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ソレイユ王の姉君、アデール・シャリエ様の治癒を来週か再来週には試みないといけないため、治癒魔法の勉強が最優先事項となった。
放課後、図書館に立ち寄り、支援魔法の本が並ぶ列に向かう。
中級治癒魔法までは何とかなるんだけど、上級治癒魔法となると流石に難しい。実際に試せる機会なんてほとんどないから、習得できているのはセシル王女に試した状態異常回復の魔法だけだ。
(読んだだけで習得できるなら簡単なんだけど……)
初級魔法なら詠唱するだけで発動するものが多いんだけど、上級魔法は詠唱が長くなるし古い言葉が使ってあるしで、具体的にどういう意味なのか分からないことが多い。解説を読んで古語の意味を理解して、どんな魔法かちゃんと分かってから使わないと精霊にちゃんと伝わらないのだ。
その中でも、治癒魔法は特殊だ。攻撃魔法や防御魔法は前世の知識が役立つからイメージしやすいんだけど、治癒魔法は前世の知識を総動員しても理解しにくい。
魔力込めて念じるだけで切り傷が数秒足らずで治るとか、本来の治癒のプロセスはどうしたと言いたくなる。
王宮の魔法の教師にも訊いたことがあるけど、全て精霊の起こす奇跡だとしか言われなかった。まだ教わり始めたばかりの頃だったから、あえてそういう言い方をしたのかもしれないけど。
でも、風の精霊に力を借りて風を起こすというのは分かるけど、怪我や病気を治すというのはやっぱり分からない。風を起こすのが風の精霊の力ではないのか。時間を巻き戻しているか早めていると言われた方がまだ納得できる。
(治癒魔法の場合は属性あんまり関係ないし、風を起こす云々じゃなくて“精霊の力”だと考えた方がいいのか……?)
学び始めの段階を独学でやっていた弊害がここに来て出てきている。本来なら魔法とは何ぞやのところを最初に習うんだけど、前世のゲームの知識とかに置き換えながら実際に魔法を使うことで覚えていったから、理論的な部分があやふやなのだ。
(攻撃魔法や防御魔法は実際の自然現象を元に考えればいいから、理論的な部分もあまり問題はないんだけど……)
この世界の治癒魔法は自然現象にも科学にも当てはまらない気がする。いや、ゲームや漫画で出てきた治癒魔法が自然現象や科学に則っているかと言われたら、それもなんか微妙なところだけど。
とにかく理解しづらいものは習得もしづらい。実際、最初の頃は初級の治癒魔法でも習得するのに他の魔法の何倍も時間がかかった。
でも、様々な治癒魔法を試そうと思えば、基礎をしっかり押さえることは必須だ。アデール様が具体的にどんな状態になっているか分からない以上、魔法書を持ち込んでその場で魔法を選んで試すことになるだろうから。
(この辺とこの辺はもう一度読み込んでおくか……)
治癒魔法の基礎について書かれた本を数冊取り、迎賓館に帰ることにした。
迎賓館に戻ると、手紙が届いているとエマから言われた。
「フェガロ家からです」
きっとリディからの返信だ。私の個人的な手紙は差出人もローザ・フェガロだし、向こうからの返信もローザ・フェガロ宛にしてもらっているから、フェガロ家を経由するように頼んでいたのだ。
「ありがとう」
エマから手紙を受け取って足早に二階の部屋に向かう。これでクロード王子を落胆させることなく軌道修正ができるかもしれないと思うと気持ちが急いた。
一瞬だけこの前の図書館での出来事が脳裏をよぎったけど、本当の相手が見つかるかもしれないならこれ以上喜ばしいことはない。私が持っていても仕方ない感情なのだから、忘れてしまった方がいい。
部屋に入って、机の引き出しからペーパーナイフを取り出して封を切る。
こちらの様子を尋ねる内容をざっと目だけで追って、肝心の返答の部分に目を向ける。
――八年前のこととお聞きし、記憶をたどってみましたが、ニナ様と容姿が似ている方にはやはり心当たりがございません。王宮の使用人にそのような者はおりませんでした。王宮に出入りする貴族のご令嬢につきましては、私のような者では到底把握することができません。そちらについてはフェガロ侯爵にお尋ねになるのがまだ確実かと思われます。
いつのことか年代まで絞れたのに、リディにも分からないと言われてしまい、気分が沈む。
伯父も多忙な人だし、門衛みたいに出入りする人間を事細かにチェックしてるわけじゃないからどこまで知っているか分からない。
他に誰か知っていそうな人はいるだろうかと考えながら、手紙の続きに目を通す。
――ただ、一つだけ気になることがございます。確かその頃、ニナ様が二度目に治癒魔法を成功させたと喜ばれていた記憶があるのですが、治癒魔法を使ったお相手が金色の髪で珍しかったとその時に仰っていたような気がします。その方が、クロード殿下ではないのでしょうか?
「え……」
数秒ほど、思考が停止した。
(私が、治癒をした相手……?)
もう大分昔の話だから、思い出すのにちょっと苦労するけど、確かに最初に成功したのはリディの時で、その次が見知らぬ男の子の時だった。王宮の裏庭で思いっきりこけたのを目撃して、様子を見に行ったら膝を擦りむいていたから治癒魔法を使ったのだ。成功率はまだまだ低かった時だけど、一発で治癒できたから印象には残っている。髪も、確かに金髪だった気がする。
(え、でも、あれ、年下の子じゃなかったっけ……?)
年齢を訊いたわけじゃないけど、背は私より低かった。
目の色は、と思い返してみたけど、そっちは全く思い出せない。
(というか、ほとんど俯いてたから顔の印象すら……)
けれども、改めて考えてみると、あの頃の私が別邸の外に出ていたということは、式典か何かが行われていたということだ。国賓としてソレイユ王が招かれていたとしても不思議ではないし、それにクロード王子がついて来ていたとしても、不思議では、ない――。
――ニナ様は覚えておられないかもしれませんが、当時はまだ宮中に出入りする者で金の髪を持つ者はおらず、ソレイユ王がお越しの際は、一目お姿を拝見しようと使用人達がいつも騒いでおりました。ソレイユ王がクロード殿下を初めてお連れになったのもその頃です。ニナ様から治癒魔法の話を聞いた後、他の使用人達がクロード殿下がお見えになったと騒いでいるのを耳にし、治癒をした相手はクロード殿下だったのでは、と思ったのを覚えております。夏にお戻りになった際も、ご自身に似た方はいないかと尋ねられましたので、そちらばかりを考えておりましたが、ニナ様ご自身がクロード殿下にお会いになったのではないでしょうか?
軽く血の気が引いた。
当時の記憶を思い起こしても、リディの推測を踏まえても、もしかしなくても会ったのは私という図式が成り立つ。
(え、いや、ちょっと待って、あれだけ考えて探そうとした相手が自分とか……)
本当、待って欲しい。
年下だというのが私の思い込みだったとしても、どう見たって今のクロード王子とは似ても似つかない。顔立ちとかはほとんど覚えてないから比べられないけど、性格とか雰囲気が全然違う。
でも、現状、そうだと考えた方が辻褄が合う。
内心、冷や汗が出てくる。
(本当に、あれが、クロード王子……?)
信じられない、という思いはまだあるけど、あの頃の私について一番知っているリディがそう言っているのだから、信じるほかないんだろう。
(道理で、どれだけ探しても私に似た人間が見つからないはずだ……)
私自身が当の本人だったのだから。
そして年下と思い込むとか無茶苦茶失礼なことをしてしまった。
(穴があったら入りたい……てか、“探すの手伝います”とか言い出す前で良かった……)
もし言ってしまった後だったらと考えると恐ろしくて仕方ない。後から、“すみません、やっぱり私でした”とか恥ずかしすぎて言えないだろう。
(でも、だからって……どうするんだよ、これ……)
左手にはめたままのブレスレットに目を遣る。
ずっと、自分じゃない別の誰かがいること前提で動いていたのだ。その誰かが見つかればほぼ解決すると見込んでいたのに、これでは何も解決しない。
しばらく見つめていたけれど、何が正しい選択かなんて混乱した頭では分からなかった。ただ、今はこれを身につけておくべきでないということだけは、ほとんど働いていない頭でも分かった。
私はブレスレットを外して、箱の中に仕舞う。
(もう少し冷静になってから考えないと……)
自分がやらかしていたことばかりが頭の中を廻っていて、これからのことを上手く考えることができない。
とにかく落ち着こうと、ソファーに座って目を閉じた。
◇
(――あれ、教科書が一つない……)
帰り支度の最中、そのことに気づいた愛実はどこかに置き忘れたのだろうかと辺りを見回した。
しかし、自分がいる机の周りには本一冊見当たらず、もう一度鞄の中に入っている教科書の数を数える。
系統別魔法学の教科書と属性別魔法の参考書数冊は入っている。ないのは初級魔法基礎学の教科書だ。
(別の教室に置き忘れた……?)
この学園では大学のように科目ごとに教室が変わるため、基本的に荷物は全て持ち歩いている。教室を出る時には忘れ物をしていないかきちんと確認しているため、置き忘れることなど滅多にないはずなのだが。
ひとまず初級魔法基礎学があった教室に行ってみようと、愛実は鞄を持って今までいた教室を出る。
どの学年ももう授業が終わっているため、廊下を行く人の数はまばらだった。
少しだけ心細い気持ちになりながら一階へと下り、目当ての教室へと向かう。
しんと静まり返った教室に入り、自分が今日座った場所を探したが、教科書らしきものはない。誰かが別の場所に置いたのだろうかと、教卓から後ろの席まで見て回ったが、やはりどこにも教科書はなかった。
(誰かが見つけて持っててくれてるのかな……)
身分の高い貴族はともかく、同じ平民のクラスメイトや下級貴族の子女とは結構親しくなった。誰かが愛実の教科書だと気づいて預かってくれているとしても不思議ではない。
平民のクラスメイトなら寮で会える。とりあえず寮に戻って誰かに聞いてみようと考えながら、愛実は教室を出た。
夕焼けに染まる廊下を一人歩いていると、中庭の噴水の所に女子生徒が一人立っているのが見えた。見知らぬ顔に上級生だろうと判断し、軽く頭を下げながら通り過ぎようとしたが、「あら、貴女」と声を掛けられ足を止める。
「一年生ですよね?」
「あ、はい、そうです……」
愛実が頷くと、女子生徒は「よかった」と言いながら愛実の方へとやって来る。手に持っているのは魔法基礎学の教科書だ。教科書の角から、ぽたり、ぽたりと水滴がまばらに落ちている。
「そこの噴水の中に落ちているのを見つけたのだけれど、初級の教科書だから一年生の持ち物じゃないかしらと思って……」
「え……」
「紋章は捺してあったみたいだけれど、濡れて滲んでしまっているの。貴女に預けるから持ち主を探して渡して下さる?」
女子生徒はそう言って、愛実に濡れた教科書を押し付けると、振り返りもせず廊下を行ってしまった。
愛実は濡れた教科書を見下ろす。ハードカバーになっているため表紙等は染みができているくらいだが、中はちゃんと乾かさないと紙が破れてしまうだろう。
(これって……)
装丁は基本的に皆同じだが、表紙の汚れや角のすり減り方など、細部に見覚えがある。
紙を破かないようにそろそろと中を開けば、自分で書き込んだ日本語が目に付いた。
「やっぱり、私のだ……」
どこかに置き忘れた教科書が噴水の中で水浸しになっているなど、誰かが故意にやったとしか思えない。
「ひどい……」
でも一体誰が――。
先程の女子生徒は顔も名前も知らない人物だった。彼女は偶々通りかかって見つけただけだろう。
ならば、クラスメイトの誰か、か――。
確かに、最初の頃は身分の高い貴族の子女達に嫌われていたと思う。だがそれは、自身の振る舞い方が悪かったのであって、愛実が少しずつそれを直していくことで彼女達も態度を和らげていった。
(ここまでするような人がまだいるってこと……?)
嫌味なことを口にする面々の顔を思い返そうとしたが、ふと気がついた。
(ヒロインがいじめられるシナリオって、ローザの……)
ゲーム内では教科書を破り捨てたり、わざと水をかけたりしていたシーンがあったが、それで全部だったわけではない。レイとの会話で、私物がなくなってゴミ箱から見つかったといったようなことも話されていた。
この状況はそれと非常によく似ているのではないだろうか。
(うそ……まさか、知らない間にレイのルートに入ってたの……?)
ゲーム内でローザがヒロインに接触するのはレイのルートに入った時だけだ。それ以外のルートでは会話すらなかった。
(でも、夏休みはカミーユのところだったし……あ、でも、レイとダンスは踊れた……あれが、ルート解放の鍵だった……?)
信じてしまうにはまだ根拠が足りないが、そういった可能性があるのは確かだ。
じわりと胸の奥が熱くなる。
教科書は悲惨なことになってしまったが、少しだけ道が開けたような気がして、愛実は駆け足で寮へと帰った。




