05
前話までにブクマ・評価をして下さった皆様、ありがとうございます。
荷造りの時、リディがこれだけは持って行って下さいと必死に頼んできたドレスを身に付ける。
私としては、普段着とお茶会用のシンプルなドレスがあれば十分だと思っていたんだけど――夜会は誘われても断るつもりだった――、リディがあまりにも頭を下げるので、じゃあ一着だけ、と持ってきたドレスだ。
(侯爵家の令嬢、か……)
私がドレスを着て人前に出るのは式典とかの国の行事だから、それなりの見栄えを求められるため、かなり豪勢なドレスが用意される。パーティーに参加する貴族令嬢のドレスというのは、実はあまり着たことがなかった。
鏡に映っているのは。白をベースに、アクセントとしてグリーンの生地を入れてあるドレス。私の目の色に合わせたんだろう。刺繍も結構細かい。
これ一着を作るのに大分お金がかかっていそうで、私は内心溜め息を吐いた。
王族が贅沢な暮らしを許されるのは、それ相応の役目を担っているからだと私は思っている。王女の役目を放り出すなら、贅沢はしてはいけないのだ。
式典に出る時のドレスは、出来るだけ叔母上のおさがりや亡き母が着ていたものを回してもらうようにしていたくらいだ。
(こんなことなら、誰かに借りてくればよかった)
まぁ、社交場に顔を出さない私には、ドレスを借りられるような友人はいないのだけれど。
(あれ、結構寂しい人生……?)
そこに思い至って少しショックを受けたけど、社交場に顔を出したからといってちゃんとした友人ができたかは分からない。王女を下賜して欲しいと思う貴族は山のようにいる。私に近付いてくる人間は、男であれ女であれ、そういう思惑を腹の中に抱えているのだ。
そんなことを考えて更に憂鬱になっている内に、髪がアップにまとめられていた。色々弄られたようだから、髪飾りとかも付いてるのかもしれない。
エマを始めとしたメイド達の「お綺麗でございます」の言葉に半笑いで礼を言っていると、ドアがノックされた。
「どうぞ」
メイドの一人に合図してドアを開けてもらうと、正装に身を包んだレイがいた。全体的にダークカラーだというのにキラキラして見えるのだから王子という格は半端じゃないと思う。
「仕度は終わっているようですね。とても綺麗ですよ」
微笑みながらこちらへとやって来たレイは、そっと私の頬に手を当てる。
「憂い顔も素敵ではありますが、笑顔を忘れないように」
レイに髪や顔を触られることはよくあるから平然としていたんだけど、やけに視線を感じて周りに目を向けてみた。
メイド達が頬を染めながらうっとりとこちらを見ていて、私は顔を引きつらせる。
(まずい……)
いつもの姉弟のスキンシップだけど、今は王子と侯爵令嬢だ。親密な仲でもない限り、髪や頬に触れたりしない。
レイにはまだ婚約者はいないけど、これじゃあその内ローザが婚約者になりますと言っているようなものだ。
(こうやってライバル認定されていくのか……)
迷惑この上ない。
どうにかレイの手を離そうと、レイの手首を握りながら、「気を付けますわ、殿下」と微笑う。手に力が入り過ぎたのは大目に見て欲しい。
賢いレイなら周りの反応や私の意図には気付いてるはずなのに、更に笑みを深めて指で頬をなぞる。
「ええ、その笑みです。貴女にはいつもそうやって微笑っていて欲しい」
(お前は本当に何を考えてるんだ……!!)
少しでも誤解を生む確率を下げようとしているのに、これでは余計に誤解されかねない。
「っ、殿下、そろそろ参りましょう。パーティーに遅れてしまえばクロード殿下に申し訳がありませんわ」
本当はまだ早いんだけど、焦ってそう言えば、レイは「そうですね」と同意する。
「そろそろ出ましょうか」
頬っぺたから手を離してもらえてホッとしていると、レイが目の前に片手を差し出してくる。
「どうぞお手を、ローザ嬢」
これゲームのワンシーンだろうと言いたくなるような甘い顔で言うレイ。
(そんなサービスいらないから!)
私は必死に笑顔を保ちながらレイの手を取って立ち上がった。
「――さっきのあれは何!?」
レイと二人きりの馬車の中、できるだけ声を抑えながらレイを問い質す。今回連れてきた従者の中で、護衛だけは私が王女であると知っているけど、御者には侯爵令嬢ということで通してあるから馬車の中といえど気は抜けない。
「ふふふ、すみません、こんな華やかなドレスを着た貴女は初めて見たので、つい調子に乗ってしまいました」
レイもちょっとした悪巫山戯だったんだろう。幼い頃のように無邪気に笑う姿を見て少し絆されてしまった。
「ド、ドレスは偶に着てるじゃない……」
「式典用のドレスは華やかというよりも厳かで清廉な感じですから、大分印象が違いますよ。それにいつもベールで顔を隠してるので、表情なんて見えませんし」
そんなものだろうか。
確かに、式典の時はあんな風にからかえる空気じゃないけど。
「それよりローザ、口調が乱れてますよ」
「う……失礼致しました……」
先にからかったのはレイの方とはいえ、失態は失態だ。
「でも、偶にはこういうのもいいと思いませんか? こんなに長い時間、貴女と過ごすのは初めてですし、知らなかった一面も見られてとても楽しいです」
同じ王宮に住んでいるとはいえ、王宮も広い。私の生活範囲は基本的に自分に与えられてる建物と訓練場傍の森だけで、普通に暮らしているとすれ違うこともほとんどない。
用がある時は原則リディ達世話係を通して。私自身は直接話に行ってもいいと思ってるんだけど、王女が自分で何処そこへと出掛けていくことは、この世界ではあまり褒められたことではない。なので自分からレイを訪ねていくのは、一年に一度、レイの誕生日を祝う時だけだ。
そしてレイもレイで忙しい。昼食やお茶を一緒に、と訪ねて来てくれることもあるけど、それも月に二、三度の話だ。
姉弟といっても、ほとんど顔を合わせないのが現状だ。こんなに長く一緒にいること自体が初めてなのだ。
「そうですね……私もこうして殿下と長く過ごせることを嬉しく思います」
「貴女がもっと社交場に出てくれれば、共に過ごす時間などもっとあったんですけどねぇ」
「そ、それはまた別問題です!」
偶に嫌味を言われつつも色々話している内に馬車が停まった。
クロード王子が主催のパーティーということで、会場は王宮の広間の一つだ。
王宮という言葉で思い出したけど、ソレイユ国王に到着の挨拶とかしなくていいんだろうか。
そう思って尋ねてみると、パーティーの前に謁見する段取りになっているらしい。そしてここは王宮の正面、謁見の間に直接繋がる門であり、会場となる広間は西側に位置するらしい。もちろん歩くと結構ある。
「私はソレイユ王に謁見して参ります。貴女はどうしますか? 少々時間が掛かると思うので、先に会場の方へ向かっても構いませんよ?」
侯爵家とはいえ、王族への謁見は色々と手順がある。初対面の人間がいきなり王に謁見することは出来ないから、当然私は謁見の間には入れない。
けど、ちょっと待て。知らない人達ばかりが集まるパーティー会場に一人で行けとな。
決してコミュ障というわけではないし、礼儀作法は十分叩き込まれてるけど、気持ちは庶民な部分もいくらか残っている。正直、ハードルが高過ぎる。
「いいえ、ここで殿下をお待ちしております」
にこりと微笑んで言ってみたけど、レイには私の本音が透けているようだった。ふっと小さく笑うと、
「分かりました。では、馬車の中で待っていて下さい」
と言って、馬車から降りて行った。
歳は同じでも、弟に笑われるというのはちょっと癪だ。
(まぁ、でも……)
なんだか、今までで一番姉弟らしい時間だったように思えた。
◇
絶対にローザを馬車から出さないよう御者に言い付け、レイは護衛を伴って謁見の間へと進んだ。
流石にここまで来て逃げ出すことはないだろうが、念の為である。あの姉は意外と思い切りがいいので何を仕出かすか分からない。
(それにしても、口説かれる練習になればと思ってやってみたものの、何の効果もありませんでしたね……)
華やかなドレスを身に纏った姿は、レイから見ても申し分なかった。元々母親似の美しい女性だ。着飾ればより一層その秀麗さに磨きがかかる。
ドレスについては、歓迎パーティーの話を聞いてからレイが密かに用意したものだ。世話係のリディにも意見を貰ったが、自分の目に狂いはなかったとレイはかなり満足している。
あの装いでパーティーに出席するならば、衆目を集めることは間違いない。既にニナに興味を持っているらしいクロードだけでなく、他の貴族達にも好印象を与えるだろう。
問題は、ニナがどれほど自覚を持っているかだ。
着飾ってパーティーに出れば、何人もの男達が寄ってきてニナの気を引こうとするだろう。本気になる人間がどれほどいるかは分からないが、ある程度芳しい反応を見せなければ、男達も次第に諦めていく。
(クロード相手なら、ぞんざいな対応はできないからまだいいとして、他の貴族は望みが薄いですかね……)
少しは異性にときめくということを覚えて欲しかったのだが、やはり身内が口説くのは無理があっただろうか。
(あとはクロードに期待するしかありませんね……)
父ローラントもニナの将来を心配しているが、多忙のあまりそちらに時間を割く余裕がない。ニナの嫁ぎ先について数年前から相談は受けていたが、とうとうレイに決定権が与えられた。
レイが王位を継いだ後有利になるようにという考えもあるのだろうが、何とも難しい役割を任せられたと思う。
いざとなれば、父も自分も王や第一王子として“命令”を下せるが、ニナの性格上、大人しくは従わないだろう。よしんば、命令に従ってくれたとしても、父やレイは確実にニナに嫌われる。
(私も父上も、流石に嫌われたくはないんですよね……)
自分もそうだが、父ももちろんニナには幸せになって欲しいと思っている。だが、自分達が考える幸せとニナが考える幸せが噛み合わないのだ。
(政略結婚はいや、か……結婚そのものが嫌だとは言ってませんから、きっと相手次第なんでしょうけど……)
とはいっても、自分で相手を探そうとする素振りはないため、そもそも結婚したいという思いが薄いのだろう。
(クロードがどこまで姉上をその気にさせられるかにかかっているとはいえ、お膳立てくらいは必要でしょうか)
クロード本人には、先日、あれはニナではなくローザ・フェガロだと誤魔化したが、完全に納得した様子ではなかった。身分を誤魔化していたことがバレれば多少問題にはなるだろうが、彼が本気で姉を娶りたいと考えているならば、密かに打ち明けてもいいと思っている。要はクロードが誰にも言わなければいいだけだ。
(ひとまず、この後のパーティーで着飾った姉上をお披露目しましょう)
クロードの反応を脳裏に描いて、レイは小さく笑みを浮かべた。
◇
ソレイユ王への謁見を終えたレイと共に、王宮の広間へと向かう。
物凄くナチュラルに腕を出された時は戸惑ったけど、こういう場なら男性がエスコートをするのがしきたりなので躊躇いつつも手を添えた。
今回は私達の歓迎ということで、参加者――学園の生徒達は既に会場内にいるらしい。
つまり、入った瞬間に注目を浴びるということで――。
「……ちょっと帰りたくなってきました」
「駄目ですよ。何言ってるんですか」
デスヨネ、ワカッテマシタ。
ここまで来て逃げ出したら、流石に普段は温厚な弟もキレるだろう。
(あーでも、顔上げる勇気ない……目線を逸らすのもダメだろうし……)
伏し目がちというのはいいんだろうか。こう、花嫁がバージンロードを歩く時にちょっと俯き加減な感じで。
(とりあえず、背筋だけは伸ばしとこう……見苦しいところは見せられないし……)
礼儀作法はきっちり叩き込まれているから少し意識して歩けば問題ない筈だ。あとはこの緊張をどうにかするだけだ。――それが難しいんだけど。
「口から心臓出そうです」
「やめて下さい。出されても私には対処できませんから」
素で返されて思わず真顔になった。この表現は通じないらしい。
「そんなに緊張しなくても、十分綺麗ですから、堂々と入っていけばいいんですよ」
困り顔でそんなことを言われたけど、そんなさらりと口説き文句を入れられた方が困る。そこじゃないんだ、そこじゃ。
「殿下って、偶にずれてらっしゃいますよね……」
「どういう意味ですか?」
素で首を傾げないでくれ。これで更に天然要素とか、もうお腹いっぱいだから。
「……なんだかもう、緊張とかどうでも良くなってきました」
「そうですか? それなら良かった。でも、笑顔は忘れないで下さいね」
レイはそう言って一旦立ち止まると、私の頬に手を滑らせる。
「微笑っている貴女が一番綺麗ですから」
いや、だから、本当もう、それいいって。




