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前話までにブクマ・評価・感想を下さった皆様、ありがとうございます。
私が心ここにあらずといった状態で今後のことを考えている間に、パーティーは終わっていた。
クロード王子は本当に会場に戻ってからも誰とも踊らず、もっぱら貴族の子息と話をしているだけだった。何人もの令嬢から期待の眼差しを向けられていたというのに、全て気付かないフリをするのだから、なかなか肝が据わっている。
私も半分思考はどこかに行ってたけど、やっかみを含んだ視線は結構胃に来るものがあった。
多分、エミリア嬢がずっと傍にいてくれなかったら、尋問なり悪戯なり、直接的な接触があっただろう。皆ずっとこっちを見てそわそわしていたし、実際、何人か話しかけてきたけど、核心を突く言葉が出る前にエミリア嬢が黙らせている感じだった。彼女もなかなかに強い。
大きく溜め息を吐いて、左手首につけたブレスレットを眺める。
アクセサリー類を身に付ける習慣がないし、こんな高そうなものを常日頃から身に付けて壊すのも嫌だから、箱に仕舞っておくつもりだった。ちょっと現実逃避をしたかったというのもあるけど、身に付けずに学園に行こうとしたら、レイに指摘されてしまった。
――クロードから頂いたブレスレットはどうしたんです?
――箱に仕舞っていますが……。
――折角頂いたのに、もう仕舞い込むとは……贈った側の気持ちも考えて下さい。
レイの言い分も分からないわけではないから根負けして部屋に取りに戻ったけど、好奇や嫉妬の目に曝される側の気持ちも考えて欲しいものだ。
今日も基本的にエミリア嬢が傍にいて令嬢達を牽制してくれたから良かったけど、これがしばらく続くかと思うと気が重い。
(バカは私だ……)
一時の感情に流されて、こんな大層なものを受け取ってしまった。勘違いしたままこれを作らせたクロード王子をバカだと思ってしまったけど、私の方が更にバカだ。
明るい緑の石――多分ペリドットというやつだろう――、それを固定する銀の台座の裏側にはクロード王子が使う紋章が刻まれていた。ハンカチを駄目にした時に代わりに貰ったものとは違う、正式な贈り物ということだ。
それが何を意味しているかなんて、考えなくても分かる。紋章の存在を知ったレイは朝からとてもご機嫌だ。
私とクロード王子をくっつけたそうにしているレイと、多分勘違いしているクロード王子、そしてクロード王子に幸せになってもらいたいエミリア嬢。
何とも厳しい状況だ。誰か一人くらい、味方が欲しい。というか、私のポジションはレイルートの時のライバル役じゃなかったのか。
最早ゲームと同じではないというのは重々分かってるんだけど、ゲームと同じ部分も確かにあるから文句を言いたくなってくる。中途半端、良くない。
(クロード王子も、他の皆も、ゲームのキャラじゃないんだから、それぞれ考えることもやることも自由で、決められたシナリオもないし、感情が誰かに操作されることもない……)
人の感情はその人だけのものだ。
ただ、クロード王子は勘違いしている可能性があるのだから、そこはやっぱり正すべきだろう。好きな人が別にいるなら、その人に思いを告げて欲しい。このまま話を進められるのは、私としても困る。
(でも、流石に八歳の時の話だとは思わなかったな……)
今日、学園でクロード王子から聞き出したのだ。クロード王子は「あの話はもういいんだ」と再三言っていたけど、粘ったら最後には恥ずかしそうにしながらも教えてくれた。
相手はセレーネの王宮で一度だけ会った人物らしい。細かいエピソードまでは聞き出せなかったけど、時期が絞れただけマシだろうか。
(といっても、八年前……)
八年前じゃあ、リディもすぐには思い出せないだろう。今もまだ王宮にいるならともかく、もう王宮にいない人物とか、当時だけ出入りしていた人物となると、思い出せるかも怪しいところだ。既に引き籠りがちだった私も、当時の記憶なんて極僅かしかないし、出入りしていた人間なんてほとんど知らない。
(年齢は多分私達と同じくらいだよなぁ……)
最初はどこかの貴族令嬢と間違えているのかと思ったけど、その可能性は低くなった。当時、相手はまだ社交界にデビューしていない少女だったはずだ。そうなると、自然と王宮に出入りできる人物は限られてくる。王族の親戚筋かあとは――。
(レイの婚約者候補とか……?)
八歳くらいで既に候補がいたという話は聞いたことがないけど、側室の王女である私は基本的にそういったことに関わる権限がない。私が何も知らなくても不思議ではない。
(なくはなさそうだけど、ピンと来ないな……)
レイが知ってる相手だったら、クロード王子が恋バナをした時にレイが気付きそうだ。
同じ理由で、エリーズ様の実家のディークマイヤー侯爵家も除外していい。フェガロ家も除外だ。フェガロ家で頻繁に出入りしていたのは伯父とリーンくらいだ。ユーディットも何度か来たことがあるけど、あの子と私では目の色が違う。
(それ以外で他に王宮に出入りできそうな貴族って誰だろう……)
当時、私は遊び相手も全部断っていたから、同じ年頃の少女なんてほとんど出入りしていなかっただろう。ナディアはまだ二歳だったから、ナディアの遊び相手でもない。
(大臣や官吏が自分の娘を連れてくるかなぁ……?)
彼らが職場に幼い子供を連れてくるとは思えないし、百歩譲って連れてきたとしてもその子が王宮内をうろつくというのは考えられない。連れて歩いている最中だったとしても、隣国の王子を見つけたならちゃんと名乗るだろうし、娘にも名乗らせるだろう。そこで私のフリをするというのも考えられない。
考えれば考えるほど分からなくなってくる。
(クロード王子は“ニナ王女”に会ったと言っている……いや、思っている……)
私に彼と会った記憶はない。
(でも普通、王女の名前を騙ったりはしないよな……)
偶然名前が一緒だった――?
いや、聞いたことがない。
(なら、残る可能性は……)
クロード王子は、相手の名前を聞いていない――。
(そしてどういう理由でか、王女だと判断し、私だと思った……)
だったら、使用人だという可能性も限りなく低くなる。
(一応、リディには手紙を書いておくか……)
私が想像できる範囲では、相手は誰も浮かび上がってこない。頼みの綱はリディだけだ。何でもいいから手掛かりが欲しい。
(届くのは早くても五日後だろうな……)
早馬もあるけど、こんな個人的なことには使えない。
明日手紙を託して、返事が届くまでどれくらいだろうか。できれば一か月以内には欲しいところだ。
とにかく手紙を書いてしまおうと、私はペンを執った。
◇
クロードの自室に招かれるのはこれで何度目だろうか。これまでの記憶を振り返りながら、レイは勧められたソファーに腰掛ける。
近くに控えていたクロードの世話係は、レイの前に紅茶を置くと、クロードに命じられるがままに退室した。
部屋の中にはクロードとレイの二人しかいない。
レイは出された紅茶に口を付けると、小さくと息を吐き出した。
「昨日は、随分と思い切ったことをしましたね。姉上にダンスを申し込んでいたのは知っていましたが、まさか他の誰とも踊らないとは」
「それはもう言うな。ファースにも散々言われたんだ」
クロードは不愉快そうに顔を顰めながら視線を逸らす。
「ですが、貴方らしくないといえば貴方らしくない。最初から姉上一人にするつもりだったんですか?」
「いや、別の人間の助言があったからだ。そうだな、一人ではこんな大それたことはできなかった」
別の人間、と聞いて、レイはクロードの周囲にいる人物を思い浮かべる。
クロードは昨日、ニナ以外の令嬢と踊らなかったことで、婚約者候補に挙がっている面々をかなり刺激してしまった。確かに、ニナとの婚姻を着実に進めることを考えると有効な手段ではあるが、その分貴族達の反発も大きい。クロードの性格を考えると選びそうにない手段の一つだ。
それを強行したということは、助言をした人間の協力が見込めるということだろう。クロードを貶めるような人間が彼の近くに長くいられるとは思えない。彼の近侍はとても優秀だ。
(貴族達に圧力を掛けれる人物か、もしくは令嬢達を取り成せる人物でしょうか……)
前者ならばジェラルド・ハース、後者ならばエミリア・フォンテーヌ辺りだろう。
エミリアはクロードの婚約者候補でありながら、ローザとクロードの仲を取り持ちたいと考えているらしい。クロードの気持ちを知っていて、かつ姉の心配をしているレイとしては渡りに船と言いたいところだが、この手は少々性急に過ぎる。
「そう急がずとも、こちらでも準備は整えるつもりですが?」
「あぁ、そうか……こちらの内々の事情だから、レイにはまだ言ってなかったな……」
クロードは軽く溜め息を吐くと、手を組んで顔を少し俯ける。
「セシルがあんな風になって、伯母上も不調が続きがちなのを理由に、一部の大臣や官吏達が“新しい王女”をと言い出していてな……父上への要望はもちろん、俺にも成人の儀を終え次第、すぐに妃を迎えるようにと声が上がっている。だから、あまり時間がないんだ」
困ったように微笑うクロードの顔をレイは見つめる。
「それは……姉上がそちらに嫁げば万事解決しますね……」
セシル王女が魔力を失ったままでも、アデール・シャリエが不調のままでも、ニナがいれば太陽の塔に魔力を補充できる。しかも、新たな王女が誕生して育つのを待つ必要がない。
「まぁ、そうだな。だからニナを妃に迎えたいというわけではないが、そういう風に捉えられるだろうな……」
当事者であるニナもそう感じるだろう。
「昨日の件で、その内父上に説明を求められると思う。今日呼んだのはその為だ」
「ローザ・フェガロがニナ・スキアーであることをお父上に告げたい、と」
「もちろん内々にだ。何か理由があるからニナ王女本人にも言ってないんだろう? 正式に話を進められた方が俺としては助かるが、そこまでは求めない」
クロードの事情も行動の理由も理解できた。昨夜はクロードらしくないと思ったが、諸々の事情が重なり、彼も急いているのだろう。
(あと一年半で婚姻ですか……姉上の正体を隠したままでは確かに難しい……)
準備期間を考えれば、婚姻の一年前には婚約をしたいところだろう。レイでも最低半年は欲しいと思ってしまう。
(ですが……)
自身を睨みつけた姉の表情が脳裏をよぎる。
レイは小さく溜め息を吐いた。
「ご協力したいのは山々ですが、姉上の名を明かすのはもう少し待って頂けないでしょうか?」
「父上だけにでも、というのも無理か……」
「ソレイユ王に話してしまえば、内密にとはいえ、自然と婚姻の話を進めなければならなくなるでしょう。もちろん、姉上にも話さざるを得なくなると思います……私としては、姉上の相手としてクロードは申し分ありません。是非ともお願いしたいところです。ですが、それはあくまでも私の考えでしかありません。姉上がどう思うかまでは……」
今の段階でのクロードに対する反応を見ると、このまま婚約をと言っても、ニナは歓迎しないだろう。それどころか反発を起こすに違いない。
「姉上は、恐らく結婚というもの自体を厭うています。もしこのまま婚姻の話を進めてしまえば、恐らく何らかの実力行使に出るでしょう。長年引き籠っていたのだって、その一環ですから」
「そうか……その、結婚自体を嫌っているというのは、何かきっかけでもあったんだろうか?」
「残念ながら、私には……歳は同じといえど、私達は一緒に育ったわけではありませんから……前にも言ったと思いますが、クロードが思っているほど、私は姉上のことを知らないんです」
情けない、と思いながら、レイは苦笑する。
誰が一番ニナのことを知っているだろうかと考えても、一番傍にいるリディも、自分よりもニナに会っているリーンハルトも、最終的にはニナが何を思っているのかは分からないといった言葉を吐く。特にこの件については。
「ニナ王女のことを父上にも明かせない理由は何となく分かった。そうだな、少なくともローザには嫌われていないと思っていたんだが、このまま話を進めれば俺は嫌われてしまうんだろう……何より、彼女の気持ちを考えられていなかった……結婚自体が嫌か……流石にそこまでは考えつかなかった」
「当然ですよ。女性は普通そんな風に思いません」
将兵や研究者の中には、それに専念したいがために誰も娶らない者もいるが、そういった面々は貴族の三男や四男だ。領地の細分化や跡継ぎ問題といった揉め事を避けられるため時として歓迎されるが、それで何も問題がないのは、彼らが自身の力だけで身を立てられるからだ。しかし女性ではそうもいかない。
「王女という身分を捨てられたら平民から相手を探すなんて言ってましたが、とてもそんなことはさせられません」
「平民から相手を……?」
「ただ私に反発したかっただけでしょう。平民から相手を選んだところで、生まれてくる子供は下級貴族以上の魔力を持つのですから、相手に爵位を与えて貴族になってもらうしかありません」
しかしそんなことをあっさりと許してしまえば、貴族から反感を買うだけではなく、平民にも要らぬ混乱を与えることになる。
「貴族に対して思うところがあるのでしょうが、姉上の相手は貴族以外にはないのですよ」
「貴族か……全ての貴族に対して好感を持っているかと言われれば頷けないが、国にとっては必要な者達だからな……貴族との間に何かあったんだろうか……」
「さぁ、どうでしょう……パーティーやお茶会にも顔を出さない姉上に、貴族と揉める機会なんてなかった筈なんですけどね……」
「だが、フェガロ家の者達とは会っているのだろう? 何か吹き込まれている可能性とかはないのか?」
――私を、どんな風に利用したいのかは知っている。
ニナの言葉が脳裏をよぎる。
相手を選ぶ基準は違うが、フェガロ家の目的も王家と然程変わらない。もし、ニナに色々と吹き込んで操っているのであれば、結婚相手はとうに決まっているだろう。
「断言はできませんが、恐らくないと思います。侯爵も多忙な方ですから、会える回数は私とそれほど変わりませんし」
「そうか……なら、完全にニナ王女の意思ということだな……」
クロードは何かを考え込むようにしばらく俯いていたが、ふと顔を上げて窓の外を見遣った。その方向にあるのは迎賓館だ。
「なぁ、レイ……さっき、ニナ王女の相手として俺は申し分ないと言っていたが、レイはニナ王女にどうなって欲しいんだ?」
「それはもちろん、幸せになって欲しいです。弟としても、セレーネの第一王子としても」
「だが、ニナ王女は結婚自体を望んでいないのだろう?」
「そうですね……これは、私の勝手な思いです……」
レイは半分ほどになった紅茶の水面を見つめる。
「二、三年ほど前だったでしょうか……その頃からやらなければならいことが増えて、姉上どころかリュカやナディアとも落ち着いて語らう時間が減ってしまいまして。流石に何か月も顔を見せないのは、と思い、どうにか時間を作って姉上のところに行ったんです」
――レイ、しばらく見ないと思ったら……忙しかった? なんかやつれてない?
レイを出迎えたニナは、いつもと変わらずレイを歓迎した。
「別に忙しいことに不満を言ったわけではなく、単なる近況報告として、リュカ達ともまともに話せていないと言ったんですけどね、姉上は――」
――そっか。それは寂しいね……。
「寂しいなんて言葉、思ってもみませんでした。ゆっくり話す時間がないだけで、毎日顔は合わせてましたから。でも、姉上は違うんですよ。別館で一人で暮らしていて、私達と顔を合わせることもほとんどない。寂しいのは、姉上の方なのではないかと思いました。ですが、立場上、私はずっと姉上の傍にいるということができません。だから、姉上のことを思ってくれて、なおかつ姉上が心を許せる誰かに、傍にいて欲しいと、そんな人と結婚をして幸せになって欲しいと思うんです」
だが、そもそもニナは貴族自体に気を許せないようだった。身内であるフェガロ家以外は誰も信用していないのではないかと思えるほどだ。
(私や父上のことも信用していないのでしょうね……)
ニナが不幸になるような相手に嫁がせたいなど、レイもローラントも考えていないが、そこも疑っているのだろう。
「利益の大きい相手を選ぼうとしている、と姉上は言っていましたが、姉上がどこに嫁ごうと少なからず利はあるんです。国の現状を考えれば子爵家か男爵家にとは思いますが、姉上が受け入れられないならばそれ以外でいい。色々と計算はしますが、その程度です。何も利益ばかりを追い求めているわけではありません。でも、そうやって姉上のことを思いつつも、頭の別のところでそういうことを考えてしまっているから駄目なのでしょうね……」
「だが、政治に携わる者は、自分の選択でどのような利害が生まれるか常に考えていなければならないだろう。レイがそうやって考えることが間違いだと、俺には思えない……」
難しい顔をしながら言うクロードに、レイは苦笑する。
「私も、間違っているとは思っていませんよ。ですが、姉上には不信感を与えてしまっている。これは紛れもない事実です」
もっと早くにニナの思いを知っていれば対処できたかもしれないが、過ぎてしまったものはどうにもできない。月に幾度か顔を見せるだけで充分だと満足していた自分が愚かだった。
「姉上とは、また折を見て話します。急ぎたい気持ちは分かりますが、姉上の名を明かすのはもうしばらく待って頂けないでしょうか?」
「ああ、もちろんだ。俺もニナ王女のことを考えないで急ぎ過ぎていたと思う。父上の方はなんとか誤魔化しておく。話せるようになったら教えてくれ」
「分かりました」
先を急ごうとするクロードを止められて、レイはほっと肩の力を抜いた。
しかし、ニナとあの話の続きをしなければならないと思うと気分は重い。ニナ自身、そういった話題には敏感になっているだろうから、少し話題に上げただけで警戒するだろう。
(ソレイユの現状を考えれば、猶予はほとんどありませんが、こればかりは時間を掛けなければ……)
何か、姉の心を変える何かが欲しいと、レイは切実に思った。




