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いつもありがとうございます。ブクマや評価、メッセージ等、励みになっております。

 翌日、朝早くに町を出て、イニティウムの一つ手前の町に着いたのが夕刻前だった。

 イニティウムへは馬なら三十分ほどで着くとのことだけど、二人乗りだからそんなに無理はさせられないし、始まりの泉の力でカンザキさんを元の世界に返せなかった場合、この町に戻ってくるか、セレーネの一番近い町に行かなければならない。閉門時間を考えると今からイニティウムに行くのは時間的に厳しい。

(イニティウムがセレーネの管轄なら、あの離宮に泊まれたんだろうけど……)

 残念ながら、イニティウムはソレイユの管轄だ。いきなり行って泊めてくれとは言えないし、リュミエール王家にも連絡が行くだろう。

 今日はここに泊まることを伝えると、カンザキさんは不思議そうな顔をした。

「でも、イニティウムまであと少しなんでしょ……?」

「そうなんだけど、イニティウムの宿は許可を得た商人しか泊まれないんだ。元々、普通の町じゃなくて、始まりの塔を守るために作られた軍の拠点みたいなものだから」

「そうなんだ……」

「追手の気配もないみたいだし、今日はここに泊まって大丈夫だと思う」

「分かった」

 昨日の夜以来、彼女とは大分話しやすくなった。打ち解けるとまではいかないけれど、最低限のこと以外でも会話が生まれている。前世の私がどこに住んでいたとか、どんな暮らしをしていたとか。

 元々、趣味も年齢も、住んでいる地域も違うから、向こうではすれ違うことすらなかっただろうと思うと、こうしてこの世界で出会ったことは奇跡にも近いことだと思えた。

(いや、そもそも転生とか、異世界トリップとかがもう奇跡としか言えないか……)

 今回みたいなことは二度とごめんだと思うけれど、それでも、私は心の中でカンザキさんと出会えたことを肯定的に捉え始めていた。


 宿を見つけた後、早めに夕食を取った私達は早々に部屋に引き上げた。元々逃亡中の身だし、連日朝早くから動いているから、二人とも疲れが溜まっていた。

 それぞれベッドに入って眠れるまで他愛もない話をする。最初は向こうの世界のことを話していたけど、ふとカンザキさんが「訊いてもいい?」と話題を変えた。

「いいよ。私で分かることなら」

「その……王女様って、どんな感じ……? やっぱりいい暮らしして、素敵な人と出逢って……」

 躊躇いがちに訊いてくるカンザキさんの表情は、憧れや羨望を抱いているというよりも、どこか諦めを含んでいるように見えた。

 私はこれまでのここでの生活を思い返す。

「衣食住についてはそうだね、恵まれていると思う……でも、私は側室から生まれた王女だから、結婚とかについてはカンザキさんが想像してるのとは違うと思う」

「そうなの……?」

「この国、というか、二国の魔力は王族の血が濃いほど強くなるから、貴族にとって私は魔力の強い子供を産む道具でしかない」

「え、でも、塔の魔力を補充する役目があるんでしょ……?」

「それは、正室から生まれた異母妹(いもうと)が継ぐから。私は、異母妹に何かあった時の予備みたいな感じだけど、まぁ、何かあることなんてそうそうないかな。怪我や病気は基本的に治癒魔法で治るから」

 即死かそれに近い状態なら魔法でも無理だけど、そんな状態になるのは、誰かに命を狙われた時だけだ。 けれども、叔母やナディアがいなくなれば、二国を守る結界が揺らぐ。それは即ち謀殺を企てた人間の身や領地も危うくなるということだ。二国で王家の人間に手を掛ける者がいれば、それは二国の滅亡を望んでいるということに他ならない。

(フェガロ家はそもそも、自分の領地を守りたくて王家の血を欲したから、私がナディアの代わりになることは望んでない……)

「じゃあ……」

「私は本当に、道具でしかないってこと。母の実家は今では侯爵家だけど、元は辺境伯だったし、側室から生まれたから、妹みたいに相手の身分をそこまで気にしなくていい……最悪、王家が“よし”と言ってしまえばいいから、貴族なら誰にでもチャンスがある都合のいい道具、かな……」

「そんなことって……」

 本当にあるのか、と言いたそうにしているカンザキさんに、私は苦笑する。

「私も、前の記憶を取り戻した時は、もうちょっと単純に政略結婚させられるんだって考えてたよ……でも、色々知っていくと、ただの家の繋がりとかじゃなくてもっと生々しい感じのが絡んでて……素敵な人と出会ってどうとか以前に、結婚自体、したいと思えなくなった……嫌なことも、聞いてしまったし……」

「嫌なこと……?」

 訊き返されて、一瞬どうしようかと躊躇った。

 あまり気持ちのいい話じゃないし、思い返したくもないことだけど、どうしてか、カンザキさんには話してもいいかと思った。

「あー、何て言ったらいいかな……ざっくり言うと、私を回そう的な……」

「回す……」

「誰にでもチャンスがあるって言っても、子爵家とか男爵家とか、財力がない家は贈り物とかで私の気を引くのは厳しいと考えるみたいでね……何人かで協力して貢物して、それでその中の誰かが私を手に入れたら、順番に回して子供を産ませようって……そんなこと話してるのを聞いた……」

 下品な男達の笑い声が脳裏に蘇って少し気分が悪くなったけど、今まで胸につっかえていたものが少しだけ取れたような気がした。一人でずっと溜め込んでいるのは、思っていた以上に負担になっていたらしい。

「え……なに、それ……」

「そんなことできるのかと思ったけど、そっちみたいに通信技術とか発達してないし、遠い領地の話なんてなかなか王宮には届かないんだ。私さえ逃げられないようにすれば後はどうにかなる、そんなこと言ってるのを聞いちゃうと、本当に起こりそうというか、実際にできそうだって私も思ってしまって……」

 レイが聞いたら、そんな馬鹿な、と笑い飛ばすんだろう。でも、実際にそういうことを話している人間はいたし、遠方の領のことなんてそう簡単に話が届かないのは事実だ。捕まってしまえば、攻撃魔法は極々初級のものしか使えない私には対抗手段がない。

(前世で合気道やってたからって、多勢に無勢じゃどうしようもない……防御魔法は使えても、魔力は無尽蔵じゃない……)

 消耗し過ぎたら無防備になるしかないのだ。王族だからって、女一人の自由なんて簡単に奪える。

 私が考えてもやりようはいくらでもあると思ってしまうのだ。あくどい人間なら、もっと他にも方法を思い付くに違いない。

 これまでにも考えたことを吐露すると、カンザキさんは握り締めた手を震わせていた。

「レイは!? レイは、知ってるの!?」

「知らない。誰にも、言ってないから……」

「何で言わないの!?」

「言おうと思ったことはあるよ……でも、塀越しに聞いた話で、話してるのがどこの誰かも分からなかったし、それからあまり日も経たない内に、子爵家の人と会ってみませんか? なんて見合いをほのめかされたら、ね……身内も敵かもとか思えてきて……」

 結局、会わせようとしていたのが誰のなのか、あの話をしていた連中と関係があるのかは分からなかったけど、そこからは更に社交界限定の引き籠もりに拍車がかかった。

「だから、カンザキさんが考えてるような恋愛とか結婚は、私には分からない……」

 叔母は大恋愛の末にその相手と結婚したと聞くし、セシル王女やナディアもきっと彼女の期待するような物語を紡ぐのだろう。

 でも私は、“ニナ”の意志もあって貴族との結婚に否定的だし、母も、王家に嫁いだことで決して幸せとは言えない人生を歩んだ。王女だから、王家だからといって、夢に描くような人生を歩めるわけじゃない。

「本当に、交換留学に出されるまで、半分引き籠もりだったんだ。社交界限定の引き籠もり」

「引き籠もり……」

「パーティーはもちろん、お茶会にも一切出なかったし、国の式典も儀式の時だけ顔を隠して出て、終わったらすぐに退席してた。魔法学の勉強は王宮でもできるから、学園にもずっと通ってなかった……とにかく、婚約者なんて作らせたくなくて……」

「そう、だったんだ……」

 夢やゲームのように都合のいい世界なんかじゃないことは、カンザキさんも十分身に沁みているのだろう。監視されている部屋で話した時のように落ち込んでいるように見えた。

「でも、王様――ニナさんのお父さん? が勝手に婚約者を決めたりとかもできるんじゃ……」

「多分そうしたいんだろうけど、今のところできてないかな。私が全部突っぱねてるし、あの人は私にそんなに強く出れないから」

「娘に甘いとか……?」

「違う」

 平和的な思考をしているカンザキさんに思わず笑ってしまった。

「私の母をほとんど見殺しみたいな状態で死なせたから、負い目があるんだよ。その後、私も生死の境を彷徨ったみたいだし……」

 最後の方は“ニナ”の記憶もあやふやだから詳しいことは分からないけど、あの時助けてくれたのがフェガロ家とフェガロ家に縁のある人々だったことは知っている。だから“ニナ”は今でも伯父を一番信頼しているのだ。

「見殺しって……」

「見殺しは言い過ぎかもしれないけど、私にとっては似たようなものかな……私の母は、魔力を消耗しすぎて身体を弱らせて亡くなったのだけれど、私は、もう少し気力があればまだ何とかなったんじゃないかと思ってる。でも、あの人はただの一度も母の見舞いに来なくて……」

 父に母を元気付けて欲しいと、“ニナ”はこっそりと別邸を抜け出して父の所に向かった。そこで――。

 ――このまま死なせてしまうのがよろしいかと。側室など、初めから必要なかったのです。

 誰の声だったのか、幼かった“ニナ”には声の主の名前も言葉の意味も分からなかった。ただただ、風に乗って聞こえてきたその声が怖くて、踵を返した。でもその会話の相手が父であることは声で分かっていた。

 その言葉に従ったのかは定かではない。でも結局、父は最後まで母を見舞うことはなく、母は悲しげな顔のまま死んだ。

 “ニナ”の記憶を何度も掘り起こし、繋ぎ合わせて得た、私が知る母の最期だ。

 私が直接見たり聞いたりしたわけじゃないから、まだ冷静に客観的な立場で考えられるけど、この事実があるから、私はやはり父のことを好きになれない。

「ごめんなさい……辛いこと、思い出させてしまって……」

「大丈夫。母が死んだのは、私が前世の記憶を思い出す前で、それまでの記憶ってちょっと曖昧というか、自分で体験したものとは少し違う感じがするから……」

 “ニナ”のことを考えると泣きたくなってしまうことがあるけれど、私自身は問題ない。

「レイは、そのこと知ってるの……?」

「知らないよ。レイも小さかったから。知ってる人は多分ほとんどいないんじゃないかな……」

 父と私と、伯父と――。後は誰が知っているのか分からない。

「そう……」

「ごめん、こんな面白くない話ばかりして……」

「ううん、私が訊いたことだから……むしろ私の方が、さっきから嫌なことばかり思い出させて……ごめんなさい……」

「気にしなくていいよ。話そうと思ったのは私だし、今まで誰にも言えなかったことが多かったから、カンザキさんに話せて少し楽になった……」

 小さく微笑って見せると、カンザキさんはほっとしたような顔付きになって肩の力を抜いていた。

「もう寝ようか。明日もそんなにゆっくりはできないし」

「うん」



 翌朝、周囲の空気には気を配っていたけど、やはり追手が迫っているような気配は感じられず、幾分か落ち着いた気持ちで町を出た。

 イニティウムが見え始めたところで馬を下り、私は服を着替えた。身分証代わりの王家の紋章は持っているけど、平民と同じ格好でいたら町に入れるかも分からない。

(ドレス着て馬引いてるのもかなり違和感あるだろうけど……)

 それなりの格好で王家の紋章を見せたら半信半疑でも通してくれると信じたい。

「町に入ってから着替えるのはダメだったの……?」

 疑問を口にしたカンザキさんに、私は首を横に振る。

「イニティウムは他の町と違って検問が厳しいから、町に入る時点で身分証とか通行許可証が必要なんだ。平民と同じ格好で王家の紋章とか出したら、盗んだと思われかねないから」

「検問とかあるんだ……知らなかった……」

 最初の時は彼女も馬車に押し込められたまま通過したんだろう。私も王家の馬車に乗っている時は、窓から少し顔を見せるだけで良かった。

「私、身分証とか通行許可証とかないけど大丈夫……?」

 緊張している様子のカンザキさんに、大丈夫、と微笑ってみせる。

「そんなに構えなくても、何とかするから」

「ありがとう……」

 イニティウムはリュミエール王家の管轄だけど、スキアー王家が冷遇されるわけじゃない。離宮はともかく、検問は恐らく通れると踏んでいる。

(始まりの塔は微妙だけど、そこはもう押し切るしかないな……)

 馬を引いてカンザキさんとイニティウムの門にたどり着くと、流石に周りの視線を集めた。

 ぱっと見、貴族の令嬢が使用人らしき人間を連れて馬を引いているのだ。かなり奇妙な光景だ。

 それは検問をしている衛兵も同じようで、何とも言えない戸惑う雰囲気が辺りに漂っていた。

「失礼ですが、どちらの……」

 躊躇いがちに尋ねられた言葉に、私はスキアー王家の紋章を掲げて見せる。

「スキアー王家第一王女、ニナ・スキアーです」

 途端にざわめきが起こったけど、衛兵はまだ冷静さを取り繕っていた。

(この一年の間に何度か通ってるし、大丈夫かな……)

「紋章を拝見致します……確かに。どうぞお通り下さい」

 検問は問題なく通れてほっとしたけど、始まりの塔はそう簡単に中には入れなかった。

「此度はいずれかの陛下の許可証はお持ちでしょうか?」

 紋章を見せながら名乗って中に入りたいと言えば、そんな言葉が返ってきた。

(許可証……)

 そんな物いるのか。初耳だ。

(春に一度来ただけだもんな……)

 しかもその時はクロード王子の案内だったから、許可証云々の話は全く聞かなかった。

「生憎、急ぎでしたので頂いておりません。ですが、許可証など必要ですか? 私がニナ・スキアーであることは王家の紋章を見れば明らかでしょう」

 毅然とした態度で話を続ける。

「そして始まりの塔はリュミエール王家の管轄といえど、塔そのものは両王家のもの。所有者の一員である私が塔の中に入るのに余人の許可が必要だと?」

 結構横暴なことを言っている自覚はあるけど、ここで足止めを食らうわけにはいかない。

(ここで止められたら、このままセレーネに入って、許可証なり何なり貰って引き返してくるしかなくなる……)

 その場合は確実にレイやソレイユ側に私の動向が伝わってしまうから、できればそれは避けたい。

 どうする、と考えて、つい最近、セシル王女も始まりの塔に行ったことを思い出した。

 行方が分からなかったのだから、予めソレイユ王が許可証を発行していたとは思えない。

「先日、セシル王女もこちらに来られている筈ですが、セシル王女も許可証をお持ちだったのでしょうか?」

「い、いえ、それは……」

 衛兵の態度からするに、本当は許可証が必要なのだろうけど、セシル王女もやはり持っていなかったのだろう。

「セシル王女は許可証がなくとも通れて、私は通れないと、そう仰るのですね?」

 衛兵は苦い顔をすると、どうかご内密に、と言って道を開けた。

「貴方のことは言ったりしないので、安心して下さい」

 そもそも、無理を言っているのはこっちだ。わざわざ父やソレイユ王に言ったりはしない。

 入り口で馬を預けて、カンザキさんの手を引いて足早に始まりの塔の中に入る。

 相変わらず、塔の中は魔力で満ちていた。

(でも、何だろう……春に来た時より魔力が少ないような……)

 外に比べたら膨大な魔力が漂っているけど、春に感じたほどではない。あの時はもっと酔ってしまうかと思うくらいに濃密だった気がする。

(太陽の塔も魔力で溢れてたから、こういう所に入るのに私が慣れてしまった……?)

 違和感を覚えながらも泉の前に立つ。

(普通の魔法は呪文があるけど、精霊に意図を伝えられれば詠唱とか呪文もなしでいい……始まりの泉が精霊と同じでいいかは分からないけど、意図が伝われば良いなら……)

「ねぇ!」

 私は泉に向かって声を張り上げた。

「カンザキさんをこの世界に連れて来たの、あなたなんでしょう!? 何がしたかったのか知らないけど、もう十分でしょう! 彼女を、元の世界に帰して!」

 塔の中に自分の声が木霊する。

 微かな空気の揺れもなくなるまで待ったけど、何も起こる気配はなかった。塔の中の魔力にも変化が見られない。

(だめ……? いや、もう一度……!)

 今度は魔法を発動させる時のように自分の魔力を集めて――。

「お願い! 帰して……!」

 カンザキさんが耐えかねたかのような声を上げた。

「最初は……私が、願ったのかもしれない……毎日毎日が嫌で、逃げたくて、誰かにちゃんと自分を見て欲しくて! ゲームの主人公みたいに格好いいキャラに愛されたくて……! でも、ゲームじゃなくて、現実だった……ゲームみたいに簡単にチヤホヤされることなんてなくて……そんなの当たり前だって、ようやく分かった。現実なんだから、ゲームみたいに簡単な選択肢で誰でも愛されるなんてことない。他人が持ってるものを羨んだって、簡単に手に入ったりしない。努力したって必ず報われるわけじゃない……でもそれが、誰かのせいとは限らない……自分が何を間違ってたか、何となくだけど、分かった気がするの……」

「カンザキさん……」

「何で私がここに来れたか分からないけど、もう帰らせて……もう、ゲームの主人公みたいにとか願ったりしないから! そんなこと望んだって意味ないって分かったから……!」

 カンザキさんは一度私の方を見て、また泉に向き直った。

「向こうに戻ったって、それまでと何も変わらないと思う。でも、私の居場所はここじゃないって、そう思うの……誰かに好かれたいなら、私は向こうでもっと努力しないといけない。だって、私はこの世界の人間じゃないから……だから、私を日本に帰して下さい! お願いします!」

 私も、と声を上げようとしたけど、その前に泉の魔力が揺らぐのが分かった。

 ――いいよ。

 不意に、どこからともなく誰かの声が聞こえた。

(誰……?)

 ――元々帰すつもりではいたんだ。魔力が足りないからもう少し先の予定だったけど。

 ちゃんと音として聞こえてるわけじゃない。頭に直接声が流れ込んできているような、そんな感覚だった。

 ――でも、ちょうど王族の人間がいるから、足りるかな?

 そんな言葉が聞こえると同時に、濃い魔力に満ちた泉の水が溢れ出て、あっという間に足が水に浸かった。

 泉の中心は大きな渦を巻いていて、その上が俄かに光り出す。

「魔法陣……」

 眩しくてなんて書いてあるのかまでは分からないけど、あれは確かに魔法陣だ。

 息を呑んで見ていると、泉の水がまるで意思を持つかのように盛り上がり、カンザキさんを引きずり込んだ。

「きゃっ」

「カンザキさん……!」

 焦って前に出ようとしたけど、膝まで水に浸かっていて満足に進めない。

(ドレスじゃなかったらまだ動けたのに……!)

 舌打ちしそうになっていると、水に連れ去られたカンザキさんが魔法陣の上に載せられていた。

 無事な様子にほっとすると同時に、彼女は帰れるんだと感覚的に理解した。

 それはカンザキさんも同じだったようで、「ニナさん!」と大きな声で私の名前を呼んだ。

「助けてくれて、ありがとう! それから、今までのこと、酷い態度とか取ってごめんなさい! まだちゃんと謝れてなかったから……!」

 必死に訴える彼女に、私は首を横に振る。

「気にしなくていいよ。カンザキさんと同じ立場だったら、私もきっとゲームだって信じてたと思う」

 ステータス画面なんてあったら、それはもうゲームとしか思えない。

「ありがとう……」

 カンザキさんはどこか泣きそうな顔をしながら、小さく微笑った。

 泉の魔力が徐々に膨れ上がっていく。水属性の防御魔法でも使ったのかのように、彼女の周りを水が取り巻き始めた。

「あの、最後に一つだけ教えて。前の名前は、何て言うの?」

 そう訊かれたけど、私は苦笑して返すしかなかった。

「昔の記憶はいくつも思い出したけど、名前は未だに思い出せないんだ。だから、ニナでいいよ」

「そっか……分かった」

 残念そうだけど、すっきりしたような顔をしてカンザキさんは微笑った。

 その表情を最後に、彼女の姿は完全に水の中に消えた。

 辺りを取り巻いていた魔力が魔法陣の方へと集まっていく。一度溢れ出た水が、急速に泉の中心へと向かい始めた。

 辛うじて立っていられるような状況の中、不意に背後に水の気配がした。

「――っ!?」

 振り返る間もなく、冷たい水に飲み込まれる。

 藻掻くように掴まる場所を探したけど、何にも掴まれずに渦の中心へと引き込まれていた。

 何かに拘束されているかのように身動きが取れない。

(マズイ……息が……!)

 どこまで持つか、と不安がよぎる中、突如として全身から魔力が抜け出ていくのが分かった。

 王族がいるから足りるかもしれないと言っていた何かの声が脳裏に蘇る。

(そういう、こと――)


 一瞬意識が途切れていた。気付いた時には水に押し上げられるかのように水面に浮き上がっていた。

 息を思い切り吸いながら流れに身を任せていると、いつの間にか岸へとたどり着いていた。

 沈まないように地面に爪を立てながら、荒く呼吸を繰り返す。

(かなりの量、持っていかれた……だめだ、意識が……)

 半分以上の魔力を一度に失って、意識が遠のきかけている。

 でも、背後に感じる気配を無視することはできなかった。

(カンザキさんじゃ、ない……)

 重い身体をどうにか動かして、後ろを振り返る。

 水面に、少年のような姿形をした何かが立っていた。水でできているのか、向こう側が少し透けて見えている。

 何かなんて、訊かなくても分かった。始まりの泉と全く同じ魔力をその少年から感じる。

「もしかして、見えてる? 魔力回路が繋がり過ぎたかな?」

 面白そうに言う少年の言葉に返す気力はなかった。それよりも訊かなければならないことがたくさんある。

「全部、あなたが……?」

 カンザキさんのことだけでなく、セシル王女やアデール様、そして今までに起きた異変全て――。

「私の、ことも……」

 あぁ、だめだ。意識を保っていられない。

 答えを聞かなければならないのに、視界が暗く、狭くなっていく。

「大体のことはね。――でも、君のことは違うよ。君のソレは、君が望んだんだ。ボクは少し手を貸したに過ぎない」

 どういうことだ、と考えることもできずに、私の意識は沈んだ。


出すかどうか迷った設定諸々。結局入れることにしたけど、なくてもよかったかもしれない。

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7/20 誤字脱字報告ありがとうございます。

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