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いつも読んで下さってありがとうございます。ブクマ・評価もありがとうございます。

 談話室を出てすぐに辺りを見回したけど、人の姿は見えなかった。

 近くの階段を使って下に降りたのなら、ここから走っても追い付けはしないだろう。私は中庭を見下ろせる窓の傍に行って下の様子を窺う。

 まだ学園内に残っていた生徒がいくらかいたようだ。今から帰るといった雰囲気だけど、その中に見知った姿はない。

(嫌がらせの話を全部聞いたわけじゃないけど、結構手が込んでそうだったからな……何人か関わってそうだな……)

 念のため、二階に残っている人物がいないか、耳を澄ませながら教室がある区画へと廊下を歩く。

 談話室は普通の教室よりも密閉性があるから音が漏れにくい。それは中からでも外からでも同じだ。

(ということは、風属性の人間か……)

 まぁ、それが分かったところでどうしようもないのだけれど。

 あの足音からして女子だと思うんだけど、風属性の女子生徒なんて何十人もいる。他に手掛かりもない状態で探そうなんて無理な話だ。

(帰ってからレイに詳しい話を聞くかな……)

 何もしなくてもレイ達が探してくれるんだろうけど、自分が濡れ衣を着せられているとなると、一体何のためにこんなことをしているのか、自分で聞きたいと思ってしまう。

 もし私が何かを仕出かしてこんなことになっているなら、それはそれで謝罪がいるだろうし。

 そんな風に考えていると、通り過ぎた教室から微かに物音が聞こえてきた。

 足を止めて振り返ってみるけど、廊下には誰もいない。

(隠れてた……?)

 試しに廊下を進むと、少し経ってからやっぱり背後で物音がした。そう遠くから聞こえてきた音ではないから、近くに誰かいるんだろう。

 少し考えて、手近な教室の中に入る。相手がただ逃げ損ねただけならば、私が教室の中にいる間に逃げようとするだろう。

 ドアの方に背を向けてしばらく待ってみたけど、誰かが廊下を移動するような音は聞こえてこない。

 五分か十分そうしていたけど結局何も起こらず、諦めて廊下に出た。

 そのまま廊下を歩き始めると再び小さな物音が聞こえるようになる。微かな足音だったり、布が擦れる音だったり。

(これ、つけられてる……?)

 もしかしなくても、そうなんだろう。偶にちらりと後ろを見てみるけれど、誰の姿も見えず、微かな音が付かず離れず聞こえてくるだけだ。口元が軽く引きつる。

 ただ後をつけられるだけならまだいい。でも、犯罪者じゃあるまいし、私の後をただつけたって何にもならない。

 カンザキさんの言葉が頭をよぎる。

 彼女に嫌がらせをした誰かは、私を犯人に仕立て上げようとした。カンザキさんのことも嫌いなのかもしれないけど、私のことも気に入らないのだ。

 そしてその悪巧みがバレたとなれば、私にも直接何かをしてくる可能性が出てくる。

(いや、まさかね……)

 このまま真っ直ぐ進めば、あとはもう突き当りにある階段を下りるしかない。

(階段から突き落とされたりとか……?)

 よくあるパターンが思い浮かんだけど、下手したら怪我では済まないようなことをやる人間はそうそういないだろう。考え過ぎだ、と自分に言ってそのまま歩き続ける。

 ただ、やはり後ろをずっとつけられてるというのは気味が悪い。せめて相手が誰なのか分かれば、ちょっとは気分もマシになりそうだけど。

(階段下りたところで捕まえるか……)

 こちらがいきなり走り出せば、相手も焦って追ってくるかもしれない。追ってこなくても、気味の悪い尾行から解放されるならそれでいい。

 階段まであと少しという場所まで来て、私は走り出した。長いスカートは走りにくいけど、それは向こうも同じだろう。

 下が何やら騒がしいけど、後ろからもはっきりと物音が聞こえてきた。いい具合に引っかかってくれたみたいだ。

(あとは、下まで駆け下りて――)

 階段へと一歩踏み出そうとしたその瞬間、足元で風が渦を巻いた。

「っ!?」

 階段に着くはずだった足が風に取られて身体が傾ぐ。浮遊感にぞくりと背筋が泡立った。

 ここまでするか、と半ば苛立ちながら軽く身体を捻る。階段なのが痛いけど、受け身は取れるから、頭から落ちなければ何とかなるはず――。

「ローザっ!」

 前に手を伸ばそうとした矢先、視界にクロード王子の姿が飛び込んできた。下から階段を上がってきたのだ。

 なんで、と疑問がよぎると同時に、マズイ、と警鐘が鳴る。

 クロード王子は避けるどころか私を受け止めようと手を伸ばす。

(無理だ……!)

 一番上から落ちたのだ。受け止めた方が怪我をする。

 風よ、とぎりぎりのところで彼を包むように防御魔法を展開し、衝撃に備えて目を瞑る。

「クロード! “水よ、ここに集え!”」

 レイの切羽詰まった声が聞こえた後、クロード王子にぶつかる。風が緩衝材になったのか、衝撃は思ってたほどじゃなかったけど、受け止めきれなかったクロード王子ごと水の中に突っ込んだのが分かった。

 鈍い、嫌な音が水を伝わって聞こえてくる。私じゃない。クロード王子だ。

 薄っすらと目を開ければ、眉を顰めているクロード王子と目が合った。首をやったわけじゃなさそうだと、ひとまず安堵する。

 水は自然と引いていき、軽くむせながら呼吸を整える。

「ローザ、クロード、大丈夫ですか?」

 レイのお蔭もあって私は怪我もしなかったけど、クロード王子の方はそうじゃない。

 ぐっと手元にあった彼の服を握り込んだ。

「何を、しているのですか、貴方は……!」

 あんなところに飛び出してくるなんて、レイがいたからまだ良かったものの、そうじゃなかったら取り返しのつかないことになっていたかもしれない。

 沸々と湧いてきた怒りは、一度口に出すと止まらなかった。

「自分の立場を分かってるんですか!? 何かあってからでは遅いんですよ!?」

 服を掴んでいる手が無意識の内に震える。落ちると分かった時よりも何よりも、この人が目の前に出てきた時の方が怖かった。

「ローザ……すまない……」

 震える手にクロード王子の左手が重なる。右利きなのに右手を使わないのは、動かせないからだ。

「考える前に身体が動いていた……ローザが無事で良かった」

 心底安心した顔で微笑うクロード王子に、これ以上怒る気にはなれなかった。

「……右腕、見せて下さい……治しますから……」

 レイが手伝ってクロード王子の上着を脱がせると、右肩が外れていた。あの時の嫌な音はこれだったらしい。

 脱臼自体は治癒魔法ではどうにもできないので、レイに整復してもらい、その上から治癒魔法をかける。他にも怪我をしていたら嫌だから、身体全体にも回復魔法をかけておいた。

「貴女の方は大丈夫なんですか?」

 レイに訊かれて、「私は大丈夫です」と短く返す。クロード王子がいなければ受け身を取っていただろうけど、その場合は腕とかが犠牲になっていただろう。

 クロード王子に礼を言わなければ、とは思うけど、彼に怪我をさせるくらいなら自分が怪我をした方がマシだったという思いが胸の中にあり、素直に口に出せそうになかった。

「事情を聞きたいところですが、先に着替えないといけませんね。そのままでは二人とも風邪を引いてしまいます」

 レイが私達の格好を見ながら言う。二人とも濡れ鼠だ。そして階段の踊り場も水浸しという有り様。

(犯人も捕まえ損ねたな……)

 まさかあそこで魔法を使ってくるとは思わなかった。魔法を使って他人を害することは基本的に禁じられている。例外は模擬戦や自分の身を守る時くらいのもので、意図的に魔法で人を傷つけた場合は罪に問われ、呪具で魔力を封じられる。最悪、貴族という身分さえも失う。

 そんなことを考えながら立ち上がってスカートの裾を絞っていると、「ローザ」とレイに窘められてしまった。

 脚がちょっと見えてしまっていたのがまずかったらしい。

「し、仕方ないでしょう。濡れたままでは動きづらいんですから……」

 布が多い分、水をたくさん吸ってるのだ。ちゃんとクロード王子には背を向けてやったし。

 小声で言い返していると、二階の方から誰かが走ってくる音が聞こえ、階段の上にカミーユ君とカンザキさんが姿を現した。

「クロード殿下、レイ殿下! ローザ様は――」

 カミーユ君は踊り場の惨状を見て、軽く息を呑む。

「何があったのですか!? お怪我は!?」

「いや、大丈夫――」

「クロードが負傷しましたが、もう治りました」

 誤魔化そうとしたクロード王子を遮って、レイが訂正する。

「それより、来るのが遅かったですが、やはり上に誰かいましたか?」

「はい。反対方向に逃げて行ったのを追っていたら遅くなりました。申し訳ありません」

「いえ、構いません。こちらは何とかなりましたから」

 話の内容からするに、誰かが談話室での話を盗み聞きしていたことにレイ達も気付いたらしい。

「カミーユ、逃げた人物は誰か分かるか?」

「追い付けませんでしたが、横顔は見ました。恐らく、アンヌ・バシュレ子爵令嬢です」

「アンヌ・バシュレ……バシュレ子爵家……」

 クロード王子は腕を組んで何やら考え込む。

 私自身はその名前に聞き覚えがなかった。

「クロード、とりあえず一度戻って着替えましょう。話は後でもできます」

「ああ、そうだな……」

「クロード殿下、ここのことは私が教師に伝えておきますから、お早く」

「カミーユ、助かる。レイ、着替えたらそっちに行く」

「分かりました」

 アンヌ・バシュレとは誰だろうかとぼんやり考えていると、レイが自分の上着を脱いで肩に掛けてくれた。

「殿下、ありがとうございます」

「貴女も早く着替えないと。行きますよ」

「はい」

 レイに促され、後のことを引き受けてくれたカミーユ君にお礼を言って、階段を下りる。

 カンザキさんの視線は気になったけど、気づかないフリをしてレイの後を歩いた。



 迎賓館に戻ると、女性の使用人達が血相を変えて私を浴室に連れて行った。いつも落ち着き払っているエマでさえ動揺していたから、傍から見ると相当酷い恰好だったのだろう。くしゃみをしたのもいけなかったのかもしれない。

 超特急で沸かされたお風呂に入れられ、温まって出てくる頃には、既にクロード王子が来ていると知らされた。

 周りには部屋で休むように言われたけど、犯人の話をしているのならば同席したいと応接間に向かう。階段から落ちることになった経緯も話しておきたいし。

 応接間に入ると、追ってきた使用人達がブランケットを肩に掛け、そして数分も経たない内に温かいミルクティーを持ってきた。

 最近はともかく、多少は鍛えてるから風邪なんてそう簡単に引かないのに、と思っても口に出せないのがもどかしい。

「ローザ、休んでなくて大丈夫か?」

 クロード王子に訊かれて頷く。

「はい、問題ありません」

 レイは流石に分かっているようで、特に何も言ってこなかった。

「話を中断してしまって申し訳ありませんでした。どうぞ、お続けになって下さい」

「アンヌ・バシュレ子爵令嬢について聞いていただけですよ。名前を聞いて何か心当たりはありますか?」

「いいえ。初めて耳にしましたので何も……」

 首を横に振る私に、クロード王子がアンヌ・バシュレという人物について軽く説明をしてくれる。ただ、クロード王子自身も個人的に付き合いがあるわけではないから、彼女が三年生であるということと、バシュレ子爵家がどの地方の貴族なのかといった話だけだ。

(接点なんて微塵もない……)

 三年生ならカンザキさんとも関わってなさそうだ。

「ローザも知らないということは、バシュレ子爵令嬢は単なる協力者ということでしょうね……」

「問題は誰に協力してるかだ……」

「そうえいば、ローザ、談話室を出た後、一体何があったのですか?」

「私達の話を盗み聞きしていた人物を探していたら、後をつけられていることに気づきまして。どうにか捕まえられないかと試してみたところ、階段を駆け下りようとした際に足を取られました」

 階段を下りたところで捕まえるつもりだった、と陽動作戦のことを話したらレイが溜め息を吐く。

「何故一人でそのようなことを……」

「このようなことになるとは思ってなかったんです」

 恨んでるのが私なのかカンザキさんなのかもはっきりしてなかったし、距離がある状態で何かされるとも思ってなかった。同じ女子生徒なら、私の方が足が速い自信があったし。

「お二人が近くにいると分かれば、違う方法を取ったかもしれませんが……そういえば、どうしてあそこに……?」

「貴女が退室する前、やけに扉の向こうを気にしていたので、もしかして誰かいたのではと思ったんですよ。本当に帰ったのかと残っていた生徒に訊いてみても誰も見ていないというので、嫌な予感がして探しに戻ったんです。あの階段側から向かったのは偶々ですが、運が良かった」

「盗み聞きに気づいていたわけではなかったんですね……」

「あんな微かな音が拾えるのは貴女くらいですよ。カミーユ殿も気づかなかったそうですし」

 比べる相手がなかなかいなかったから、風属性の中でもどれくらい耳が良いのか分からなかったけど、やはり感度はかなりのものらしい。

(聞かなくていい会話とか拾っちゃうくらいだしな……)

 でも今回はこれのおかげで犯人への手掛かりが得られたようなものだ。

 そんなことを考えていると、クロード王子が「ローザ」と私を呼ぶ。

「一ついいか?」

「はい」

「バシュレ子爵令嬢は後ろをつけてきてたのだろう? だったら、ローザが階段を下りる時もある程度離れた場所にいたと思うんだが、どうやって足を取られたんだ?」

 クロード王子はそう疑問を口にしたけど、半分は確信しているようだった。

 “何に”足を取られたのか、敢えて説明しなかったのだけれど、無駄に終わってしまった。言葉選びを間違えてしまったらしい。

「……何かに躓いたわけではないんですね?」

 自分で勝手に転んだと解釈してくれていたらしいレイも、疑いの眼差しを向けてくる。

 私は軽く溜め息を吐いた。

「風魔法に、足を取られました」

「やはり、そうだったか……」

「魔法を行使するとは……何故黙っていたんです? 事実なら個々の問題では済みませんよ?」

「それは分かっております。ですが、事を公にするのは躊躇われます」

 ただでさえ禁じられたことやっている上に、侯爵家と子爵家じゃ格が違いすぎる。アンヌ・バシュレ本人だけではなく、バシュレ子爵家自体もどうなるか分からない。

 大体、こっちは身分を偽ってここに来てるのだ。こういうことはあまり公にしない方がこっちの為でもある。

「他に目撃した者はおりません。悪戯に騒ぎ立てても、見る者によっては私が虚言を吐いていると捉えるでしょう。それに、アンヌ・バシュレ様がご自分の意思でやったのか、誰かに命じられてやったのかでも話は違ってきます。少なくとも、それが分かるまでは内密にすべきです」

「確かに、それはローザの言うとおりだが……」

 クロード王子はまだ渋る様子を見せたけど、レイの方は納得してくれたようでそれ以上は何も言ってこなかった。

「今はそれよりも誰が背後にいるかを考えませんと」

 もう一押しと言わんばかりにそう言うと、クロード王子も「そうだな」と頭を切り替えてくれた。

「バシュレ子爵家の交友関係も大まかにしか分からないが、一つ気になってるのは、フレンツェル伯爵家だ」

 その家名は知っている。レイも最近、モニカ・フレンツェル嬢の名前を出していた。

「先代のフレンツェル伯爵夫人が、確かバシュレ子爵家の人間だ」

「では、やはりモニカ・フレンツェルが関与している可能性が高い、と……」

「レイ殿下、“やはり”とはどういうことです? この前もモニカ・フレンツェル様について尋ねられましたが……」

「マナミ・カンザキに、“ローザが犯人だ”と言ったのが、モニカ・フレンツェルです。それについては私が自分の目で見ました」

 レイの言葉に、私は眉根を寄せた。自分で見たと言っているのだから、レイの言葉に嘘偽りはないのだろう。でも――。

(モニカ・フレンツェル嬢は、エミリア嬢の友人だ……)

 私自身はそこまで親しくなれていないけれど、エミリア嬢と一緒にいることが多いから、クラスの中でも彼女とは比較的話す方だ。

(何かした……?)

 軽く記憶を遡ってみても、それらしい出来事は思い出せない。

「問題は、モニカ・フレンツェルが企てたのか、彼女自身も誰かに命じられているのか、ですが……」

 レイの言葉にはっとする。

「まさか、エミリア様が背後にいると……?」

「可能性が全くないわけではありませんね」

「お待ち下さい! エミリア様はそのような方ではありません!」

「ええ、分かっています。フォンテーヌ嬢の動きから見て、彼女である可能性は低いと私も思っています。ですが、証拠がない状態では、“彼女ではない”と断言はできないのですよ」

 身分と交友関係からエミリア嬢の可能性は外せないようだけど、レイもほとんど疑っていないと分かってほっとする。

「紛らわしい言い方はお止め下さい……」

「すみません」

 とレイは苦笑する。

「そうなると、やはりモニカ・フレンツェル自身の意思ということか……」

「そう見るのが妥当でしょうね。他に関係していそうな人物はいないのでしょう?」

「ああ……」

「フォンテーヌ嬢の方はどうでした? 何か話せましたか?」

「ああ、少しだけな。最近元気がないというか、思い詰めているように見えると言っていた。今回のことは話せなかったから、何か繋がりそうな言葉は聞けなかったが……」

「そうですか……明日、今日のことも含めて私がフォンテーヌ嬢と話をしてみます。クロードはアンヌ・バシュレの方をお願いします」

「分かった」

 レイとクロード王子がそんな話をする中、私は犯人の目的について考えていた。

 私をいじめの犯人に仕立て上げて一体どんな得をするのか。

 真っ先に出てくるのは、クロード王子との件だ。この前のパーティーで一人だけ彼とダンスを踊り、贈り物まで貰った。誰の目から見てもクロード王子が私を選ぼうとしているように見えるのは明白だ。クロード王子の結婚相手になりたい面々は、私を引きずり落としたいと考えているだろう。

(エミリア嬢みたいな人はかなり稀だろうな……)

 隣国の貴族で、レイというある意味盾のような存在もいる私に直接何かをするのは難しい。悪評を立ててクロード王子の考えを変えるのが一番手っ取り早い。

(ん……? これって……)

 私の目的と一致してるじゃないか。

 フェガロ家の面目もあるから、セレーネにいる時と同じようには振る舞えなかったけど、悪評を立てて結婚を回避だなんて、私が向こうでやっていたことと趣旨は全く変わらない。

 しまった、乗っかればよかった、なんて思っても既に遅い。

(まぁ、どんな罰を受けるか分からないから、完全には乗っかれなかっただろうけど……)

 でも、こんなことになるなら、やっぱりブレスレットは早く返すべき――いや、そもそも受け取るべきではなかった。ダンスの件もあるから、それだけが原因なわけではないけど。

 レイ達の方は今後の方針が固まったようで、クロード王子が帰る準備を始める。

 返すなら今だ、と私も立ち上がって、ブレスレットを取りに部屋に戻る。

 なかなか話す時間を貰えなかったり、アデール様の件があったりして、遅くなってしまったけれど、今日こそはちゃんと話をして返せるだろう。

(あぁ、今日のことのお礼もまだ言えてなかったな……)

 自分の身を危険にさらしたことに対する怒りはもう収まっている。今度は素直に礼が言えそうだ。

 その後に、ブレスレットを返すというのは、何とも申し訳ないけど。

 一階に下りると、クロード王子はもう外へと出ていた。

 玄関で見送るレイの横を通り過ぎて、クロード王子を呼び止める。

「クロード殿下!」

 馬車に乗り込もうとしていたクロード王子は、足を止めてこちらを振り返った。

「ローザ? どうかしたか?」

「いえ、その、今日のことでまだお礼も言えておりませんでしたので……今日は助けて頂き、ありがとうございました」

「いや、俺もレイに助けられたしな。それに、ローザも風魔法で俺を守ろうとしただろう?」

「とっさのことでしたので、他に方法が思い浮かばず……」

 風属性ではどうしたって物理防御力が低いから、ちょっとした緩衝材にしかならなかった。

「俺も、ローザを守りたかったんだ。自分で受け止める以外に方法を思いつかなかったが」

 クロード王子は苦笑する。確かに、火属性の魔法では受け止められない。

「本当に、無事で良かった」

 伸びてきた手が、頬に触れる。安堵に満ちた眼差しに、複雑なものが胸を満たしたけど、もう一つの目的を忘れるわけにはいかなかった。

「あの、殿下、もう一つお話が……」

「何だ?」

「これを、お返ししたいと思います」

 私はブレスレットの入った箱をクロード王子に差し出す。箱もクロード王子から貰った時の物だから、中身が何なのかはすぐに分かるだろう。

 顔を見なくてもクロード王子の動揺が伝わってきた。

「それは……今回のことでか……? ローザを貶めようとする理由は俺が原因だと、分かってるつもりだが……」

「いいえ、今回のことが切っ掛けというわけではありません……初めから、受け取るべきではなかったのです」

 あの時は流されてしまった、などとバカな言い訳はしない。

「申し訳ありません……今更、このようなことを……」

「本当は侯爵令嬢ではないから、という理由でもないんだな……」

 小さく呟かれた言葉にはっと顔を上げる。

「え……」

「ニナ王女なんだろう?」

 と、更に抑えた声で、クロード王子は苦しげに言う。

「レイから聞いた」

 私は一瞬呆然と立ち尽くした。

(なんで、どいつもこいつも……)

 沸々と徐々に怒りが湧き上がってくる。

 父といい、レイといい、なんで当事者に黙ってそういうことをするんだ。

「いや、レイが言ったわけではなく、偶々聞いてしまってな。それで……」

 怒りが顔に出ていたんだろう。クロード王子は焦ったように訂正をする。

 偶々聞いてしまったにしても、その後そうだと明かしたのはレイだろう。そこで誤魔化さなかったのだから、レイが言ったも同然だ。

「安心してくれ、留学が終わるまではちゃんとローザ・フェガロとして扱う」

 色々と取り成してくれてるけど、問題はそこじゃないんだ。

「何か理由があってそうしているのだろう? ただ、もしフェガロ家の令嬢として来ていることが原因なら、それは問題ないと言いたかったんだ。ちゃんと分かっていて渡したし、ダンスの件も同じだ。返す理由は、それではないようだが……」

「はい、フェガロ家のことは関係ありません。私の意思です……」

「そうか……」

 クロード王子は小さく溜め息を吐いた。

「ローザの気持ちを考えられてなかった自覚はある。色々と事情があって、焦っていた……」

 差し出していた箱をクロード王子が受け取り、私は内心ほっとする。

「良ければ、時間をくれないだろうか? 俺は自分のことを考えるばかりで、ローザのことをよく知ろうともしていなかった。今更こんなことを言うのもどうかと思うが、もう一度、やり直させて欲しい」

「殿下……」

「ローザの気持ちを聞かされても諦めきれないんだ……もし、ちゃんとローザに向き合うことでローザの気持ちが変わることがあれば、その時はまたこれを受け取って欲しい」

 あまりにも真摯な訴えに、胸の奥が痛んだ気がした。何がこの人にそこまで言わせるのか、私は知らない。

 この人のことを知らないのは、私も同じだ。でも――。

「たとえ、時間を置いても、私の気持ちは変わらないと思います」

「その時は、ちゃんと諦める」

 そう言い切ったクロード王子に、本人がそれで納得してくれるなら、と私も了承することにした。

(とりあえず、ブレスレットは返せたからそれでいいか……)

 気持ちが変わることはないとも言ったし。

「分かりました」

「ありがとう。無理を言ってすまない」

「いえ……」

「では、また明日、学園で」

 そう言って、クロード王子は馬車に乗り込む。

 最後にちらりと見えた顔は微笑を浮かべていたけれど、少し悲しそうに見えた。


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