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王宮の広間の高い天井を見上げて、愛実はほぅと息を吐いた。
いくつもの蝋燭が灯るシャンデリア、神話のような絵画が描かれた天井。壁や柱は真っ白な漆喰の彫刻が施され、その所々を金の装飾が彩っている。その中で目を引く色とりどりのドレスを着た令嬢達――。
(これが、王宮のパーティー……ゲームのパーティー画面より、すごく豪華……)
ぼんやりと見惚れていると、傍にいたカミーユに手を引かれた。
「マナミ、こんな所で立ち止まってしまうと後ろの方々の迷惑になりますよ」
「あ、うん……ごめんなさい……」
後ろにいた二人組に謝罪をし、カミーユの誘導に従って歩く。
(こんなイベントがあるなんて……)
ゲーム内でもパーティーに参加することはできた。社交界は貴族の世界だが、主人公が始まりの塔から現れたことが広まり、キャラの好感度が一定以上になると特別に招かれるのだ。
だが、それは太陽の塔のイベントが起こる前の話だ。社交期というのが元々それくらいの時期らしい。
秋学期のパーティーなどゲームにはなかった。いくつもゲームとは異なることが起こっているが、これも愛実の知らないシナリオだ。
ただ、カミーユによると、元々この時期にパーティーは開かれないらしい。諸事情により、クロードが夏前にパーティーを開けなかったため、今日になったそうだ。
(色々あってズレただけってことかな……)
元々開催されるパーティーだったなら、あってもおかしくはない。カミーユ達にとってもイレギュラーだと考えると、少しだけ安心できた。
愛実が始まりの塔から現れたという噂が広まることは終ぞなかったが、今日のパーティーは愛実も正式に招待されている。クロードが主催するパーティーは、学園の生徒全員が参加できるものらしい。他の魔力持ちの平民も招待されている。
愛実が招待状を受け取ったのは、まだセルヴェ家の領地に滞在していた時だ。
突然パーティーの話をもたらされ、愛実は狼狽えた。シナリオ通りではない上に、愛実はパーティー用のドレスも持っていないし、ダンスも踊れない。
こんな状態でパーティーに出ても恥をかくだけだと、まだ塞ぎ込んでいた愛実は断ろうとしたが、カミーユが熱心に誘ってくれたのだ。
――一緒にダンスの練習をしましょう。学園が始まるまでまだ日にちがありますから、ね? 完璧に踊れるようにはならないかもしれませんが、折角の機会ですから出ましょう?
――でも……服だって持ってないし……。
――確か、平民の者達も参加できるよう、寄付されたものが何着か寮に置いてあると聞きました。私も家の者にマナミが着れるものがないか聞いてみます。
そうやって説得され、最終的にパーティーに出ることを決めた。カミーユがドレスをプレゼントしてくれるわけではないことには少し落胆したが、元々そこまで好感度が上がっていないのだから仕方ない。
(でも、来てよかったかも……)
ここ数か月の鬱々とした気持ちはどこかへと行ってしまった。
「カミーユ、王宮のパーティーってすごいね。私、こういうの初めて」
そう声を掛けると、カミーユはほっとした表情で微笑う。
「マナミの国ではこういったパーティーはあまりないという話でしたね」
「お金持ちの人達はパーティーとかもしてるんだろうけど、でも多分、こんな感じのパーティーじゃないと思う。そもそもこういう建物があるのは外国だし」
「では、貴重な体験ということで、今日は楽しみましょう」
「うん」
カミーユの言葉に頷いていると、周りのざわめきが鎮まると共にクロードが壇上に姿を現した。
(クロード……)
生徒達に挨拶をする彼の姿が遠い。彼と親しくなりたくて色々と努力したが、愛実がいるのは彼から遠く離れた場所だ。
(ここから挽回なんて……)
それはかなり難しいことだと愛実にも分かっている。一回目の太陽の塔のイベントが終わった時点でルートは確定したようなものだ。愛実がいるルートはクロードのルートではない。カミーユのルートか、誰のルートにも入れていないかのどちらかだ。
攻略サイトでは、秋学期以降もルート分岐点はあると言われていたが、それはカミーユとアルベルト、ジェラルドのルートであり、クロードとレイのルートもあるという情報はなかった。
(行けた人がいないだけで、絶対にないとは言い切れないけど……)
元々、クロードやレイのルートに入るのは他の三人よりも難しい。何の情報もない状態で、どちらかのルートに入るのは至難の業だろう。
気付けば、クロードは挨拶を終えて壇上から降りていた。
広間の端にいる楽団が曲を奏で始め、中央では貴族の子女達がダンスを始める。
その中で、一際ざわめきが大きい一角が気になり、愛実はそちらに目を向けた。人垣が割れ、クロードが姿を現す。彼に手を引かれているのは、暗い色のドレスに身を包んだローザだった。
(やっぱり……なんでいつもローザが……)
ローザ・フェガロはレイのルートで登場する悪女の筈だ。クロードとは何の関りもない筈なのに、何故いつもいつもクロードの傍には彼女がいるのか。
「マナミ? どうかしましたか?」
怪訝な顔をしているカミーユに、愛実は慌てて首を横に振る。
「ううん、なんでも……」
「私達も一曲踊りますか?」
そう言われて愛実はダンスをしている面々に再び目を向ける。
緩やかな曲に合わせたダンスだが、決して見た目以上に簡単ではないことはここ数日で身に染みている。カミーユの協力のお蔭でどうにか一曲を踊りきれるようになったが、まだまだ足を踏むことが多いし、貴族達のように優雅に踊ることはできない。
「えっと、もうしばらくしてから、隅っこの方で……」
「分かりました。では、軽食でも頂きましょう」
「うん」
参加者達が思い思いに過ごす中、頃合いを見計らって、愛実は広間の端の方でカミーユとダンスを踊った。皆、各々で盛り上がっていたから、愛実達に気づいた者はほとんどいなかっただろう。下手なダンスを見られなくてよかった、と愛実は少しほっとする。
「カミーユ、ごめんね……また足踏んじゃって……」
今日こそは足を踏まないようにと意気込んだが、カミーユにはまた痛い思いをさせてしまった。
「いいえ、きちんとリードできなかった私にも責任がありますから。でも、最初に比べたら随分と上達してますよ」
「うぅ、でも……」
やっぱりダンスは遠慮しておけばよかったと愛実は肩を落とす。完璧な踊りができないのは分かっていたが、せめて足を踏まないレベルになってから臨むべきだった。
「まぁ、そう落ち込まないで下さい。機会があったらまた練習しましょう」
「ありがとう、カミーユ……」
どうせ自分をダンスに誘う男子など他にはいない。今日はもう隅っこでおとなしくしていよう。
そんな風に考えていたが、聞き知った声が愛実の耳に聞こえてきた。
「カミーユ殿、お久しぶりです。マナミも、元気にしていましたか?」
(レイ……!)
愛実は反射的に顔を上げる。
「これは、レイ殿下。お久しぶりでございます」
「お、お久しぶりです、レイ殿下」
以前教えてもらった王族への礼儀作法を必死に思い出し、愛実も挨拶を返す。
「セレーネでは恙なくお過ごしでしたか?」
「ええ、それなりに。色々とやることが溜まっていたので、あまりゆっくりとはできませんでしたが」
カミーユとレイが話すのを横で聞きながら、愛実は高鳴る胸を落ち着かせる。
(レイの方から声を掛けてくれるなんて……! レイの好感度もそんなに上がってないと思うんだけど……カミーユがいるからかな……?)
いずれにしても、絶好のチャンスだ。ここで何かが起こったところでレイのルートに行けるとは思わないが、愛実の中でレイ・スキアーは一二を争うキャラクターだ。少しでもいいからレイと話がしたい。
(な、何話しかけたらいいんだろう。えっと、レイの好きな物……)
こんな時に限ってファンブックの内容が頭に出てこない。
うんうんと一人悩んでいると、レイが不思議そうに声を掛けてくる。
「マナミ、体調でも悪いのですか? 先程もそうでしたが、表情が冴えませんね」
「えっ、ううん――じゃない、いえ、そんなことないです……! 元気です!」
「そうですか?」
「は、はい! さっきは、ダンスでカミーユの足を踏んでしまって、申し訳なくて……」
「踏んだといっても少しなんですよ。最近まで踊れなかったんですから、それを考えると十分頑張ってると思います」
あぁ、それで、とレイは納得したように頷く。
「マナミ、練習を兼ねて一曲踊ってみますか?」
「え……」
一瞬何を言われたか分からなかったが、レイの言葉を反芻して愛実ははっとする。
(レイから、ダンスに誘われた……!)
絶対にないだろうと思っていたシチュエーションに緊張が高まる。
「あ、え、で、でも、私そんなに上手じゃなくて……足、踏むかもですし……」
「最初は誰でもそうですよ。姉や妹のダンスの練習に付き合っていたので、これでも足は踏まれ慣れてるんです」
「そ、そんな……」
踏まれ慣れているからといって、踏むわけにはいかない。そう思いつつも、レイと踊ってみたいという欲求には勝てず、愛実は差し出された手を取った。
「よ、よろしくお願い致します……」
「こちらこそ」
優しげな微笑みを浮かべるレイに、愛実の頬は上気する。
(ど、どうしよう、夢みたい……!)
色々なことを諦め始めていた愛実だったが、思ってもみなかった出来事に、微かな期待が心の中に生まれていた。
◇
「――全く、やってくれましたね」
渋い顔をして現れたファースにクロードは思わず笑いを漏らす。彼がどんな顔をするかと思っていたが、概ね予想通りだった。
「笑い事ではありません。私は“フェガロ嬢と一番に踊る”としか聞いておりませんでしたが、一体どういうおつもりですか? “フェガロ嬢としか踊らない”では、意味合いが大分異なってくるのですが?」
口調こそ丁寧なものの、声音からは微かに怒気が伝わってくる。
クロードがローザ以外の令嬢とダンスを踊らなかったことで、既にファースに問い質した人間がいるのだろう。貴族の大半は領地にいるというのに、耳が早いものだ。
「そう怒るな」
「怒りもします。婚約者候補に挙がっている令嬢とは踊らず、婚約者候補でもないフェガロ嬢と踊るなど、周りが黙っていないということくらいお分かりになられるでしょう」
「俺にとっては、ローザが婚約者候補だ」
「正式な候補の一覧には挙がっておりません」
「別にあの中から決めろという取り決めはないだろう。王妃の立場を狙う家が、目に留めて欲しいと立候補しているに過ぎない」
それもクロードの与り知らぬところで勝手に作られたものだ。慣例的にその中から選ばれているだけで、そこから選ばないといけないという決まりはない。
実際、クロードの父であるフェリクスは候補一覧が出る前から母を娶ると決めていたそうだ。貴族達が煩いので、形式上候補一覧に挙げさせてから婚約を公表したらしいが、その前から内々に婚約していたという話だ。王家とラングロワ家の一部の人間以外は知らないが。
「今更そんなことを仰るとは……貴族達との関係を良好に保つためにも、候補の中から選ぶのは必須です。そこからご理解頂かねばなりませんか?」
クロードは溜め息を吐いた。
ローザを候補一覧に挙げられれば問題は解決するのだが、偽名のままでは挙げられないし、レイがニナ本人に話していないため、ニナ・スキアーとしても候補には挙げられない。
「貴族達が今気にしているのは次代の王女の誕生と魔力の確実な継承だ。その点、ニナ王女なら誰も文句はないだろう。そもそも、ローザ以外と踊るなと言ったのはエミリアだ」
「エミリア・フォンテーヌ嬢が、ですか……?」
「今日のパーティーで誰と踊るのだと聞かれて、ローザと一番に踊るつもりだと言ったら、その後は誰とも踊るなと言われた。令嬢達の不満を抑えるのは自分が引き受けるから、と。エミリアは俺に協力してくれるそうだ」
「フォンテーヌ嬢は、フェガロ嬢がニナ王女殿下だとご存じなのですか?」
「いや、多分知らないだろう。話を聞いていても、そんな素振りはなかった」
クロードは思い人の話をエミリアにしたことはあるが、それがニナだと明かしたことはない。ローザのことも、思い人に似ているとしか言っていないから、ローザが思い人と同一人物であること、ましてやそれがニナ王女であるなどとは考えていないだろう。
「どちらにしても、俺にとっては好機だ。ローザが身分を明かしてからでは、父上が言った期限に間に合うか分からない。偽名のままでもローザの存在は貴族達に知っていてもらわないといけない」
「王女殿下ご本人のご了承を頂いたわけではないというのに……」
「それはこれからだ。ニナ王女には申し訳ないが、レイがまだ話すなと言っているから俺にはどうにもできない。代わりに、今できることをやるしかないんだ」
ファースが溜め息を吐く。
「いくらフォンテーヌ嬢がご協力下さるといっても、貴族達の不満までは抑えきれませんよ。フォンテーヌ家とハース家は味方に引き込めるかもしれませんが、候補の令嬢は他にもいます。こちらへの非難もそうですが、フェガロ嬢の方にも被害が行くでしょう」
「身分を偽っているとはいえ、それでも侯爵令嬢だし、レイの付き人という立場だ。直接危害を加えればどうなるかくらいは皆分かっているだろう。大々的に声を上げれるのもごく一部、同じ侯爵家くらいだ。だが、フォンテーヌ侯爵家とハース侯爵家はこちらに引き込める可能性が高いし、ラングロワ侯爵家は母上の実家だ。残るは、ベルトラン侯爵家とアルヴィエ侯爵家。半数以上はこちら側だ」
「ラングロワ侯爵家にはもう話を?」
「まだだ。なんせエミリアに言われたのはパーティーの前だからな。母上にもまだ話せていない」
「では、お早くお話を」
「分かっている」
もう夜遅いので、明日朝一で話すことになるだろう。
「侯爵家はいいとして、他はどうなさるおつもりですか? 辺境伯家や伯爵家の令嬢もまだ数人候補に挙がっておりますよ」
「そこも少しは考えている。クラウスの一件で近衛隊のローザに対する評価は高い。ルーデンドルフ辺境伯家だけでなく彼らの家も味方に引き込みやすいだろう。それに、考えてもみろ。ローザの身分を明かしたらほとんどの貴族が黙る。セレーネとの関係が何よりも重要だと分からない貴族はいない」
クロードの言葉に、ファースは軽く溜め息を吐いた。険しかった表情も少しは和らいでいる。
「そこまでお考えでしたか。でしたら、私から言うことは何もございません。せめて事前にお知らせ頂きたかったですが」
「悪かった」
しばらくは学園内も王宮内もこの話題で持ち切りになるだろう。学園の方はクロードとエミリアで何とかするとして、王宮内の方はファースに協力してもらわなければならない。
(あとは、父上だな……)
ファースに詰め寄った人間がいるのだから、父の耳にも当然話が入っているだろう。今夜はもう呼び出されることはないだろうが、近い内に呼び出されるのは確実だ。
(ローザがニナ王女だと言えれば話は早いが……そこはレイに聞いてみるか……)
レイがローザに何も伝えていないことは気に掛かっているが、事は順調に進んでいる。長い間秘めていた思いがようやく報われようとしているのだ。
そのことに喜びは感じているが、同時に、ほんの数か月で大きく変化したことに不安も感じている。
何も見落としていなければいいのだが、とクロードは半ば祈るような気持ちで目蓋を伏せた。




