66
ブクマや評価等ありがとうございます。いつも励みになっています。
マナミ・カンザキの逃亡の報せ以降、事態は着実にレイにとって悪い方向へと進んでいた。
マナミ・カンザキが逃げただけならばまだいい。ニナが何らかの関与をしている可能性はあったが、その時点ではまだ疑わしいというだけでニナが何かをした証拠はなかった。
兵部側も、早朝にニナが訪ねてきたことは不審に思っているようだったが、マナミ・カンザキが逃亡したと思われる時間とニナが訪ねた時間には開きがあったため、直接関与したとは考えていないようだった。
しかも、兵部側の疑問に対し、ソレイユ王が、“ニナ王女にマナミ・カンザキの様子を見るように依頼したのは確かだ”と回答したらしい。許可を受けた日時以外に訪れたことに関しては触れられなかったらしく、兵部はニナが役目を全うするために訪ねたという認識に留まったようだ。
ただ――。
(私の知らないところで本当に依頼していたということは、多分ない……)
何故、日時の件について触れなかったのか、ソレイユ王の腹の内が読めない。
レイはテーブルに広げた手紙を見つめる。
マナミ・カンザキが逃亡した日の夜、ニナの部屋で見つけたものだ。
その日、ニナとエマは日が暮れても戻ることなく、護衛兵の誰も二人を見つけることができなかった。
エマだけならともかく、ニナまで行方が分からないとなると大問題だ。ニナが訪ねていきそうな人物に遣いを出す傍ら、レイはニナの部屋に何らかの手掛かりがないかを調べた。
衣装や持ち物を全てひっくり返してようやく見つけたのがこの置き手紙だ。ご丁寧に引き出しの裏側に貼り付けてあったところを見ると、そう簡単に発見させる気がなかったのだろう。
それだけでニナが何かをやろうとしていた――否、やったのは明白だ。
(とはいえ、これだけでは一体何をしたのか把握できない……)
手紙に書かれていたのは、騒動になっていることに対する謝罪とエマには何の責任もないという弁明だけだった。何をしたかについては一切触れられていない。
レイは重い溜め息を吐いた。
昨日一日、サンティエと近隣の町や村を探したが、どちらの足取りも掴めなかった。
これまでに分かったことは、早朝に出掛けた際には馬丁の男が馬車を出したということだけだ。しかも男はニナ達を宿舎前で下ろした後、ニナ達を待たずにすぐに戻ってきている。帰りは別の馬車を使うから待つ必要はないと言われたらしい。
(そうなると姉上が戻ってきたかどうかも怪しい……ただ、エマは一度ここに戻ってきている……)
それは迎賓館の使用人数名が見かけたと発言している。
エマが迎賓館にいれば、ニナは当然迎賓館の中にいると思われただろう。ここ最近は部屋に引き籠っていたため、ニナの姿を見なくとも誰も不審に思わなかった。まさか唯一の傍付きが主を外に置いたまま迎賓館に戻ってくるなど、誰も思わない。
(そもそも、外に出たことすら、馬丁以外は知らなかった)
本当にやってくれる、とレイは再び痛み始めた米神を指で揉み解す。何か飲み物でも頼もうと、近くにいた使用人に声を掛けると、折良く執事がクロードの来訪を告げた。
(ソレイユ王から何か聞けているといいのですが……)
ニナとエマがいなくなったことはクロードに伝えている。というよりも、セシル王女にニナが訪ねてきていないかを確かめる使者を送った際、偶然その場に居合わせたクロードがレイに事情を聞きに来たのだ。
レイは分かっている範囲でクロードに説明をし、マナミ・カンザキの件でソレイユ王が再度ニナに何か依頼をしていないか確かめてもらうことにしたのだ。
(正直なところ、ソレイユ王が姉上に依頼をした可能性は低いですが……)
レイは応接間に場所を移し、クロードを出迎える。
「レイ、ローザは見つかったか!?」
開口一番に言われた言葉に、レイは首を横に振る。
「いいえ、残念ながら……そちらはどうでしたか? フェリクス陛下は何と……」
「それが、あまり明確には答えてもらえなかった……マナミ・カンザキに会う許可を出したのは三日前の夕方だけだが、それは魔力喪失に関してローザの意見を聞きたかったからだと。もし、それに関して何かを思い出して再びマナミ・カンザキと会う必要があったのであれば、取り立てて咎めはしない、と……」
「陛下が依頼をしたわけではなさそうですね……」
だが、魔力に関することであれば、ある程度自己裁量も許しているかのような発言だ。
「一度も陛下にお会いしていない姉上が、そこまで陛下の意図を汲んでいたとは思えませんが……」
「いや、既に会っているらしい」
クロードは何とも言えない表情で否定した。
「は……?」
「そもそも俺はローザがセシルと会っていたことからして驚いているんだが、ローザがセシルの部屋に出入りしていることを知った父上が、ローザがいる時にセシルの部屋に行ったらしい」
レイは瞑目した。
あのソレイユ王が、ラングロワ家の手引きがあったとはいえ、自身の王宮で起こっていることを把握していない筈がない。それは予想していたが、まさか直接会っていることまでは想像していなかった。
(何かあればすぐ言うようにと言った筈なのに、あの人は……)
ソレイユ王の方もこれまでに直接会ったことを匂わせるようなことは言っていなかった。恐らく、こちらから尋ねなければソレイユ王が自ら明かすことはなかっただろう。
「その際に、父上は伯母上の治療を依頼したそうだ」
レイは最早返す言葉を見つけられなかった。
確かに、上級治癒魔法が必要であれば、王都にいるニナを頼るのが早い。当時のアデール・シャリエの状況を考えれば、秘密裏に行われたのも理解できる。
しかし、一言でいいから先に教えて欲しかったと思うのは自分の我が儘だろうか。
「そういうわけで、ローザは何度か父上と会っているらしい……あと、ローザが訪ねてきていないか、シャリエ伯爵に確認したが、来ていないそうだ」
「そうですか……確認して頂いてありがとうございます」
これでニナがサンティエで訪ねていきそうな場所はなくなった。
(とすれば……)
「今回の件、レイは、どう考えている……?」
クロードに尋ねられてレイは顔を上げる。不安の色が隠せないのか、クロードの表情はいつも以上に精彩を欠いていた。
「姉上が、マナミ・カンザキの逃亡に関与していると思います」
クロードがはっとしたような顔付きになる。
「だが、関係ない可能性もあるんだろう……?」
「ええ、もちろん、可能性としては。アンヌ・バシュレの件も片付いていませんから、そちら関連で連れ去られた可能性も全くないわけではないと思います……ですが、現状を考えると姉上の失踪はマナミ・カンザキ関連でしょう……」
「だが、そうだとして、何故ローザがマナミ・カンザキを……それほど親しくしていたようには思えないのだが……」
「ええ、それについては私も同意します。ただ、姉上は私よりもお人好しですから……」
自らそう言いつつも、レイは違和感を覚えていた。
確かにニナは自身よりも他者に甘いが、それは気を許している相手にだけだ。父や貴族に対しては態度を和らげることもないのだから、誰にでも甘い対応をする人間でないことはよく分かる。
(ソレイユの問題に安易に介入すべきでないことは姉上も分かっていた筈……)
それなのに、危険を冒してまでマナミ・カンザキを救おうとするほど、ニナは彼女に気を許していたか。
そう自問しても、レイの中では“否”という言葉しか生まれない。
「バシュレ家やフレンツェル家の謀略の可能性も捨てきれない以上、俺の方で両家には注意しておく」
「ありがとうございます」
「レイはこれからどう動くつもりだ?」
「姉上とエマを探します。どちらかが見つからないことには何があったかさえも把握できませんから」
「当てはあるのか?」
「サンティエにいないことは確かです。姉上が頼れそうな人物には全て連絡を取れましたから」
こんなところでニナの交友関係の狭さが幸いするとは皮肉にも程がある。
「そうなると、向かう先はセレーネ――王都アクティナかフェガロ領でしょう。マナミ・カンザキを匿うつもりなら、フェガロ家を頼るしかありません」
「王宮に戻っている可能性は?」
「ないとは言えません……姉上が暮らしている別館は使用人の出入りも少ないですから、誰かを匿おうと思えば可能です。ですが、姉上が父上を頼るということはまずない。そんな状況で人一人を隠し続けることはまず無理でしょう」
「相変わらず、セレーネ王との仲は良くないんだな……」
「姉上が一方的に距離を置いているだけですよ」
父の方も無理に踏み込むことはしないが、ニナのことを気に掛けているため関係を良くしたいとは思っているだろう。
「ともかく、行き先は絞られているので私は一度アクティナに戻ります。何か分かったらすぐに知らせますので、フェリクス陛下にもそのように伝えて下さい」
「……分かった」
本当は知らせを待つばかりでなく、自ら探しに行きたいのだろう。膝の上で手を握り締めているクロードを見てレイはそんな風に思ったが、立場上そうすることができないのはよく分かる。
(全く、姉上は……)
どこで何をしているかは知らないが、無事な姿を早く自分達に見せて欲しいとレイは願った。
◇
始まりの泉で気を失った後、私は塔の衛兵達によってイニティウムの離宮に運ばれていた。
セレーネの王族ということで離宮の使用人達に介抱され、目を覚ましたのはその日の夕方だった。
起きてすぐに一緒に運び込まれた少女はいないか尋ねたけど、私一人だけだと聞いてほっとした。カンザキさんはちゃんと帰れたようだ。
本当ならそのまま休むところだったんだけど、色々と確認しなければならないことができたため、私は遅い時間にも関わらず無理を言って再び始まりの塔へと向かった。
泉で溺れたと思われていたから、衛兵は私をもう一度中に入れることにためらったけど、これまでの異変のことにも関係している可能性があると言えば、渋々通してくれた。また何かあったらいけないと、一人護衛を付けられたけど。
所々に置かれたランプと明り取りの窓から入る月明かりの中、泉の前に立つ。
昼間はあれほど美しい場所だったけど、夜の黒々とした水面はどこか不気味にも見えた。
またあの少年の姿が見えるのだろうかと一人考えていると、こちらから呼びかける前に少年が姿を現していた。
やはりと言うべきか、少年は始まりの泉そのもので、その力の一部が姿を変えたものだった。泉の化身と言ってもいいのかもしれない。
「貴方は、始まりの泉なのね」
「君達はそう呼んでるね」
別の名前があるのだろうかと思っていると、傍についていた衛兵が怪訝そうに私の方を見た。
「王女殿下、何か……?」
(見えてない……? というか、声も……?)
最初は私も声しか聞こえなかったように思うけど、衛兵の様子からするに、声も聞こえていないように見える。
「泉の上に、少年の姿が見えませんか……?」
「いえ、私の目には何も……泉の上に不自然な魔力の塊があるようには思いますが……」
この塔自体が魔力で満たされているから、それが分かるだけでもいい方なのかもしれない。
「ただ魔力を感じれるだけじゃ、ボクの姿は見えないよ。もっと直接的な繋がりがないと」
少年はそう言って微笑う。
「君以外で見えたのは、君達の最初の王二人だけかな」
最初の王二人とは建国の王達のことだろう。
その言葉にあのオーバーテクノロジーな太陽の塔を思い出したけど、もっと他に訊かないといけないことがあると、私はこれまでの疑問を全て始まりの泉にぶつけた。
曰く、始まりの泉を守る結界が、泉の魔力の流出を防いでいるのが事の発端だったらしい。結界も完璧ではないから、極々微量な魔力は漏れているらしいけど、それだけでは足りず、何十年、何百年と経つ内に始まりの塔の内部は抑えきれない程の魔力が溜まっていたそうだ。
このままでは魔力暴発が起きかねない。人間には抑えきれない程の魔力が暴走すれば始まりの塔の結界は壊れるし、その後にできるだろう魔力溜まりは様々な生き物に悪影響を与えることになる。
始まりの泉は自分で魔力を消費するしかなかったそうだ。
「少しずつ使ってはいたけど、それだけでは追いつかなくてね。もっと大きなことをしないといけなかったんだよ」
「それがカンザキさんをあの世界から召喚すること……?」
「そう。世界と世界は繋がっているんだよ。物質を持たない精神エネルギーや知識、情報なんかは何もしなくても行ったり来たりしやすい。もちろん、世界を渡る時に壊れることが多いから完全な状態ではないんだけど、そういう断片的な物が生き物の進化や発展に繋がったりするんだ。ある日突然、それまでにない技術を閃いたりとかね」
「貴方がゲームのシナリオを知っていたのもその所為……?」
始まりの泉が先にゲームの存在を知っていなければ、カンザキさんを召喚しようなんて思い付かなかっただろう。
「そうだよ。もっとも、あのゲームについては明らかにこの世界の情報が先に流れた結果だと思うけど」
(この世界の諸々の情報が流れてゲームが出来上がり、その情報がまたこっちに流れてきたってことか……)
「ボクも退屈してたし、あれほどこの世界を模した物というのも珍しかったからね。折角だからゲームと同じことをやってみようと思ったわけだよ。流石に存在しないものもあったから、全く同じというわけにはいかなかったけど。まぁ、いい具合に魔力を消費できたから、選択としては間違ってなかったかな?」
――選択が間違ってない……?
色んな人が苦しんだのに、何を間違ってないというんだろうか。
そんな遊び感覚で、私達はあんなに振り回されたのかと思うと怒りが湧いて出た。
でも、そもそも私達が魔力を使えるようになって、国を興せて、人々が平和に生活できるようになったのは始まりの泉のお蔭だ。貯まり過ぎた魔力は消費しなければならなかったのだから――それも原因の結界を作ったのは私達だ――、始まりの泉だけを責めることはできない。やり方についてはともかく――。
(やっぱり間違ってる……! あんなやり方じゃなくても良かったはずだ……!)
「何で、あんな皆が苦しむようなやり方を……!」
セシル王女やシャリエ伯爵は言い表せないほどの苦悩に苛まれたし、クラウスさんは命の危機に瀕した。他に怪我を負った近衛兵だっている。カンザキさんだって、危うく全ての元凶にされるところだった。
絞り出すようにそう言った私に、始まりの泉は、ああ、と軽い調子で謝った。
「ボクもあそこまでなるとは思ってなくてね。それについては悪かったよ」
「っ……」
そんな言葉で済まされる程度なのだ、と私は思い知った。
何か言い返したかったけど、言い返せなかった。
きっと、当然なのだ。始まりの泉は、私達から見れば神のような存在で、私達はただただ恩恵にあずかるだけの力のない存在なのだ。
文句を言ったりこちらがどれだけ大変だったかを訴えても無駄だ。そう思った私は、色々なものを呑み込んで、今回の件の疑問点を解消することに徹した。
離宮に戻ってから、私は部屋に籠もった。あまりにもたくさんのことを聞き過ぎて、頭の中の整理が必要だった。
(でも、これで本当に終わったんだ……)
カンザキさんも向こうに帰れて、本当の意味でゲームの終わりを迎えたのかもしれない。
私が始まりの泉の化身を見れるようになったのは偶然らしいけど、これまでのことが全部分かったのは良かった。
乙女ゲームのシナリオに沿っていそうでいない部分とか、私達に起こせない現象だとか。始まりの泉は簡単にだけどちゃんと説明してくれた。
(私が前世の記憶を思い出したことは関係なかったけど……)
私の記憶については、七歳の誕生日の時に“ニナ”が望んだことだった。夢の中でいいから幸せになりたい、温かな家族と幸せに過ごす夢を――。
“ニナ”自身はそんな記憶を持っておらず、偶々持っていたのが前世の私の記憶だった。始まりの泉は、その記憶を呼び覚ます手伝いをしたそうだ。そうやって魔力を消費していたのだろう。
――幸せになりたい。
自分の中に意識を向ければ、“ニナ”の声が聞こえてくるような気がした。
(幸せ……前世のような温かい家族……)
――今なら……。
不意にそんな言葉が頭をよぎって、私ははっとする。“ニナ”の言葉なのか、私の考えなのか分からないけど、辺りを見回して、今更のように気付いた。
(誰も、いない……私だけ……)
護衛も傍付きもいない。私が今ここにいることは、今の時点ではレイも、父も、セレーネの誰も知らない。
――今なら、逃げれる。
どくりと心臓が脈打った気がした。
私がずっと望んでいたことだ。王宮を出て、平民になって、好きな人と温かい家庭を築く――。
今ならできるかもしれないと、そう期待する一方で、だめだ、と考える自分がいる。
今の私は、今までとは立場が微妙に違う。
好きになれない父や貴族達と距離を置き、最低限の義務だけ果たすだけで、いつ私が消えても損をするのは貴族だけ。そんな状態を保てていたのはソレイユに行く前までの話だ。
何より今は、ソレイユの方針に反したことを断行した説明責任があるし、始まりの泉から聞いたことも伝えなければならない。
(でも、戻ったら最後、こんなチャンスがまた来るかは分からない……)
心臓の音が耳まで届きそうだった。
人として正しい行いをするなら当然戻るべきだというのは分かっている。けれども、そんな簡単に諦められるものではない。
(あの子が……“ニナ”が、願ってる……)
幸せになりたい、と、切実に――。
(そもそも、私という存在が目覚めたのも、その願いから来ている……)
前世の夢を見て、“ニナ”が何を思ったのかは正確には分からない。けれども、前世の家族の形に幸せを見出したのだということは分かる。頭では無理なんじゃないかとも思うのに、心の奥底からそれが欲しいという思いが湧いて出てくるのだから。
(こんな価値観の違う世界で、前世の記憶なんて思い出すべきじゃなかったのかもしれない……でも……)
脳裏によぎるのは、“ニナ”が見せた父やエリーズ様、レイ達の幸せそうな姿だ。
どうやってもそれは手に入らないと、“ニナ”は気づいていたのだ。“ニナ”自身が父に対して決して拭うことのできない不信感を抱いていたのだから。
(私は、“ニナ”の望む幸せを可能な限り追い求めたい……)
今回起こっただろう混乱の責任を取らないのは、とても無責任なことだと十分に分かっているけれど。
一度目を閉じて、自分を引き留めるものを振り払う。
完全に心を決めてしまえば、行動に移すのにためらいはなくなった。
(私が気を失っている間に父とリュミエール王家に手紙を出したと言っていた……でも、明日の朝すぐにここを出れば、きっと誰も足取りを追えなくなる……)
私は急いで離宮の使用人に便箋を貰って机に向かった。
混乱の責任はともかく、カンザキさんが向こうに帰ったことや今回の件の真相はソレイユ王に伝えておかなければならない。
今回、勝手な行動をしたことに対する謝罪から始め、ゲームや向こうの世界の話を除いた全ての内容を手紙に書き記した。どこまで信じてもらえるか分からないけど、始まりの泉の姿が見えるようになったことも含めて。
カンザキさんをあちらに帰したこと、セシル王女やアデール様のこと、太陽の塔に起こった異変、魔物の異常出現、その他諸々――。書き漏らしがないか確認しながらペンを走らせ、気づいた時には深夜を過ぎていた。
(内容は、これで大丈夫なはず……)
一息吐いて手紙を封筒に入れ、封蝋には私個人の紋章を使う。署名もちゃんとしたから、私からのものであることは疑いようもないだろう。
少しふらつきながら部屋を出ると、有り難いことに離宮の使用人が数名待機してくれていた。ソレイユ王宛だと言って手紙を渡し、できるだけ早く届けて欲しいことを伝える。
そうして、日の出頃に起こして欲しいと伝えて仮眠を取った。数時間でも休んでおかないと身体が持たない。
それからどれくらい眠れただろうか。約束通り起こしてくれた使用人に礼を言い、簡単に身繕いをして離宮を後にした。
使用人達には頻りに護衛を、と言われたけど、そんなものがいたら逃亡なんてできない。近くまで迎えが来ているからと嘘を吐いて、セレーネ方面の門から町を出た。
フェガロ領ほどでないにしても、ソレイユから見て北東に位置するセレーネの朝は冷える。
少し白くなる息に、もうそんな季節か、と春に初めてイニティウムに来てから大分経ったことを実感する。
(あぁ、そういえば、クロード王子に手紙も何も残してなかった……)
もう少し時間が欲しいと言われて、私もそれに了承したのに。
一言、ごめんなさい、と残すべきだっただろうか。私の気持ちが変わることはないと、あの時伝えていたけれど。
(私はやっぱり“ニナ”と自分を優先することしかできなかったな……)
クロード王子に特別な思いを向けられても、彼の誠実な人柄を好ましく思っても、私は自分の思いを何よりも優先した。
そして今、義務も何もかも捨てて逃げようとしている。
(十分、悪女だな……)
あのゲームのローザ・フェガロとはまた違った悪女だけど。
けれども、それでもいいと思っている自分がいる。
“ニナ”と私の幸せを叶えられるかもしれないのは、私だけなのだから、これでいい。
一度だけイニティウムの門を振り返り、私は馬を走らせた。
あと一、二話で終わる予定です。
-------------------------
8/12 誤字脱字報告ありがとうございます。




