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いつも読んで下さる皆様、ありがとうございます。ブクマやメッセージ等もありがとうございます。
陽が完全に昇ってしまう頃には、私達は次の町に着いていた。
懸念しているような事態が起こることもなく、静かに町に入った時には私は心底安堵した。唯一、エマが無事にあの部屋を抜け出せたかだけは気掛かりだったけど、だからといってここでのんびり待っているわけにはいかない。
いつ追手が掛かるか分からない以上、一刻も早くイニティウムへと向かわなければならなかった。
馬車を下りて、カンザキさんの手を引きながら町の中を歩く。どこに何があるか分からないのはちょっと痛手だったけど、馬の姿を見かけるたびにその馬を買えるかと尋ねて回れば、昼前に一頭の馬を手に入れることができた。
ここからは馬に乗っていく。馬車の方が人に紛れれるし、疲れないんだけど、平民が乗れるような荷馬車や幌馬車は進むペースが遅いし、色んな町や村を経由するから真っ直ぐ目的地に行けない。二人乗りでも馬に乗っていった方が早いだろうと、計画を練る時にエマが言っていた。
(まさか乗馬の訓練がこんなところで役に立つとは……)
元々は出奔する時のためにと庭師のフランツに教わっていた。乗馬をしたいと言った時は、王女がそんなことをするものではないと言われるかと思ったけど、女性が領地の防衛のため軍と行動することがあるフェガロ領では馬に乗れる女性が多いそうだ。守りの要と言われていた母も、領内を馬で駆けていたらしい。
町の外まで馬を引いて行って、適当な足場を見付けて馬に跨る。
「それに、乗って行くの……?」
こちらを不安げに見上げているカンザキさんに手を差し出す。
「うん、そう。二人乗りだし、そんなに飛ばさないから、安心して」
「どこに行くかだけ、聞いてもいいですか……?」
私もいつ見つかるかという緊張で気持ちが急いていたから、まだそのことについてちゃんと話せていなかった。今もゆっくり話している余裕はないけど、それだけはちゃんと伝えておくべきだろう。
「イニティウム、始まりの塔。始まりの泉が貴女を召喚したのなら、帰すこともできるんじゃないかと思って」
私を見上げるカンザキさんの目が期待の色を帯びた。
私もそうなることを祈っているけど、上手く行かない可能性もあることを念押ししておかないといけない。
「確証があるわけじゃないから、駄目だったらひとまず姿を晦ますしかないけど……」
「それでも、帰れるかもしれないなら……」
差し出していた手をカンザキさんが取る。その手は今まで以上に力強く握り返してきた。
馬を乗り潰すわけにはいかないから、休憩を挟みながら町から町へと移動する。
使用人の格好をした黒髪の少女と同じく黒髪の少年って、ソレイユでは結構目立つんじゃないかと最初は不安だったけど、誰かに足止めされることもなく、驚くほど順調に進むことができた。
陽が西に傾き始めた頃、最後の休息を取るために見つけた小川の近くで馬を下りる。馬に水を飲ませながら、次に宿がありそうな大きな町に入ったら今夜はその町に泊まろう、なんて考えていると、カンザキさんがためらいがちに話しかけてきた。
「あの……どうして、貴女がここまでしてくれるんですか……? レイ、殿下の国の、王女様なのに……」
その言葉は、私がカンザキさんを助ける理由以外にも、何故私が一人でこんなことをしているのかを問うているように聞こえた。
「ソレイユの人達は、貴女が原因だという方向に流れて行ってるけど、私は違うと思うから……でも、私は研究者でも何でもないし、権力を持ってるわけでもない。レイ――弟ならまだソレイユ王に掛け合うこともできるだろうけど、私にはそれができないし、弟に言ってもきっとこんなことには協力してくれないから……」
レイは頭が良い。視野も広いから、色んな事態を想定して物事を考えることができる。
でも、決して情に厚いわけではない。罪を犯した確たる証拠もないのに裁かれるのは可哀想だ、逃がしてあげよう、なんて思う人間じゃない。
貴族や民衆の不満や不安を上手く解消する方法があるなら、確実にそちらを取る。犠牲になるのが自国民でもない少女なら尚更。
今回の件で私の考えを聞いてきたのだって、カンザキさんを可哀想だと思ってのことではないのは何となく分かった。レイはただ、誤った判断を下さないために可能な限り真実に近付いておきたいだけだ。ソレイユが行き過ぎた対処をしないかという懸念もあっただろうけど、ソレイユ王がそういう判断を誤る人ではないというのはレイも知っていると思う。
もしソレイユ側から意見を求められれば答えるだろうけど、きっと積極的に介入したりはしない。だから、こんな風に勝手にカンザキさんを連れ出すなんて真似、ソレイユとの関係を良好にしておきたいレイは絶対に協力なんてしてくれない。
「護衛兵は全員弟の配下で、私にはエマしかいなかったから、だから後は全部自分でするしかない」
そう言って苦笑する。彼女が想像している王女様はきっともっと権力を持っている人物なんだろう。けれど、生憎、側室から生まれて今まで何にも貢献してこなかった私は、王女なんて名ばかりで、こんな時に使えるものは何も持っていない。
(王女でいたくなかったから、それでいいんだけど……)
それにカンザキさんのことについては、私が権力を持っていたところでそう簡単に口出しはできない。ソレイユの人々から見れば、私はただ居合わせただけで、関係のない人間なのだから。
「そろそろ行こう。日が暮れる前に町に入らないと、野宿しないといけなくなる」
「は、はい……」
◇
ここ数日で起きた出来事を報告するため、レイは朝から自身にあてがわれた部屋に籠っていた。
セシル王女の魔力の件、マナミ・カンザキに起こったこと、それに関連したソレイユの動向――。自身の考えも加えつつ、これらの出来事を纏めるのは容易ではなかった。
何しろ、どれもが前例のないことで、原因などについてはほとんどが予測の域を出ない。ソレイユの動向についても、クロードからあらましは聞いているが、今後の動きは幾通りも考えられる。そこから想定される結果となると、その倍以上だ。
同じことが自国に起こらないとは限らない。レイとしては前もって対策を考えておきたいところだが、直接的には関与していない身であるため、ソレイユ内の問題に堂々と首を突っ込めないのが悩ましかった。
(せめてセシル王女やマナミ・カンザキと直接話してみたいところですが……)
二人とも渦中の人物だ。後者には昨日、ニナが面会して話をしたが、レイの同席は許されなかった。
ソレイユ王自身がレイの関与を警戒したのかもしれないし、王ではなく諸臣が警戒して要らぬ論争を起こすのを憂慮したのかもしれない。
いずれにせよ、レイは直接マナミ・カンザキと話すことはできず、ただニナから様子を聞くことしかできなかった。
セシル王女が魔力を失った時とは状態が違う、というのは大きな収穫だったが、それぞれ別の原因がある可能性が高くなり、レイとしては悩みの種が一つ増えてしまった状況だ。本当に頭が痛い。
少し休息を取るべきか、とペンを置いたところで、ドアがノックされ、この館の執事が来訪者の存在を告げた。
「内務府、兵部副官……?」
「はい、左様でございます」
思ってもみない来訪者に、レイは訝りながら予想され得る案件を頭の中に並べる。
内務府は王家の内政を司る部署だ。その兵部は王宮や王家の領地の警備を担っている。迎賓館の警備も彼らの管轄ではあるが、ここ数日警備に問題が起きたことはない。
「用件は聞いていますか?」
「はい、何でもマナミ・カンザキの件でお聞きしたいことがあると……実を申しますと、王女殿下へのお目通りをご希望されていたのですが、お返事がないため、レイ殿下にお目通りを願いたいとのことです」
(マナミ・カンザキ……姉上……)
昨日のことで何かあるのだろうか。確かに、マナミ・カンザキの監視をしていたのは、服装からして内務府兵部の衛兵だったが、あの時は問題なく面会を終えた筈だ。
執事によればニナは返事もしなかったとのことだが、もう昼前だというのに、まだ寝ているのだろうか。
「エマは?」
唯一、姉の部屋に入れる存在の名前を挙げれば、執事は困った顔をする。
「王女殿下のご命で、外に出ているようでございます」
ニナが用事を言い付けるとしたらエマしかいないため、それも仕方ないだろう。
「分かりました。応接間に通して下さい。用件だけでも聞きましょう」
「恐れ入ります」
執事が部屋を出て行き、レイは書きかけの手紙を一旦引き出しの中に仕舞う。やらなければならないことが多い中に来客など、閉口しかできない。手短に済めばいいのだがと思いながらレイは一階へと下りた。
「――マナミ・カンザキが、逃げました」
応接間の中、兵部の副官だという男は強張った表情でそう述べた。
「方々を探しましたが見つからず、衛兵にそれまでの様子を問いましたところ、変わった様子はなかったが、未明に王女殿下がお越しになられたとのこと……つきましては、王女殿下にお話を伺いたく、無礼を承知の上、拝謁を願った次第です……」
レイは更に頭が痛むのを感じた。
マナミ・カンザキが逃げ出したという時点でかなりの問題だというのに、姉がまた彼女に会いに行ったと言う。しかも未明に。
迎賓館をこっそり抜け出したのはもちろん、許可なく面会したのも明らかだ。
レイは眉間を指で押さえ、溜め息を吐いた後、後ろに控えているヴォルフに合図すべく片手を挙げた。
「ヴォルフ、姉上の部屋に。中に居たら、構いません、引き摺り出してきて下さい。それからディーターとエルンストをここに。残りの者にはエマを探すように伝えて下さい」
「畏まりました」
ヴォルフがすぐさま動くのを横目に、レイは副官の男に向き直る。
「すみませんが、もう少し詳しく教えてくれませんか? 未明にとのことですが、本当に姉だったのでしょうか?」
「はっ、件の衛兵の話では、セレーネ王家の紋章をお持ちだったとのことです」
「それで、マナミ・カンザキに会わせたと」
面会が可能だったのは、昨日の決められた時間だけだった。それは衛兵や管轄している者達にも伝わっている筈だ。そう易々と面会させたのであれば、衛兵側にも問題がある。
「その衛兵も最初はお応えできないと申し上げたらしいのですが、王女殿下は国王陛下フェリクス様のご命でもあると仰られたそうで……いえ、結果的に、王女殿下は断念なされたため面会はされていないのですが、ご持参なさった着替えとパンは渡したいとのことで、お付きの女性がマナミ・カンザキの部屋に入りました」
「姉上が直接会ったわけではないのですね?」
「はい、その様に聞いております」
「その後は?」
「お付きの女性が部屋から出てきた後はすぐにお帰りになられたと……」
レイは軽く嘆息する。ニナが直接会っていないならまだソレイユ王に対しても顔が立つ。王の名前を騙ったのは頂けないが、昨日ニナが面会できたのはソレイユ王の意向があってのことだ。正式に命じられたわけではないが、拡大解釈すればぎりぎり認められるだろうか。
(マナミ・カンザキのことで思い出したことがあり、もう一度状態を確認したかったということにすればまだ……)
ニナもある程度は言い訳を考えているだろうが、多少は援護した方がいいだろう。――ニナがマナミ・カンザキの逃亡を幇助していなければの話だが。
「マナミ・カンザキはいつ頃部屋から逃げたのですか?」
「見つけたのは数時間前です。朝食は王女殿下がご用意されたので朝食時には声を掛けず、しばらくしてから、交代に来た衛兵が部屋の中にいないのを見つけました。窓からシーツを割いて縄のようにしたものが垂れ下がっていたため、それを伝って逃走したものと思われます」
「シーツを割いて……」
ニナが逃亡に必要な物を渡したわけではないようだ。
「その、王女殿下がいらっしゃった時間から大分間が開いておりますので、本当に関与なさっているのかは不明でして……」
「そこを明らかにするために話を聞きに来たということですね」
「仰る通りです」
ニナが渡したのが衣服と食事だけならば、関与したとは言い難い。
(逃げるように、何か助言をしたとか……)
確かに、セシル王女の魔力喪失について、ニナはマナミ・カンザキを擁護するような発言をしていた。しかしこの件に関しては、魔力を奪った方法が未だに明らかではないということに着目すれば、マナミ・カンザキに原因があるとしているソレイユの貴族達の方が公正な判断力を失っているとも言える。
(流石に姉上もソレイユとの関係を悪くするようなことはしない、はず……)
ただ、シーツを割いて縄にするというのは中々根気がいる作業で、更に二階の窓から外に出るというのも勇気が必要だ。憔悴しきっていたというマナミ・カンザキにそのような芸当ができるとは思えない。
(だとしたら、そもそもマナミ・カンザキがその方法で逃走したということからして……)
今の話だけでは、何か不自然だとレイは思う。
(姉上なら二階の窓から降りるくらいやってのけそうですが、部屋には入っていない……中に入ったのはエマ……)
エマはフェガロ家が用意した使用人だが、レイの護衛達の話では恐らく何らかの訓練を受けた護衛である可能性が高い。ニナがそれを知っているかは微妙だが、エマも二階の窓から降りることくらいできそうだ。
(エマが単独でそんなことをするわけがないということは、やはり姉上が……)
頭が痛い、とレイは内心呻く。
(いえ、まだ可能性を考えただけで、姉上が手助けしたとは限らない……)
ニナがマナミ・カンザキに、逃げなければ罪を被せられる等と密かに告げたのであれば、憔悴しきっていても逃げ出すために奮起するだろう。まだ、ニナが関わったという確たる証拠はない。
早く姉の口から事情を聞きたいと心から思う中、ニナの部屋に行かせたヴォルフが表情を硬くして戻ってきた。
「殿下、ニナ様がお部屋にいらっしゃいません。館内も一通り見て回りましたが、何処にもお姿が見えません」
「まさか、出掛けたのですか……? 出掛けるところを見た者は?」
「今探させていますが、御者は今日は一度も馬車を出していないと」
レイは深い溜め息を吐いた。
「エマと外に出た可能性がありますね……」
ただ、執事がニナの命で外に出たようだと言っていたのには違和感が残る。
(セシル王女に会いに行った可能性がないわけではありませんが……)
マナミ・カンザキが逃亡したという現状の中、逃亡前に会っているニナやエマが不在というのは、あまりにも状況が悪い。
レイは困った笑みを貼り付けて、兵部副官の男に向き直る。
「すみません、姉は今不在にしているようです。見つかり次第、こちらから連絡をするということでいいでしょうか?」
これ以上、自身が状況を把握する前にこちら側の情報が筒抜けになるのは良くない。
にこりと更に笑みを見せれば、副官の男は軽く背筋を伸ばして頷いた。
「は、はい、過分なるご配慮有り難く存じます。では、本官はこれにて退室させて頂きます」
男は立ち上がると一礼をして素早く応接間を出ていく。
レイはすっと表情を元に戻すと傍に控えていたヴォルフらに目を向けた。
「ディーターとエルンストはエマを探しに行った者達に姉上も探すように伝えて下さい。別行動をしている可能性もありますから注意を」
はっ、と二名は敬礼をし、即座に動き出す。
「ヴォルフは迎賓館の使用人達から話を聞いて下さい。誰にも知られずに抜け出すのは難しいですから、誰かが何かを知っている筈です。それから、マナミ・カンザキが軟禁されていた場所まで馬車なしというのも少し厳しい。どこかで馬車を手配した筈ですから、それも調べて下さい」
「はい、畏まりました」
ヴォルフが一礼をして部屋を去るのを見送って、レイは背凭れに身を預ける。
様々な可能性が頭の中に浮かぶが、今手にある情報だけでは判断を付け難い。確信を持てるまでは無闇に動くべきではないと冷静に考える一方で、レイの中では嫌な予感がじわじわと広がっていた。
◇
陽が落ちる前に、比較的大きな町に入ることができた。ここなら馬を預けられる宿もあるだろう。
宿が立ち並ぶ一角に入り、何軒か当たったところで、ちょうどいい宿を見つけることができた。
実際にこういう宿に泊まるのは初めてだけど、仕組みは大体知っている。予め装飾品も換金しておいたから、宿代も十分足りた。
「あんた達、二人とも黒髪だね。セレーネから来たのかい?」
宿屋の女将さんらしき人に聞かれて、私は軽く頷く。
「うん、そう」
「子供二人で馬連れてなんて、駆け落ちするには早過ぎるんじゃないかい?」
冗談めかしたように笑う女性に、私とカンザキさんは目を見合わせた。
子供、というのがちょっと引っ掛かったけど、カンザキさんはこの世界の人間から見れば十五、六歳にしては幼い顔立ちだし、私も身長的に十三、四歳の少年に見えるだろう。
駆け落ち云々はともかく、セレーネから二人だけで旅をするには少し幼い年頃に見えているのは確かだ。不審に思われないようにと私は口を開く。
「違うよ。お嬢様のお気に入りのティーカップを割ってしまったんだ。セレーネじゃもう昼間でも風が冷たいってのに、天気が良いから外でティータイムがしたいって急に言い出すから、皆で慌てて準備していたら、僕がティーセットを運んでいる彼女にぶつかって……お嬢様はそれはもうお怒りで、ソレイユから取り寄せた物だから、ソレイユに行って同じ物を手に入れるまで帰って来るなって。それでこのザマ」
軽く首を竦めて見せると、女性はからからと笑う。
「そうかい、そりゃ災難だったね。この町まで来たってことは、国境付近の町には売ってなかったのかい?」
咄嗟に思い付いた出まかせだけど、意外と信じてもらえる内容だったようだ。私は続ける。
「うん、どの町も外れだった。だからいっそのこと王都まで行ってみようかと思って」
「ここも比較的大きい町だけど、ここでも見つけられなかったなら、その方がいいだろうねぇ。ま、頑張りな。食事はあっちで出してるよ。多めにするように言っておくから、たくさん食べな」
「ありがとう」
控えめに微笑ってカンザキさんの手を引いて食堂の方へと向かった。
夕食を取った後向かった部屋は本当に簡素なものだった。
少し小さめのベッドが二台に、間に小さなテーブルが一つ。置かれている家具といえばそれだけなのに、部屋の大半はベッドで占領されている有り様だ。
平民でも泊まれる宿なのだから、ちゃんとしたベッドが二台置かれているだけマシな方なのだろう。
トイレはともかく、お風呂なんてないから、食堂で貰ってきたお湯を使って身体を拭いた。着替えもないから同じ物を着て、ベッドに寝転がる。
朝は早かったし、何だかんだでずっと気を張っていたから、疲れは溜まっている。それでも、レイやソレイユからの追手が今頃王都を出ているかもしれない、なんて考えると、そう簡単に気も抜けなかった。
(せめて、イニティウムに着くまでは、警戒を怠らないようにしないと……)
誰かが始まりの泉の可能性に気付けば、私がカンザキさんをそこに連れて行こうとしていることもバレる気がする。たとえ、エマが捕まっていなかったとしても、だ。
(そもそも、私がサンティエにいないと分かった時点で行き先は絞られるか……)
セレーネ――それも王都アクティナか、フェガロ領に限られる。そこに最短距離で行こうと思えば、必ずイニティウムを通ることになるから、どちらにしろ、追手は同じ道を辿ることになる。
今更ながらそこに気付いて、自分の頭の悪さに辟易した。
(本当に、時間との勝負だ……)
明日も朝一で町を出ないと――。
そう一人で黙々と考えていると、隣のベッドでカンザキさんがもぞもぞと寝返りを打っている音が聞こえた。
眠れないんだろう。そもそもが寝るには早い時間だし、緊張とかあるのかもしれない。
「大丈夫? 眠れない……?」
そう声を掛けると、少し間が開いた後に、うん、と小さな返事が返ってきた。
カンザキさんとの会話は本当に必要最低限だけだけど、それでも、こちらを敵対視する雰囲気がなくなったから、随分と話しやすくなっていた。
「やっぱり、どうして私を助けてくれるのか、気になって……」
カンザキさんはぽつぽつと話し始める。
「だって、私は、貴女に失礼な態度だって取っていたし、私がセシル王女の魔力を奪ったわけじゃないって思えても、こんな大変なこと、する理由にはならないと思う……見捨てたって、いいわけだし……」
(あぁ、そうか……)
私はまだ、私が彼女を助ける理由をちゃんと伝えていなかった。
「貴女が、セシル王女の件の犯人ではないというのは確信してる。それは本当。でも、ソレイユの人達からすると信じられないだろうし、行き過ぎた対応になるくらいなら、貴女を元の世界に帰してしまった方がいい。そう思って貴女を連れ出した」
それも理由の一つだけど、もっと根本的な理由は別にある。
「でも、見捨てられなかったのは……私が、貴女と同じ世界に生きていたから、かな……」
「え……」
こちらを向いたカンザキさんが驚きに目を見張っていた。
「同じ、世界……?」
「うん、同じ世界……日本……」
「うそ……貴女も、同じ……同じ、プレイヤーだったの……?」
「あのゲームなら、一度だけプレイしたことあるよ……あ、太陽の塔に行く途中のRPGなら、何度もやったかな。幼馴染が好きでやってたんだけど、RPGは苦手だったからよく私に渡してきて……」
当時のことを懐かしんでいると、カンザキさんが静かに涙を流していた。
「あの、大丈夫……? いや、ゲームのこと知ってたのに黙ってたのはアレかと思うけど……私も何でか敵キャラみたいなポジションになってたし……」
どうして泣き出したのかも分からず、ただただ言い訳ばかり口にしていると、カンザキさんは涙を拭いながら首を横に振った。
「ごめんなさい、大丈夫……ただ、同じ世界のこと、知ってる人がいるって……私の頭がおかしくなったわけじゃないって……そう思ったら、ほっとして……」
ごめんなさい、ともう一度呟き、カンザキさんは目元を拭い続ける。色々とあったけど、彼女はずっと怖かったのだろうと何となく思った。
私は彼女と違って、転生した人間だし、ベースに“ニナ”という存在があったから、彼女が感じたような恐怖を感じたことはない。でも、孤独感に関しては、もしかしたら似たようなものを感じているのかもしれない。
「もっと、早くに言うべきだったね……」
彼女も私も、ゲームという存在に振り回され過ぎた。
「ううん……いいの、いいんです……まだこの世界がゲームだって信じてた時は、きっと“ローザ”が何を言っても疑ってかかっただろうし……最悪、バグって思ったかも」
そう言って、カンザキさんは苦笑する。
(バグ……)
流石にそれは妄信し過ぎじゃないだろうか。
「どうして、ゲームの世界だって信じられたの……? その、常識的には非現実的だと思うし、ゲームじゃなくてリアルな夢とか……」
「私も最初は凄くリアルな夢かなとか思ったけど、ステータス画面を見つけてからはゲームだって信じた……」
ゲームじゃなかったけど、という呟きはほとんど頭の中に入って来なかった。
「……は? ステータス、画面……?」
「うん、そう……鏡に映ると、右下の隅っこにゲームのロゴマークが浮かんで、それを押すというか、触ると、自分のステータスが見れるの……やっぱり、この国の人にはそういうのないんだね……」
手鏡あるよ、とカンザキさんは起き上がって荷袋から丸い手鏡を取り出す。
私も起き上がってそれを受け取ってみたけれど、自分を映しても鏡の中にロゴマークが浮かぶことはなかった。
「何も、出ないんだけど……」
「貸して」
言われるがままに手鏡を渡すと、カンザキさんは私の隣に座って鏡に自分を映した。
「これ、他の人にも見えるのかな……?」
そう言いながら、カンザキさんは手鏡の右下を指で触る。
その瞬間、鏡から微かに魔力を感じた。
(え――)
「これ、見える? ゲームと同じステータス画面なんだけど……」
カンザキさんはそう言うけれど、私の目にはただ鏡に映っているカンザキさんの顔しか見えない。
「やっぱり、MPのところ、灰色になったままだなぁ……」
落ち込んだ声で言いながら人差し指を動かすカンザキさんのその動作は、画面をスクロールする動作と全く変わらなかった。
「私には、何も見えない……」
「そっ、か……」
「でも、多分、貴女がステータス画面を開いた時に、その鏡から少しだけ魔力を感じた。それまでは全く感じなかったのに……」
「え、魔力……? もしかして、私の……?」
私は首を横に振る。
「ううん、違うと思う……本当に少しだったけど、貴女の魔力ではない……というか、他の属性でも……」
魔力は確かに感じた。けれど、どの属性とも判別できなかった。
(微量過ぎた……? でも、そういうのとは違う気が……)
鏡からはもう魔力は感じられない。
でも、とにかく今のカンザキさんの行動からしても、鏡には彼女にしか見えないステータス画面が映ったのだと思えた。
「ステータス画面なんて……そんなの、ゲームとしか……」
「うん……だから、ずっとゲームだって信じてた……一度目の太陽の塔のイベントであんなことがあったけど、でも逆に、ゲームじゃないと本当に死んでしまうかもしれないって……怖くて、ゲームだって信じたかった……そして、早く終わらせたかった……」
俯きながら話すカンザキさんに、私は何と言っていいか分からなかった。
異世界トリップなんて非現実的なことを体験して、そこから更にステータス画面なんてものを見せられたら、ゲームだと信じざるを得ない。そう信じたくなる。
(でも、一体誰がそんなもの……)
そんな疑問を抱いたけれど、頭の片隅ではもう答えを見出していた。
(始まりの泉……)
膨大な魔力を持った、意志のある存在――。
そういう可能性を思いついただけで、何も確証なんてないのに、きっとそうなんだと私は勝手に思い込んでしまっている。
でも、何でこんなことをしたのか分からない。それに、ステータス画面がゲームと全く同じだということは、始まりの泉があのゲームを知っているということになる。
(私達みたいに日本から来たということになってしまう……)
流石にそこまでとなると荒唐無稽な気がして、私はその先を考えるのをやめた。
「この世界に来るきっかけとかって、何かあったの……?」
結局そんなことを思いついて尋ねたけど、カンザキさんは首を横に振った。
「分からない……でも、何もなかったと思う……ここに来る直前は、ちょっと嫌なことがあって、夜ご飯もいらないって言って、部屋で寝てたの……」
何だか周りが騒がしくなったような気がして目を開けたら、泉の真上にいたとカンザキさんは言う。
「そう……特に何かがあったわけじゃないのか……」
本当に始まりの泉に願うだけで彼女を返すことができるのだろうか。
些細な不安が胸をよぎったけど、今のカンザキさんを見ていると口に出すことはできなかった。




