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いつからか見慣れてしまった寮の部屋の天井に、愛実は重く溜め息を吐いた。
(朝……今日も、何も変わってない……)
――ここは夢の中でもゲームの中でもない、現実だ。
認めたくなくて目を背け続けてきた事実は認めたが、愛実が元居た世界から突如として別の世界に召喚されるという異常体験をしたのもまた事実だ。
この世界に来る直前は眠りに落ちていたから、寝て目が覚めたら元の世界に戻っているのではないか、と微かな希望を抱いていた。
太陽の塔から戻って数日、元の世界に帰れる気配は微塵もないのだが。
気分は晴れず、身体も怠いが、身支度をしなければ、と愛実はのろのろとベッドから抜け出す。本当はもう学園になど行きたくないのだが、体調が優れないと言って一日、二日と休んだら、カミーユが毎朝様子を窺いに来るようになったのだ。
唯一、自分のことを気に掛けてくれる彼の存在を無視もできず、ここ数日は気は進まないながらも授業に出ている。
服を着替えて、ドレッサーの前に座る。
ゲームのロゴマークは相変わらず鏡の端に浮かぶが、ステータス画面に変わりはないし、終了ボタンのような物も現れていない。
(ゲームのシナリオは終わったのに、何も変わらない……元々ゲームじゃなかったから、シナリオなんて関係ないってことよね……)
現実を受け入れた時点で、シナリオを終えたらゲームも終了できるかもしれないという期待も崩れ去ったが、もしかしたらという思いが心の何処かに残っているのだろう。毎朝、こうしてステータス画面を開くことを、愛実はやめられなかった。
画面を見つめてどれくらい経ったか、部屋のドアがノックされ、愛実は手櫛で軽く髪を整えて立ち上がる。
「愛実、おはようございます。支度はできていますか?」
「うん……今、行く……」
またこの世界での一日が始まるかと思うと憂鬱で仕方ないが、憂鬱な日々を過ごすのは慣れている。ただバッグを持ってドアを開けて、決められた通り、言われた通りにやるだけだ。ここに来る前の生活と変わらない。
「おはよう、カミーユ」
「おはようございます。今日は、気分はどうですか?」
気遣うように声を掛けてくるカミーユに、愛実は視線を下に落とす。
「ん、普通……」
そうですか、とカミーユは曖昧に微笑う。
気に掛けてくれることは有り難い筈なのに、自分のことを好きでも何でもないならもうやめて欲しいと、心の中で思っている自分がいる。
誰かに自分を見てもらえれば、自分の存在を認めてもらえれば、それでいい――。そんな風に思った時期もあるが、誰かが他の誰かの特別になっているのを見れば、自分も同じように誰かの特別になりたいという思いが募った。ただ気に掛けられるだけでは、意味がない。
「行きましょうか」
「うん……」
鬱々とした気持ちのまま、愛実は校舎へと向かった。
午前中は防御魔法の実技演習だった。演習場で男女に分かれてそれぞれ、指定された等級の防御魔法を展開する。ある程度安定した防御魔法が使える者には、教師が低級の攻撃魔法で攻撃し、その強度を確かめるという作業を行っていた。
太陽の塔のイベント攻略のため、実技演習にも熱心だった愛実はクラス内でも実力が高いグループに振り分けられていた。
「――次、マナミ・カンザキ」
教師に呼ばれ、愛実は前へと進み出る。
指定された防御魔法で土の壁を作り上げると、他の者達よりも大きな土壁が地面から隆起し、周囲から感嘆の声が上がった。
(この前の授業の時よりやりやすい……)
太陽の塔で魔力の調整の仕方を少し教わったからだろうか。あの時は結局、恐怖心から魔力の注入を中断してしまったが、ロゼール・ブルクミュラーから教わったことは多少身に付いていたらしい。
でも、と愛実は憂鬱な気持ちになる。
(イベントも成功させられなかったどころか、ゲームの世界じゃないかもしれないのに、こんな力が身に付いたって……)
魔法の実力を伸ばしたところで、何にもなりはしない。
そう、溜め息を吐きかけた時だった。
不意に、自分の中から何かが抜けていくのを愛実は感じた。防御魔法を維持するのに供給していた魔力が忽然と消える。
「え……?」
一瞬で血が身体の奥へと引いたような、そんな感覚と共に、目の前にあった土壁が音を立てて崩れていく。
その向こうには、迫り来る水の塊――。
「マナミ・カンザキ! 伏せなさい!」
補助を担当する教師の声が響き、愛実は頭を抱えながら咄嗟に蹲る。
直撃するかと思われた水魔法の攻撃は、愛実の周りを取り巻いた水の膜に吸収されていった。
愛実が安堵の息を漏らす中、水の防御魔法が消え、教師達が愛実の方へと駆け寄ってくる。
「怪我はありませんか?」
「だ、大丈夫です……」
「魔法の発動自体は問題なかったのに、何故……どこか体調が――」
愛実の状態を確認した教師の言葉が不自然に途切れる。
「先生……?」
「マナミ・カンザキ、体調に変化は?」
どこか詰問するかのような口調に、微かな怯えが生まれる。
「え、いえ、特には……」
魔法が途切れた瞬間は一瞬寒さを感じたような気もしたが、今は特に寒いとも感じていない。
首を横に振った愛実に、教師達は互いの顔を見合わせ難しい表情をする。
「何故、いきなり……」
「原因は分かりませんが、セシル様の例もあります。とりあえず、医務室に連れていきましょう」
怪我も何もしていないのに、何故医務室に行かなければならないのか。疑問が湧いたが、深刻な顔をしている教師達に問い掛ける勇気はなかった。
(セシル様って、ソレイユの王女のこと……?)
ゲームでは一度目の太陽の塔のイベント前に出てくる名前で、終盤には名前すらストーリー内には出てこなかった。ゲームでもヒロインが王女の代わりを務めたということくらいで他に接点はなかったし、実際に愛実も彼の人物とは何の関りもない。
(何で今更その名前が……)
疑念が深まる中、愛実は教師の一人に医務室へと連れていかれた。
◇
セシル王女に関する情報が入ってこないまま、一日が経った。
ここがセレーネなら近くを探しに行くということも可能だけど、まだよく知らない土地では探しに行く当てもない。
私にできることは何もないと分かっていても、やっぱり色々と気になって、部屋の中を行ったり来たりしていた。
そうして何も進展がないまま、更に一日が経過した。今日も状況は変わらないか、と落胆していると、もう夜も遅くなったというのに、レイが部屋を訪ねてきた。
「姉上、少し宜しいですか?」
この前来た時は疲れた感じの声だったけど、今日はどこか張り詰めた感じがする。レイがこんな風に話す時は、良くないことが起こっていることが多い。
セシル王女のことだろうか、と足早にドアの傍まで行く。
「いいよ。何?」
軽く身構えながらレイが話し始めるのを待っていると、言葉にしにくいのか躊躇ったのか、少し間を置いてレイが話し始めた。
「今日の夕方、閉門ぎりぎりにセシル王女からの手紙を携えた早馬が王宮に到着しました」
「え……内容は?」
緊張で脈が速くなっていくのが分かる。
「手紙によると、セシル王女は密かに王宮を抜け出して始まりの泉に行っていたと。そこで魔力を取り戻したいと泉に願い、願い通り魔力を取り戻したそうです」
(取り戻した? 魔力を?)
思ってもみない内容に、一瞬自分の耳を疑った。
「本当、に……?」
「ええ、確かにそう書かれていたと。セシル王女自身はまだ王都に到着していないので真偽は分かりませんが、明日には到着すると思われます」
手紙の内容はクロード王子辺りから聞いたんだろうけど、私にも伝えてきたということは、きっと信憑性が高いのだろう。
歓喜で身体が震える。
(やった……やった……! 良かった……!)
どうやっても解決策が見つかりそうになかった問題だ。セシル王女もこれで苦しまずに済むと思うと、自分のことのように嬉しくなる。
それにしても、まさか始まりの泉に願い事をして解決するなんて、と思考がそちらに行きかけたところで、「姉上」とレイの声に引き戻された。
「問題はそこから……いえ、何と言えばいいのか……セシル王女の件と関連しているのかは分かりませんが、マナミ・カンザキが昨日、突如として魔力を失いました」
「は……?」
何だそれは。どういうことなんだ。
思考が停止しかけそうになって、レイの言葉を反芻する。
カンザキさんが、魔力を失った? セシル王女みたいに――?
居ても立っても居られなくなって、私はドアの鍵を開けて外に出た。突然のことで驚くレイに問答無用で詰め寄る。
「どういうこと!?」
「原因は分かりません。昨日の午前中、授業で魔法を使用している際に突然魔力を失ったと。そこから魔力が戻る気配はなく、魔法は一切使えませんし、本人からも全く魔力が感じ取れない状況です」
「セシル王女と、同じ状態になったってこと……?」
正確には、セシル王女の場合、こちらから魔力を送り込むと彼女の魔力を感じ取ることができていたから、本当に魔力を全く感じ取れないなら彼女とはまた違う状況なのかもしれない。
「まだ、何とも……ただ魔力を喪失しただけならまだいいのですが、恐らくセシル王女が魔力を取り戻したのとほぼ同時期のようです。今日届いた手紙の日付は昨日。早馬の速度から考えて、恐らく昼にはイニティウムを発っているでしょうから、セシル王女が魔力を取り戻したのも昨日の午前中の内でしょう……マナミ・カンザキに起こった異変と、もし関係しているなら……」
レイの言いたいことはすぐに分かった。
どこの貴族の娘でもない、突如始まりの泉に現れた少女が、魔力を持っていた。そして、本来膨大な魔力を持っているはずの王女は、同時期に魔力を失っていた。
そこまでなら、カンザキさんが始まりの泉が与えた王女の代役だと好意的に考えることもできる。最初は、魔力を持っているといっても、魔力持ちの平民程度の魔力量だったし。
でも、それが更に、セシル王女が魔力を取り戻すと同時に、今度はカンザキさんが魔力を失った。つまり――。
「マナミ・カンザキが、魔力を奪った……」
「そうではないかという声が王宮内で上がっているそうです。セシル王女もマナミ・カンザキも土属性ですし……」
どこかへと消えていたセシル王女の魔力。そして、やけに魔力の回復が早かったカンザキさん。
自分で魔力を生み出すのではなく、どこか別の場所に溜めてある魔力から供給していたなら、確かにあの回復速度にも納得がいく。
(でも、そんなこと……)
どうやってセシル王女から奪って、それを都合良く引き出せるというんだろう。魔力も何も持っていない、日本の女子高生が――。
けれど、それは同じ世界で生きていた私だからこそ、分かることだ。この世界の人達からしてみれば、向こうは未知の世界だし、日本人にそんなことできるわけないなんて、知りようもない。
これだけ条件が揃ってしまえば、カンザキさんの仕業だと断定されてしまってもおかしくない。
「レイも、彼女が奪ったって考えてるの……?」
「いえ、私はまだ……セシル王女が本当に魔力を取り戻したのかどうかも確認できていませんし……姉上はどう考えるのか、参考にしたくて訊きに来ました」
現状を見れば、カンザキさんが使っていた魔力がセシル王女のものだったという可能性はある。でも、私には彼女が自分でそう仕組んだなんて思えない。
「私は、違うと思う」
「その理由は?」
「そんな方法、思い付かないし、第一、彼女がセシル王女から魔力を奪っていたなら、奪う前は全く魔力を持ってなかったってことでしょう? 魔法も使えない人間がどうやって他人の魔力を奪うの?」
「それについては同意見ですね」
レイがこの件について冷静に考えてくれているようで内心ほっとする。
実際に害を被ったのはソレイユの人々で、ソレイユ王がどう判断するかは分からないけど、レイの言葉ならまだ意見として聞いてくれる可能性がある。
「そういう方法があったとしても、それが彼女の所為とは限らないと思う。ソレイユの人達から見たら奪ったように見えるのかもしれないけど、何らかの事情で“移った”という風にも考えられるし……」
「なるほど。とても参考になりました」
「そう……」
せめて公平に見て欲しい、と色々言ってみたけど、貴族が魔力を持っているのが当たり前、平民でも魔力持ちなら必ず貴族の血が流れているのがこの世界の理だ。突然手に入ったり、無くなったりするものではない。そんな常識を崩すようなことが起きてしまったら、誰だって原因を探る。それが国の根幹を揺るがすようなことなら尚更。
でも、病気や状態異常の線はとっくに潰された。そういったものなら、仕方ない、運が悪かったで済ませられただろうけど、それ以外で“自然にそうなりました”では誰も納得しないだろう。誰かの――カンザキさんの所為だと思いたくなるのが人間というものかもしれない。
「マナミ・カンザキは今どうしてるの?」
「今日も魔力が戻らなかったため、学園の外へ出されました。魔力を持たない者をずっと学園内に置いておくわけにはいきませんので。今は下級役人用の宿舎の一室に。逃げ出さないように監視が置かれています」
(監視まで……)
王女の魔力喪失に関わっているかもしれないとなれば、ソレイユの人達も楽観視はできないのだろう。
「彼女に会いに行くことはできる? 何が起こっているのか、自分の目で直接確かめたい」
それに、彼女が今の状況をどう思っているのかも知りたい。太陽の塔ではこの世界がゲームの世界じゃないと分かってかなり憔悴していたし。
「姉上、それは……」
「お願い。私なら、魔力を失った状態のセシル王女とも何度か会っていたし、今の彼女がセシル王女と同じなのかそうでないのか、何か分かるかもしれない」
原因解明は今後の対策のためにも必要な筈だ。私が行く利点を挙げれば、レイはしばらく考えた後、小さく頷いた。
「分かりました。明日、ソレイユ側に掛け合ってみましょう。ただし、期待はしないで下さい。この件は完全にソレイユの問題ですから、本来なら私達は口出しする権利もありません」
「大丈夫。それは分かってる……」
真剣に頷けば、レイは軽く溜め息を吐いた後、私の肩をドアの方へと押す。
「もう遅いですから、今日は休んで下さい。また明日、状況は伝えますから」
「うん、ありがとう……」
レイに促されるまま部屋に入り、ドアを閉める。
頭の中は整理できていないけど、まだ少し混乱してるような状態じゃ頭も働かないだろう。レイに言われた通り大人しく休もうと、ベッドの中に入った。
考えなければならないことがたくさんあるせいか、翌日は朝早くに目が覚めた。
寝付けないということはなかったけど、睡眠時間が足りなかったのか、頭は少しぼんやりとしている。
少しでも頭が冴えるようにと、起き出して近くの窓を開けた。
朝の冷たい空気が部屋の中に入ってくる。
(昨日一日で、また予想外の展開になったな……)
セシル王女の魔力が戻ればいいとは思ってたけど、こんなに早く戻るとは思ってなかったし、それがカンザキさんの魔力喪失と同時だなんて予想もしていなかった。
(ゲームじゃ、ヒロインが魔力を失くすなんてことなかったもんな……)
レイのルートではエンディングで太陽の塔を維持する役目を続けると言ってたから、その時点では確実に魔力を持っていたはずだ。
(まぁ、ゲームのシナリオなんてもう関係ないんだけど……)
私が、ローザ・フェガロとしてこの国に来たり、カンザキさんが始まりの泉に現れたり――。これはゲームのストーリーと同じなんじゃないかと思えるようなことはいくつも起こったけど、寸分違いなくゲームのストーリーをたどることは一度もなかったように思う。
それが普通だと言われればそうなのかもしれない。でもゲーム視点から外れて、現実から見てみると、これだけゲームと同じ内容が起こるのは異常としか言いようがない。
(だから、ゲームをベースに考えてしまいがちだったのか……)
ゲームのシナリオだから、で済ませられた事のほとんどが、説明のつかない現象だ。偶然の一言で片付けられるのは、私が“ローザ・フェガロ”になったことくらいだ。それなら、“ゲームと同じだから仕方ない”と片付けた方が遥かに楽だった。
でも、ゲームは二回目の太陽の塔のイベントを終えたらエンディングを迎える。それ以降――今起こっていることは、確実にゲームと関連した現象ではない。
(でも、偶然で片付けられる事でもない気がする……)
説明のつかない現象――。それが、偶然ではないのなら、何らかの原因かやった人物がいるということになるし、その方法も存在するということだ。
誰かの魔力を別の誰かに移す方法も含めて――。
この半年で読んだ魔法書の内容を思い返す。私に分かる限りでは、似たような現象を起こせる魔法すらなかった。
(やっぱり、カンザキさんにできるとは思えない……セシル王女の魔力が移るまでは当然魔力なんて持ってなかったはずだし……)
では、他の――魔力を持っている人間か、とも考えてみたけど、全く想像が付かない。二国の誰も、そんな方法は知らないだろうし、方法があってもこんな大それたことを起こせる魔力を持っているとは思えない。
そもそも、私達が使う魔法は、全て精霊が起こす奇跡で、精霊に私達の意図が伝わることで発動する。他人の魔力を奪い取って別の人間に移すなんて、言葉では簡単に言えるけど、具体的にイメージできることじゃない。自分達がよく分かっていないことを精霊に伝えられるとは思えない。
(でも、精霊は……?)
私達が伝えられるかどうかと、精霊ができるか否かは関連していない。
(セシル王女は、始まりの泉に願っただけで魔力を取り戻せた……つまり、泉にはできることだった……)
解決方法を知っていたのか、それとも建国の王達に魔力を与えた時のように魔力を与えたのか。それは分からないけど、解決するだけの力があることは確かだ。
(いやでも、魔力を与えるのはある意味私もしていた……どこかへ消えてしまう現象を無くしたのなら、やっぱり何かしらの状態異常を治したってことか……)
今まで漠然と、始まりの泉の存在を“水を飲んだら偶に魔力を得られるか幸運が起こるくじ引きのような物”だと勝手に考えてたけど、セシル王女の願いを聞いて叶えたのなら、泉には意思があると考えていい。
(そういえば、おとぎ話の絵本には泉の精みたいな絵が載ってたな……)
子供向けの絵本だから分かりやすくそうしたのかと思ってたけど、案外そういう存在がいるのかもしれない。
(でも、それって……)
始まりの泉には意思があって、私達が知らない知識も持っていて、魔力量は言わずもがな。
セシル王女の状態異常を治すことができるということは、逆もできる可能性があるということだ――。




