧をかつぐ。
ブルックリンも黙って剣を抜く。
一瞬後、二人は静かにバロン達の中へ斬り込んで行った。